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Chapter-3

「つまり坂木さんは君のことが好きで、橘さんはそれに協力して、知り合いの山中先輩に頼んで君に探偵の依頼をさせたってことだったんだろ?駅で張り込んでた山中先輩と連絡をとってタイミングをはかり、君が尾行するよう仕向けてピアノを聴かせる。その後で坂木さんが登場して、想いを伝える。……君が他校の女の子に告白されてもすげなく断るのを知っていたから、彼女たちは作戦を練った。依頼とはいえ『探し求める相手』であるなら、一方的に告白してくる女の子とは差別化をはかれる。さらに自分はかつて同じピアノ教室に通っていたという接点があったこと、ピアニストを目指していることをアピールして、自分は特別なんだ、と君に意識してもらおうとした。そういうことだよね」

「自分で言うのは何だが、そういうことだ」

 話題が話題だけに、その場で話をするわけにはいかなかった。僕たちは無言で駅周辺まで戻った。人気のない公園の車避けに足をもたれさせ、僕はようやく口を開いた。磯崎は浮かない顔をしていた。浮いた顔をしていたら、殴っていたかもしれないけれど。

「嘘の依頼をしたのはよくないよ。でも、いつも僕が腹を立てても、君はそのことに腹を立てたことはないじゃないか。今回だってはじめは」

「今回だって、別に嘘の依頼に腹を立てたわけじゃない」

「じゃあ何?自分がしたことわかってる?君は坂木さんが自分のことを好きだってわかったうえで、坂木さんにわざと聞かせるみたいに彼女を意地悪で無神経だって言ったんだよ。女の子が、好きな人にそんな風に言われたらどんなに傷つくかわからない?君は君のことを好きな女の子のことがそんなに憎らしいの?」

 磯崎は一瞬ことばに詰まったように黙り込んだ。やがて、

「……別に……僕に好意を抱いてくれるからと言ってその女の子を憎むなんてことは……そんなことはない」

 目をそらすようにしながら磯崎は言う。

「じゃあ何?君らしくもないと僕は思うよ」

 僕らの学校は中等部まで男子校だったわけだけど、これまで探偵をやっていて女子と関わることがまったくなかったわけではない。女子と接する時――もちろん相手の出方にもよるけれど――磯崎は男子相手の時に比べ若干態度がぎこちなくなるきらいはある。けれど、別に女子だから軽く見るとか優しくしないとか、そんなことはなかった。まだ僕たちが出会ったばかりの頃なんて、磯崎がある女子の秘密を守ろうとしたせいで、僕は彼を変に誤解したりさえしたものだ。そんな磯崎が、なぜ坂木えみに対しては、あそこまでひどい態度をとったのだろうか。

「何が僕らしくて何が僕らしくないのか知らないが……」

 磯崎は、しばらくの間むくれた子どものような顔をしていたが、やがて言った。

「確かに坂木えみに対して僕は優しくなかった。僕はちょっと焦っていた。彼女たちの『敵』に急いでなるべきだ、とそう思ったんだ」

「なんで?」

「橘綾香を救うためだ。彼女は今、とても危険な状態にある」

 急に話が見えなくなった。

「どういうこと?」

「君と別行動になった後、僕は綾部衣織に電話をした。綾部衣織のことは……覚えているか?」

 覚えている。一度だけ会った。磯崎いわく、「情報屋」。陰気な外見と話し方にそぐわず、異常なほど広範囲な人脈を持っている綾部くん。彼に電話をすれば、最適な知り合いに最適な訊き方で必要な情報を入手してもらうことができる。本人が言うには、誰にでも情報を売っているわけではなく、磯崎のことを信頼しているからそういうことをしてくれる、らしいけれど。

「坂木えみについて、僕のでっちあげを含めていくつかの確認事項を彼に提示した。それでわかったのは、坂木えみが今の学校に編入したのはこの四月からだということ、彼女は音大のピアノ科を目指していること、橘綾香は中等部あがりの優等生だが、最近様子がおかしいこと、などだ」

