略歴年表3(1927年秋から1930年秋)
しばらく(170話くらいまで)進んでから、ご覧ください。
そうでないと、ネタバレになります。
1927年(昭和2年)(7歳)
11月
鳳玲子、蒋介石と遭遇。
蒋介石、来日。日本政府に侘びを入れるが、田中内閣は張作霖重視の方針。
蒋介石、その後渡米してロビー活動展開。だが、あまり相手にされず。
また蒋介石は、上海での結社とのつながりを持つ鳳の屋敷も訪問。
晩秋
アメリカダウインデックスが高騰。24年上半期の約二倍にまで上昇。
レバレッジの多様で、フェニックス・ファンドの資産は肥大化。徐々に日米双方で注目されるようになる。
1928年(昭和3年)(8歳)
春先
アメリカの財界中枢が、鳳グループへの注目度を高めている事が確認される。
3月
鳳龍也、ドイツに駐在武官として赴く。
玲子、欧州の武器の視察や買い付けを頼む。
壮行会も開催し、玲子は多くの青年将校と遭遇。
4月1日
鳳ホテル開業。首相官邸近くに建設。
高層建築で帝国ホテルに匹敵する床面積を有する豪華なホテル。
鳳グループ(鳳財閥)の大衆向けの表看板。
メイド喫茶も館内飲食店街に開業。
大量の建設機械を投入して完成。
周辺部の都市再開発も並行して進展。
5月
張作霖軍と汪兆銘率いる国民党の国民革命軍が激突。
張作霖軍の圧勝。
5月吉日
鳳家の園遊会
6月
中国共産党が揚子江流域などで暴動。各国が出兵。
その撃破で、張作霖軍が一時的に南京、上海に進出。
蒋介石が返り咲いて、武漢で国民党を再編。国民党左派は南部に逃亡。
さらに共産党を攻撃し、国共合作完全崩壊。
同月
張作霖、中華中原で優勢な事から、中華民国の統一と排外を実現する為、満州北部のソ連利権を占拠。
ソ連、国内問題から動けず。しばらく静観。
7月3日
「易幟」
南京で張作霖と蒋介石が会談。
国民党は青天白日満地紅旗が使えなくなる。
(史実と真逆。)
張作霖、中華民国政府主席に就任。
張作霖は、中華民国の国家元首である総統に就任。
しかし広東政府(と呼べない集団)と共産党は反発。
7月末
フランスの金本位制復帰に続いて、日本も金本位制に復帰。ただし平価切下げ。
準備していたので直ちに実行。
同月
鳳玲子、石原莞爾と会合。
夏(8月):
アムステルダムオリンピック開催
9月1日
鳳玲子の体の主が枕元に立つ。(二度目)
10月
モルガン財閥から鳳へ訪問者。
訪問者との交渉で、保有株の売却の承認を得る。
アメリカのダウ平均が1924年の3倍近くまで上昇。
11月10日
天皇即位礼
華族なので式典に参列。(観客レベル)
秋
「米穀統制法」「米穀自治管理法」公布。
(主人公の働きかけもあるが、米騒動が遠因。また史実より既に工業化が進み始めている事も原因。)
12月25日
クリスマスは「大正天皇祭」として国民の休日。
鳳ホテルでは、巨大なクリスマスツリーを設置するなど、ムードを盛り上げる。
1929年(昭和4年)(9歳)
年始すぐ
執事の時田が渡米。フェニックス・ファンドの膨大な株を売り捌く為。
春まで
鳳グループ(鳳玲子)、様々な自然災害に対して事前に手を打つ。
3月末から4月頭
鳳玲子、日本各地の鳳グループとその関連施設を訪問。
5月吉日
鳳家の園遊会
5月某日
鳳玲子、夏から長期の渡米がしたいと頼む。
7月末
ツェペリンのチケット取る。
7月半ば
時田とシズ、先に船で渡米。
7月13日
「中ソ紛争」
ソ連、中華民国政府に最後通牒。満州北部からの撤退を求める。
中華民国、強気の姿勢を崩さず。
張作霖、日本などソ連と敵対する列強をあてにする。
8月
「中ソ紛争」本格化。
ソ連、軍事力を本格的投入し、満州北部の中華民国軍を撃破。9月に張学良戦死。
日本など他国は動かず。
8月19日
ツェペリン飛行船来日。
鳳玲子、新聞王ウィリアム・ハーストと会談。
鳳玲子、鳳紅龍、これに乗り渡米。
8月26日
