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159 「海軍大粛清?」

 1930年6月7日からしばらく、日本海軍では事実上の粛清の嵐が吹き荒れる事となった。

 俗にいう「海軍大粛清」の始まりだ。

 しかもほぼ同時に、田中義一内閣が事実上吹き飛んでしまった。



「あれほどお怒りになられた陛下は初めてだ」


 後年述懐を残した伏見宮博恭王殿下による、当時の純粋な感想がこれだ。

 そして6月7日の翌日、伏見宮博恭王殿下は事実上の責任を取る形で、病気療養という建前ながら海軍を退き予備役を願い出た。

 その一事で、天皇陛下がどれほどお怒りになられたのかが、分かろうというものだ。


 陛下のお怒りの主な理由は、自分は原(原敬)からよく話を伝え聞いて、その上で軍縮案を認めたのに、なぜ臣下が自分に文句たらたら言い立てるんだ、という事に尽きる。

 つまり、軍縮する人達による統帥は陛下のラインでは守られているので、統帥を乱したのは軍縮反対したお前達だろうと指摘されてしまった事になる。


 それに加えて、陛下は議会の様子も十分知っていたので、装備まで統帥に含めるっちゅう勝手で強引な拡大解釈はどないやねん、という文句もあったという。

 後者は、今回の件を統帥を盾にゴリ押ししたら、今後予算が無くて予算が得られない時にも、同じ論法で強引に予算を分捕ろうとするんじゃないかと指摘されたわけだ。


 さらに陛下は、伏見宮殿下がトップに座って海軍の混乱を鎮めると共に、騒いだ連中を綱紀粛正しろと言った。呼んだ一番の理由が、それだったからだ。

 けど殿下は、子飼いのクビを余さず切るのは忍びないので、自分が全責任負って退くので怒りを収めて欲しいと訴えたと言うやり取りがあったと言う。

 この話も、すぐにも侍従長や宮内省から外に漏れた時点で、何をか言わんやと言う状況だ。



 もう、議会で論戦を仕掛けた側、軍縮に反対していた側は、「統帥権」を『持っている』当の本人から合わせて全否定されたに等しいだろう。

 政争を仕掛けた立憲民政党でも、多くの議員、政治家が真っ青になったという。陛下に謝罪に行く行かないという騒動が、党内で何人も見られたという。

 ただ、不思議な事に、今回の一件を言い立てた大元の政治家は、ついぞ見つからなかった。

 この為、民政党の上層部の指導力が弱いのに付け込んだ、どこかの誰かさんの差し金なのかもしれない、という噂が水面下で長らく語られる事になる。


 一方で、問題はこれで終わりじゃなかった。


 陛下が激しくお怒りになられた3日後、田中義一首相が心労で倒れてしまった。

 田中首相は陛下に何も言われていないし、むしろ被害者なので、とんだとばっちりだ。

 それでもポックリ逝ってしまう事は無かったけど、心労による急性の狭心症との診断。私の前世の歴史と違い陛下から叱責されたわけじゃないけど、陛下がお怒りになられたと言うその一点だけでも相当ショックだったんだろう。

 確か心臓病の緊急治療にはニトログリセリンを使う筈だけど、紅龍先生にアイデア程度でも教えておくべきだったかもしれない。

 それでも亡くならずに済んだのは幸いだった。

 ただ、当然だけど、首相は続けられなくなった。


 そして陛下に怒られた上に内閣を潰すという、二つのダブルパンチの洗礼を受けたのが海軍。中でも、海軍軍縮に反対していた人達だ。まあ、壮大なブーメランと言ったところだろう。

 しかも、東郷平八郎元帥が陛下に謁見して話し合い、自らも責任を取ると言い出したという話が鈴木貫太郎侍従長から伝わってくると、もはや恐慌状態に陥ったという。

 自分達が詰め腹を切らないと駄目になったからだ。


 さらに、海軍軍縮に反対していた海軍軍人達にとって不利だったのが、ことの元凶となった末次信正が陛下に愚痴をぶちまけた事を、すぐには誰にも伝えなかった点だ。しかも侍従長の鈴木貫太郎を通じて、軍縮派を通じて海軍に末次信正の一件の第一報が入った。


 そして致命的だったのは、動き出す前に伏見宮博恭王殿下が陛下に参内を求められて、面会するまでに誰も会えなかった事。

 そして死体蹴りとすら言えるさらなるトドメが、伏見宮博恭王殿下が参内した翌日に予備役願いを出した事。

 関係した者達は、もう腹を切る(軍を辞職する)より他ない状態だ。


 伏見宮博恭王殿下は、自分が責任を取る事で他への責任を問わないように、問われないように配慮したと考えられている。陛下にもそう言ったと伝え聞くし、後で自分の子飼いの提督達にもそう言い渡したそうだ。

