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049「料亭の密談」

 1927年の3月は、物凄く慌ただしかった。

 大陸での変化に伴う小規模ながらの出兵と外交活動をしている時に、国内では予算成立によって鳳も巻き込んだ大騒動が発生したからだ。

 しかも追加予算の成立が、震災手形の件でギリギリのギリギリまでもつれ、貴族院での可決が3月23日。大陸での事件が本格化し始めたのが22日で、完全に燃え上がったのが24日。


 一方では、私の前世での「昭和金融恐慌」発生は3月14日。

 そして予算成立は3月23日なので、起きてもおかしくはない。前世の歴史ではこの間に銀行がバタバタと倒れていった。

 しかし一人の偉人の存在が、それを強固な防波堤のように阻んでいた。大蔵大臣の高橋是清だ。


 私の前世での「昭和金融恐慌」は、時の蔵相の失言と震災手形の受け入れが原因しているが、私の前世より半年近く早く成立した政友会と革新倶楽部連立の田中義一内閣は、予算編成ギリギリまで震災手形の予算通過を議論していた。

 しかし、高橋是清が蔵相として失策、失言をする筈もなく、不安になった預金者が日本中の銀行窓口に殺到する事もない。

 勿論、どこかの銀行が倒産したりもしない。


 私はこの事を前世の歴史で知っていたので、もしこの事件が発生するのなら、鳳の各銀行に現金を積み上げて預金者を安心させるという古典的方法を取ろうと考えていたけど、そんなものは全く不要だった。

 それどころか、鳳財閥というか鳳宗家はアホほどドルを抱えているので、日本が倒れても倒れないレベルだ。逆に今もしアメリカが倒れたら、うちは悲惨な事になる。

 是非とも、アメリカ株の推移は私の前世通り進んで欲しいところだ。


 一方で鈴木商店(財閥)は、膨大な不良債権の処理が出来なくなり苦境に陥った。これで鈴木は倒れるかもだけど、事は鈴木だけで済む筈だ。台湾銀行などは、財閥の不良債権処理が大幅に少なくなっているから、問題が起きる筈もない。

 「昭和金融恐慌」は取り敢えずだがフラグごとへし折れている事になる。


 そうした3月前半のある日、曾お爺様に呼ばれた。



「玲子、私と別である場所に行ってもらうよ」


「はい。どちらに?」


「玲子が一人で行くとなると、10年以上先になる場所だな。時田は私に付けるので、お付きの女中と来て私達の部屋の隣にいなさい」


「はい。訳を聞いても?」


「鈴木の金子さんから、内密なお話のお誘いを受けていてね」


(鈴木の金子さんって、鈴木商店の大番頭金子直吉しかいないよね)


 一応頭で復習しつつ、向こうが切り出すであろう話を振ってみる事にする。


「やはり融資の依頼でしょうか?」


「もしくは、一部企業の身売りだな。それで鈴木自体を救おうとするかもしれない。もう、そこまで追い詰められているからな。三井など、手ぐすね引いているぞ」


(うっ、財閥同士の競争は怖い。けど、うちも鈴木のようになっていたかもしれないんだよね)


「蒼一郎様は、どうされるおつもりですか?」


 思わず丁寧な言葉になってしまう。


「逆に私が聞きたい。私は鳳を次代に託すのが役目だ。玲子はどうしたい。どうするべきだと考える? それとも、夢で何か見ていないか?」


 口調も表情も優しめだが、瞳だけが異常なほどの輝きと真剣さで満たされている。

 生半可な答えは言えない、いや、言わせない状況だ。

 思わず、ありもしない生唾を飲み込んでしまう。


「私の見た夢は、鈴木と鳳の両者の破綻。鳳は首の皮一枚で繋がるけど、力は無くします」


「そうだったな。で、他の道は示さずだったな」


「はい。けど、私としては、飲み込めるなら鈴木を飲み込んでしまうべきだと思うの。生産合理化は、規模が大きい方が良いから」


「では、三井と喧嘩か」


「今更でしょう。三井さんとかから見れば、鳳も成り上がり者だし」


「違いない。まあ、三菱には一言入れてからだが、今日の話し合い次第だな。では、夜遅くになるから、今日は十分に昼寝を取っておきなさい」


「ハーイ」


 最後だけ幼女っぽく答えるが、またも歴史の分岐点に立ち会うのだと思うと緊張しないわけない。

 だからかなり長めに昼寝の時間をとったのに、結局よく眠れなかった。




 そしてその夜。

 私はシズと一緒に車で外出。そして何やら伝統と格式のある立派な料亭に着いた。

 日本での政財界の人の密会といえば料亭が定番だが、まさかこの年でそうした場所に足を運ぶ事になるとは考えもしなかった。

 ていうか、曾お爺様は私に容赦なさすぎ。もうちょっと幼女扱いしてもバチは当たらないと思う。


 一方曾お爺様の方は、お父様な祖父は行かず、財閥総帥の善吉大叔父さんも行かない。時田を連れて行くのは、鳳宗家、鳳の長子が話を聞きに行く形だ。

 時田が私付きの執事になっているのは既に公表されているけど、基本的にはお父様な祖父の麒一郎に付いていると見られている。私はお父様な祖父の次かその次で、しかも私の旦那さんとなる人が財閥総帥や一族当主になると見られている。

