029 「外伝・鳳財閥略史(2)」
第二次世界大戦が終わり、青天井の戦時生産が終わると、鳳グループ(財閥)は第一次世界大戦での失敗を再現すると見られた。もしくは、かつての鈴木商店のように急速な縮小に入るかと思われた。
しかし、誰もが予測、それどころか願望したように極端に萎む事はなかった。
一方で日本政府は、先の世界大戦後のような戦後不況を強く警戒した。
この為、既に予算化されていた戦費の余りの一部を含めた膨大な予算を組み、積極財政を実施。戦争で停止していた社会資本の整備、公共事業を大規模に再開した。
日本には、まだまだ足りないものも多いのが幸いした形だ。
そして石油、鉄鋼という重工業の基本を牛耳り、さらに建設重機でほぼ一強となり、大きな建設会社すら持つ鳳グループが、その多くを占める事を止めるのは、他の巨大財閥がどれだけ邪魔をしても無理だった。
計画、事業自体が成り立たなくなるからだ。
それでも戦争中と比べると、鳳グループは縮小を余儀なくされる。
だが鳳グループは、1943年度に入る頃から自ら縮小する計画を既に立てて動いていた。そして戦線がドイツ国境に迫った同年秋には実行に移し始めた。
他の財閥、企業が、戦争終結時期が本当に見極めのついた1944年に入る頃まで、積極的な投資や拡大を続けていたのと対照をなしている。
ただしこれを、他者は肥大化に次ぐ肥大化を重ねていた鳳グループが、ついに限界に達したからだと多くの人々が考えた。
しかし鳳グループとしては、持ち前の高い分析力で戦争の行く末をいち早く正確に見極め、先の世界大戦での自らの過ちを避ける為に動いていたに過ぎなかった。
この逸話に、ノルマンディー海岸への上陸作戦成功の一報で、「戦争はあと一年」と一族中枢の者が呟いたという逸話がある。
ただし、財閥を形成した第一次世界大戦の戦争特需で、規模に似合わない拡大をして大きな失敗をした事を彼らは忘れていなかった、というのが一番の理由だった。
そして戦争が終わるよりも早く、政府、軍による過剰な、もう今後の戦争に必要のない受注が取り消されるのに合わせた。
さらに、動員解除より早く、戦時動員された労働者の解雇と、望む場合の他業種への再就職と斡旋を行なっていく。
そしてここでの鳳グループは、男性はグループ下の建設業に多く吸収していった。加えて、戦争中は男性が兵士となった事で大量に動員された女性を雇い入れていたが、彼女達を雇用し続けるか、そうでない場合も次の職場を優先して提供していった。
しかも戦争で得た大きな利益の一部を、政府が戦後の経済政策を進めるよりも早く投資して戦後に備えていた。
これに対して他の財閥は、ドイツとの戦争終結時期をもう少し後ろに予測していた。
加えて、ドイツを倒しても次はソ連と戦うのではないかと予測する者が少なくなかった。「戦争はあと5年続く」という説が、まことしやかに語られたりすらした。
ソ連は日本の仮想敵国の筆頭であり、敵の敵は味方の考えで共闘したに過ぎないという考えが根強かったからだ。
しかもアメリカは、1930年代からずっと共産主義に対して反発しており、次は日米とソ連との戦争だと予想しても考え過ぎとは言い切れなかった。
しかし第二次世界大戦の最後で、連合国軍とソ連軍はオーデル川で固い握手を交わして不戦を誓った。
もちろん、純粋に平和と不戦を誓いあったのではない。戦いに疲れた最前線の兵士達は純粋に平和を望んだかもしれないが、それぞれの政府は違った思惑があった。
アメリカは十分な戦争の利益を得たと考え、まずは利益の確定をしようという考えを持っていた。そして荒廃したヨーロッパに手を差し伸べ、自らの強い影響下に置くには金がかかった。
一方のソ連は、正直これ以上の戦争は国の破滅、破産を意味していた。金は底をつく以上に浪費し、兵士のなり手がいなくなっていた。
ソ連と似た考えなのは、ヨーロッパの全ての国も同様だった。多少の例外はアメリカと似た立ち位置の日本だったが、日本はアメリカと違って開戦当初から戦争に参加していて、政府はこれ以上散財をしたくなかった。
日本の国力、財政は、アメリカほど強固ではないからだ。
だからこそ戦争が終わると、日本は動員解除より早いくらいの速度で大規模な軍縮を断行した。まだ残されている余力を用いて、戦後経済の立て直しと次の発展の足掛かりを作ろうとした。
それにいち早く乗っかった形になるのが、他の財閥より一歩リードした鳳グループだった。
そうして戦後しばらくは、日本全体が第二次世界大戦からの経済の立て直しに力を注いだ。そしてそれは一定程度功を奏し、先の世界大戦の後のような不況に陥るのを避けられた。
それでも戦争では力の根源となった鉄鋼産業は、その転換に苦労する。公共投資を中心とする建設業の拡大も、まだ発展の半ばにある日本経済では吸収しきる事は難しかった。
鳳グループの基幹産業である石油も同様で、造船、自動車(特にトラック)の生産は激減し、半ば用済みとなった大半の戦車、航空機に代わるものと言っても、他には中々無かった。特に航空産業、造船業の維持には苦労が伴われた。
この為鳳グループは、先の世界大戦後の自らや鈴木商店程ではないにしても業績は後退し、戦後5年のうちに三菱、三井に再び追い越される。
