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026 「外伝・戦後日本経済略史(1)」

 明治維新以来、近代を迎えて以後の日本経済は、浮き沈みの繰り返しだった。


 幕末以後、急速に近代科学、近代制度を取り入れた結果であり、列強として台頭する事に成功した結果でもあった。

 また、海外情勢が安定しなかったのも理由としてあげられるだろう。特に20世紀の前半は、戦争に次ぐ戦争だった。


 そんな日本が経済面で世界的に頭角を見せるのは、第一次世界大戦以後と言われることが多い。

 さらに先進国と呼びうる経済力に達したのは、一人当たり所得が西欧列強で下位に属するイタリアを抜いた1930年代とも言われる。もしくは、第二次世界大戦での膨張と躍進の頃とされる。


 そして第二次世界大戦が終わった頃、日本の国民所得の総額はイギリスを抜き、アメリカに次ぐ世界第二位に躍り出た。世界全体で見ても、世界の国民所得の約10%を占めるにまで拡大した。

 一人当たり所得はまだ届かないが、人口が多いのでイギリスすら追い抜くことができた。


 しかし、第二次世界大戦が終わった直後のアメリカは、世界の半分の経済力を有していた。また西ヨーロッパ諸国は、戦後に順調に復興、発展していった。

 この為、第二次世界大戦中の日本経済の躍進は影に隠れて見られる事が多い。日本が二倍になったように、当時日本の約5倍の国力を有するアメリカもまた二倍に膨れ上がっていたからだ。


 それでも、近代日本が一つの頂点に達したのは間違いなかった。とある歴史小説作家は、「坂の上に至った」と表現した。

 ただ、坂の上に至ったように、その後も順調だったかと言えば必ずしもそうとは言い難い。これは、20世紀末からの日本経済の躍進を日常としてきた世代から見れば、少しばかり違和感を感じないこともない。

 まずは、簡単に流れを見ておこう。



・大まかな日本経済の状況の推移


(☆=大規模な好景気 ○=好景気 △=停滞 ●=不景気 ★=大規模な不景気)


 ・1930年代前半:○:

 ・1930年代後半:☆:

 ・1940年代前半:☆:第二次世界大戦

 ・1940年代後半:△:政治改革、戦後不況、公共投資拡大

 ・1950年代前半:○:中華戦争特需と万博・五輪景気

        後半:△:共産主義の脅威の拡大

 ・1960年代前半:○:朝鮮独立、アジア・アフリカの躍進、キューバ危機

        後半:△:ベトナム戦争への反発による社会不安

 ・1970年代前半:★:オイルショックによる大きな停滞

        後半:★:追い打ちとなる第二次オイルショック

 ・1980年代前半:●:東西冷戦激化、大規模な政治改革

        後半:○:プラザ合意。円安。輸出拡大

 ・1990年代前半:☆:東西冷戦終了、軍備削減、政界再編

        後半:☆:阪神淡路大震災、新興国通貨危機

 ・2000年代前半:○:ITバブル崩壊、同時多発テロ

        後半:△:世界金融危機

 ・2010年代前半:△:東日本大震災

        後半:○:



 西暦2020年から見返すと、ちょうど第二次世界大戦の終わりが近代化してからの中間点となるが、見て分かる通り第二次世界大戦から以後80年の歴史も浮き沈みの繰り返しだった。


 経済面での大きな節目は、大規模な好景気が1930年代から第二次世界大戦と、東西冷戦構造の崩壊後から世界金融危機までの2つの時期。

 逆に大規模な不景気は、オイルショックから大規模な政治改革を挟んでプラザ合意までになるだろう。


 世界金融危機後の不況は、好調な経済と適切な対応もあり日本では一時的なもので済んだ。それよりも、東日本大震災が心理的に大きな痛手となったと言われる。

 しかしこれも、大規模な積極財政(財政出動)などで結果としてプラスにできた。

 

