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026 「革命自粛?」

「龍也先輩の書かれた論文にひどく感激して、そしてその気持ちのまま突撃してしまい、以来こうして可愛がっていただいているんですよ」


 西田は大らかなまま、お兄様との関係を私の前でのたまう。

 なにそれ羨ましい。最初に思ったのはその程度。なんの問題もない。いや、なくはないが、とりあえず無害だ。


「論文? 陸軍の、ですか?」


「ああ。けど、論文というほどではないよ。陸軍の交流誌「偕行社記事」に何度か投稿しただけさ」


「ですがあの素晴らしさ、鋭さ、何より先見性は、他に類を見ません。まるで遥か先の事象を見る思いでした。あの永田中佐が絶賛されたと言うではないませんか」


(出たよネームド、永田鉄山)


 私が何かを思う間もなく、お兄様がごまかし笑いを浮かべる。


「永田中佐の買いかぶりだよ。まあ、あの人との仕事はやり易くて良いけどね」


「おに、叔父様は、永田という方と親しいのですか?」


「玲子、もうお兄様でいいよ。永田中佐には、お勤めで懇意にさせていただいているよ。それに俺的にも色々ご教授もいただいているし、恩人の一人と言っても良いくらいだ。玲子にも、そのうち会わせよう。びっくりするくらい頭の良い人だぞ」


(だろうね。けど、お兄様を見ているから、多分驚かないと思うよ)


 そう思うが、口から出るのは別の言葉だ。


「はい。お兄様の恩師と言える方でしたら、お会い出来るのを楽しみにしています。それで、お兄様はどのような論文を? 拝見しとう御座います」


 そういうと、お兄様が少し困り顔だ。

 見られて困るものなのだろうかと思うが、少し違っていた。


「流石に玲子には早いかもしれないね。ホラ、俺は財閥の者だろう。だから、お金や経済の面から軍備や戦争を捉えた論文をいくつか書いたんだよ。まあ、『門前の小僧習わぬ経を読む』というやつだな」


「経済。そういえば、お兄様のご自宅でもそのような事を話しておられましたね」


「そうだね。あの時は、俺の方が玲子には驚かされたけどね。……ここまで話した以上、西田にも言っておこう。ただし、絶対に他言無用だ。紅龍も」


「はい。勿論です」


「玲子が規格外な事くらい、私の方が良く知っている。今更驚かんわ」


 紅龍さんの達観に達したような言葉に、西田が少し怪訝な視線を送る。そしてその視線は、そのまま私へと。

 一応愛想笑いするが、さっきまでのように無邪気と言えそうな笑顔は返してくれなかった。

 だから私は、お兄様へと顔を向ける。


「お兄様、私何か言いましたでしょうか? 他愛のないお話しかした記憶がないのですけれど」


 そう答えると、どこか察したような、悟ったような視線がお兄様から向けられる。

 まあ、ここまでの表情をされたら、私が天然で何かヤバい事、恐らく未来の知識や常識を無自覚にホイホイと喋ったというのは察しがつく。

 しかし悪役令嬢のチート頭脳にもインプットされていない。されているのかもしれないが、キーワードが分からないので察しようがない。


「そうか、玲子にとっては、ごく自然な事だったんだろうね。けど、玲子が俺と話した事は、現代の常識からはかけ離れているんだ。恐らくだけど、西田が懇意にしている人が書かれた論文と少し似た話だ」


 少しと言う以上に深刻そうに語ったお兄様に対して、西田の表情が能面のようになった。

 まずい話なのは確実と言わんばかりの表情だ。


(ていうか、紅龍さんも聞いてて良いの? それともこの人も、医者として以外にヤバい人なの?)


 そう思って紅龍さんの方を見て気づいた。

 いや、気づいたのは悪役令嬢のチート頭脳の解析能力で気づいたのだが、紅龍先生は万が一の場合、西田を取り押さえるか脱出を阻止できる位置に座っている。

 しかもここは鳳の本邸。使用人の何人かも、実質ボディガードだ。


 もしかしたら、お兄様は西田を問いただす機会を狙っていたのかもしれない。そう考えれば、私は話のダシにされたという事になる。

 そんな風に私が色々と考えているうちに、お兄様が口を開いた。


「西田、俺の論文のいくつかは、お前が親しくする一部の人とは全く関係がない。多くは、目の前の子供が何に縛られる事もなく話した、そう、おとぎ話の世界を俺が現実に落とし込み、さらに世に出しても問題ない部分だけを論文に載せたにすぎないんだよ」


「そ、そんな?!」


「事実なんだ。それと鳳には、新聞社をはじめとして鳳財閥が得た全ての情報を集めて分析する部署がある。この部署は知る人ぞ知るで秘密ではないんだが、とにかく色々な話が集まってくる。そして俺は、その情報に触れる事ができる立場にある。だから、少しばかり派手なお前の交友関係の話が、俺の耳にも入ってきている。

 まあ、色々な方面の人と交友関係を持つのは、陸軍将校として広い視野を持つという点でむしろ好ましいとは思う。だが、ほどほどにしておけ。

 それとだ、お前が信奉するほどの思想や信念を、俺は持ち合わせていないよ。日本全体が良くなって欲しいとは切に思うが、急ぐ気は全く無い。

 そうだな、西田お前に言える事は、『急いては事を仕損じる』だ。多分だが、お前やお前の『お友達』や『同志』の考えは、1世代か2世代先の者達が取り組むべき課題だと思うよ。それでもと言うのなら、今のお前達は正当な手段で意見を通せるよう、1世代以上の時間をかけて地歩を固めるべきだ。