なお財閥の規模は、戦争中に鳳に次いで拡大した三菱が、三井を追い越していた。この為、戦後数年すると三菱が日本一の財閥の座に躍り出る。
重工業分野で他の大財閥に遅れをとった三井は、同じ分野では鳳にもついに追いつけなかった。
だが鳳グループには、そうした中でも追い風は吹き続けていた。
最初は、1956年の万博開催の決定。これは10年前の1946年に東京ではなく大阪での開催が決まった。
さらに1951年には、1956年に東京での夏季オリンピックの開催が決定。
万博を1940年予定の東京から大阪に変更したのは、海外からの来訪者と国民に、最新の交通機関、航空機といわゆる新幹線を使ってもらおうという意図からだった。
また、東京市が既に肥大化して、開催場所の確保などで問題があると考えられていたからだ。
一方では、平和な事件ばかりではなかった。
1950年6月25日から、中華地域で東西に分裂した二つのイデオロギー対立を原因とする大規模な内戦が勃発する。
内戦は途中から戦争とされ、戦争中盤からアメリカ軍を中心とする国連軍が介入し、近隣の工業国である日本に対して消耗品の発注が大量に発生する。
戦争には日本も直接参加し、戦争自体は3年間続いた。
だが、アメリカ軍の原爆使用に国際的な非難が高まると、戦争は早々に泥沼化。戦争の後半は、有利な停戦を結ぶための戦いとなる。
この為消耗戦が続き、大陸に近い生産拠点となる日本は、自らを含めた戦争特需に沸くことになる。
この間、鳳グループは、肥大化した重工業分野の整理と再編成を精力的に行なっているだけではなかった。
他の財閥に先駆け、戦前から財閥形態からグループ化を進めていた利点を最大限活かしていた。
重工業からの他の産業への人と資本の移動もその一環だったが、最大のものは金融面と不動産面だと言われる。
鳳グループは1927年の企業グループ化の時点で、鳳FHC(金融持株会社)を財閥の中核に据え置いた。
要するに銀行がグループ企業全ての株を持ち、また金を集め、それを集中的に運用する事で巨大な金融力を発揮した。
また直下にあるフェニックス・ファンドはアメリカに本社を置いており、さらに満州にも巨大な銀行網を既に構築、さらに上海、ロンドンなどにも支社を置く、この時代の日本企業としては珍しい多国籍企業でもあった。
この為、資産を円で持つのは国内に限られており、金融資産の主力はドルで保有していた。加えてアメリカやスイスに膨大な量の金地金を有しており、それら金融資産は第二次世界大戦とその直後にも増え続けていた。
円で持つよりドルで持つ方が有利と考えての事だった。
そして狙い違わず、第二次世界大戦後はドルの時代が到来。鳳グループは、ドルとアメリカ・ダウインデックス株の力で、他の日本の財閥に対して圧倒的優位に立った。
この傾向は1927年の鳳グループ成立以後変化はなく、その後も時代に応じて国際金融組織としての力を発揮している。
この中で少し変わったところは、鳳グループが巨大なオイルメジャーの一角である事からアラビア半島諸国との関係が深く、湾岸の国際金融都市に巨大な投資を行っている点になるだろう。
特に1980年代の早くからアラブ首長国のドバイに大規模に進出し、現地政府とも強い協力関係にあるのは他の日本の企業グループにはない特徴の一つと言えるだろう。
.。゜+..。゜+.玲子の部屋.。゜+..。゜+
お嬢様「まだ色々説明足りてないけど、言い出したらキリないか」
エドワード「鳳グループは、行なっている分野、業種が広すぎますからね」
お嬢様「単に長い間続いてて、野放図にあれもこれもって手を出した結果だから、素直に喜べないかなあ」
ミスタ・スミス「決して、そのような事は御座いませんよ。外から見て見事としか言えませんでした」
お嬢様「アラ、ご無沙汰しております。半世紀ぶりくらいかしら?」
ミスタ・スミス「そうなりますな。エンプレスのご活躍を途中までしか見られなかったのは心残りの一つでしたが、これで叶いました」
お嬢様「それは何よりです。それより、どうしてミスタ・スミスがエドワードと同席を?」
エドワード「私、一応アメリカ上流社会からのスパイでもあるのですが?」
お嬢様「ああ、お仕事モードの体裁って事ね。それで?」
エドワード「『鳳財閥略史』は、アメリカからの視点なんですよ」
お嬢様「なるほど。二人ともこんな場でも偵察とは仕事熱心ね」
ミスタ・スミス「エンプレスこそ、約1世紀間休むことないご活躍、誠に感服致しました」
お嬢様「気がついたら時が経っていただけですわ。光陰矢の如しとはよく言ったものです」
エドワード「確かに。休む暇はあまり無かったですね」
ミスタ・スミス「エドワード氏は、いつぐらいまで?」
エドワード「21世紀に入るくらいまで。大半の者もそうでした」
お嬢様「その代わり、みんなの子供や孫達が頑張ってくれたわよ。だから、私がいなくなっても大丈夫でしょう」
ミスタ・スミス「鳳一族のそうした点は、本当に羨ましい限りです」
お嬢様「私どももそう自認しております。お陰で思い残す事なく旅立つ事が出来ました」