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 二十代の男女の付き合いには、結婚と言う文字が見え隠れすることが多い。もちろん主義主張ではなからそういう制度に興味を示さない付き合いの二人もいるだろうが、さしあたって環境的に問題のない二人にとっては、やはり避けては通れない問題の一つだ。おまけに、パートナーである女性がもうじき三十路だという恋人同士においては、それに触れないで関係を維持するほうが難しい。周囲はぼちぼちと結婚の知らせを告げ、年齢的にあせりを感じ始めるころだ。

だからこそ、秋絵は、不自然なほど極端にその二文字に関する話題を避ける関係を少しだけ疎ましく感じていた。


「来週どこ遊びに行く?」

「ん、うーーん、来週はちょっと」


秋絵はバッグの中に入れっぱなしになっている、友人からの披露宴の招待状に添えられた一文を思い出し言葉を濁す。

実のところ、秋絵の親友である送り主とも顔見知りである彼、洋行も二次会に呼ばれている。こんなことを隠す必要はないのだけれど、言い出すタイミングを計りかねたまま、結局言えずに今日まできてしまっている。友人たちの間では、秋絵と洋行の付き合いは群を抜いて長い。なのに、いまだにその気配すら感じさせない二人の付き合いにおいて、間接的でも直接的でもそのことを匂わせるイベントに参加させることに、いや、伝えることすら躊躇いがあるのだ。

つじつまを合わせるべく、秋絵は勝手に仕事を理由にして断りの返事を入れている。友達の間では洋行は休日出勤もいとわない仕事の鬼のように噂されているのは、その副産物のようなものだ。


「そっか、じゃあ、また次な」


たいして詮索をされないことにホッとはするものの、もう少し詳しく聞いてくれてもいいのにと、矛盾した気持ちをごまかすようにため息をつく。


「ま、友達と飲んだくれてる、久しぶりに」


それほど二人でいる時間ばかりを重要視している二人ではないものの、やはり恋人や配偶者がいる人間というのは独身者と遊ぶ時間は限られてしまう。ぽっかりあいた時間を有効利用するべく、気楽な物同士で飲みあうというのも別に秋絵が気にするほどの事ではない。

現に、彼女だとて、同じ立場の独身の女友達と気楽に飲み歩くこともある。

にもかかわらず、彼女のなかで何かがひっかかる。

理由がわからなくて、平静を装いながら質問を重ねる。


「それ、高校の?」

「ん、たぶん」


それだけで、簡単に彼の交友関係を把握できてしまうほど、自分と彼の付き合いは深いのだと、わずかに安堵する。

だけど、どこかでわけもわからない焦燥感に煽り立てられる。

いつもと同じような会話をしているにもかかわらず。


洋行の高校時代の友人達とももちろん顔見知りだ。そのメンバーを眺めてみても、彼と男女の関係にありそうな人間はいそうもなく、また、その集まり自体あまりに色々なメンバーが群れているため、いったいどういう関係の集まりなのかを外側から把握することは困難なほどだ。そもそも、高校を卒業してからの進路が、進学、留学、就職、結婚、海外逃亡と多岐にわたっているため、そう感じるのも無理はないのだが、それにしても洋行の友人は個性が強いと秋絵は感じている。だからこそ、彼女がそこへ入り込んでも一瞬にして馴染んでしまえるのだけれど。

今回は自分自身が隠し事をしているせいなのか、なぜかその集まりに彼が参加することにためらいを覚えてしまう。

さすがに、それを口に出していうことはないのだけれど。


洋行と別れた彼女は、そっと招待状を取り出す。

そこには「よければ二次会に洋行君を連れてきて!次は秋絵の番?」と丁寧に書かれた文字が綴られており、それを見てため息をついた。

私の番なんてこないかもしれないのに、と、呟きながら。




「久しぶりー」


とりあえずビールではないけれど、程よく冷えたグラスを軽く持ち上げ、乾杯の形をとる。相手もそれにあわせてグラスを持ち上げる。


「お前最近付き合い悪いからなぁ」


久しぶりに参加した飲み会で、さっそく旧友に絡まれることになったが、それをさほど不愉快だとも思わずに受け止める。洋行にとっても、そういう軽口を叩ける相手というのは貴重なもので、社会人経験を積めば積むほど、そういう連中の存在をありがたく思っている。だからこそ、暇をみつけては、出来るだけこういう集まりにも参加するようにしている。