 もっとも鳳は、財閥総帥はともかく一族当主と資産を長子で引き継ぐ気満々なのだが、外から見てそれは分かり辛い。

 だから時田の事を、金子さんは必要以上に気にしないだろう。



「まずは一献、といきたいところですが、酒が入る前にお話をさせていただいても構いませんか」


「勿論。それに私も寄る年波には勝てませんでな。酒は控え気味にしているので助かります」


 そんな感じで、ふすま一枚を隔てて座敷で話し合いが始まる。

 時田の声が無かったが、慇懃な礼をしたくらいなのだろう。

 一方の私のお膳に食事も酒もない。お茶と簡単な音のしない茶菓子が置かれているだけだ。

 そして金子さんは、私のいる部屋は無人か鳳の家人、使用人が居ると思っている程度の筈だ。まさか幼女が、あぐらをかいて座っているとは思うまい。

 その金子さんが口火を切る。


「おおきに。うちも最近は酒どころちゃうねん。せやのに、酒なしには寝られへん。せやから、控えたいとこやねん」


 話し始めたと思ったら、急に関西弁になった。これがデフォで、仮面を一枚脱いだと言ったところなのだろう。


「今日のお話は、お酒なしには眠れない程の一件と考えて?」


「せや。まあ、鳳の老公に回りくどう言うても始まらへんわな。ほな、単刀直入に言わせてもらいます。うちの株買いまへんか? 勿論、有望な会社のやつ優先しまっせ」


「それは随分気前がいい」


「今、一番羽振りええ鳳さんの前や、気前も良うなる。なんやったら、言い値で買うてもろてもと思てます。三井に潰されるより百倍マシやからな」


「はっきりおっしゃる。また、三井に何かされましたか?」


「せや。台湾銀行が、三井銀行から資本引き揚げの話をちらつかされたそうや。うちの融資をこれ以上引き受けるんやったら、経営に強い懸念を感じるとね」


 金子さんの声にドスが効いている。よほど三井がお嫌いらしい。


(その情報は、うちも掴んでる。さあ曾お爺様、どう返すのかな?)


「鳳は三井みたいな大財閥と喧嘩できる図体も体力もありませんよ」


「冗談いいなや。アメリカのダウ・インデックスでものごっつい利益上がっとるやんけ。今やったら10億ドル以上の含み益って噂が、銀行屋ちゃううちの耳にまで入ってきとる。

 しかも妙な横文字の会社を看板にしてはるから、鳳財閥や鳳銀行やのうて鳳本家の財産やっちゅう噂まであるときた」


「根も葉も無いとまでは言いませんが、当事者の前で言う話でも無いでしょうに」


「それだけうちは切羽詰まっとるんや。……正直なところを言いまひょ。うちは鈴木が相応の形で残るんやったら、三井とかにバラバラにされてまう前に、そちらさんに丸ごと身売りしてもええと考えとります」


「……それは、大胆ですな」


 演技かもしれないが、曾お爺様が軽く息を飲む。

 そして金子さんの勢いは止まらない。


「大胆にもなるがな。三井は、うちをバラバラにして食べる事しか考えてへん。他も似たり寄ったりや。中小ですら、おこぼれ狙うとる」


「うちも、似たり寄ったりだと思いますが、くれると言うなら欲しい会社は幾つかあります。言い値でとは言いませんが、お買いしても構わないと私個人は考えています」


「せやろな。けど、老公の一存では決められへんのか?」


 少し不思議がる声だ。

 声だけというのは分かりにくいが、探りの言葉じゃなさそうだ。


「私は隠居の身。顔見知りとの伝言役以外では、せいぜい文句の一つも言う程度。一族の権も財閥の権も持ち合わせておりません」


「せやけど、アメリカでの投資は一族宗家、つまりあんさんの手によるもんやろ。せやないと、おかしいで」


(まあ、そう見えるよね。震災で死んだ二人がいたら別だったろうけど)