ツェペリン飛行船、アメリカ西海岸到着。
8月末
鳳玲子、新たな執事を雇う。
8月29日
鳳玲子、ウォルト・ディズニーと会う。
フェニックス・ファンド、9月までに株を全て売り抜ける。
9月初旬
鳳玲子ら、ナイアガラ、フォード社、シカゴ訪問。東部の大学行脚
9月3日
アメリカ、ダウ・インデックス株、最高値381ドル17セントの最高値を付ける。
9月20日
鳳玲子、ニューヨーク入り。
10月初旬
鳳玲子、「偶然」テキサス東部で大油田発見。
10月初旬
鳳紅龍、ノーベル賞逃す。
ペニシリンによるノーベル賞は、フレミングが受賞。
10月
張作霖の奉天軍閥壊滅的打撃。ソ連の一方的勝利で終息。
これにより張作霖の権勢が失墜。蒋介石が勢いを盛り返す。
10月24日
ニューヨーク株式市場大暴落、世界恐慌始まる。
10月28日
ニューヨーク株式市場大暴落。総崩れ。
10月29日
「悲劇の火曜日」
24日からの一週間で300億ドルが消える。
11月
中ソ政府「ハバロフスク議定書」を交わす。
11月初旬
鳳玲子ら、豪華客船で大西洋横断
(タイタニックの姉妹船のオリンピック号)
11月中頃
鳳玲子ら、イギリス入り。
しばらく観光と、鳳紅龍は各地の大学で講演会。
最後に、グラストンベリー(アーサー王の墓)に行く。
そこでウィンストン・チャーチルと遭遇。
11月下旬
鳳玲子ら、パリ滞在。
鳳玲子、ココ・シャネルと1週間ほどホテルで缶詰。
12月初旬
鳳玲子ら、フランクフルト、スイス、ベネツィアを回る。
ドイツで鳳龍也と合流。
12月中旬
鳳玲子ら、東地中海旅行。
(実際はペルシャ湾にまで赴いて大油田探し。英米財閥も同道)
年末年始
鳳玲子ら、12月25日ローマ、31日からベネツィア滞在。その後、日本に帰国。
1930年(昭和5年)(10歳)
1月21日~
「ロンドン海軍軍縮会議」開始
同月
鳳ビル、竣工前だが一部稼働開始。
2月初旬
鳳玲子ら帰国。
鳳本邸で、一族会議開催。今後の方針を決める。
鳳玄二がクーデターをしようとするが事前に阻止。
合わせて参加者の粛清を実施。
鳳玲子に、アメリカの中枢からメイド派遣。
2月中旬
鳳玲子、高橋是清を訪問。
3月
予算通過。その前に鳳一族の献金を巡り、軍の横暴に国民が怒る。
4月
鳳玲子、側近候補を増強。
最側近の皇至道芳子を格上げ。
4月19日
鳳社長会「鳳凰会」開催。
鳳玲子が伯爵名代として出席。実質的な社会デビュー。
この時期までに、鈴木商店は完全に鳳ホールディングスを基幹銀行とする。
鳳は、三井、三菱、住友、安田と並ぶ「五大財閥」の一角としての地位を固める。
4月22日
「ロンドン海軍軍縮会議」締結。
全権の原敬大活躍(史実の69・75%ではなく、69・9%を獲得)
5月吉日
鳳伯爵家恒例の懇親会が開催。
さらに盛況となる。
4月24日~
「統帥権干犯問題」
野党が統帥権干犯問題を提起。
6月7日~
「海軍大粛清」
軍縮条約の文句を末次信正が天皇に帷幄上奏を実施。
昭和天皇大激怒。
伏見宮博恭王殿下は予備役。実質引退。
その他、多くの提督が粛清される。
海軍の政治力が大きく低下。
6月11日
田中義一首相急病で倒れる。
6月13日
犬養毅、臨時に首相代行。
6月15日
一ヶ月後の解散総選挙決定。
7月
鳳玲子、浜口雄幸と密会。
テロの忠告をする。
7月15日
第17回衆議院総選挙。
濱口雄幸内閣成立。
夏
鳳玲子ら、関西、瀬戸内海の視察。
秋
日本(と朝鮮半島)は近年稀に見る豊作。
10月2日
米価市場が暴落。
様々な対策で乗り切る。
10月初旬
鳳紅龍、ノーベル生理学・医学賞を受賞。
ストレプトマイシン。結核の治療薬を評価。
東洋初(初じゃない)という事で、日本中がお祭り騒ぎ。
11月
鳳紅龍、昭和天皇への御進講を行う。以後、定期的に行う。
夏から冬
鳳グループ、アメリカからの買い物の第一陣として、膨大な数の建設重機を購入。