Chapter-1
僕の友人、磯崎めぐるはなかなか容姿がいい。背が高く、整った顔立ちをしている。
けれども磯崎は、モテるタイプではないと思う。だって、はっきり言って磯崎はかなりの変人だ。磯崎のことをよく知らない、具体的には電車でちょっと見かけただけというような他校の女子に磯崎が告白されたことは、中等部の頃僕が知っているだけでも数回ある。やって来る相手は一人であることもあったし、本人と付き添いの友だちが一人の二人組ということもあったし、五人くらいの集団のこともあった。けれどもどのパターンでも、磯崎の対応はすべて同じだった。相手が話しかけてくる。そしてずっと見てました、だの、好きです、だの、つきあってください、だのと言ったことを口にする。磯崎は彼女たちに、「ごめんなさい」としか言わない。本当に、文字通り、それしか言わない機械のようになる。「彼女いるんですか?」と訊かれても、「名前だけでも教えて!」と言われても、「甘い物好きですか?」と訊かれても、「犬と猫、どっち派?」と訊かれても、日頃の饒舌が嘘のように、ひたすら「ごめんなさい」しか言わなくなる。相手は呆れて、あるいは諦めて、去って行く。
「磯崎は、女の子に興味ないの?」
僕は訊ねたことがある。
磯崎は、すぐには返事をしなかった。どう答えようか考えるような顔をしばらくして、それから口を開くと言った。
「沙原くん。世の中には、性別が三つある。男性、女性、そして探偵だ」
磯崎は自称探偵である。事あるごとに「自分は探偵なんだ」「探偵とは生き様だ」なんて言って恍惚としている変な奴である。僕も中学からのつきあいだから、そういう磯崎の言いぐさにはすっかり慣れているつもりだった。しかしこの時は、さすがにどうかしていると思った。僕は素直に口にした。
「何言ってるの」
すると難しい顔をしていた磯崎はいきなりはっとして、慌てたように言った。
「いや、違うな。男性、女性、中性、探偵か」
ぽかんとしている僕に向かってさらに言う。
「待て。男性、女性、無性、両性、探偵か……?」
なんというか、完全に論点がずれている。
「探偵ってなんなの」
唸っている磯崎に、僕は訊ねた。
磯崎は、澄ました顔で答えた。
「ご想像にお任せする」
「行方不明の女の子を、探してほしい」
そんな依頼を受けたのは、四月の終わり頃だった。
磯崎は、学内ネットに探偵としてのページを持っている。磯崎の探偵活動は委員会や部活動ではないけれど、微妙な形で学校公認となっているのだ。依頼はそのページからの申し込みが圧倒的に多い。内容は、物を探してほしい、誰かについて調べてほしい、人間関係のトラブルを解決してほしい、などいろいろだ。人探し、も一応依頼項目としてページにも記載されている。けれども初恋のあの子を探して、とかではなく、「行方不明の子」というのは……。それは高校生の素人探偵に頼むべき事案だろうか。
「行方不明というのは、具体的にどういう……」
磯崎にも一応常識はあるらしい。慎重に訊ねる。
僕は磯崎がテーブル上に置いた、申込内容をプリントアウトしたものに目をやった。依頼人は二年三組山中新太先輩。背は僕よりは高く磯崎よりは少し低いぐらい、短髪のスポーツマンといった雰囲気でまあまあかっこいい部類だとは思うけれど、やけにぼうっとした感じの人で、深刻そうな依頼だというのに緊迫感はまったくない。
「いなくなったので、探してほしいなあと」
「いつからいないんですか?」
「先週くらいから」
「いなくなった、というのは、家に帰っていないということですか?」
「うん」
「あなたとその女の子の関係は?」
「幼なじみ」
「ご近所にお住まいなんですか?」
「うん」
「行方不明だというのは、その女の子の親御さんが仰っていたんですか?」
「うん」
