甘いものはお好きですか
だれかの一つの物語が始まるまでのお話。
始まるまでなので此処からという時に終わります。
『恋が始まるまで』シリーズ第一段。
『君はおだんごが好きなの?』
『うん、あまくてだいすき!だんなさまにしたいくらいよ!』
『おだんごと夫婦にはなれないよ?』
『じゃあ…じゃあ、わたしがおだんごになるわっ』
『ちがうよ、おだんごにはなれないよ。でももしおだんごになったら、僕がたべちゃうよ』
『ならどうすればいいの?』
『それは―――』
これは私がハッキリと思い出せないくらい、小さな小さな子供の時に交わされた会話。相手の男の子の名前や顔は全く思い出せない。けれども、最後に言われた男の子の言葉に、幼いながらもときめいてしまったことは今でも良い思い出となっている。
私以外が聞いたら笑ってしまうかもしれないけれど。
◆◇◆◇◆◇◆
外は野菜売りのおじさんの声や隣家の赤子の鳴き声、向かいのやんちゃ坊主の高笑いに女の子の可愛らしい悲鳴で賑やかになっていた。喧嘩をする若者の声も時折混じって聞こえて来て、朝から元気だな、なんて呑気にも思う。
雀が鳴けば野良犬が吠え、猫もニャアと飯のため愛想を売りにせっせと歩く。動物もいつもの日常を謳歌しているようだ。
そして私の目の前には美味しそうにお団子を頬張る客、斜め前には落ち着いて茶を啜る年寄りの客がいる。クッチャクッチャと下品に音を鳴らす客もいるが、それはそれで美味しく食べてくれているんだなと思えば笑ってしまえた。
そもそも町の団子屋ごときが礼儀を何やらと言えるものではないので思うだけ無駄だけれど。
「彌生ちゃん、もう1つお団子くれ」
「お金あるんですか」
「ツケで!」
ガハハと調子の良い笑いをこく中年親父に呆れるも、片手は竹串を掴み、もう片方の手は丸いもっちりとした団子を掴んでいた。
全く、ツケという言葉をこの大人から今月何回聞いた事か。このおっさんを見ただけで脳内はツケと言う文字で埋めつくされるので、私は心の中でこのおっさんをツケ二郎と呼んでいる。たまに間違ってケツ二郎と変換してしまうが、まぁどちらも変わりはない。
「彌生ちゃん、そんなアホんだらに作るこたぁねーのよ」
「そうそう」
皿へ竹串に指した三つ団子を乗せていると、今しがた来た常連客二人にお金を出される。
まだ注文もしていないのに、と思うが、これが何のお金だかは検討がつくのでありがたく受け取った。これは毎度の事なので慣れている。
ケツ二…ツケ二郎の尻拭いなのかなんなのか、居合わせる度にこうしてお金を出してくれるので此方としては非情にありがたかった。ただ、この人達の関係をいまいち分かってはいないのだけれど。お友達なのかと聞いたら友では無いと言うし、じゃあ親戚や兄弟なのかと訪ねればそれも違うと言うし、ならば職場仲間なのかと粘って聞けば外れだと言われた。
なので最終的に出た結論は、赤の他人である。
「江八、ツケんなら俺にツケとけ。容赦しねーから」
「へぇいよ」
私の家は三代続くお団子屋。
曾祖父が大のお餅好きで、また甘いものが大好きだったらしく、なら自分で腐るほど呆れるほど旨いものを作りたい、と突っ走ったままに出来たのがこの団子屋『蔵造』だった。
ちなみに蔵造とは曾祖父の名前である。
三代目である父は私に後を継がせようと小さな頃から色々仕込んでくれていたが、私が十歳の時に産まれた弟を見て『やはり男が継ぐのが一番だ』と言って私の修行を中断した。別に弟が継ぐという事に反対はしないし、面倒事が嫌いな私にとっては幸運な話だったが、それでもやっぱり悔しいという思いはちょっぴりあった。