 今の日本には、あまりにも早すぎるんだ」


 お兄様のいつにない長広舌に舌を巻かされた。

 紅龍さんは、我関せずとばかりに未だにスイーツをパクついているが、その表情から理解しているのは確実だ。


(理解できるとか、このオッサンもどんだけチートなんだよ)


 そして私も前世の「歴女」としての昭和知識と悪役令嬢のチート頭脳で、お兄様の言いたい事はほぼ理解できた。


(お兄様、先が見えすぎ。怖いくらい)


 それが私が思った一番の感想というか気持ちだ。

 そう思いつつ西田を見ると、葛藤と焦りと、そして何より驚きが顔に表れていた。


 なお、お兄様が敢えて伏せたのは、この時代の視点ではかなり危ない思想家の北一輝が書いた『日本改造法案大綱』で間違いないだろう。オリジナルは確かこの時代の考えとしては危険すぎて禁書だった筈だ。だが鳳の情報網はそれを捉え、そして鳳の中枢の人間はそれを目にしているのだ。

 そして私の方は、私の前世の新しい日本国憲法に書かれている内容の一部を、これからの日本はこうなったら良いな、というレベルの話で幾つかしていた事に、ようやく思い至った。

 ありがとう、悪役令嬢チート頭脳。


 そんな、少し現実逃避しかけていると、ようやく顔を俯かせていた西田が勢いよく顔を上げる。

 その顔には大きな歓喜があった。


「か、感動致しました!!」


「えっ?」


(アレ?)


 全員がそんな表情になった。お兄様の「えっ?」という間抜け声も激レアだ。

 しかも西田は、顔を紅潮させている。よく見たら手がプルプルしている。間違いなく言葉通り感動していた。


(なぜ? ホワイ? どうして? ここは否定されて激昂するところじゃあ?)


 私の当然と言える疑問に、当の西田が答えてくれた。


「流石です鳳先輩!(うん、それは私の心の台詞) 全てを理解した上で全く焦らず、自説を如何にして実現するのかを全て見通しておられる。この西田、改めて感服致しました!」


 そこで起立してお辞儀、ではなく最敬礼。なんていうか、臣従しそうなほどの恭しさを感じてしまう。

 この人が革命家気質なのが、これ以上ないというくらい分かる情景だ。しかも革命の炎が心に燃え盛ったように、西田の言葉は止まらない。


「鳳先輩の理想実現の為、この西田生涯を捧げる事をここに誓いましょう。いえ、誓わせて下さい。そしてこの命、如何様にでもお使い下さい。路傍の石のように捨てられても本望です!」


「あ、いや、ちょっと待て西田。それに自分を大切にしろと、俺はお前に一番に言いたいんだ。せっかく病から回復したのに、命を粗末にしては何の意味もないだろう」


「はい。ですが、私へのお気遣いなど一切無用です。さあ、私は何をすればよろしいでしょうか?!」


(うわっ、全然話聞いてないよ、この人)


 もうジト目で見てしまいそうになる。

 だが、紅龍さんは冷静というか平静だった。多分だが、自らの姿を鏡で見た思いで、かえって冷静になれているんだろう。


「おホン。えーっとだな、まずは先ほど当主との話の通り、私の新薬を是非広めて欲しい。それで日本人の死亡率、死者数を大幅に減らせる筈だ。それに私がノーベル生理学・医学賞を受賞できれば、日本人の国際的地位向上に多少なりとも貢献できると思うぞ」


「なるほど。今日のところは、まずはそこに話が行き着くのですね! 医療体制の向上、日本人の地位向上、どちらも非常に重要だと考えます!」


「え、いや、まあ、それはそうなんだが、本当に分かっているか?」


「勿論です、お任せ下さい!」


 西田に対して、お兄様はまだ狼狽気味だ。

 この姿を動画か写真で保存しておきたいが、この悪役令嬢の記憶力なら心のメモリーに十分保存できるだろう。


(それにしても、天才でも『本物』には勝てないんだなあ。これは貴重な教訓ね)


 少しばかり現実離れした状態に、私も少し狼狽しているらしかった。


永田ながた 鉄山てつざん

軍政家。日本陸軍内の統制派の中心人物。「将来の陸軍大臣」「陸軍に永田あり」「永田の前に永田なく、永田の後に永田なし」と評される秀才だったが、相沢三郎に1935年殺害された。

もれなく、東条英機が付いてくる。



きた 一輝いっき

本名北 輝次郎〈きた てるじろう〉。

革命思想家。少し生まれる時代を間違ったかもしれない人。

『日本改造法案大綱』を執筆。

その考えは、新日本国憲法に一部似ている。

戦前の日本の思想家、社会運動家、国家社会主義者。

二・二六事件の皇道派青年将校の理論的指導者として逮捕、死刑となる。

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― 新着の感想 ―
>もれなく、東条英機が付いてくる。 まあ、前話で名前の出たハットリくん……じゃないや、服部参謀みたいに辻が付いてくるよりは気持ちマシ。
[一言] 革命家って、染まりやすい人なんですねぇ。 行動力のある無能系かな? 活動の方向性さえ間違ってなければ、突破力のある人材なんですけどね。
[一言] 西田税ってエリートコースといえば聞こえがいいけど、要はあまりお金のない秀才コースなんですよね。 で幼少期に上に坂口財閥、下に小作を見てるからああなったのかな、と。 誰かお金を出して帝大に行…
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