「捜索願は出されているんでしょうか?」
「さあ」
事実関係がどうにもはっきりしない。
磯崎は、やんわりと方向を変える。
「写真は持って来てもらえましたか?」
「ああ、うん」
差しだされた写真には、近くの女子高の制服を着た二人の女の子が写っていた。黒髪をポニーテールにした優等生風の子と、明るい色の髪をボブカットにした小柄な女の子が、並んで笑っている。女子というのは雰囲気の似た者同士でつるむイメージがあったので、僕は少し意外に感じた。彼女たちが友人関係とは限らないけれど……仲が悪かったらこんなツーショットは撮らないのではないかと思う。
「どちらが行方不明の子ですか?」
「こっちの、可愛い方」
ボブカットの子を指して、依頼人は言った。僕は自分が言ったわけでもないのに、反射的に姉の拳骨を思い浮かべてびくりとした。念のために書くけれど、黒髪の子も、決して不細工ではない。むしろ美人だ。そう、確かに「可愛い」というよりは「美人」なのでそう言ったのかもしれないけれど……。そういうのは、女子を敵に回す発言だ。男子校に通っていると、そこいらの感覚は麻痺してしまうのだろうか。おっとりと優しげな雰囲気の依頼人からは、悪意のかけらも感じられない。
「この子に関する情報を、知ってるだけ教えてください。名前と、年齢と、住んでいる場所と……」
磯崎は質問を続ける。僕は隣でメモをとる。
彼女の名前は坂木えみ。先輩と同じ高校二年生。住所は磯崎の住んでいる町の隣町だった。
「最後に彼女に会ったのはいつですか?」
「あれはいつだったかな……」
「さっき先週くらいから、と仰ったのは」
「うん、前はほぼ毎朝道で会ってたのに、ここんとこ会わないなあ、と思って。それでおばさんに訊いたら、あの子はもういないって言うから」
「『もういない』って……どういうことなんでしょう?」
「おばさん暗いし。よくわからない。ああそうだ、えみはピアノが上手いんです」
「ピアノ?」
「たぶん音大に行くんじゃないかな。家も金持ちだし。でもどこに行ったんだろ」
「学校も休んでるんでしょうか?」
「さあ」
自分から依頼に来たわりに、なんでこんなにどうでもよさそうなんだろう。
依頼人がこの調子では、受ける側のやる気も出るはずがない……と思うのに。
「わかりました。ともかく調査してみます。またいろいろ質問させてもらうかもしれません。何かわかったら、いつでも遠慮なくご連絡くださいね!」
磯崎は、やる気に満ち満ちた顔で依頼人に言った。
「はあ」
覇気のない依頼人は、ぼんやりとした様子のまま、それじゃ、と写真を残して面談室を出て行った。ばたんと扉が閉まり、依頼人が戻ってくる気配がないのを確認してから、僕は言った。
「ほんとに探してほしいのかな、今の人」
「いや、どうでもいいのだろうな」
磯崎は、即答した。
「依頼人がどうでもいいと思っているのに、依頼を受ける意味なんてあるの?」
僕は訊ねた。答えはまあ、僕が予想したとおりのものだった。
「当然ある。あの依頼人はどうでもいいと思っている。が、それでも依頼を申し込み、面談にまでやって来た。それは依頼をする必要があったからに他ならない。『あの依頼人』が『坂木えみの捜索依頼』に熱意がないのは事実だ。しかし『誰か』は『坂木えみの捜索依頼』を望み、『あの依頼人』は『何か』の事情があったので依頼を行なった。依頼は存在し、そこには誰かの願いがある。探偵がそれに応えなくてどうする」
磯崎は熱く語る。磯崎の思い描く「探偵」像に、僕はいつも違和感を覚える。「誰かの願いを叶える」のは、「探偵」の仕事だろうか……?まあ、僕が何を言っても、磯崎は聞く耳を持たないけれど。
「……とりあえず、彼女の家に行ってみる?」