「そんなことないと思うけど」

「あれ?秋絵ちゃんは?」


開始まもなく、すでにほろ酔い加減の谷野が乱暴に肩を組みながら隣に座り込んでくる。高校時代の友人の一人である彼とは、卒業してからも進路が異なっていたにもかかわらず、かなり親しくしている。ぐるりとメンバーを見渡してみても、彼との付き合いが一番濃く、だからこそ恋人である秋絵のことも一番詳しく知っているのは彼に違いない。


「今日は用事があるって」

「あれあれ?ここにきて倦怠期ですか?」


からかう様な谷野の口調には深刻さのかけらも感じられない。それもこれもいつもの冗談のひとつだと思っているのだろう。だけど、なぜだかはわからないけれど、心に小さくて、でも鋭い棘がささったように洋行は感じ取ってしまった。

その理由はわからないのだけれど。


「つーか、どうして結婚しないかね、おまえ」

「そういうおまえはどうだっちゅーの」


年齢を重ね、気がついてみれば独身の友人達の方が少なくなる一方で、結婚式の知らせや招待状はここのところラッシュのように舞い込んでいる。当然谷野にしても同じことは言えて、お互いこういう飲み会だけではなく、二次会の場で出会うことも珍しくはない。


「俺は、まあそのうち」


秋絵との結婚を考えないではないけれど、今のままの関係があまりに心地よすぎてそこから抜け出せないでいる。幸いなことに、彼女自身がそのことに言及しないことも事態を助長しているのかもしれない。

気にしていないわけではないのだけれど。

小さな心の葛藤は冷えたビールと共に喉から流れ落ち、気にならない程度に消化されいく。


「おまえな、俺はまあ、相手がいないからしゃーないけど、おまえの方はちゃんと考えてやらな、いかんぞ」


まるで父親か兄のように諭す彼にいささかの反発を覚えつつ、苦笑いでかわす。お互いがその言葉を口に出した瞬間、今のこの関係まで終わってしまいそうだからだ、と、そんないい訳じみた事はとてもじゃないけれど口にはだせないと、自嘲しながら。


「結婚願望ないんですかぁ?」


突然二人の間を割って入ってきた女性は、たぶん一般で言うとかわいらしい顔立ちをしているのかもしれない。だけど、親友だからこそ微妙な会話をしていたのだと考えている洋行にとっては、プライベートな部分にズカズカ入り込んできた無神経な女としてインプットされてしまった。たぶん、露骨に嫌な顔をしたのだろう、彼女も困った笑みを浮かべつつ、空いたグラスにビールを注ごうとする。


「悪いけど、自分のペースで飲みたいので」


たった今、自分自身で注ごうと思っていたことなどは棚に上げ、グラスを彼女の手の届かない範囲に移動させる。


「ごめんなさい」


たいして悪いようには思っていないであろう彼女は小さく舌を出している。あまりに素っ気無い態度であったせいか、そういうことに気を使う方ではない谷野ですらフォローにまわる。

まあまあ、と軽く肩を叩いたのち、彼女と親しげに会話を交わす。

洋行にとっては初対面の彼女も、谷野にとっては初対面ではなかったのだと、ようやく一瞬ささくれだった心が元に戻った彼が二人を観察する。

その視線に気がついたのか、彼女がぺこりと頭を下げ、自己紹介をする。


「はじめまして、でいいですよね?私、土井亜紀子、って言います」


軽く差し出された右手を無視するわけにもいかず、洋行の方としても軽く自己紹介をせざるを得なくなる。


「高田洋行です」

「噂はかねがねーー」


年のころはたぶん、洋行たちよりも二、三歳ほど若いのだろう、その語尾を上げて話す口調に軽く憤りを覚える。


「ろくな噂じゃないんでしょうけど」


谷野の笑い声と、土井さんの笑い声が重なる。

どうしようもなく、いらだった心を沈ませながら、形ばかりの笑顔を張り付ける。

この場にいたくない。

そう思った気持ちは洋行にとって真実なのだろう。

ならば、さっさと席を替わればよかったはずだ。そもそもこれは自由度の高い気楽な飲み会だ。

なのに、その場に居続けた自分自身の気持ちの何かには気がつかないでいた。

土井亜紀子の笑い声が聞こえる。

洋行は、小さな棘を流し込むようにしてビールを煽る。

微かに残る痛みを抱えたまま。

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