 東郷元帥についても同様だ。責任は、上が取るものと考えていた。


 しかし臣下、部下は、「はいそうですか」と受け入れるわけにはいかない。辞職するしないで、伏見宮博恭王殿下とその子飼の提督達が深刻に話し合ったと言うが、誰もがメンツというものからは逃げられなかった。

 それに、殿下が退いたのにお前はどうなのだと、国士、右翼の皆様からの突き上げ、場合によっては暗殺される危険を犯したいと思うものは少ないだろう。



 まずは海軍トップの軍令部長の加藤寛治が職を辞任。

 そしてそこから予備役願いを出すかで揉めたらしいが、連座した階級の高い提督連中は揃って要職からの辞任、さらには今後第一線には立たない事になる。

 これらの人物は、将来を嘱望されていた山本英輔、高橋三吉が代表になる。そして山本の代より上の世代は、全員が並んで辞任せざるを得ない雰囲気となり、大将、中将の多くが海軍から姿を消す異常事態となった。

 さらに伏見宮博恭王殿下の説得を振り切り、多くのものが予備役願いを出していった。

 一方で、同じく事件の連帯責任を取ろうとした海軍次官の山梨勝之進は、海軍の役職に穴が空きすぎるという点、軍縮条約締結に奔走した点で、一度出した辞表を差し戻されていた。


 しかし、当事者の末次信正は予備役は考えていなかったらしく、むしろ周囲の予備役願いを思いとどまらせようと動いた。彼としては、今回は負けたが次こそは軍縮派に勝ち、彼が望む海軍の整備を行おうと考えていたようだ。

 自分の正しさを信じて疑わない人間ほど、タチの悪いものはないという好例だ。しかも、当人に悪意はないのだから手のつけようがない。

 だが、『やらかした』のは紛れも無い事実だった。


 当然、周りが許す筈なかった。末次信正さえ暴走しなければ、少なくとも末次信正が望んだようなリターンマッチも挑めたわけだから、物理的に切腹させろと言う意見すら少なくなかったらしい。

(実際、軍縮会議に反対して自殺した将校がいた為。)

 結局、加藤寛治が軍令部部長の最後の仕事として、末次信正を予備役として決着した。

 江戸時代でいうところの、切腹ではなく斬首のお沙汰を下したわけだ。


 けど、当人に責任を取らせて済む問題でもなかった。

 しかも海軍内は、なんだかんだで軍縮に反対する者が大勢を占めていて、反対の声の大きかった者は軒並み連座せざるを得なくなる。

 しかし全員を予備役にしたら、海軍が組織として維持できなくなるので、予備役は階級の高い者だけに限られた。けど、目立っていた人の多くも出世が遅くなったり、出世街道から外れざるを得なくなった。


 そしてさらに、陛下を怒らせたと言う最悪な政治的失点と、結果的に内閣まで吹き飛ばしてしまったので、軍を退いたとしても政治の道に行く事も無理となった。

 さらに倒れた田中義一は元陸軍大将だったので、陸軍からも一派は敵視された。田中首相は、首相としては評価の分かれる人だけど、気さくな人柄で人望があったからだ。


 事件後の海軍では、軍縮に賛成した一派を含める「海軍左派」と呼ばれる事がある人達が中心に立つようになる。

 中立的な者も軒並み海軍左派になびき、それまで大勢を占めていた軍縮に反対する者は少なくとも表向き消え去った。



 『粛清後』の海軍の中心になったのは、新たに軍令部長となった谷口尚真、海軍次官で軍縮条約締結にも奔走した山梨勝之進、ロンドン軍縮会議全権随員の左近司政三になる。

 架空戦記物でたまに名前を見かける堀悌吉も、この頃軍務局長と言う実務職の要職にあったけど、そのまま出世街道を進むことになる。

 みんな大好き山本五十六も、軍縮会議に参加していたのでそのまま出世コース。軍縮に反対していたのに、会議に参加していたから助かった形だ。その代わりにというか、嶋田という同期の人が出世街道から外れたらしい。


 そして騒動で中心となった提督達には、年配の提督達が多く含まれていた。さらに軍縮に賛成していた年配の提督達も、「海軍が陛下から強いお叱りを受けた」と言う論法で連座せざるを得ない雰囲気が作られ、海軍上層部を中心として大幅な若返りが実施される運びとなった。

 さらに勝手な行動、政治的な行動を取るべきではないと言う風潮が海軍内で非常に強まり、自浄効果としての綱紀粛正も進んだ。



(これって、私の知ってる歴史とは色々真逆よね。けど、ワシントン会議からの主流派が勝ったことになるから、一応は波風は立たないのかな?)


