003 「外伝・第二次世界大戦(1)」
「第二次世界大戦」。人によっては「第二次欧州大戦」または単に「欧州大戦」とだけ呼ぶ場合がある。
主な理由は、戦場の大半がヨーロッパだった為だ。
当然だが、アジア、太平洋は戦場にならなかった。アジアに関しては、中近東の一部が戦場になったので世界大戦の証だったとする場合もあるが、東アジアが戦場にならなかったのは間違いない。
大戦前から続く中華民国内での内戦を含めると一応は極東でも戦火が上がった事になるが、含める事例は稀だ。
Uボートとして有名なドイツ海軍の潜水艦も、一時的にマダガスカル島を拠点として僅かな活動をインド洋でしただけで、東アジア、太平洋の玄関口となるマラッカ海峡には近寄りすらしなかった。
一方で、参戦国が最終的に世界規模に及んでいるので、「第二次世界大戦」と呼ばれる事が一般的なのも事実だ。
主な参戦国は、枢軸国側はドイツとイタリア。連合国側は序盤がイギリス、フランス、日本。その後、他の列強も途中参戦で加わり、戦争が終わる直前には慌てるように世界中の主権国家が宣戦布告だけする。
しかし、戦争前から大規模な内戦中の中華地域は、最後まで連合国諸国の了解が得られず参戦できなかった。
また、ソビエト連邦は連合国の枠組みには入れず、単独で扱う場合もある。1941年6月までのソビエト連邦は、ドイツと不可侵条約を結び近隣諸国を侵略していることから、日英仏から半ば敵、半ば枢軸側と見られていた。
その一方で、アメリカは遅い参戦ながら主要参戦国とされた。これは、「レンドリース」とアメリカの積極的な参戦なくして、連合国の圧倒的勝利はあり得なかったからだ。
アメリカが参戦しなくても連合国の敗北はなかったとする研究も多いが、ドイツ本国まで攻め込めた可能性はかなり低かったと分析されている。
アメリカ自らが戦争をしていた期間が他の主要参戦国より短かったとしても、その功績は計り知れない。その事は、日本よりも戦死者数が多い点と、第二次世界大戦後のアメリカの影響力の大きさを見れば明らかだ。
では、ヨーロッパ諸国以外のもう一つの主要参戦国だった日本帝国はどうだったのだろうか。
ここでは、日本を中心にして第二次世界大戦を見ていきたい。
「第二次世界大戦」は、西暦1939年9月1日にナチス政権下のドイツ(第三帝国)のポーランド侵攻によって開始された。
この時期日本は、ドイツの暴挙をなんとか止めるべく、イギリス、フランスと強く連携した。そしてポーランドとの間に「日本=ポーランド相互援助条約」を戦争直前の8月28日に締結。
同様の条約はイギリスが締結したばかりで、実質的な軍事同盟だった。
そしてこの条約を結ぶにあたり、時の総理大臣平沼騏一郎は、「英仏と共に欧州の、ひいては世界秩序を維持する事は、国際連盟常任理事国としての責務であり、義務とすら言える」と力強く声明を発している。
自ら遠くヨーロッパの戦争に深く関わる姿勢に、イギリス、フランス、そして当事国のポーランドは絶賛。ドイツは外相のリッベントロップが激怒したが、それ以上はなかった。これは既に、ドイツが戦争を決意していたからだった。
そしてさらに言えばこの時のドイツ政府は、イギリス、フランス、そして日本が「ポーランドに侵攻したくらいで」宣戦布告してくるとは考えていなかった。
そのような状態なので、ドイツは安易や迂闊と言える程の外交的覚悟と不十分な戦争準備しか持たないまま、自らの手で第二次世界大戦を始めてしまう。
ドイツのポーランド侵攻直後にイギリス、フランス、日本が宣戦布告すると、ドイツ中枢の多くの人が半ば呆然としたとすら伝えられている。
まともな外交をしてこなかったナチス政権にとって因果応報といえばそれまでだが、第二次世界大戦はドイツが安易に最後の一線を超えた事で始まった。
そして始まった以上、次のまともな外交が行われるまで戦いが止まる事はなかった。
だが人類社会にとって不幸な事に、この時起きた戦争は国家が最後の一滴まで力を振り絞って戦う、国家が総力を挙げて行う無制限の戦争だった。
第一次世界大戦と同様に、この点が他の戦争と大きな違いであり、だからこそ世界大戦だと言えるだろう。
もっとも、戦争が始まって約一ヶ月でポーランドでの戦いがドイツとソビエト連邦による分割占領という形で終わると、戦争は半ば停滞した。
