塔 ―願いと意志―
意識が戻って最初に見たのは、闇にぼんやり浮かぶ<レザルス・クルツ>の姿だった。それから、その向こうに見える――<魔女>の使い魔の姿。明らかな敵意を向けてくるそれは、<レザルス・クルツ>に阻まれてこちらへは近づけないようだった。
<レザルス・クルツ>が結界のような役割を果たしてくれていたことを知って、最後の最後まで私は<智者>の知識に――<彼>に助けられるのだと苦笑した。
「ありがとう、<レザルス・クルツ>」
淡く赤色に光る<レザルス・クルツ>を再び手に取って、術式を使って現在位置を確認する。大まかに把握した現在位置と<塔>の構造を頭に叩き込んだ。
流石に<塔>の最上階――<ラプンツェル>の元に直接転移することは、<レザルス・クルツ>であっても不可能だったらしい。それでも随分と短縮された道筋に、ほんの少し笑う。
……これで、絶対にみんなは私に追いつけない。
<レザルス・クルツ>を持ち直して、使い魔を切り捨てる。手の甲にまで広がっていた術式は、見なかったことにした。
<レザルス・クルツ>を手に、一体いくつの階段を昇っただろう。各階に仕掛けられた<魔女>の妨害を、ひたすらに術式の力と<レザルス・クルツ>で打ち破って。
術式で抑えていたはずの痛みは、当たり前のように全身を襲っている。術式をかけ直したとしても、もう気休めにもならない。
この世界に来て、<レザルス・クルツ>を手に入れたばかりの頃のように、意思とは関係なく<レザルス・クルツ>に操られるように身体が動く。
……限界が近づいてきているのだと、遠のきかける意識の中、ぼんやり悟る。
<魔女>の<智者>への執着を物語る、いくつものトラップを壊し尽くして。危険の無くなった階を、階段を目指して進む。
壁に寄りかかるようにして歩きながら、最後までもつだろうか、と自問する。もつか否かじゃない、もたせるのだ、と強く思う。
最初から変わらない、ただひとつの願いを叶えるという、それだけの意志が、これまで私に力を与えてきた。
――そう、だから絶対に。
『その瞬間』だけは、迎えてみせる。
最後の階段を、昇る。身体は鉛のように重くて、一瞬でも気を抜けば意識が飛んでしまいそうだけれど。
……大丈夫。『最悪』の事態にだけは、させない。間に合わなかった私にできる、たったひとつのこと。
そうして、最上階に足を踏み入れた瞬間。
塗り潰されるように、意識が途切れた。
誰かの声が、聞こえる。
「……て」
ずっと聞きたかった声。聞けなかった声。生身で相対することを、何よりも望んだ人の。
「起きて、××」
「……え?」
「あ、やっと起きた。出かけるから起こしてって言ってたよね? 時間、ギリギリなんじゃないの?」
朗らかに紡がれる言葉も、注がれる柔らかな眼差しも、全てが遠い。
「……茅早?」
「なに? ぼーっとしてるけど、寝ぼけてる?」
低血圧だもんね、と笑うその姿を見て、混乱する頭に問いかける。
これは何? 茅早がどうしてここにいるの。
だって、茅早は<智者>になっていなくなって、<魔女>に囚われて堕ちて<ラプンツェル>になってしまって――だから私は止めるために<レザルス・クルツ>を使って<塔>に侵入して、そうして――。
「何、幽霊でも見たような顔して。ホラーな夢でも見た?」
これ以上ないくらい、私の記憶する『日常』のままだった。何度も戻りたいと願った、何度も夢に見た『日常』。
でも、だからこそ、すとん、と理解できた。
「……そっか。そうだった。こういう妨害だって、あるか」
「? どうしたの、××」
自嘲する。不自然に『聞こえない』名前を耳にした時点で気付くべきだったのに。
あんまりにも精巧な『幻』で、そして恋焦がれてた情景だったから――正常な判断ができなかった。
でも、このトラップを仕掛けたのが<魔女>にしろ<ラプンツェル>にしろ、私の『名前』だけはどうにもならなかったらしい。
当たり前だ。だって、私の『名前』は――。
「<レザルス・クルツ>」
呼びかけて手に意識を集中すれば、慣れた感触が伝わってきた。『見えない』ままだけど、多分大丈夫だろう。私が認識できていなくとも、そこに在ることには変わりない。
「……壊して」
呟くと同時、目に映る風景が歪む。ひび割れる。粉々に、破壊される。
そして、全て消え去った後には。
闇と、人影がひとつ。