 鳳のアメリカ株投資がどう見えているのかが、こうして実際に分かるのは興味深い。

 なんて思っていると、曾お爺様が苦笑するのが分かった。


「あれの管理は、この時田がしております。なればこそ、今日この場に同席させたのです」


「時田はんは、あんさんの筆頭執事と秘書を兼ねとって、お年もあって動き辛いあんさんに代わって動いてはるのとちゃいますのん?」


「私の代わりという以外はほぼ正しい解釈です。うちは、外から見えるより複雑でしてな。ですから、今日の話も一度持ち帰って決めさせて頂きたいのですよ」


「そ、そら困る。もう時間があらへん。予算成立したら、鈴木は終わりや。政府経由で財閥の餌食になってまう。しかも政友会内閣やで。三井に食い散らかされるに決まっとる」


 曾お爺様の言葉に、露骨に狼狽する気配がした。

 声も演技じゃないだろう。


「その予算案を持ちかけた一つが、鳳なのはご存知でしょう。鳳が優位に立つための策だったのですが、鈴木を丸呑み出来るものなら、したくてうずうずしてますよ。他以上にね。

 数年前と違い、今この瞬間はその力がある。そして鳳が今後他の財閥に食われるのを防ぐために、図体を大きくしたいとも考えている。金子さん、あんたはある意味一番危険な相手の前にいるんですよ。そしてそれを分かって、うちに声をかけた」


「その通りや。ああもう、腹芸もクソもないが言うてまお。一旦あんたらに食われても、鈴木の、いや、うちの力ならその腹を突き破って復活することは十分可能やと見とる。鳳の今の力は、まさに今だけの力やろうしね」


「そこまで言われてしまうと、私どもとしては『ではお好きにどうぞ』としか言えないのですがね。あなた方が倒れたところで、他の財閥と仲良くご相伴に預からせてもらうまでですし」


「それを避けたいよって、こうして腹割って、身売りも覚悟で来たんや」


「ええ。その覚悟があると見たからこそ、私も話をしようと思ったのです。しかし、お互い少し頭を冷やした方が良さそうだ。明日また、お会いしませんかな?」


 お互い熱のこもった言葉の応酬のあと、少しばかり沈黙が支配する。そして時間とともに空気も冷めるのを感じる。


「……ええやろ。いや、お願いします。そして是非共前向きに検討いただきたい。条件次第では、今日の言葉以上の譲歩も考えましょう」


「……いいでしょう。いや、お願いします。そして是非共前向きに検討いただきたい。条件次第では、こちらも今日の言葉以上の譲歩を考えましょう」


「分かりました。明日はうまい酒酌み交わせたらよろしいなあ」


「……ええ、気持ち良い酒を久しぶりに飲みたいものです」



金子さん関西弁全開にしましたが、分かりにくいようでしたら「翻訳版」を追加します。

(作者は関西人です。)

__________________


高橋 是清 (たかはし これきよ)

明治から昭和にかけての日本の財政家、日銀総裁、政治家。

ニックネームは「ダルマさん」。

近代日本を代表する財政家の一人として知られ、この人が大蔵(財務)大臣だと滅茶苦茶安心感がある。

極力インフレを抑える為替操作や国債発行がもはや名人芸級で、他の誰にもできない芸当なレベル。

また、ケインズの傾斜生産方式が発表される前に実践している、まさに実践派な財政の巨星。

36年の「二・二六事件」で陸軍将校に暗殺されてしまう。絶許。



金子 直吉 (かねこ なおきち)

丁稚奉公から身を起こし、鈴木商店の「大番頭」として第一次世界大戦の大儲けで、鈴木商店を大財閥に匹敵する企業グループに拡大させた。

しかし大戦終了と共に、鈴木商店は急速に失速。27年の昭和金融恐慌で、鈴木商店は破綻する。


金子さんは神戸暮らしが長いのでデフォは関西弁としたが、関西にいる時と親しくしたい相手にしか関西弁を使わない設定。

ただし出身は土佐。


なお、三井が鈴木を目の敵にしていたと言われるが、本作では本当に犬猿の仲としている。


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― 新着の感想 ―
[一言] 経済は是清爺に丸投げしとけってのはこれはもうしょうがない。 戦前から始める話ではどうしてもこき使わざるを得ないですよね。
[一言] 高橋是清氏は歳が歳だけに 下手するとクーデターが起きないでも翌日なくなられていた可能性があるのが 経営の合理化とかでの損切りと同業他社に対しての合併はいるだろうなぁ 石油系もっているあたり…
[良い点] >36年の「二・二六事件」で陸軍将校に暗殺されてしまう。絶許。 高橋是清(81)暗殺だけで二・二六事件事件の陸軍将校は国賊ですわ。 鈴木商店を構成していた企業は現代まで続く優良企業が大勢…
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