 一方、全体として日本経済の大きな欠点だが、何と言っても東西冷戦終結までの国家予算に占める軍事費の割合の高さになる。

 逆に東西冷戦構造の終結以後の大幅な軍事費削減は、その前に行われた大規模な行財政改革、円安と大きな相乗効果を発揮した。


 そして1990年代から大規模な経済成長が出来たのは、日本の人口政策の迷走の影響が少なくなかったと言われる。

 日本の人口は、1930年代から50年代にかけ、途中第二次世界大戦の停滞を挟んで大きな増加を示した。

 これは、第二次世界大戦中の政府による人口増加政策の影響でもあった。多産を奨励し、実質的に妊娠中絶を禁止したからだ。


 そして近隣を含めた食料供給体制が安定していた事もあって、人口拡大は万博、オリンピックが終わる頃まで顧みられる事はなかった。

 政府が「やりすぎた」と考えたのは、1958年に列島の総人口が1億人を突破してから、もしくは正確な予測が立てられたその数年前だった。


 だが、簡単に方向を修正するわけにも行かず、妊娠中絶の事実上の禁止が法的に止められたのも1960年の事だった。

 民意から出産数が減少し始めたのは、1956年の万博、オリンピックの頃からだった。


 結果、第二次世界大戦後のベビーブームと呼ばれる時期を含めた15年の間、人口は国の経済状況を考えると不釣り合いなほどの上昇を記録する。

 そしてこの時期の世代は、1970年代から80年代にかけて次の人口増加の波を起こすのだが、この時期の多くの期間の日本は不況に喘いでいた。


 本来なら先進国での不況は人口増加を抑圧する。

 だが当時の日本は、まだ一人当たり所得で先進国とは言い切れなかった。加えて、成長の停滞が子供への投資、教育の高度化を妨げ、一定程度の多産へと傾いた。


 また、経済成長の停滞が、日本の伝統的社会の維持にも強く影響したとも考えられている。

 皮肉にも経済の停滞により維持された、「古き良き日本」の社会的風潮の中で相応の人口増加が続いた。


 この流れは1980年代後半からの「3度目の高度成長」と言われた時期の終わる21世紀初頭に終焉を迎えていく。

 そして大きな人口と豊富な国内労働力によって、日本の経済成長を支える事ができた。


 もっとも、日本が何度目かの経済成長時期に入るまで、「昭和の停滞スタグネイション」を経験する事になる。


 オイルショック(1973)からプラザ合意(1985)にかけてがそれで、さらにはニクソン・ショック(1971)から東西冷戦終了(1989)までとする場合がある。

 また1968年には、国民総生産(GNP)がドイツに追い抜かれており、当時アメリカと共にベトナム戦争に嵌まり込んでいた日本は、既に停滞を始めていたとする場合もある。


 単純に数字で見れば、国内総生産(GDP)換算だと1944年400億ドル、1960年1100億ドル、1970年2170億ドルと、世界全体で見てもそれなりの順調さで経済成長を遂げていた。

 日本は幸いにも「中進国の罠」、経済成長の停滞は起きなかった。


 そもそも日本は、第二次世界大戦の時点で世界から先進国だと国際的に認識されている。

 戦艦、大型空母に始まり、無数の重爆撃機、高性能戦闘機、戦車、自動車を自力で大量生産できる国が、先進国以外有り得なかった。


 低迷していた時期も、一人当たり所得ではイタリアと同程度を維持している。

 これは1973年までの長期的な経済成長が順調だった事を示しており、停滞していた時期も極端に停滞していたとは言い切れない。

 その証拠に、経済のマイナス成長を記録した年は殆どなかった。


 ただしこの停滞していた時期の日本は、一部の産業、一部の企業を除くと世界から取り残されていた。

 アメリカは他の先進国と貿易摩擦を起こしており、特にドイツ経済が大きくなり過ぎていて、アメリカと激しい経済摩擦を引き起こすほどだった。


 これは1971年のニクソン・ショックで通貨を最も切り下げられたのがドイツ通貨のマルクで、1985年のプラザ合意でもドイツの通貨マルクが主なターゲットとされた事からも明らかだ。

 しかも第二次世界大戦の記憶もあり、ドイツは警戒された。


 ドイツ自身も、西側諸国から警戒されることに非常に気をつけていたし、アメリカ政府も西側の防波堤としてのドイツを過度に追い詰める気はなかった。

 だが、事が経済とあって、問題なしとはいかなかった。


 一方この時の日本の円は、他の先進国と比べても低い率でしか切り下げられていない。

 これは、第二次世界大戦以後西側第二位の国力を有していた事もあって、円の評価が他の先進国の通貨と比べて高めに設定されていたからでもあった。

 この事は以前から言われており、日本の経済成長を阻害したとも言われている。口さがない者は、第二次世界大戦後のアメリカが日本に課した『枷』だと言った。


 そして石油の大半を輸入に頼っていた日本は、1973年のオイルショックで経済に大打撃を受ける。

 このため日本政府と一部企業は、海底油田開発、海底ガス田が採算が取れるようになったので、慌てるように国内での開発を促進した。

 だが、それだけではまったく足りなかった。


 日本国内の海底油田、海底ガス田では、合わせても日本の消費量の1割程度の石油、天然ガスしか供給できなかったからだ。

 しかも、かつての生命線だった満州の油田も、既に多くが満州国内で消費されるようになっていた。その上、満州国内での消費は年々増加していた。


 そしてこの時期の日本の問題点は、石油など資源輸入だけではなかった。様々な面で明治以来放置されてきた影響で制度疲弊が起きており、これが経済面でも大きな足かせとなっていた。