これは当たり前で、誰もが大国同士が全力で戦う戦争を想定しておらず、とにかく戦う準備を整えなくてはならなかった為だ。
またイギリス、フランスの大半の人は、今回の戦争も先の世界大戦のように長期的な戦争になるだろうと、ぼんやりと予想していた。
加えて先の世界大戦での未曾有の損害という苦い教訓が頭をよぎり、急いで攻め込んだり安易に攻撃することが心理的に躊躇われた。
そして戦争準備は、日本も例外ではなかった。
しかも日本は、戦場となるヨーロッパから遠く離れているので、当面だけの場合であっても大規模な遠征の準備をしなければならなかった。
さらに長期戦に備えて、国内を全ての意味で戦争態勢に移行させるのと並行して、船だと最低でも一ヶ月はかかる長大な兵站線、補給路の確保、維持をしなければならなかった。
しかもその長い道は戦場に近づくほど危険度が高まり、簡単に辿り着くのは難しいと考えられた。
そうした状況を前に、日本国内で最も戦争に積極的だったのは日本帝国海軍だった。
日本からヨーロッパに至る長い海の道を守るのは彼らしかなく、到着した先のヨーロッパには彼らを満足させる敵が存在した。
それが危険に満ちていようとも、今までの不遇な状況を考えると否が応にも積極的にならざるを得ない状態だった。
何しろ日本の周りには、強大な戦力を誇る日本帝国海軍の敵となる相手、仮想敵がいなかった。
一応は先の世界大戦(以後、第一次世界大戦と呼称する)までは、ロシア帝国、ドイツ帝国が仮想敵だった。だが、その2国共に第一次世界大戦で滅びてしまう。
しかも後継者となった国は、貧弱な戦力に落ちぶれた海軍しか持たなかった。
この為、第一次世界大戦頃から、日本帝国海軍は仮想敵をアメリカへと変更する。
仮想敵と言っても本当に敵として想定するわけではなく、指標、指針のようなものだった。
これはアメリカ合衆国海軍も似たような状態で、お互いを見つつ大艦隊の整備計画を実施しようとした。
だがその後は、何度も結ばれた軍縮条約、官民を挙げた友好関係を作り上げるための努力などもあり、危険な状態に至る事は遂になかった。
しかし軍隊には敵、最低でも仮想敵が必要だった。
そうして日本帝国海軍が選んだのが、まずはソビエト連邦だった。
何しろ、日本本土の対岸の極東と呼ばれる地域には、ソ連海軍の拠点があり艦隊が駐留していた。しかも潜水艦を主戦力として、1930年代にはかなりの戦力を保有するようになった。
このため日本帝国海軍は、徐々に戦艦や大型空母を主戦力とした大規模な水上戦闘ではなく、商船と航路を潜水艦から守る体制構築を重視していくようになる。
さらにこの傾向は、1930年台半ば以後になりドイツ海軍の規模拡大が始まると強まっていく。
しかもドイツは、極端な全体主義を掲げるナチス政権となり、ヨーロッパ諸国に対してだが膨張外交を展開するようになる。
そしてヨーロッパの航路を持ち、友好国を多数抱える日本は、ドイツを仮想敵と考えるようになっていく。
そうした状態のまま数年が経過してある程度の兵器、戦術が揃い始めていた頃、第二次世界大戦が勃発した。
.。゜+..。゜+.玲子の部屋.。゜+..。゜+
麒一郎「よう。邪魔するぞ」
お嬢様「あら、最初はお爺様なのね」
麒一郎「皆に勧められてはな。で、適当に話せばいいのか?」
お嬢様「そうよ。雑談しましょう」
麒一郎「おう。まあ、開戦して半年ほどはどこか呑気だったよな」
お嬢様「そうだったわね。日本は特需だ特需だって」
麒一郎「俺、平沼さんや他の大臣に、勇み足で参戦する必要なかったって白い目で見られ続けて針の筵だったぞ」
お嬢様「ハイハイ、その愚痴は毎日聞かされました。ご免なさいね」
麒一郎「まあ、その甲斐はあったがな」
お嬢様「どうかなあ。戦争は結局中盤くらいまで苦戦したじゃない」
麒一郎「ドイツが相手だ。当然だろ」
お嬢様「アメリカがもっと早く参戦してくれたら、楽だったのに」
麒一郎「確か妙な言葉で煽ったんだったか?」
お嬢様「うん。『乗るしかない、このビッグウェーブに!』」
麒一郎「さっぱり意味が分からんな」
お嬢様「いいのよ。戦争なんて勢いだし」
麒一郎「それは言えている。分かってきたじゃないか」
お嬢様「そりゃあ、1世紀も生きましたから」