四
オースティンが部屋を出て行った後、俺は座り心地の良いソファに座り込んだ。
女の子のことを考えながら、そういえばこのソファ、特注なんだっけと思い出した。
思考が止まって、無の時間が訪れる。
女の子には悪いけど、俺の力ではどうにもできないことだから仕方ないと諦める。
王子という肩書きは、時に不便だ。
したいことができない。
俺は背もたれによしかかった。
体が沈みまし程良い感じになっている。
素晴らしい。
なんていいソファだ。
「俺も、このソファみたいになれればいいのに」
別にソファになりたいわけではないけれど、こんな風に人を優しく受け止められる人間になりたい。
今日の俺は座ろうとした人を突き飛ばし、さらに屋敷すら追い出そうとする極悪ソファだ。
やだそんなソファ。
「おい、くつろいでるとこ悪いがあいつが目覚めたらしい。立て」
そんな声と共に腕を引っ張られる。
咄嗟にバランスをとって立ち上がった。
「マジで!?はやくね!?」
オースティンはめんどくさそうに眉を顰めて、歩き出した。
「細かいことは医者に訊け。さっさと行くぞ馬鹿」
「お前今日超辛辣!」
・⚪︎●○●○●○●⚪︎・
オースティンに案内された部屋は、他に比べると質素なとこだった。
広くも狭くもない部屋に、ベッドだけが置いてある。
しかし、俺はそんなことよりもベッドから上半身だけを起こした少女に目がいった。
「あ、…の…」
「あぁ、王子。お久しぶりです。彼女は今さっき、起きたばかりですよ」
医師がなにか言ってたけど、聞き取れなかった。
聞き取る余裕がなかった。
少女の頭には包帯が巻かれていた。
人形のような少女には似つかわしくないそれが、とても痛々しかった。
君は誰?
怪我は大丈夫?
どうしてあんなところに?
色々、訊きたいことはあったはずなんだけど、頭が真っ白になって、何を一番に言うべきかわからなくなった。
俺が彼女に言うべき言葉は…。
「…ごめんな」
自然と口から謝罪の言葉が零れた。
少女はそこで初めて俺の存在に気づいたらしい。
こっちを見て、驚いたような表情を見せた。
「…夢じゃ…なかった…」
鈴を転がすような、小鳥がさえずるような、よくわからないけれど、とても綺麗な声だった。
こんなことならもっとオースティンを見習って、エスコートのこととかもまじめに習っておけば良かった。
そんなことを考えてたら、少女が何を言ったのか聞き取れなかった。
「え?」
「あ、いえ、あの…。…ご迷惑をおかけして、申し訳ございませんでした」
少女は、小さく頭を下げた。
顔は俯き、眉も下がっている。
心から反省しているようだ。
「…こっちこそ、怪我をさせてしまってごめん。もう大丈夫?まだ、痛む?」
「はい。もう痛みはあまりありません。ご心配をおかけしてすみませんでした」
そう言って、少女は再び頭を下げた。
「いやいやいや、謝って欲しいわけじゃないんだ。だから、謝らないでくれ」
「…すみません」
少女は罰の悪そうな顔をしながらそう言った。
いやだから。
「……」
「……」
「……」
「……ありがとうございました」
「怪我させた張本人にお礼なんていらないよ。お礼なら、そこの医師に言って…あれ?」
困ったように笑いながら、先ほどまで医師がいた場所に目をやる。
するとそこに医師はいなかった。
「オースティン?」
部屋を見回してみると、オースティンもいない。
どうやら部屋を出て行ったようだ。
全く気づかなかった。
「いったいいつの間に…。あれ?そのブローチ…」
少女の首には赤色のブローチがつけてあった。
どこかでそのブローチを見たことがあるような気がするんだけど…。
「あっ、あの…これは……」
少女は急に慌てだして、ブローチを手で隠すように覆った。
「えっと、これは…あの…」
わかりやすいほど目が泳いでる。
何か良い言い訳がないか探しているのだろうか?
