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第九話 妖怪のお寺

 明治は、日本が急激に西洋の色へと染まっていった時代だった。

 日本人であることは変わらずとも、その表面における価値観は変容した。

 その変化は大きなうねりとなり、人々を二つに分けた。波に乗れた者と、乗れなかった者とに。

 古い、それでいて大きな屋敷だった。そこに住まうのは、元々は武家の血を引く一族。

 彼らは波に乗ることはできなかった。

 仕えていた者たちは次々と家を去り、今は、主人とその妻と数人の女中しか住んでいない。

 その屋敷の敷地内には離れがあった。明らかに隔離されたその世界には、可憐な少女が住んでいた。

 彼女は生まれつき病弱耳が聞こえなかったため存在しない人間として育てられていた。

 彼女の知っている世界は、木目調の天井と古びた畳、そして庭に植えられた一本の金柑の木だけ。

 音のない閉ざされた世界で、彼女はひっそりと命を燃やしていた。

『本は好きか?』

 新しく来た医者が、筆談でそう彼女に尋ねた。

 彼は、彼女に新たな世界を与えた。それは物語の世界。創造の世界。

 日に日に死へと近づく彼女は、しかし、その瞳に生気を帯びていった。

 医者が訪ねる度に、彼女は新しい世界を望んだ。

 彼が彼女に与えた本は、全て、妖怪が題材となっている本だった。

『座敷童子が居たら、とても素敵なのに』

 彼女はある日、医者にそうぼやいた。

『どうしてかい』

『私はお友達ができるし、お家に幸福をもたらしてくれるんでしょう?』

 彼女は願った。妖怪の誕生を、妖怪の存在を。

 少女の感情は、やがて妖怪を生んだ。

 明るい表情で、彼女は医者に告げる。もちろん、筆談で。

『先生、今日小さな女の子を見たの。あれ絶対、座敷童子に違いないわ』

 その日を境にして、彼女の家は好転した。

 主人の事業は成功し、かつての華やかさを取り戻したようだった。

 おかっぱ頭で橙色の着物を着た小さな女の子は、常に彼女の傍に居て、彼女の不幸を食べ続けた。

 しかし、生まれ持った体の弱さには抗えなかったのだろう。

 ある日唐突に、彼女はその生涯を終えた。

 その日屋敷には誰もおらず、彼女を看取ったのは、彼女が座敷童子と呼んだ可憐な女の子だけだった。


「それからどうなったんどすか?」

 縁側に座っていた日照雨は、足をぶらぶらとさせながら尋ねた。

『語るも野暮かな。綺麗なお話じゃないしね』

 その隣で同じく足をブラブラさせながら、金柑はスケッチブックに浮かべた文字で答える。

「んー、このお話はお医者さまの存在が謎どすな」

『それ先生』

「ほえっ」

 金柑の顔を見る。

『先生、人間社会に混じって生活してたことがあるんだってさ。人間に妖怪を生み出させたりしてたみたい』

「せやったら、金柑さまは旦那さまの娘言うことになるんどすか?」

『どうだろう。僕の親が、僕の最初のお友達だったあの子ってのは確かだけど』

 視線を、縁側から望む庭へと向ける。

 そこは、結界内に広がる空間だった。とある廃寺の敷地を元にして作られた寺院で、二人が座っているのはその本堂の裏側に面した縁側である。

 金柑が主な活動拠点としている場所であり、彼の嫁である柳木の管理する結界だ。

「それにしても、どないして旦那さまは妖怪を生み出させたりしてはったんやろか」

『食べるためじゃない?』

「せやったら、金柑さまは旦那さまのお食事だったわけどすか」

『面と向かって言われるとおどろおどろしいけど、最初はそうだったのかもね』

 金柑はヒョイッと縁側から飛び降りる。日照雨の正面に回り、胸に抱いたスケッチブックで語りかける。

『そもそも、妖怪を食べて自我を保てる妖怪は少ないんだよね』

「せやけど旦那さまはいつも食べてはります」

『そうなんだよね。先生が凄いってことなんだろうけど』

 まあ僕も、と文字を付け足す。

