第八話 無口で陽気な座敷童子
十畳ほどの広さがある和室。
木目の綺麗な箪笥と本がびっしりと詰まった本棚が壁に沿って並び、脚の短いちゃぶ台が台所近くに鎮座している。
この部屋の主である九尾の妖怪狐は、部屋の中央で床に伏せた体勢のまま手紙を読んでいた。
手紙は空中に浮かび、毛筆で書かれた文面を彼に向けている。
書いてある内容は大まかに分けて三つ。
一つは、近況。送り主に仕える者の成長した様を、我が子を自慢するかのように語っている。
一つは、依頼の進行状況。件の解析は終わり、その結果を黄土太夫にも送り終えたとのこと。
一つは、依頼に関しての補足。詳細は、解析結果と併せて送らせるという旨が書かれていた。
彼は一通り目を通し終えると、大きく息を吐く。
「ともすれば、金柑が使いの者として来るのじゃろうな」
彼が手紙から目を逸らすと、手紙は瞬きをする間に消え失せた。
代わりに、まっさらな便箋と毛筆がどこからともなく現れる。宙を漂い、さらさらと言葉を紡ぐ。
ただ一言「其れが儘に」とだけ書かれた便箋は、静かに折り畳まれる。そして、茶封筒が便箋を包み込み、〆る。
宛名部分に「柳木へ」と毛筆が文字を記した。
彼が封筒へ息を吹きかけると、それは青白い光に包まれ、空気に溶けて消えた。
手紙を送り終えて、彼はのっそりと起き上がる。ちゃぶ台の傍まで行くと、金髪紅眼の好青年の姿と成って座布団の上に胡坐をかいた。
「おゆはんができました」
台所へと繋がる襖が押し開けられ、お盆を手にした日照雨が現れる。
「今日は何ハンバーグじゃ?」
「煮込みはんばーぐどす」
「ほう、また違うハンバーグか」
「旦那さまに買うてもろた本、ほんま役に立っとります」
「それは何よりじゃな」
ちゃぶ台の上に食事を並べ終えると、日照雨はエプロンを脱いで自らも席に着いた。
二人は合掌をすると、箸を手に取った。
はむはむとハンバーグを頬張りながら、日照雨はふと思い出したように口を開く。
「本と言えば、あの妖術の本なんどすけど」
「読み進めておるか?」
「はい。第三章を読み終えたところどすけど、うちが雪合戦の時に使うた術式の組み方が載っとってびっくりしました」
「条件分岐か。複雑な妖術であれば必須の技能じゃな」
「ほへぇ……」
「それで、あの本がどうかしたか?」
「えっとどすな、その条件分岐……言うんどすか? うちも一回使うたことがあるからなんとなくはわかったんどすけど、もっと難しいことになると、いまいちぴんとこんのどす」
「ああ、術式は視覚的に捉えるものではないからな。感覚で、となると難しいか」
「そゆこと、どすなたぶん。どうにかして勉強しやすくできんやろかて思うたんどすけど」
彼は口端を上げて笑う。
「この障子の向こう側の部屋に、術式を文章化して表示することのできる部屋ならばあるが」
日照雨は驚いて、視線を障子扉へと向ける。
ずっと閉ざされたままになっていて、彼女の力ではぴくりとも動かない障子。
日照雨は、彼が装飾的な意味合いで障子として創っているだけで、ただの壁なのだと思っていた。
「障子に向こう側なんてあったんどすか」
「あったも何も……。ん、お主覚えておらんのか」
日照雨は視線を彼に戻し、首を傾げる。
「そうか、幼い頃の記憶じゃから忘れてしもうたのか」
「何の、話どすか?」
彼はハンバーグを一口頬張り、咀嚼する。ご飯もパクパクと口に含んで、良く噛んだ後に飲み込んだ。
茶碗を置き、箸も置く。
「雨子が一人歩きをするようになった頃じゃったかな。障子の向こう側の空間で迷子になってしもうたことがあっての」
「迷子……。うち、全然覚えとりません」
「そうか。向こうの空間は思うがままに増築を繰り返しておったところがあっての、入り組んでおるんじゃ」
「それで迷子になったんどすな」
「うむ。帰り道が分からんようになって、わんわん泣き叫んでのう。それから数週間、一時もわしの傍から離れようとせんかったわ」
ぼふっ、と日照雨の顔が真っ赤に染まる。彼の顔を直視できずに目を逸らした。
彼は懐かしそうに続ける。
「向こうには勝手に使用されても困る部屋が多いこともあっての、出入りを封じたと言う訳じゃよ」
「そ、そやったんどすか」
胸がばくばくと高鳴っていて、美味しいはずのハンバーグの味が全く分からない。
「妖術の修行のために使わせてやらんこともないが。流石に迷って泣くことはあるまいな?」
「大丈夫やとは、思います」
