十二
師匠が扉の奥から顔を覗かせる。
「論外だ」
「師匠!そんなっ!」
俺が泣きついても取りつく島もなく、冷たい目を向けられた。
「お前はまだ話にならない。そこで腕立て伏せ千回しないと家の敷居は跨がせないぞ」
「いきなり千回なんて無謀すぎます!無茶ですよ!」
「人間死ぬ気になればなんでもできる。ほら早くしないと飯がなくなるぞ」
そう言って師匠は扉を閉めた。
続いて鍵が閉められる音。
「師匠〜!!」
俺は未練がましく扉を叩いた。
しかし五六回叩くも扉の奥からの物音はなったくない。
渋々、強くしてくれと頼んだのは自分だと覚悟を決める。
「いーち。にーい。さーん。しーい。ごーお。ろーく。しーち。はーち。きゅーう。じゅーう」
やり始めて思ったけど、本当にこれ千回続けんの?
俺の自慢は体力だけど…これじゃいつまでかかるかわかんないな。
「十一ッ十二ッ十三ッ十四ッ!」
スピードをあげて腕立て伏せに励む。
ぎゅるる。
腹がなった。
昼からの特訓がきつかったせいで、カロリー消費が半端ない。
「十六ッ十七ッ十八ッ十九ッ!」
オリビアの作った美味い飯が俺を待ってる!!
「うぉぉおおお!!」
男は気合いだーっ!
・⚪︎●○●○●○●⚪︎・
「九百ッ九十…九…!千っ!っしゃあぁ!」
増える腕で、千回目の屈伸を終えた俺は、すぐに地面にへばりついた。
肩で息をして、酸欠の頭でぼんやりと目の前の野花を眺める。
終わった。
すでに腹は空腹の域を超えて、お腹と背中がくっつきそうだ。
だが、この調子ではしばらくは飯は食えそうにない。
「っ!…はっ!」
体をずりずり引きずって、少しでも家に近づこうとする。
しかし、さすがに腕が限界のようだ。
滝のように流れる汗が体温を奪って行く。
やばい。
色々な意味で死にそう。
そんな絶体絶命のその時!
扉の開かれる音がした。
「ルイスさん…どうですか…?って、きゃあ!だ、だいじょうぶですか!?」
天使だ。
天からの使いが来た。
オリビアが倒れてる俺を見て、焦った声を出した。
俺はダイニングメッセージの如く、地面に"ししょー"と書く。
それを見て、オリビアは意図を理解したらしい。
ちょっとまっててください!と家へ引っ込んで行った。
オリビア…マジいい子。
すぐに、再び扉は開かれた。
「…おうルイス。腕立て伏せ千回終了したようだな」
師匠。
それ、今答えないとダメっすか。
見てわかってください、かっこ泣き。
俺は手を握り、親指を立てた。
「そうか。じゃあ、明日から腕立て伏せ五百回に、腹筋運動五百回。朝夕素振りが百本に、この森を一周。それがノルマだ。しばらくは体を作れ」
鬼だ。鬼がいる。
そんなの疲れすぎて地面でへたってる弟子に言う言葉じゃねぇ。
「ほら。いつまで伸びてねえで飯食え。筋肉がつかんぞ」
そう言って、師匠は俺を負んぶするように支え、家に入った。
・⚪︎●○●○●○●⚪︎・
「あの、ルイスさん…。たいちょうがすぐれないのでしたら、むりしてたべなくてもいいのですよ…?」
「いや、大…丈夫。ほら…人間は可能性に満ち溢れた生き物だから…」
俺はそう言って、メインディッシュのない夕食を口に含んだ。
途端に、腹のそこからグワっと何かが上がってくる感覚。
そう。
HA☆KI☆KE。
すげぇ美味そうな飯がただの拷問に変身する。
腕立て伏せ恐ろしい。
健康って素晴らしい。
先に風呂に入って時間は経ったから、多少は回復してると思ったのに。
「ルイスさん!むりしなくていいですって!ルイスさん!」
俺はオリビアの制止する声を振り切り、約一時間ほどかけて夕食を完食した。
・⚪︎●○●○●○●⚪︎・
翌朝、俺はいきなり布団を剥ぎ取られた。
「起きろルイス。さっさと走りこみ行ってこい」
まだベッドのない俺は雑魚寝生活なのだが、体力が全くと言っていいほど回復してない。
目をしばしばさせながら、ゆっくり起き上がる。
師匠はフンと鼻をならし、後ろを向いた。
「朝飯までに戻ってこい」
そう言って、部屋へ戻っていく。
俺は黙ってふらふらと立ち上がり、服を着替え家を出た。
・⚪︎●○●○●○●⚪︎・
「ハッハッハッ」
走ってて思ったんだけど、俺なにやってんだろ。
気づいたら走ってた。
昨日師匠が言ってたことを忠実に守っているようだけど、その師匠の言ってたことが曖昧だからなぁ。
森一周ってどこまで行けばいいんだ。
なるべく安全そうな道を選んで走ってるけど、何故だろう。
無事に家に帰れる気がしない。
つかここが何処らへんなのかすらわからない。
俺今何処をはしっているんだろう…。
「腹減ったー!!」
腹いせに天へ向かって叫んだ。
神様がいたら自分の知ったこっちゃないと怒ることであろう。
「って、本当に怒ったぁぁああ!!」
お約束通りズリっと足を滑らせ、俺は今日も山を滑り降りた。
神様本当ごめんなさい。
・⚪︎●○●○●○●⚪︎・
ぐぎゅるるる〜。
腹が鳴って、涙が出た。
ルイス・ラフェイット。
見事、山を滑り降り、町まで辿り着きました…!!