『先生とはまだ百年しか一緒に過ごしてないわけだし、良くは知らないけどね』

「うちはまだ十年いかないくらいどす」

『雨ちゃんはちっちゃいなー』

 日照雨はむっ、と眉をひそめて縁側から下りる。金柑の隣になって、背を比べた。

「うちの方が金柑さまよりおっきいどす」

『背の高さじゃ負けちゃうなー。雨ちゃんは人間だから、これからもっと育つのかな』

 日照雨はスケッチブックを覗き見る。口元に指を当てて首を傾げた。

「どうなんやろ。うちとしては、月華さまみたいな女性らしい体になりたいんどすけど」

『似合わない』

「えー」

『まあ色っぽい体つきって言うなら水仙も中々だと思うよ』

「水仙さまどすか? あ、確かにそうかも知れまへんな」

『おばあちゃんは……昔は美少女だったっていう話は聞いたことが』

「柳木さまのことどすか?」

『うん。今先生とお話してるやなぎさまのことだよ』

「妖怪って姿は変わらんのやないんどすか?」

『おばあちゃんは独特なんじゃないかな。柳女っていう妖怪なんだ』

「ほへ」

『お寺の表の方に植えてある柳の木が本体ってわけ。まあ、外見がおばあちゃんなのと関連性は知らないけどね』

「妖怪は奥が深いどすな」

『人間も奥は深いどすよ?』

 二人は顔を見合わせて、同時に笑った。

「雨子に金柑、そこに居ったか」

 縁側に面した部屋の奥から、黄金色の毛並みの妖怪狐がのっそりと姿を現す。

「お話は終わったんどすか?」

「うむ。それで柳木が茶を飲みながら雨子と話したいと言っておるのじゃが」

「ここにいますけれどね」

 しわがれた暖かな声。

 彼の後ろから、腰をピンと伸ばした背の低い女性が現れる。

 尼の服装をした老齢な女性で、顔には深い皺が刻まれているものの、紅色の瞳は生気に満ちていた。

「あの子が、貴方の仰っていた娘さん?」

 女性は目を細めて、ジッと日照雨を見つめる。

「お狐様には勿体無いくらい可愛らしいお嬢さんですこと」

 彼はククッと小さく笑い声を上げた。

 金柑に背中を押されて、日照雨は慌てて頭を下げる。

「えと、はじめまして。うち、日照雨言います」

「はいはじめまして。わたしは柳木、よろしくね雨ちゃん」

 暖かな笑顔を向けられて、日照雨も自然と笑顔をこぼして頷いた。

「それで雨ちゃん、お茶はいかがかしら」

「えと、旦那さまが一緒やったら」

「お狐様?」

 クィッと彼女は体を捻って彼を見る。彼はピクッと耳を微かに動かした。

「そう。だったら決まりね。お茶とお菓子の準備、して貰ってこないと」

 日照雨に背を向け、静かに歩き出す。

「貴方は先に雨ちゃんを部屋に案内してくださいますか?」

 そう言い残して、柳木は部屋の奥へと姿を消した。

 彼は縁側まで歩いてくると、一跳びに二人の傍へと降り立った。

「二人で遊んでおったのか?」

『まあそんなとこ』

「どすな」

 彼のもふもふとした大きな尻尾に、二人はそれぞれ顔を埋める。

「……何をしておる」

「なんとなくどす」

『んむ』

「そうか。それで話は変わるが、茶を飲んだら宝物庫へ行くのじゃが金柑はどうする?」

『んー、宝物庫は興味ないからパス』

「そうか。日照雨は来るか?」

「あ、はい。どないなとこかはわかりまへんけど」

『うーし、それじゃあ僕とは一旦お別れだね。ちょっと遊んでくる』

「一つ目のかたとどすか?」

『んや、のっぺらぼうのほう』

「それではまたの、金柑」

 日照雨は彼に連れられ、本堂の中へと向かう。途中振り返り、金柑へばいばいと手を振った。

『ばいばい、またあとでねー』

 金柑の胸に抱かれたスケッチブックの文字を見て、こくりと頷いた。


 彼が日照雨を連れてやってきたのは、静かで懐かしい匂いのする和室だった。

 既に柳木は室内にいて、二人を笑顔で迎えた。

 日照雨は脚の短いテーブルを挟んで柳木と向かい合うように座る。その隣に、彼が狐の姿のまま座した。

 部屋の戸が開いて、湯呑と茶菓子をお盆に載せたろくろ首が入ってくる。ニョロニョロと首を揺らしながら、それらをテーブルの上へと並べていく。