 この為、大規模な改革を必要としていた。

 しかし様々な既得権益の抵抗と反発が非常に強固で、1970年代前半に大規模な改革をしようとした首相は、不自然な疑獄により辞任に追いやられている。


 ただしこの時に改革の道標が出来たのが幸いし、約10年後の1980年台前半に成立した内閣が、停滞した経済を憂う世論の圧倒的支持を受けて、大日本帝国憲法の大幅改定を含む大規模な政治改革、行財政改革を断行する事ができた。

 この結果、第二次世界大戦後の改革でやり残した多くの政治、行政の改革を果たす事ができた。


 ただし改革だけでは、日本経済の再始動は難しかった。

 この時期は東西冷戦の最盛期に当たり、ただでさえ逼迫している財政を巨大な軍事費が圧迫していた。

 しかしこの時、日本に追い風が吹く。

 それが「プラザ合意」だった。


.。゜+..。゜+.玲子の部屋.。゜+..。゜+


お嬢様「オイルショックからプラザ合意までは、大変だったわね」

貪狼司令「私はその頃すでに地獄落ちでしたので、興味深いですな」

涼太「僕が残りの現世の地獄の付き合いをしましたよ」

貪狼司令「言うようになったな」

涼太「主人と上司の教育の賜物です」

お嬢様「あの頃は苦労かけました。みんなが居てくれたから、何とか乗り切れたのは間違いないわ」

貪狼司令「ですが、夢見とは大きく違っていたのでしたな?」

お嬢様「もう、全然。似た情景は幾つもあったけど、前提条件が違ったり、単に似ているだけだったりと、色々。お陰で私自身が夢に振り回されたわ」

涼太「舞が時々玲子様が呆然としていると言ってました」

お嬢様「ええ、もうね。ドウシテコウナッタと思うことばっかり」

貪狼司令「で、それが、今後も続くのでしたか?」

お嬢様「ええ、晩年までキリキリ舞いさせられたわ」

涼太「お疲れ様でした」

お嬢様「お互いね」


__________________


 ・戦後の人口増加(日本本土):

1944年で総人口は8350万人。(史実は約7400万人)

史実のように戦災、物資(食料)欠乏がない。また戦後は食料供給に不安がなく、順調に経済成長している。さらに政府は、多産政策を何となく放置。

1960年頃まで、人口増加率は毎年1・5%(昭和初期の平均)を維持。

1958年に総人口は1億人を突破。(史実は1967年)

21世紀序盤、総人口の推移は史実より四半世紀後ろ倒し状態。

また、21世紀序盤の総人口は史実の2割増程度。


※参考:史実は1953年以後、人口増加率は1%前後に低下。1985年には0・5%にまで低下。



 ・1968年には、国民総生産(GNP)でドイツに追い抜かれ:

史実は逆で同じ年に日本が西ドイツを追い抜く。

この世界は、第二次世界大戦最後の状況から、史実の統一ドイツ状態で再スタートしている。

さらにこの世界のドイツは、戦争が1年早く終わるなどで戦災、死者も少しマシ。



 ・ニクソン・ショック:

史実は16・88%の円安で、360円が308円。その後さらに大きく下落していく。

戦後の日本経済がひどい状態だったのもあるが、360円は日本経済復活の為もあり超円安設定だった。

(10数年前(1930年代)の100分の1に下落している。)


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― 新着の感想 ―
主人公が戦前にまいた種が全部潰されてる感あるんだけど… 主人公グループの政治影響力戦後の増税で破滅でもしたんか?って位迷走してますね。 そして、中東の油田早めに手を付けたはずなのに消えてしまったのかね…
円安と円高をとり違えていませんか? 史実はニクソンショックで360円が306円で円安、更に落ち込んでいく という状況は円高です。
それでも鳳財閥が現在の三菱とトヨタを併せたような本邦最大のコンツェルンなのですよね?
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