私は病気であるから仕方がない。
私は先天性の病気だ。
学校内でも他人と会話が合わない、他人の気持ちを汲み取れない、よって友達もいない。
医者が言うには、これは病気らしい。外国語はよくわからないので病名は覚えていないが、とりあえず集団生活内で孤立しているのは生まれつきで仕方のないことらしい。だって医者から薬をもらっている程だから。そう、薬だ。医者に薬を飲まされていると言うことは難病であり被害者。この状況は仕方がないことである。
重い身体に朝日が注ぐ。部屋の扉越しにお母さんはこう言う。
「おはよう、起きてる?無理に起きなくてもいいから、お薬だけは飲んでね?」
いつものように、朝ごはんと薬と水が置いてある。時計は八時半を指している。学校が始まる時間だ。
窓から音が聞こえる。人々の活動が芽を吹く。部屋の扉越しにお父さんはこう言う。
「気分はどうだ?薬は飲んだか?無理しなくてもいいんだぞ。父さんは仕事に行ってくる。」
今日はこの言葉。今日が平日である事を確信する。でも仕方がないことに、学校には行けない。
暗い部屋には病気の私と、それに手を差し伸べる光。私はそれに縋りながらも、どこかに壁を感じていた。
時計の針はいつの間にか皆仲良く上を向いていた。私の将来とは背を向ける形に。
私にとって陽の光は眩しすぎる。カーテンから漏れる光さえも煩わしい。
扉を叩く音が聞こえる。お母さんだ。
「元気にしてる?ドアの前にお昼ご飯を置いておくから、ちゃんと食べてね?あと、気分が向いたら朝ご飯のお皿も返してね?」
足音が遠のく。ここですかさず扉を開き、昼食が乗った皿を手にする。今日は昼食が来るのが遅かったからお母さんが許せない。私は可哀想で、助けられなければならないのに!
私は今日も、小さな箱のなかで仕方がない存在であることを訴え続ける。たとえ誰にも理解されずとも。
哀れに生きる痕が積み重なるのを感じる。
時計の針も陽も落ちた。玄関の扉が開く音がする。お父さんが帰ってきたのだろう。長らく顔は合わせていないが。
「ただいま。起きてるか?」
私は返事をしない。返事をすれば、返事ができるとバレるからだ。私は可哀想で仕方がない人間でなければならない。ここでお母さんの声も続く。
「明日、私とお父さんと一緒に病院に行かない?お医者さんに診てもらってお薬をもらってこなくちゃ。」
私は返事をしない。二人でいって、薬だけもらってくればいい。前もそれで問題はなかった。その前も。その前も。それに、医者に診てもらう必要はない。仕方のない人間であることはもう不変の事実だ。余計な判断を下されてはかえって不都合だ。
「・・・ドア、開けてもいいか?」
その一声は私の作業を中断させ、扉のノブを引っ張らせた。扉には鍵がついてないので自分で抑える必要がある。
「ダメよ、開けさせてくれないわ」
小声で言っても聴こえている。なぜ可哀想で仕方がない私を責める?こんなにも可哀想で仕方がないのに。
私に努力をさせるな。判断させるな。考えさせるな。私は病気、このまま楽にさせてくれ。
午前中、僕は家内を連れて都内の病院へ赴いた。待合室で幾分か時を過ごした後、診察室へ入った。医者は僕たちにこう問う。
「いかがですか、息子さんの調子は。」
「現状に変化はありません。僕は今年で定年を迎えます。なんとか、息子を変えることはできないんでしょうか?」
「難しいですね。もう私の力ではどうすることも・・・。」
家内は涙ぐんだ声で言う。
「先生、もう強硬手段しかないのでしょうか・・・?」
「そうですね。私がこれまでたくさん見てきたケースと流れが酷似しています。組合を手配して、もうこの取り止めのない日常を終わらせましょう。」
それでも僕は問う。
「まだ、どうにかなりませんか?」
「この先どうするかは保護者の判断にお任せします。しかし、私の経験上これはもうどうにもなりません。仕方がないことです。」
僕たちは診察室を出た。そして待合室で家内と話し、覚悟を決めた。
「組合を呼ぼう。もうあの子とは終わりにしよう。仕方がないことだ。」
後日、国家治安維持組合の国民更生部隊が息子の部屋に押し入り、息子を連行した。久しぶりに見た息子の姿は、骨格が歪で顔も老けているようであった。国民更生システムは審査に通った人物を連行し人格を更生させるという口実の下、厄介者を家庭内や社会から実質追放ができるものである。実の息子が連行されてしまったが、仕方のないことだ。だって僕は、僕たちは、社会に馴染めない子どもを授かってしまった可哀想で仕方がない被害者なのだから。