けれどお団子や甘い物が好きな気持ちは変わらないので、こうして店でお手伝いをしている。
自分が継がなくともお団子は作ろうと思えば作れるし、何より、自分が継ぎたかったわけでは無いので肩の荷がストンと降りて、とても清々しい気持ちでお団子作りに勤しめていた。
「彌生さん、こんにちは」
「いらっしゃいな」
「今日も可愛らしいね」
背の高いお客が暖簾を潜りやって来た。
艶やかな黒髪をしたとても美丈夫な御方で、いつもでは無いけれど未の刻になると一人でフラりと現れる。
言わずもがな彼も常連客だ。
だいたいこの時間帯に来ると必ずきまっているので、知っている人は彼と話しにわざわざ団子を食べに来ることもあったり無かったり。たまにお土産物を持って来てくれたりして、この前は黒糖饅頭なる物をごちそうしてくださった。良い人だ。
此処は華の町お江戸。行き交う人達すべてが仲間であり家族でもあり、時々他人でもある。素晴らしいお国だ。
ツケ二郎や他の常連客は、黒丸さん(彌生がつけた勝手なアダ名)が席に座ると自分の湯呑みや食べかけの団子を持って近くに座った。黒丸さんはいつもの事にニコリと笑い、私に団子を八本注文する。その瞬間ツケ二郎の瞳がキラキラと輝き期待に満ちていたのは見なかった事にした。これ以上大人の醜態を見たくはない。
「彌生ちゃんは嫁入りしないのか?」
「嫁入りですか…」
みたらしに餅を浸けていると、尻拭いさん(常連さんのアダ名)が冷めきっているであろうお茶を啜りながら嫁入りについて聞いてきた。尻拭いさんには娘がいるのか、最近結納を終えたらしく、その時の娘の姿はもう綺麗で別嬪で相手の男を殴りたい位悔しく思わず男泣きをしてしまった程だと鼻水を垂らしながら言われた。暗い気持ちは数日程で立ち直ったと言っているが、いやまだ立ち直れて無いじゃんよ。
「私、今度京の方へお嫁に行くんですよ」
「え?」
「今何て!?」
「お嫁に、行くんですよ」
私の言った言葉が良く聞き取れなかったのか皆が聞き返してきた。目の前にいる黒丸さんはただひたすらにお茶を優雅に飲んでおり、まだ二個しか口にしていなかった串団子の三個目に突入している。
淡々と言う私に皆は怪訝な顔をするが、知り合いなのかと聞かれ違うと答えれば何故か悲しい顔をされた。
「会った事はありません。けれどその方の家は老舗の饅頭屋だそうで、甘いものが好きな私にとっては最高の嫁入り場所だと思うんです」
わくわく、という表現がぴったりであろう私の様子に、お気楽ちゃんだなぁ、なんて声がツケ二郎から掛かった。私に言わせてみれば、貴方の方がよりお気楽ちゃんである。
私自身誰かに恋などした事は無いし、周りに良い人がいるかと言われても特にいない。幸い嫁に出すには最も障害の無い娘だと自分でも自負する程だ。相手は私より少し歳上だと言うし、おじいさんでないだけまだまだ良いと思う。十七歳でそろそろ行き遅れになる前だし。
でも唯一誰かにときめいた事はあるのかと聞かれたらなら、それは私が4歳か5歳の時に出会った男の子にだったと答えられる。
その日母も父も仕事中で、小さい私はお手伝いも半ばに木の橋の近くで一人遊んでいた。何を思ったのかデカい石を橋下で見つけては川の中へボチャリボチャリと無心に投げていた記憶がある。やだ怖い。
『ねぇ、あなたおなまえは?』
『僕のなまえ?えっとね』
それから詳しくは思い出せないが、どういう経緯かいつの間にか誰なのか何処から来たのかも全然分からない男の子と一緒に遊んでいた。
