第6話『初レイナ邸』
「ごゆっくりどうぞ」
ヒロトが通された部屋は、かなり立派な来客用といったホテルのような一室だった。無駄な物は一切なく、必要最低限の物のみが取り揃えてある。
真ん中にソファーとデスク、奥には木製の洋服棚が置かれている。
「すまない、ベッドの数が揃っていなくてだな。今日は私の部屋で我慢してくれ」
ソファーに座ると、隣に腰をかけたレイナがとんでもないことを言い出した。
同室で寝ろ、と。ヒロトの聞き間違いで無ければ、レイナは確かにそう言った。
「え、いや、雑魚寝で大丈夫だから。気を遣うな」
「そんな訳にはいかん。流石にフレデリクと一緒に寝るのは嫌だろ?雑魚寝じゃよく眠れんし体も休まらん。気を遣うな」
「いや気ィ遣うわ。そもそも眠れん」
むしろ一緒の方が気を遣う。
流石にレイナと一緒に寝るなんて出来ない。というか興奮し過ぎて眠れる気がしない。
もしレイナが先に眠ったら理性が抑えられるか心配になるレベル。まぁその時にはヒロトは返り討ちされるだろうからやりはしないが。
「眠れない?もしかしてヒロト、枕が変わると眠れないみたいなそういう習性持ちか?」
「ちげーよ。あ、あれだよ、目の前にそのレイナみたいな女の子がさ、その」
「私がなんだ?」
可愛過ぎて、とは勿論言えずに口籠るヒロトにレイナがニヤッと笑う。
「分かった!お母さんの腕枕じゃないと寝れないんだな!」
「そうじゃねぇよ!」
「じゃあ代わりに私が腕枕してやろう」
「いらねぇ!」
いやして欲しいけども!して欲しいけど絶対に寝れない。確信がある。
「なぁに、遠慮するな」
「してねぇ!」
ここまで強固に拒否し続けると流石にレイナにも思うところがあったのか、顎に手をやり少し考えるような間を取った。
「まぁ確かに腕枕は私の腕が痺れそうだしな」
やっと分かってくれたか、とヒロトが一安心したのも束の間。
「じゃあ膝枕はどうだ?」
「ぬぁっ⁉︎」
膝枕だと…⁉︎こんな美人に膝枕してもらえるなど高校生男子にとってはまるで夢シチュエーション。
ヒロトが真剣に考えあぐねていると、フフッとレイナが笑った。
「冗談だ。膝枕だと私が寝られないだろ」
どうやら揶揄われていたらしい。
「ヒロトは今の世の中について相当疎いだろ。記憶喪失?みたいな感じか?だから今日詳しく話してやる。だから大人しく従え」
なるほど。どうやらレイナは考えなしに揶揄っていた訳ではなく、ヒロトにこの世界のことを教えてくれようとしていたらしい。
確かにヒロトは異世界には召喚されたばかりで、何がどうなっているのか全く知識がないため、非常にありがたい申し入れである。
「そうだな。そういうことなら」
「大人しく腕枕される、と」
「いや!そこまでは言ってねぇよ⁉︎」
フフフッと楽しそうに笑うレイナ。揶揄われてるのは分かっているものの小っ恥ずかしい。
そのままの態度でレイナはさぞ楽しげに言った。
「冗談だ」
「分かってるよ…」
分かってるけど冗談キツイなおい……。
「じゃあ私はお風呂に入ってくるから待っておいてくれ。くれぐれも覗こうとはするなよ?お嫁に行けなくなってしまう」
「しねぇよ。いいから早く行ってこい」
正直言うと超覗きたいが、泊めてもらってる人に失礼なことがあれば、たちまちに宿無しになってしまう。流石にそこの計算が出来ないほどヒロトは馬鹿ではないし、そもそも常識的に考えてそんなことはしない。
「そうか。じゃあ行ってくる」
レイナが風呂に行くと、ヒロトはたちまち暇になった。あまりにも暇なので、今日起こったことを一通り思い出してみることにした。