僕は具体的な方向に話を変えた。彼女が実際に行方不明になっているのかさえ怪しい話だ。まずはそこから確かめるべきだろう、と思う。
「ああ……うん、そうだな」
磯崎は、写真を凝視しながら言った。
磯崎は見たものを画像として記憶できる。顔を覚えるのなんてたぶん一瞬で済む。なのにそんな風に時間をかけて見ているというのは、余程細かい部分まで脳に納めておきたいか、またはその目に映るものについて、観察か思考か想起か、ともかく脳をフル稼働させているか。
「何か気になってる?」
僕は訊いた。
顔を上げた磯崎は、一瞬少しおかしな目をしている。何というか……ちょっと人工物めいた、人ではないような印象の硬質な目。
けれどもそれは本当に、一瞬のことだ。すぐにそこには、豊かな感情が映し出される。
「沙原くんには言ったことがあっただろうか」
磯崎は、やけに真剣な目をして言った。
「僕は小学生の頃、ピアニストになろうと思っていた」
僕はびっくりした。初耳だった。磯崎は常々、自分は生まれながらの探偵だ、なんて言っている。他の夢を持っていたことがあるなんて、ものすごく意外だった。音楽の授業で磯崎が凄まじく上手いピアノを披露したことはあったけれど……磯崎は何でもできる奴だから、そんなものかと思っていた。
「な、なんでやめたの?」
「僕には芸術の素養がない。おまえのピアノは面白味がない、正しく弾ければいいものじゃない、と言われてどうしたらいいのかわからなくなった。それでピアニストの道は諦めて、探偵になることにしたんだ」
それはともかく、と、磯崎は自分の中に湧いてくる想いを断ち切るような顔をして続けた。
「この二人を、僕は知っているかもしれない」
「知り合い……幼なじみとか?」
「いや、そこまでじゃない。ほとんど面識はない。二人揃っていなければ、僕も思い出さなかったかもしれない。小学二年生の頃、僕が一年程通っていたピアノ教室があった。そこでの発表会に出ていた子たちのような気がする」
磯崎が小二ということは、十年近く前のことになる。発表会の一度きり、しかも成長してかなり顔も変わっているに違いないのに、普通そんなの覚えているものだろうか。
「磯崎の頭って、どうなってるの」
「いや、二人とも同じ曲を弾いていて、珍しいと思ったんで記憶に残ったんだ。グラドゥス・アド・パルナッスム博士。二人とも上手かったが」
「グラ……なんて?」
「ドビュッシーのグラドゥス・アド・パルナッスム博士。弾いていた曲の題名だ。まあそれはいい。……とりあえず、まずは坂木えみの家だ」
僕たちは、面談室を後にした。帰宅部はあらかた帰ったような時間帯で、部活終了時間までは間がある。廊下に生徒の影はほとんどない。学校を出て駅に着くと、とたんに人の数が増える。人が行き交う駅の構内で、磯崎は足を止めた。僕にだけ聞こえる小さな声で呟く。
「依頼人がいる」
さすがに僕も、二年以上磯崎の助手をしているので、こんな時に不用意に顔を上げて相手に視線を向けたりはしない。
「一人だ。誰かに電話をしている」
磯崎は淡々と告げる。背が高い磯崎は人の群れから頭一つ分出ていて、その分見晴らしがきくのだろう。反射的なやっかみを覚えながら磯崎を見上げつつ、僕は訊ねる。
「偶然かな」
「どうだろう」
磯崎は少しの間思案顔をしていたが、結局すぐに歩き出した。そのまま歩を緩めずに、改札を通り、いつもの電車に乗り込む。僕たちは、他愛ない話をする。高等部からは単位制になっていて、僕と磯崎の受けている授業は一部しか重なっていない。世界史の授業で先生が語ったらしいマニアックな歴史解釈が興味深かった、と磯崎は内容を説明し始めた。へえ、と僕は聞いていた。磯崎の家の最寄り駅の一つ手前が、坂木えみの家の最寄り駅だった。改札は北と南の二つあり、僕は住所を検索して、北側の改札を出た方が近いことを調べていた。けれども磯崎は調べる様子もないまま、迷いなく北口改札に向かう。