何となく気が合う子で(それも記憶は危ういが)とても楽しく過ごせた事を覚えてる。彼もまたデカい石を見つけては私同様川へボチャリボチャリと投げ入れ、良く脳裏に残っていた光景としては、私には未だ出来ない「水きり」を簡単にやってのけていた事があげられる。この「水きり」とは平たい石を水面に向かい浅い角度で投げ、ポーン、ポーン、と投げた石を水面で連続跳びをさせる遊びなのだけれど、その男の子の見事な水きりの腕前にパチパチと拍手を送って私も石みたいに飛び跳ねていた。だって二十回くらい石がとんだんだもん。あれは凄い。
歳は多分少し上だったのか、背は高くて私よりしっかりしていた感じ(これも記憶は危ういが)だった。
あれから十年以上が過ぎたが、それきり一度も彼には会わなかった。だから記憶があやふやになっているのかもしれない。
もう顔も名前も思い出せないけれど、別れ際だというのに団子と夫婦になると意味不明な話をした私へ彼が赤くなりながら言ってくれた台詞は、今でも忘れていない。あの言葉を言われたのは記憶違いでは無いと言い切れる。
でもそんなこと、誰にも言うつもりは無いけど。
私の中だけの思い出だ。
「彌生ちゃん、おはぎ二つ」
「取り皿持ってきますね」
おはぎの注文が入った為、まぁ良いじゃないですかと話を終わらせ奥に一度引っ込み手のひら位の皿を客に持ってくる。うちはお団子だけでなく他にも色々手を出しているので品数は豊富にあり、誰にするわけでも無いけど、それはちょっとした自慢となっていた。甘くて美味しいものをたくさん提供出来るのは私の中の誇りである。
ひいおじいちゃん、甘党でありがとう。
貴方の孫で良かったよ。
天国へ参られている曾祖父へ人知れず感謝の念を送る。
すると丁度四個目の団子を食べ終わった黒丸さんが残りの串団子一本をツケ二郎に渡してカタリと立ち上がった。
ふと彼の湯呑みを見てみれば空だったことに気がつく。
「お茶のおかわりいりますか?」
「いいえ、大丈夫ですよ」
あれ、じゃあもう帰られるのかな。もうちょと………ん?…え。
え?もうちょっとって何?何なのよ私!!
なんて訳の分からない焦りに内心あたふたとしていれば、お客の皿を持つ私の手に誰かの手が伸びてきた。じぃっとその手の伸び元を辿れば、どうやら黒丸さんの手だったよう。
男の人の手なんてまじまじと見たことは無かったけど(父は別)スラリと指が長くて少しゴツゴツしていて、父とはまた違うけれど力強い手をしているんだな、なんて感想を持った。
「ねぇ彌生さん」
しかし何をするのかと思いきや、彼は私の手の甲を優しく撫で始める。
「甘いものがあれば、貴女はどんなお家でもお嫁にいかれるの?」
私は数秒固まった。
ちょ、ちょっと待て。これは新手のイジメか、はたまた公開処刑なのか。こんな風に人前で手に触れられるなんて、しかも相手は黒髪美丈夫お色気ぷんぷん黒丸さんである。
尻拭いさん達の目が、視線が、とても痛くて直ぐに手を皿ごと引っ込めた。どう見ても避けられたと分かるのに心なしか黒丸さんの目が笑っているように見えたので、なんかちょっと負けた気分になる。
それに気恥ずかしさも合間ってつい後ろを向いてしまった。
「そっ、そういうわけじゃありません!」
「そうですか…」
「はいっ」
そう言って黒丸さんはお代の金子を払うと、暖簾を潜り帰っていった。
一体今の一連の出来事は何だったのか。
とりあえずまたあの恥ずかしさを思い出さない内に、洗い物でもして忘れてしまおうと中へそそくさと戻った。
◆◇◆◇◆◇◆
それから1ヶ月、黒丸さんは姿を見せなかった。
やはりあの時の粗相が原因だったのかな、と私は一人落ち込んだ。大事な常連さんを私が…。
そして気分が晴れぬまま迎えたお嫁入り当日。