 考えども、前世の記憶にインプットされていないので分からない。こんな事なら、もっと海軍の人も前世で追いかけておけば良かったと思うけど、全体としては多分良いことだと感じる。

 それに今回は、海軍自身がやらかしたので、誰かを恨む事ができない。軍縮会議自体を恨むと言うおバカさんは出てくるだろうけど、頭の良い人達だからそれが無理筋な事くらいは分かるだろう。多分。


 それに国防は大事だけど、アメリカとは対抗はしても対立してはいけない。それは死亡フラグの一丁目だ。そもそも、他に相手がいないから、本当に戦う気もないのにアメリカを仮想敵にしている時点で、何かが歪んでいるんだと思う。



「お考えはまとまりましたかな」


 貪狼司令の声だ。このところよく鳳総研に顔を出して情報収集に力を入れているので、数日に一回はこの顔と声に相対している。

 そして毎日機密情報に触れる気は無いので、周りには私付きのメイド達がいる。さらに今日は、お芳ちゃんも一緒だ。


「海軍の動きは大体分かった。けど、大元が陛下のお怒りだから、他にも波及するわよね」


「そうですなあ……」


 そう言って貪狼司令も少し考え込む。

 田中首相が倒れて首相を続けられなくなったので、最低でも内閣交代は確実だ。それにこのところ政友会の人気も落ちていたので、多分だが選挙に雪崩れ込むだろう。

 正直、やめて欲しい。このタイミングで民政党内閣とか、マジあり得ない。あの人達だと、今までの高橋財政の反動で緊縮財政に転換するのは確実だ。それは、海外から押し寄せる不況の大波に対して、堤防の水門を開けようとする行為になりかねない。


「お嬢、暗い顔してるよ。まあ、分かるけど」


「お芳ちゃんは楽しそうね」


「うん。こんなに情報があるし、知らない事が一杯ある。ずっとここに入り浸りたいくらい」


 本当に楽しそうで、赤い目が生き生きとしている。真っ白な肌も上気していて、常にほんのりとピンク色だ。


「じゃあ、まだ答えの出ない貪狼司令の代わりに答えてよ」


「……いいの?」


 そう言って貪狼司令の方を見る。そうすると貪狼司令は、「お先にどうぞ」と相変わらずの淡々としたお言葉。

 子供に先を越されても、全然悔しくは無いらしい。


「それじゃあ、お先に。そうだなあ、まずは陸軍の発言権が強まる。海軍の自爆もいいところだからね。それと、海軍が軍令部長を軍令部総長にしたがってたの、当分無理になったんじゃない?」


「確かに、総長にするには皇族を一回立てないとダメよね。昔、陸軍がそうしたし」


(なるほど、そう言う変化もあるのか。まあ、どうでも良いけど)


「うん。伏見宮博恭王殿下の次の皇族方の海軍将校となると、高松宮宣仁親王殿下だから。その点でも、海軍の陸軍に対する政治的劣勢が強くなる。あとは、陛下が皇族にお怒りになられたってのは、結構意味深かな」


「一応、皇族内で収めようとしたのに?」


「それよ、それ」


「何がそれ?」


「皇室、皇族への想いが強い人達は、今回の一件をどう解釈するか。ほぼ確実に萎縮しまくる」


 そう結んで軽く肩を竦める。

 そこでピンときたけど、視界の片隅の貪狼司令が「なるほど」の言葉を同時に発した。

 だから私は指名してあげた。


「貪狼司令」


田中義一 (たなかぎいち):

陸軍大将から首相に転身。最後の長州閥。

張作霖爆殺事件で昭和天皇に叱責されて滂沱の涙を流して恐縮して、内閣を総辞職。

以後めっきり元気がなくなり、総辞職の三ヶ月後に急性の狭心症で死去。ただし、以前から狭心症だった。



山本英輔 (やまもと えいすけ):

山本権兵衛元内閣総理大臣の甥(権兵衛の兄吉蔵の息子)にあたる。要するに、最後の薩摩閥。

五十六とは無関係。(五十六は東北の長岡藩)



高橋三吉 (たかはし さんきち)

1930年頃だと加藤の腹心の一人。

軍令部の権限強化で大きな役割をしている。

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― 新着の感想 ―
[一言] こういう不慮の事故や暗殺の場合に、与野党を変えてしまうのは憲政の常道から逸れる行為です。 間違いなく選挙ではなく、与党の別の者に大命がくだされるはずです。内閣自体に科があるわけでは有りません…
[一言] そして騒動で中心となった提督達には、年配の提督達が多く含まれていた。さらに軍縮に賛成していた年配の提督達も、「海軍が陛下から強いお叱りを受けた」と言う論法で連座せざるを得ない雰囲気が作られ、…
[一言] 鳳再生工場「首にされた海軍の提督をもう一度、社会で活躍させるで。(ただし、軍縮条約反対勢、オメー等はダメだ。)」
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