「あぁ、いや、言いたくなければ言わなくていいんだ。
…ところで君の名はなんて言うんだい?」
「あ…私は…」
その時、窓のガラスが音を立てて盛大に割られた。
ベランダに立つ、全身真っ黒コートの怪しげな人物によって。
少女を守るため、一定の距離があった彼女との差を縮める。
それに比例するように、ガラスを割った人物も、つかつかと歩み寄ってくる。
そのただならぬ雰囲気に、嫌な予感がして、咄嗟に少女を自分の胸元にひきつけた。
「なっ!!」
次の瞬間、少女がいたベッドは真っ黒焦げになっていた。
どうやら相手は魔術師らしい。
この国に魔術師なんて、珍しい。
この国は主に、武術とかが栄えてるから、魔術師はあまり寄り付かないのに…。
…となると、偶然やって来たってわけではなさそうだな。
目的は俺か、オースティンか。
戦おうにも今は武器を持っていない。
接近戦に持ち込もうとしても、魔術師相手にそれは難しい。
今は彼女を逃がすのが先決か…。
少女を必死に自分の背中に隠して、奴から距離を取る。
「…ルイスさん、壁です」
後ろから、あの可愛いらしい声がした。
と同時に自分の背中にもトンという感触。
…あれ?なんでこの子、俺の名前を…。
俺が一瞬、彼女に気を取られているうちに、奴が右手をこちらへ向けた。
なにする気だ。あんにゃろう。
歯を食いしばり、どんなことにもこの身で防ぎ、耐える覚悟を決める。
少女が、俺の服を小さく握ったのにも気づかないほど、俺は奴に集中していた。
そこで、扉がコンコンと音をたてた。
次にそれが開かれる。
「おいルイス。何か大きな音がしたが…誰だテメェ」
あの大きな音に心配になったらしいオースティンの瞳が、奴を捉えた。
「誰かはわからない。何一つ話さず、魔法を放った。ごめん。ベッドは弁償する」
奴が何を考えてるのか知らないけれど、あげていた右手を下げた。
でも、奴はそんな予告動作すら必要ないくらい、魔法の扱いに長けている。
油断はできない。
「あぁ?今はその話している場合じゃねぇだろ。早くそいつ逃がせ馬鹿」
「わかった。じゃあ、ちょっといってきます」
「はいはい、いってらっしゃい」
少女を安全なところに移したら、すぐに戻るつもりだった。
「ちょっとごめん」
「えっ、きゃぁ」
無我夢中で、少女を抱き上げ走り出した。
俺も出来る限りの魔法を駆使し、身体強化。
「『ストリングス』」
気休めかもしれないけれど、魔法壁。
「『プロタクシブウォール』!」
そして、適当な部屋に入り、窓から飛び降りた!
「ル、ルイスさん!」
「『ウイング』!」
城を抜け出した時と同じ処方で、俺は屋敷を飛び出した。
しかし、その先には奴が待ち構えていた。
大きな本を開いて、足下には魔法陣がある。
一時的にしか効果のないウイングとは違い、継続できる魔法らしい。
現に俺はウイングの続いているうちに地面に着地しないとならないのに対し、奴は悠々と宙に浮かび、呪文を演唱してる。
そして、おそらく最後の一章節が、奴の口から溢れ出た。
その瞬間。
「ファウスト!!」
何かが空から降ってきて、奴に飛びついた。
おかげで奴は集中力を保つことができず、魔法は不発に終わった。
「やめてファウスト!ルイスさんを殺してなんの意味があるの!!」
空から降ってきたのはどうやら女の子のようだ。
髪は短いが、声が高い。
その女の子の登場で、奴はわかりやすいくらいに動揺するのがわかった。
「エレナ…どうして君がここに…」
「シルヴィーが連れきてくれたの!だからもうやめて!みんなあなたの帰りを待ってる!」
「離してくれ。あの人さえいなければ…!!」
何やら揉めているようだが、俺にはそれを聞く余裕もなく、ただ地面を走って逃げた。
奴が逃げ出した俺に気づかないことを祈る。
「"Diviene debole"!」
くそっ!
気づかれた。
奴の声が聞こえたと同時に、俺の元に光の光線が向かってくる。
「『ボールワーク』!!」
俺のできる最高の防壁を繰り出し、地面に座り込むが、それが役に立ったのは一秒にも満たなかった。
「っ!!」
殺される!
そう思った。
目をぎゅっとつむった。
体を硬くする。
でも、想像していた痛みは襲ってこない。
「っきゃあああ!!」
突然の叫び声に驚いた。
目をパッと見開く。
すると目に飛び込んできたのは、腕の中の光り輝く少女。
まずい!
中途半端な防壁のせいで、進行方向が微妙にずれたんだ…!
「…っ!」
少女の名前を呼ぼうとしたけれど、名前がわからないままだった。
この行き場のないもやもやをぶつけるように、空中の奴を睨みつける。
奴もこれは想定していなかったらしく、驚いているように見えた。
「オリビアさん!」
女の子がこちらを見て、悲痛な声で叫んだ。
オリビア?この少女の名前か?
「エレナ!邪魔をしないでくれ!僕は…!」
「邪魔するよ!!ルイスさん!早くオリビアさん連れて逃げて!!」
「エレナ!!」
女の子が妨害しようとしてるのか、奴のフードの下を引っ掻いて(るのか?)いた。
そして、奴のフードが外れる。
その顔には見覚えがあった。
現状が理解できないんだけど、とりあえずふらつく足で立ち上がり、少女を抱きかかえた。
すると少女がさっきよりも軽くなった気がして、駆け出しながら目を向ける。
「なっ!!」
おそらく少女と思われるそれは、気絶していた。
何故おそらくなのかと言うと、少女はさらに幼い幼女になっていたからだ。