「ちょっと待って。坂木えみじゃなくて、橘綾香の様子がおかしいって?」

「しっかり者で優しい優等生。それが彼女のイメージだった。それが先週、突然クラスメイトに声を荒げて教室で注目を集めるということがあったらしい。坂木母によると、坂木えみが橘綾香の家に泊まり出したのは先週の頭からだ。坂木えみと橘綾香は親同士も仲がよく、しかもどうやら坂木母は現在軽く鬱状態のようだった。橘母は坂木えみの滞在を受け容れている。橘綾香は今はピアノは一切やめているわけだが……どう思う、沙原くん」

「どうって」

「橘綾香は爆発寸前だと、僕は思う」

「それが、君が『敵』になることとどう関係するの」

「一時的対処で根本的解決ではないが、時間稼ぎにはなる。『坂木えみの敵』に敵意を向けることができれば……彼女を責め苛む『坂木えみへの憎悪』は薄らぐ」

 僕の頭は磯崎の説明に追いつききれていなかった。

「……橘さんは坂木さんのことを憎んでるって君は言いたいの?でも坂木さんを傷つけた君に、橘さんは敵意を抱くの?」

「人の心では、それが両立するんだ」

「橘さんは知り合いにわざわざ頼んでまで、君に探偵の依頼をして、坂木さんの恋愛の手助けをしようとしていたのに?」

「両立するんだ」

 難しい顔をしている磯崎の、その表情にどこか泣きそうな感情が差しているように見えて、僕は訊ねた。

「磯崎、大丈夫?」

 磯崎は、はっと顔を上げる。

「何がだ」

「何が、じゃないよ。なんだかやっぱり、今回は変だ。磯崎が何も考えずに、自分に告白しようとした女の子にひどい態度をとったわけじゃないのはわかったよ。橘さんのことを思ってわざとああいういやな言い方をしてみせたのもわかった。でも、何だか妙に辛そうじゃないか。他にまだ、何かあるんだろう。違う?」

 磯崎は、どこか呆けたような顔でしばらく僕を見ていた。暮れ始めた空の下で、駅の明かりが煌々としていた。行きかう人たちの姿が見える。すぐ目の前の街灯が、ぽっと灯った。