 全て並べ終えたろくろ首を柳木は労い、ろくろ首は一礼して部屋を後にした。

「雨ちゃんは羊羹お好きかしら?」

「食べたことはありまへんけど、大丈夫やとは思います」

「そう。ほっぺたが落ちちゃうくらい美味しいと思うわ」

 にっこりと笑う。釣られて、日照雨もへにょっと笑った。

「ええと色々お話したいことがあったのだけど……」

「お話どすか」

「んー、好きな食べ物は何かしら」

「はんばーぐどす」

「ハンバーグ。ええと確か、肉を練って焼いたような食べ物……だったかしら」

「大凡合っておるな」

「本当? よかった。わたしは恥ずかしながら料理が苦手なの。このお茶もお菓子も、作るのが上手な妖怪に頼んで作ってもらったのよ」

「色んなことが得意な妖怪がおるんどすな」

「そうね。雨ちゃんはお料理、毎日作っているのよね?」

 柳木の話し方はとても穏やかで、人を包み込むような優しさに満ち溢れている。

 日照雨もその雰囲気に呑まれていて、リラックスした表情を浮かべていた。

「昔は旦那さまが作ってくれはってたんどすけど、最近はうちが作っとりますな」

「あら、お狐様の手料理だなんて羨ましい。わたしは食べたことあったかしら」

「お主はなかったと思うが」

「それはちょっと残念ね」

 柳木は湯呑を手に取り、音を立てて飲む。日照雨のそれに倣って、すすり飲んだ。

「あっ、おいしいどすな」

「うふふ、そう言ってもらえると嬉しいわ。羊羹も召し上がって?」

「はい、いただきます」

 一口大に切り分け、ぱくっと頬張る。もぎゅもぎゅと噛むと、甘い味が口いっぱいに広がった。

「ほいひぃ」

 目を細めて、頬に手を当てる。日照雨の幸せに満ちた表情を見て、柳木は嬉しそうに微笑んだ。

「気に入ったのなら、お土産に幾つか用意しちゃいましょうか」

「ほんまどすか?」

「ええ。長くは持たないから、そう多くは無理でしょうけど」

 日照雨は目をきらきらと輝かせて彼を見る。彼は口をもぐもぐと動かしながら頷いた。

「せやったらうち、ようかん欲しいどす」

「わかったわ。お寺を発つ時までには用意しておきましょうね」

 日照雨は柳木を見つめて、笑顔で頷いた。

 その後も、ほんわかと話に華を咲かせた。あれが好きだとか、月華との話や水仙の話もした。

 日照雨がお茶を全て飲み終えたことを確認して、彼は切り出す。

「さて、まだ話し足りんかもしれんが」

 柳木はやんわりと頷く。

「数日ゆっくりされて行くんですものね。お話はまたにしましょうか」

「ほうもつこ、どすか?」

「ええ。術式が組み込まれた物が沢山保管されている場所なのよ」

「術式……。前の拳銃に似た奴ってことどすか?」

「そんなところかしら」

 よっこいしょ、と柳木は立ち上がる。

「それじゃあ案内しますね」

 彼も立ち上がり、日照雨もそれに倣った。


 寺院の中にある障子扉を特定の順番で巡ることによって、鉄格子の扉が現れる。

 その扉をくぐると、石造りの通路へと繋がっている。

 更にその奥へ進むと、そこが宝物庫である。

「これ全部、妖術が使える道具なんどすか?」

 日照雨の問いに、柳木はにこにこと笑顔を返す。

 宝物庫の中は木造で、所狭しと棚が並んでいた。収められているのは、包丁やナイフや日本刀を始めとして、ペンダントや指輪などの装飾品、文具や鎧まで大小様々であった。

「すんごいどすな」

 手に取って見てみたい欲求に駆られるが、勝手に触ったら怒られそうな気がして、ちらっと彼の顔を窺い見た。

「術式を起動させんと約束できるのならば自由に見て触っても構わんぞ」

「ほんまに?」

「約束できるか?」

 日照雨はこくっと頷く。

「そうか」

 彼のお許しを貰って、日照雨はとててと棚へと小走りに向かった。

 その後ろ姿を見送ってから、彼は視線を柳木へ向ける。柳木は頷き、宝物庫を更に奥へと進んでいく。