ぐぎゅるるるるるる〜。
「………」
ふらふらと、地面を見ながら歩き出す。
お腹が減って、力が出ない…。
辛い。
「……」
ぎゅるるるる。
最早生き物みたいに鳴る腹の音を聞きながら、足を動かす。
辛い。
ぐぎゅるぎゅ。
「…はぁ」
「そんな溜息吐いてちゃ、福も逃げてくぞ」
「はい…?」
そんな俺に話しかける物好きがいた。
顔を上げると、人の良さそうな青年が大きな荷物の影から顔を出していた。
青年はニカッと笑顔を見せた。
・⚪︎●○●○●○●⚪︎・
「美味いです!本当に美味しいです!美味しいです!!」
カッカッカッと飯をかっ食らう。
美味い!生きててよかった!!
「ハハハ。うちの母ちゃんの飯は世界一だかんな。たくさんおかわりしてくれ」
「はいっ!!」
そう。
ここは先ほど話しかけてくれた青年、ジュリアンの実家。
食堂リサーナである。
ジュリアンは頭に白いバンダナを巻いて、再び食堂を出て行った。
彼は朝から準備に忙しいらしい。
この食堂もまだ開店前で、人はいない。
そんな中、俺はテーブルいっぱいに食器を並べて、美味い美味いと連呼しながら食べていた。
食堂の奥から食堂の女将、リサーナさんが顔を出す。
「そう気に入ってくれると私も嬉しいよ!まだまだあるから、好きなだけ食べなさい」
「はいっ!!」
このリサーナさん。
大変料理の腕が良い。
城の料理長も真っ青なくらい。
いやぁ、いい人に拾われたものです。
「これも美味い!」
「そうかいそうかい。どんっどん食べておくれ!」
それから俺は、しばらく飯を食い続けた。
・⚪︎●○●○●○●⚪︎・
「もう食えない〜」
はふぅ。
腹いっぱい食って、人心地ついた俺は、背もたれに凭れ、膨らんだ腹をパンパンと叩いた。
昨日と言い今日と言い、なんだかんだ言ってたくさん食べてる。
恵まれてんなぁ。俺。
「良く食べたわねぇ。見ていて気持ちよかったわぁ」
リサーナさんがニッコニコ笑顔で此方へ歩いてきた。
本当に満足そうだ。
「はい。とても美味しかったので、良く箸が進みました」
俺は佇まいを直して、ニコリと笑った。
リサーナさんは笑顔で、なんのなんのと言った。
「行き倒れそうになっている子を助けるのは、人として当然だからねぇ」
「本当に助かりました。ありがとうございました」
お礼を言えば、リサーナさんは思い出したように、そうそうと切り出した。
「はいこれ今回の代金。息子の紹介だから、多少は安くなってるから」
キラキラと輝く笑顔で、リサーナさんは紙切れを差し出した。
恐る恐る紙を受け取ると、そこにはゼロが五つ並んだ数字が。
俺は身一つで森の中を走っていたわけで、つまり無一文。
「……あの、すみません。俺今お金がなくて…」
申し訳なく思いながら、弱々しく曖昧に言おうとして…。
「あぁ、大丈夫。一日働けば返せる額よ。今日、お手伝いさんがお休みすることになっててねぇ。丁度人手が足りなかったの。ありがとう。助かるわぁ」
いきなり豹変したリサーナさんの態度に戸惑う。
これじゃどこぞの悪徳商法だ。
「いや、でも俺、家に帰らないと…」
「大丈夫。そんな遅くまで働かなくてもいいから。ね?ほらほら、そこの食器、自分で洗って片付けてね。開店はもうすぐだから!ほら早く!」
「えっ…いや…はい…」
随分と強引なリサーナさんに肩を叩かれ、なし崩しに今日一日働くことになってしまった。
帰ったら師匠に怒られそうだ…。