私は江戸から京へ渡り、旦那様となる御方が見えるのを広い畳で敷き詰められる一室で待っていた。
かれこれずっと正座でいるので足先が痺れを帯びていたが、崩した所を不意打ちで見せてしまう事は避けたくて背筋をぴんと伸ばし耐えている。
立派なお嫁さんになる為に覚悟は十分してきているつもりだ。
「彌生さん」
「っはい」
「旦那様がお見えになります」
白粉をふんだんに使っているであろう顔をチラリと襖の間から覗かせて、お手伝いさんが話を掛けてきた。旦那様になる人が遂に来るのかと緊張でガチガチだったけれど、白玉のような美味しそうなお手伝いさんの顔を見たら何だかお腹が空いてきて一瞬絆された。さすが老舗の饅頭屋。内部も粒揃いである。
図らずも空いてしまったお腹を擦って今か今かと旦那様を待っていれば、部屋の外にいる白玉さん(お手伝いさんのアダ名)が何やら誰かと話している声が聞こえた。
多分旦那様だろう。その証拠に今もう一人のお手伝いさんが湯呑みにお茶を入れて持ってきたもの。二人分。
あぁ、また緊張がぶり返してしまった。
やっぱり母を連れて来るべきだったと後悔してしまう。付いて来てくれようとした母を家の事もあるから残っててと納得させて一人で来てしまった自分に自己嫌悪。慣れぬことはするものではないな。
うぅーんと唸っていれば遂に襖が開かれる。そして同時にサッと思わず下を向いてしまう。…あれだけ醜態を晒さないようにと意気込んでいたのに、これじゃあ本末転倒だ。と、また更に自己嫌悪へ陥った。
早く上を向かなければと思っていると、旦那様らしき人の足が視界に入ってきて、そのまま相手は座り込んだ。けれど座り込んでも私からはお腹と足しか見えていないので顔は分からない。だってまだ下を向いているから。
「彌生さん」
すると聞いた事のあるような無いような声が私の耳をくすぐる。いつもではないけれど、未の刻に良く耳慣れていたその声は私の心をまさかの言葉で埋めつくすのには十分な力を持っていた。
ちょっと待って。待て待て私、落ち着くんだ。
あ、あの人に…に、似ているだけ?顔を見たわけじゃないし、声聞いただけだし、きっと人間違えではなくてこれは声間違いよ。
だから、まさかまさかまさか、いや、まさかまさかね。
深呼吸をしながら胸に手を当ててゆっくりと見上げる。そして視線の先には、まさかの言葉を一瞬で打ち消してしまう人物がそこにいた。
口は金魚のようにパクパクと開け閉めを繰り返してしまう。
まさか、そんな馬鹿な。
嘘でしょう。
「甘いものが欲しくて、浮気はしないでくださいね」
彌生さん、と茶目っ気のある笑顔で言われた。
「もちろんお菓子にも」
前髪で少し隠れていた目の前の人の涼しげな目元が、首を傾げる動作と同時にふわりと露になる。
それに思わずドキリとしてしまい、またいつかのように心の中で焦ってしまった事は、絶対誰にも言いたくない。
ねぇこの正体、あなたは誰だと思う?
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夕暮れ時の橋下に、子どもが二人座っている。
『ならどうすればいいの?』
何かをそう興味深々に聞く小さな女の子に、質問された黒髪の男の子は、夕日に照らされているせいもあってか、それとも本人が照れてしまっているせいなのか、顔をほんのりと紅く染めて優しく笑った。
『それは君がぼくと、夫婦になればいいんだと思う。あまいお饅頭もたべほうだいだからおいでよ』
『おまんじゅうはあまいの!?じゃあわたしおまんじゅうのおよめさんになるのね!』
『…おかしばっかりじゃないか』
二人が将来どうなるのかは、まだまだこれからのお話。