まぁいきなりこんなところに召喚された訳だが、最初不安だった言語、文字はまさかの日本語。ズボラな異世界設定ではあるが、言語は一緒なのに文字は違うみたいな中途半端なやつよりは好感が持てる。何より馴染みやすい。
魔法が時代遅れウェポンと言うのは意外過ぎた。まさかのまさかだが、まぁレイナの言っていたことにもある程度の説得力があったし、ヒロトにも納得はできる。
だが、一つ気になることがある。
この世界では魔法は廃れたという事実が存在すると仮定する。それはレイナ自身が語っていたことで、レイナはその事を知っているのは確定だ。しかもヒロトに説明出来るほどに詳しい。
だとすると、だ。ここには奇妙な矛盾が存在しないだろうか。
それは、『レイナは魔法に詳し過ぎる』という事である。魔法が廃れた世界でそんなに魔法について知る必要はあるのだろうか。
まぁ、だからなんだという話ではあるが。魔法好きな夢見る乙女的な感じの可能性だってあるし、それだと中々可愛げがある。
それよりも今日の一番は間違いなく魔法を使ったということ。身体の中芯を衝撃が突き抜けるような奇妙な感覚。そして右手と心に感じられた強烈な極致感。少しの徒労感と共に抱いた痛快な爽快感。
もし、俺が普通の高校生ならこう考えるだろう。もう一回やってみよう、と。
だが、残念ながら俺はそんなに子供ではない。だからそんなに無闇矢鱈に自らのオドを無駄遣いしたりなんか……。
「フィーブル…」
「ヒロト様、お風呂のお時間でございます」
「あ、ありがとうございます」
声をかけてきたのは先程まで案内してくれたフレデリクではなく、やたら顔の整った青髪セミロングのメイド。
結構大きめの声で詠唱しかけていたから、多分聞こえていただろう。そう考えると無性に恥ずかしい。いや、もしかしたら聞こえていない可能性もワンチャン…。
「お部屋でも魔法詠唱の練習とは遑が無いですね」
どうやら聞こえていたらしい。恥ずかし過ぎて死にたいまである。
ところでレイナがまだ戻ってきていないのに呼ばれたということは浴場が二つ以上存在するということだろうか、とヒロトは当然の疑問を抱く。
「あの、お風呂はどこですかね?」
風呂の時間と言われても、そもそもヒロトは風呂の場所が分からない。
「お風呂はこの部屋を出まして左側に真っ直ぐ進みますと、右手側にございます」
「あ、ありがとうございます。あの、お名前伺ってもよろしいですか?」
これからも関わる可能性が高いので一応名前を聞いておいた方が良さそうだ、という判断から、ヒロトはその青髪のメイドに声をかけた。
まるで海のように澄んだ綺麗な青髪、キリッとした強い印象を与える整った顔立ち。身長はヒロトよりは少し低い。160くらい?みんながみんなレイナみたいに大きい訳ではないようで、ヒロトは少し安心した。
スラッと伸びた細めの足、スレンダーな体型。色白の透き通るように綺麗な肌。
「申し遅れました、マリン・レオ・アストラルと申します。以後お見知り置きを」
「マリン・レオ・アストラルさんですね?マリンさんで良いですか?」
「ご自由にお呼びしてもらって構いませんよ、ヒロト様」
そう言ってニコリと笑うマリン。
先程までの強い印象よりは柔和な表情。
「分かりました。では、マリンさん、ありがとうございます。行ってきます」
「こちらはお着替えでございます。ごゆっくり」
そう言ってマリンが手渡してくれた衣服を手に取る。
マリンの横を通り過ぎた時、マリンがニヤリ、と口元を歪めた笑みを浮かべていた事に、ヒロトは全く気付かなかった。