8.ストライクゾーン
やしかです。安心してください、きゅんとさせますよ。保証はしません。
「ふーっ」
パソコンから手を放し、俺は深いため息をついた。そろそろ授業の時間が近づいてきたな。
授業案の作成。学級通信の制作。そして来月から来るという転校生に向けた学校案内の準備。ここの所やることが多い。困ったもんだ。
ここで一息ついてタバコの1本でも吸いたいところだが、そういうわけにはいかない。学校内は禁煙である。仕方ないので、授業前にコーヒーでも飲むことにする。
ふと、近くにいる女教師に目をやる。北向先生だ。顔をしかめ、腕を組んでいる。そういえば問題児を放送で呼び出していたっけか。お互い大変だな。ついでにコーヒーでも淹れてやるか。
「あなたは学生!本分は勉強でしょう!!」
慣れた手つきで2人分のコーヒーを淹れる。コーヒーを淹れる給湯室からでも北向先生の声がよく聞こえる。かなり怒ってるな。
「とりあえず、罰として明日までに課題の提出とこの反省文を書いてきなさい!!話は終わり!」
北向先生にそう言われた男子生徒は紙を持って職員室を出ていった。
「北向先生も大変ですね。あんな困った生徒の担当だと……」
男子生徒がいなくなった後、俺は北向先生の机にコーヒーを置いた。
「あ、後藤先生。ありがとうございます。そうなんです、手のかかる生徒で……」
北向先生は遠くを見つめている。かなり手を焼いているようだ。
「一度ガツンと制裁を与えたほうがいいんじゃないですか?」
「いえ、私達がするのはあくまで教育です。制裁なんてするのはまた別のことになりますよ」
北向先生はコーヒーに口をつけた。
凛とした態度。いい!自然と自分の顔がにやけるのが分かった。自然を装って背を向ける。
「まぁ、北向先生がそう言うなら様子見という形ですかね。では、私は授業に向かいますね」
そう言って俺は少し残ったコーヒーを一気に飲み干し、コーヒーカップの代わりに授業道具を持つ。そのまま職員室は後にした。
「はいここ、テストに出るからなー。先生言ったからなー。日本史のテスト難しい……とか言うんじゃないぞ」
俺は半ば適当に授業を続ける。なぜなら、生徒の三分の一が机に突っ伏し、三分の一がそわそわと何か内職をしており、残り三分の一が授業を聞いているといった状態だ。自分の受け持つクラスだが、なんと不真面目なことか。情けない。俺もやる気がなくなる。
やる気が出ないまま、授業が終わった。そのままズルズルと、学校での業務を終わらせた。
俺の通勤はいつも電車だ。19時過ぎても、すし詰め状態である。
運よく俺は椅子に座れたが、大抵の乗客は立ったままである……ん?
他校の女子高生が俺の前に立っている。最近の流行かスカートの丈は短めである。そのスカートに、中年と思われる男の手が触れている。それだけなら偶然とも解釈できただろう。だが、ゆっくりとスカートの上からさわさわと触っているのが見えた。……痴漢だ。
止めてやらねば。いくら他校の生徒と言っても学生は学生だ。なんとか阻止せねば。
「ちょっと」
俺が立ち上ろうとした瞬間、痴漢の手が離れた。
「アンタいい年して何してんの」
凛とした声がざわついた車内に響き渡る。それは、長身の女性が発した声だった。
「な、なにを」
「あんたがこの子のお尻を触ってたの、私見てたんだから」
切れ長の目で中年男性を睨む女性。手は、中年男性の手を握っている。
タイミングを合わせたかのように、電車は駅に到着した。
「ほら、ついてきなさい」
「待て待て待て!私がやったという証拠がどこにある?」
「ちょっと、誰か目撃者いないですか?」
「お、俺見ました」
先程とは違う話題でもちきりの車内。俺は手を挙げ、ゆっくりと席を立った。
俺の体格がいいせいもあり、近づくのは難しいかと思われたが、人込みが割れ、女性への道が続いていたため、すんなりと通ることができた。
「確かにその手がその子のスカートを触ってました」
「そういうことで、女の子とお兄さん、一緒についてきてくれませんか?」
事務所のような場所で、女性と女子高生、俺の話を聞き、最終的には中年男性も自分がやったことを告白した。女子高生は迎えに来た親御さんと共に丁寧に礼をしてくれ、後日お礼をしたいとのことだった。凛とした女性と俺は最初は断ったが、断り切れず、連絡先を伝えた。
最終的に、俺と凛とした女性の2人が残る形になった。
「あなたにもご迷惑おかけしました。助かりました」
そう言って俺に頭を下げる女性。
「いえいえ、あなたが動かなければ解決しませんでしたよ」
凛とした声、行動。改めて思い返すと……タイプだ。もしかして、チャンスだったりする?
「それではこの辺で……」
「よければこの後、どこかで飲みませんか?」
とっさに誘ってしまった。
「え?」
相手が困惑しているのが俺にもわかる。
「これも何かの縁ですし、ね?」
内心ひやひやしている。
「私からもお礼したいので、食事代は私が持ちますし」
「そ、それではお言葉に甘えて……あ、でも自分の食事代は私が持ちますよ」
そう言って笑顔になる。笑顔もギャップがあっていいじゃないか。どうにかしてお近づきになりたい……。
「おらー!ゆーしゃのお通りだぁー!」
そう言って俺に背負われているのはさっきの女性、涼音凛さんである。普段はOLだそうだ。そして今は……酔っぱらっている。ちなみに先に代金はもらっていたのでちゃんと約束は果たしてもらっている。
さっきの凛とした態度とは打って変わって、通行人にガッツポーズするわハイタッチを要求するわの大騒ぎ。飲んだ場所が、彼女の家から近いということで俺がおぶっている。
「ほら後藤すぁんもぴーすぴーす」
「はい、ピース……」
「ありがとーね!」
涼音さんはそう言うと、俺の頬にキスをした。
「うおっ」
ただでさえ、二人分の荷物を抱えながら歩いているのだ。そんな状態でそんなことされたら転んでしまう。何とか体制は立て直したが。
でも何だろう。凛とした女性は好きだ。かっこいいし、俺は尻にひかれたいとまで思っていた。逆に、絡み酒をするような女性は好きではない。しかし、ギャップ萌えというのか、涼音さんの自由奔放なところも良いなと思ってしまう。
「ギャップ萌えっていうんだろうか……」
「あーここ!ここだよあたしんち!」
笑顔でアパートの1つを指さす。
「分かったから静かにしてください」
凛としていてもしてなくても、俺、この人を好きになりそうだ。
ギャップ萌えしてみたい、やしかでした。