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モノ書き辺境令嬢シリーズ

モノ書き辺境令嬢は執事に紅茶を入れてもらう ~「夜」を愛した執事~

作者: 筆塚スバル

 明けない夜はない、と世間で申しておりますが、

 その「夜」を愛する者も、世の中には存在しておりまして――

 

 ☆★


 お嬢様は執務の後、いつものように物語を書き始めます。

 

 辺境伯令嬢「リリー・レイン」様。


 私の主人でございますが、生来勤勉な性質たちでありまして、

 目の前に積まれた膨大な量の書類に、ただ判を押せば最低限の仕事とはなるところ、

 私たち使用人どもが書きました書状に朱書きでもって推敲なさるなど、

 丁寧に「てにをは」まで文章をお読みになり、お仕事をなさる――そんなお方でございます。


 そんなお方でございますから、いつも体が空くのは決まって夜。

 夜になってから、お嬢様の大切なお時間が始まるのです。


 お嬢様の大切な執筆の時間が始まって一時間を過ぎたころ。

 いつものようにお砂糖二つとミルクを別皿で用意しました紅茶をお嬢様へお届けいたします。

 

 この仕事は、従僕フットマン執事バトラー家令ハウス・スチュワードと、

 役名も役責も変わり部下を持つ立場となった私が、

 かたくなに人に任せることを良しとしなかった、大切な仕事でございます。


 廊下に立って、一休み。

 私などがお嬢様の執筆の妨げとなるわけに参りませんので、ペンが走る音を聞き、頃合いを見計らって紅茶をお持ちします。


 ノックは無用。お嬢様の気を逸らすわけには参りません。

 お嬢様が小さく息を吐かれたのを聞き、机へ紅茶をお持ちします。


「ありがと、セイル。

 いや、セシル。

 ごめんね、いつも呼び間違えちゃって」

「いえ、かまいません。リリンお嬢様」

「もうセシルったら。からかわないで」

「はい。リリーお嬢様」


 お嬢様は執筆の最中、よく私「セシル・マーキュリー」のことを「セイル」と呼び間違えられます。

 お嬢様が書かれている物語に「セイル」という執事が登場するからでございましょう。

 

 私は意趣返しとしまして、お嬢様の書く物語の主人公「リリン」と、「リリー」お嬢様を呼び間違えたふりをします。

 

 このやり取りも何回繰り返したかわかりません。

 10年の間に何回あったか……それほどまでにお嬢様が呼び間違えているということなのですが。


「ねえ、セシル」

「何ですか、お嬢様」


 お嬢様は、話しかけるときに必ず私の名前を呼びます。


「今日は、筆が走ったのよ。

 まるで生きているように、どんどん物語が紡げたの」

 

 お嬢様は紅茶を飲みながら、そうおっしゃいました。

 一口何もいれずに口をつけ転がして味わった後に、お砂糖とミルクを入れ混ぜられます。


「私だって、紅茶の味はわかります。

 だから、しっかりと味わってその後に、

 自分の好きなようにミルクと砂糖を入れて飲みます。

 ダメでしょうか、セシル」


 だれがダメなんて言えましょうか。

 もとより甘い飲み物が好きなお嬢様が、貴族のたしなみとして紅茶の味を覚えるのを、

 だれが邪魔をするのでしょうか。


 たまには紅茶にいきなりミルクと砂糖を入れても、きっとだれも文句は言いません。


 けれどお嬢様はいつも最初は紅茶をストレートで味わいになり、私へ感想を言うのです。

 その感想は的を射ていて、私はいつも最高のものをお嬢様へお出ししようとコッソリ誓っているのです。


 物語が紡げたと悦に入るお嬢様に私はニコッと笑いかけます。


「とても良かったですね」

「ええ。きっと、隣国との戦争が終わったからだわ」


 お嬢様の頬が上気しているようです。

 それもそのはず、隣国との10年にも渡る戦争がようやく終結したのですから。


「長かったですね」

「ええ、本当に。ふふ、いつのまにか私も25歳になってしまったわ」


 隣国との戦争が続く間、お嬢様は飛ぶように舞い込む縁談を、

 バッサバッサと斬りまくっておりました。


 顔が気に入らない、地位が低い、引き出物が気に食わない、相手の母親の面構えが気に食わない……


 元より器量良しのお嬢様には矢のように縁談が舞い込んできたのですが、

 おとぎ話の主人公のように――

 求婚を迫る貴公子、王太子へ無理難題を押し付け、ことごとく縁談をつぶし今の今まで独り身のまま。


 辺境伯様はお嬢様のわがままにほとほと困り果てていたのですが、

 生来の生真面目なお嬢様の気性を知る私は知っておりました。


 お嬢様は隣国との戦争が続く限り、縁談を受けるつもりはさらさらないのだと。


 昨日、長きにわたる隣国との戦争も終わり平和が訪れると使者が伝えてくれました。

 その一報をだれよりも喜んでいたのは、他ならぬリリーお嬢様でした。


「今日は筆が進んだの。これをいつものようにアシュリーに届けてくれるかしら」

「仰せの通りに」


 お嬢様は執筆が終わると、いつも私へ隣国のアシュリー王子のもとへ小説の送付をお命じになられます。

 私は手慣れた手つきで、翌日送付の便に間に合うように写本をしながら、その物語を読みます。

 何を隠そう、お嬢様の一番目の読者はいつも私なのです。

 