「……沙原くんにこんな話をするのは、どうかしているかもしれない」

「磯崎はいつもどうかしているよ。今さら遠慮するようなことある?」

「こんな話を沙原くんにするべきではない、と思うこと自体、沙原くんに失礼だ」

「だったら話せばいいじゃない」

「僕はどうしようもなく高慢な人間だ」

「そんなこと知ってるよ」

「僕は自分が……え?」

「磯崎ぐらい凄くて、自分のことを凄いと思ってなかったら逆におかしいよ。それを高慢と呼ぶかどうかは人によると思うけど」

「……沙原くんは、僕に腹が立つことはないのか?」

「しょっちゅう立ってるよ。だから何?」

「じゃあどうして腹が立つのに僕といるんだ?」

「そんなの、面白いからに決まってるじゃないか」

 磯崎はぽかんとして僕を見た。それから下を向いた。やがて、くくっとその喉の奥から笑いが漏れた。

「やっぱり僕は、沙原くんを見くびっていたみたいだ。沙原くんに謝らないといけないようだ」

「謝らなくていいから、いい加減話してよ」

 磯崎は顔を上げた。

「僕が探偵を始めたのはこの学校に来てからだから、助手は君以外いないのだけど、それでも僕にはこれまで、その当時は『親友』だと思った友人が何度かいたんだ」

「うん」

「しかし実は僕は彼らにひどく憎まれていた。いつもそのことを後になって知った」

 磯崎はそう言うと、ちょっと僕の方を窺った。

「で?」

「……こんなことを言うと、本当に傲慢だと思われるかもしれないが」

「いいから」

「彼らが示した好意や友情は決して偽りではなかった。だが同時に、僕のさまざまな要素が彼らの劣等感や嫉妬を煽っていたのも事実だ。彼らは時折過剰に僕におもねるような言動をとった。それは憎悪の裏返し、あるいは自身の憎悪を抑圧しようとした結果かもしれない。好意と憎悪、相反する感情は本人を苦しめて、そのエネルギーを増していく。……中一の時、『親友』だと思っていた人間が突如いじめの中心人物にかわり、最終的に僕は彼にあばらを折られた。治るまで安静にしている必要があったので、時間は腐る程あった。その間に、僕は彼の、そしてそれまでの『親友』の言動を脳内再生して徹底的に分析と考察をしたんだ。彼の豹変は、僕への従来の、他の奴らからのいじめが一度沈静化した時に起こった。僕に強力な『敵』がいる間、彼は『僕の味方』という地位にいて、比較的安定していた。しかし『敵』がいなくなると、彼はバランスを失って、一気に僕への憎悪を爆発させた」

「……ちょっと訊いていい?」

 僕が口を挟むと、磯崎はびくりとした。

「なんだ」

「君、あばらを折られたって……反撃はしたんだろうね?」

 僕の質問に、磯崎は目を丸くした。

「なんでそんなことを訊くんだ」

「大事なことだよ。したの?」

「……していない。する気が起きなかった。戸惑いが大きすぎた」

 磯崎が呟くように言うので、僕は大げさにため息をついてみせた。

「まったくしょうがないな。君が一番どうかしているのは、そういうところだと思うけど」

「そうなのか?」

「そうだよ」

 僕のことばに磯崎は考え込んだ。

「で?」

 僕が先を促すと、磯崎は我に返った。

「……ともかくだ。小学生の頃、橘綾香と坂木えみはともにピアノを習っていた。ともに上手だった。だが練習をさぼり橘綾香の熱心な練習をただ聴いていた坂木えみが発表会で絶賛された。そのような出来事は、無数にあったに違いない。そして高校生になり、進路という問題が幼い頃よりもリアルに立ちはだかっている時期に再び坂木えみが目の前に現れ、生活に深く入り込んできた。坂木えみは容赦なく、その才能を橘綾香に見せつけている。……彼女たちは仲がいい。それは疑いないことだ。けれどもだからこそ、橘綾香には耐え難いものがあるに違いない」

「つまり君は、坂木さんを自分、橘さんを君の元親友に重ねているわけだ」

「まあ、そういうことだ」

「で、『共通の敵』がいれば、橘さんの精神状態はましになる、と」

「そうだ」

「それでこれからどうするの?坂木さんに嫌がらせでもするって?」

 僕が言うと、磯崎は黙り込んだ。

「磯崎の……彼女たちへの見立てがどこまで真実に近いのかはわからない。僕も確かに、橘さんにはちょっと不安定なものを感じたけれど……。君は勝手に坂木さんを自分と同一視して、勝手に傷つけてもいいものだと思ってない?」

 僕のことばに磯崎は、ばつの悪そうな顔をした。

「まずすべきことは、坂木さんに謝ることだと、僕は思う。坂木さんと会って、話をするべきだよ。それで、実際にどういう状況なのか探って、それから、もしも橘さんに僕たちがしてあげられることがあれば、それをやったらいいんじゃないかな」

「すごいな沙原くんは……」

 呟く磯崎に、僕は気になっていた質問をすることにした。

「磯崎はさ、依頼人や、依頼人じゃない人でも、願いがあればかなえたい、っていつも言うよね」

「ああ」

「なんで『磯崎とつきあいたい』っていう女の子の願いは、かなえてあげようと思わないの?例えば誰かが、探偵への申込として、磯崎に『自分とつきあってください』って真向依頼してきたらどうするの?」

 磯崎は一瞬宙をにらみ、難しい顔をしたまま、しばらく口を開こうとはしなかった。僕はひたすら磯崎の答えを待った。いつの間にか辺りはかなり暗くなっていた。空はすでに、夜の色をしていた。

「……僕は探偵でいたい」

 かなり長いこと経って、磯崎は言った。

「だから?」

「探偵は、誰かとつきあったりすることはできないんだ」

「なんで?」

「できないものは、できないんだ」

 よくわからなかった。

 けれど、夜を背景にして光を放つ石膏像のような横顔をした磯崎は、もうそれ以上、僕の質問を受けつけようとはしなかった。

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