 幾つもの棚を越えた先にあったのは、無骨な木製テーブル。その上には、漆黒の回転式拳銃と一緒に、歪なペンダントが置かれていた。

「ふむ、この装飾品が拳銃と同様の作者の物か」

「わたしの解析結果に偽りがなければですけど」

「お主が言うのであれば正しいのじゃろう。して、装飾品の術式は?」

「他者の妖力を変換して自身の妖力とするものね」

「ほう、創作者は妖力変換に固執しておるのかの」

「そうかもしれないけど。ペンダントは百年近く前に製作された物で、拳銃はここ数年という感じなのだけど」

 柳木は目を伏せる。

「この創作者とされる妖怪は、数十年前、妖怪同士の抗争の中で既に消滅しているみたいで」

「妖怪喰いか?」

「さあそこまでは。そう言うことは、黄土ちゃんに尋ねてくださいな」

「ふむ。妖怪を喰らうことで、妖力や知識を得ることはあるが」

 スッ、としわくちゃな柳木の手が彼の頭に添えられた。

「お狐様もお歳なのだから、あまり無理はされないでくださいね?」

「安心せい。相対した場合の対策は練っておくが、こちらから能動的にどうこうする気はないよ」

「ならば良いのですけれど」

 心配そうな表情を浮かべる老女の顔に、彼は鼻を寄せた。

「あのぅ、旦那さま?」

 棚の向こう側からの声に、彼は慌てて振り返る。棚の陰から、ひょこっと日照雨が顔を覗かせた。

「お話中でしたやろか」

「いや構わんよ。どうかしたか?」

 日照雨は言おうか言うまいか悩んでいるようで、視線を泳がせている。

「何か気に入った物があったか」

 えへへ、と苦笑いを浮かべてから、頷く。

「物騒な術式の物でなければ、与えてやらんこともないが」

「えっと、ちっちゃな黄色い宝石がはめられとる指輪なんどすけど」

 その言葉を聞いて、くすくすと柳木が笑いだした。

「雨ちゃんは本当にお狐様のことが好きなのね」

「え、あの、うち何か……」

「いや気にすることはない。それならば確か、運勢を操る術式が込められておったかの。座敷童子の妖力には到底及ばんが」

「指輪を付けると、運が良くなるんどすか?」

「いや、術式を起動している間だけ、指輪の周囲において最悪の事態を免れることができるだけじゃな」

「お守りみたいなものどすな」

「その認識で問題はないな」

 柳木は彼の耳に口を寄せて、囁く。

「あれは貴方が作ったものでしょう? 教えてあげたら雨ちゃん喜ぶのに」

 彼はフンッと鼻を鳴らす。

「わざわざ教える必要もないじゃろ」

「あらひどい。貴方は乙女心というのがわからないのね」

「老女に言われとうはないが」

「失礼しちゃうわ。姿はお婆ちゃんでも、恋をしている限り心は乙女なんですよ?」

 こそこそと話をする二人を見て、日照雨はこてんと首を傾げた。

「まあ柳木の言い分はそれとしてじゃ。恐らくその指輪はまだお主には大きいだろうから、紐を通して首から下げると良いじゃろ」

「指輪を、どすか?」

「うむ」

「わかりました、そうしてみます」

 日照雨は顔を引っ込めた。指輪を取りに行ったのだろう。

 彼は柳木に視線を戻す。

「それで、このことは既にあれには伝えておるんじゃったな」

「ええもちろん、金ちゃんに行ってもらいましたよ。わざわざ余計なことを、って感謝されたみたい」

「そうか、助かった」

 足音がして、日照雨が再び棚の陰から姿を現す。紐に通された指輪が首に下げられていた。

「お、紐はどうしたんじゃ?」

「えっと、妖術で作ってみたんどすけど」

「まあ凄い。雨ちゃんは器用なのね」

「えへへ」

 褒められて、日照雨はくすぐったそうに笑う。

「乱暴に扱って、無くさんようにな?」

「はい、大切にします」

 日照雨は紐を掴んで、指輪を目の高さにまで持ちあげる。

 指輪はくるくると回り、宝物庫の証明に反射して輝いていた。

作者多忙につき、来週はお休みです。期末テストがもり沢山です。


というわけで、次回更新は8月7日となります。

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