「お嬢様、2章完結おめでとうございます」


 「リリン」と「セイル」を主とした2章はこれで完結。

 10年にも及ぶ長期連載をお嬢様はコツコツと書いてこられました。

 それを思うだけで私の目頭は熱くなってしまいます。


「ありがとう、セシル。10年は長かったわね。

 まさか2章がここまで長くなるなんて私は思わなかったわ」


 戦争を始めた年には、両国のだれもがここまで長くなるとは思わなかったのです。

 資源を持つ都市の領有を巡った争いは落としどころを見つけられず、終戦までに10年の年月を要してしまいました。


「ようやく、会えるのよ、アシュリーに!」


 お嬢様が書いた物語の1章にて「リリン」は一生続くお友達と出会います。

 名は「アシュレイ」。


 「リリン」の成長をつづったこの1章はまさに読み返すだけでお嬢様の成長を思い出すことができる私にとって宝のようなもの。

 ただ、私はどうしても隣国の王子「アシュレイ」のことを好きになれませんでしたが……


「おめでとうございます。リリーお嬢様」

「ええ。「アシュリー」が来週には来てくれることになってるの。

 だから、2章はこれで終わりよ」


 お嬢様は上気した頬のまま、にっこりと私に微笑まれました。


「セシル、あなたはいつも私の小説に感想をくれていたわね」

「ええ。いつもいつも楽しみにしていました」


 写本の間、「セイル」と「リリン」のちょっとしたやり取りに何度くすりと来たことか。


「3章はね、もっともっと楽しくなるわよ。

 「リリン」がね、いろいろなところに遊びに行くのよ。

 やっとね、「アシュリー」にあえるのだから」


 お嬢様は、「セイル」と「セシル」を間違えるのとは逆に、「アシュレイ」と「アシュリー」を間違えました。


 お嬢様はきっと、「アシュリー」王子と会うのを、今か今かと期待していつもいつもお待ちになっていたのでしょう。


 その言葉の言い間違いすら、私にはうらやましくて。

 つい、立場もわきまえず口走ってしまいました。


「2章も、面白いです」

「セシル」


 私の声が震えていることを、リリーお嬢様はお気づきになられたのでしょうか。

 でも、私の思いは止まらなかったのです。


「2章は、「リリン」と「セイル」のちょっとしたやりとりがメインでございますが、

 夜の静かな雰囲気の中に二人の心の動きが伝わってきて、

 とても読みごたえがありました。


 「リリン」がもう書けないと泣いていた時などは、私は布団で読みながら、

 頑張れ、頑張れと応援しておりました。


「リリー」の書く物語はけしてウェルメイドなものではございませんが、

「セシル」の心を打っていたのだと、私は思います」


 私は震える声で、お嬢様にお礼を言ったのです。


「2章完結、おめでとうございます。素敵な物語をありがとうございました」


 そして、私は胸に忍ばせたナイフを取り出す。

 この手に入らないならばいっそ……

 手に入らなくても私は……


 私は胸に忍ばせたナイフ、バターナイフを使い、用意してあったパンケーキにバターとメイプルシロップをかけ、リリーお嬢様にお出ししました。


「おめでとうの記念に、パンケーキをお持ちしました」


 私お手製のパンケーキをお出ししました。

 王都で流行りのゆるふわでなく、辺境ならではのクラシカルなもの。

 ゆるふわレシピを知らない私の精いっぱいです。


 お嬢様が、飛びつくようにお召し上がりになりました。


「セシル。

 私が泣いていると、いつもあなたがパンケーキを焼いてくれていましたね。

 私も大人になったからめったなことでは泣かなくなり、あなたも部下を持ち、

 私にパンケーキを作ることも最近ではなくなったけど。


 私は辛いことがあっても、あのパンケーキが待ってるんだって、

 そう思って、辛いことに耐えていたんですよ。


 あなたが紅茶を入れてくれるから、パンケーキを作ってくれたから、

 10年耐えることができました。ありがとう」


 お嬢様がこちらを見た。


「美味しいよ、セシル」


 お嬢様が、涙を浮かべてこちらを見ています。

 私は使用人という立場上、お嬢様より先に泣くわけにも行きませんが、

 お嬢様が泣いていらっしゃるなら、少しくらいいいでしょうか。


 あなたの10年の「夜」を支えることが出来て私は大変幸せでした。


「明日も紅茶を入れてくれる?」


 お嬢様が涙を浮かべた私を不安そうに見つめています。


「もちろんです、リリーお嬢様」


 私は笑顔で答える。


 「夜」を愛した私にも、明けない夜はないのです。


お気に入りましたら評価ポイントなど入れていただけると嬉しいです。

感想もお待ちしています。


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