二人で改札を出ようとしたところで、今度は僕も気づいた。
売店が一つあるだけのこじんまりとした駅構内。行き交う人はそれなりの数だったけれど、立ち止まっている人はそう多くない。そんな中、ポスターの貼られた柱の脇で、改札から出てくる人波を眺めている一人の女子高生。
依頼人の持ってきた写真に、坂木えみとともに写っていた女の子だ。
彼女は誰かを待っているかのように人を眺めていたが、誰かを見つけた様子もないまま、ふいにその場を離れて歩き出した。改札から流れてくる人波に乗るように、そのまま駅から出て行こうとする。
「沙原くん、別行動だ」
小声で磯崎が言った。僕は頷く。磯崎は彼女を追いたいのだろう。その間に、僕は坂木えみの家に向かい、知人のふりをして彼女の状況を家族の人から聞き出す……。
と思ったのだが、違った。
「沙原くんは彼女を追ってくれ」
「えっ」
僕は思わず声を上げた。
「ちょっと待って。逆にした方がいいよ。追う方は不確定な要素が多いし、それに僕は方向音痴だから、尾行には向いてない」
言っててかなり情けなかったが、本当のことなので仕方ない。というか僕が方向音痴であることは、磯崎は充分すぎるほど知っているはずなのに。
「何を言う。沙原くんは地味で目立たないから尾行に向いている。スマホがあれば道に迷うことはないだろう。頼んだ」
磯崎は、有無を言わさなかった。そのまま自分は別方向の出口に向かって歩き出す。僕は茫然とその場に立っていた。
なんで僕は、探偵助手なんてやってるんだっけ。
見知らぬ他校の女子高生の後を追いかけて、万が一通報でもされたらどうしよう。
というか、なにげに今、僕は磯崎に失礼なことを言われたような気がするけれど。
いろんな思いが駆け巡った。
でも、それどころではない。
早くしないと、彼女を見失ってしまう。それはやっぱり、何というか、癪なことではなかろうか。
僕は慌てて彼女が出て行った方向に向かう。
ありがたいことに、一本道の先に彼女の後姿が見えた。僕は距離をとって彼女の後ろをついて歩いた。夕方とはいえまだ早い時間で、あたりは明るい。立派な塀から松の木が覗いているような家が並んでいる住宅地に入り、僕は本気でストーカーでもしているような気になってきた。けれども先を行く女の子は、振り返ったり何かを察したりしている様子は微塵もない。スマホをいじりながらかなりゆっくり歩いている。たぶん、僕よりも少し背が高い。セーラー服の白い夏服で、まめに顔を上げて前方を確認する。清楚な黒髪で、基本的に姿勢がいい。育ちのいい、まじめでしっかり者のお嬢さん。そんな感じだ。
もしも見つかって、問い詰められたらどうしよう。
いろいろ考えていたけれど、彼女はそのまま一軒の家の前で立ち止まり、門を開けて中に入って行った。赤レンガがお洒落な洋風の立派な家で、窓には白いカーテンがかかっていた。表札は「橘」となっている。
僕はなるべくいても不自然ではなさそうな電柱の脇に陣取って、自分の現在地を示している地図を添付し、磯崎にメールをした。
程なくすると、彼女が入った家の中からピアノの音が聴こえてきた。
磯崎から折り返しの電話がかかってきたので電話に出る。
用を済ませたら合流するから、この場から動かないようにと磯崎は指示してきた。
――ところで今聴こえているこのピアノは、彼女の家から?
磯崎が訊ねた。
僕がそうだと答えると、磯崎は唸るような声で言った。
――この曲だ。
何が?と問うと、
――グラドゥス・アド・パルナッスム博士。
僕には呪文のように聞こえるその曲名を、磯崎は告げた。
へえ、この曲が、と僕が呑気に言ったところで、磯崎の電話はぶつっと切れた。