その後も、彼は日照雨の幼い頃の記憶が湧き出してきたのか話を続けた。
誤飲をして大変だったとか、数年前まで続いていた寝小便の話。結界の外で妖怪に襲われた際は、大声で泣き出してしまって困っただとか。
日照雨はその間、耳まで真っ赤に染めて食事をつづけていた。味は全く分からない。
食べ終える頃には彼の話も終わった。日照雨は目尻に大粒の涙を浮かべたまま、逃げ出すように食器を下げた。
少し遊び過ぎたかと思いながらも、彼は反省をしている様ではなかった。
「む、もう返信が来たか」
ひらり、どこからか封筒が舞い落ちてくる。
宛名に「先生へ」と書かれたそれは、彼が触れるまでもなく開封される。
中に入っていた便箋には「僕が行くことになったから、鍵開けといてね」と丸っこい字で書かれていた。
翌日の昼過ぎ。
日照雨は彼に連れられて、障子扉の向こう側に伸びる廊下を歩いていた。
肩を出したカットソーに、短い丈のプリーツスカート。そして黒タイツといういつもの服装で、音の鳴る板張りの廊下をぎしぎし歩いている。
「ほんまに入り組んどりますな」
「整然と設計をしておれば、こうはならんかったんじゃろうがな」
先を進んでいた彼が足を止める。土壁を眺めながら歩いていた日照雨は、ぼふっと彼の尻尾に衝突してしまった。
彼はそれを構う様子もなく、襖をスコンッと開いた。
「この部屋で合っておったか」
彼が足を踏み入れると、室内は自然と明るくなる。鼻をさすりながら、日照雨も後に続く。
床も壁も天井も、継ぎ目一つない滑らかな一枚の板で覆われているような部屋だった。
襖が自動で閉まる。すると、入口がどこであったかすら分からなくなってしまう。
「何もない部屋どすな」
「物置部屋ではないからな。雨子や、早速じゃが掌に燐火を灯してみい」
「火の玉をどすか?」
「うむ。さすれば、この部屋の仕組みを理解できるじゃろて」
日照雨はこくりと頷き、術式を組み立てる。
妖術を使うためには三段階の手順が必要となる。最初に術式の構築。次に妖力の変換。そして、術式の起動。
流石に毎日練習しているだけあって、手際良く小さな火の玉を掌の上に灯した。明るさや熱は感じるが、術者である日照雨を焼き焦がすことのない炎。
「ほれ、そこの床に文字が浮かび上がっておるじゃろう」
彼の鼻先を見やると、青白い光で文字が刻まれているのが見えた。
「それが術式を文字で表現したものよな。人間の言語ではないが、妖術を使える者であれば自然と理解できる文章のはずじゃ」
「ほへぇ」
恐らく、この部屋そのものが大きな一つの妖術なのだろう、と日照雨は考える。そしてそれを創ったのが、傍らにいる九尾の妖怪狐であるのだろうと。
日照雨は掌を閉じる。すると、火の玉は一際大きく燃え上がってから消えた。
「文章の消去は念じるだけで行える。詳しい使い方は、習うより慣れろじゃな」
日照雨は、別の妖術を発動させるために術式を練り上げる。すると、青白い文字が床に刻まれていく。
日照雨はその文字をじっと見つめて、ぐっと掌を強く握りしめた。刻まれていた文章の一部が、違うものへと書き換わる。
そして、起動した。
ぽふっと気の抜ける破裂音がして、紙吹雪が舞い上がった。
「おおっ。これ一回術式を作ったあとでも訂正しやすくてええどすな」
「そう言った利点もあるな」
「この部屋、うちが使うてええんどすか?」
彼は柔らかく頷く。
「構わんよ。その代わり、しっかりと修行に励むようにな」
「はい、旦那さま」
日照雨は嬉しそうに目を細めた。
「あ、せや。旦那さまが妖術使うんも見てみたいどす」
「ふむ。ならば、修行の補助を行う何かでも創ってやるか」
日照雨の刻んだ術式がスッと消えた。
彼はおもむろに右前足を上げる。そして、トンッと軽く床を叩いた。
その瞬間、室内は青白い光に包まれた。
日照雨が構築した術式とは精度も規模も何もかも違う、複雑な、しかし精密な術式。それを表現する文章が、床だけでなく壁や天井にまでびっしりと刻まれている。
「はわ……」
予想以上の出来事に、日照雨は目を見開き口をあんぐりと開ける。
「この部屋までの送迎機能も付けておいたから、一人で利用する際も迷子になることはないじゃろ」
そして、妖術が起動される。
文章量に対して、日照雨の目の前に現れた物は彼女の掌程度の大きさしかなかった。
紅色に燃え上がる狐火は、スーッと空中を滑らかに移動して、日照雨の傍らに寄り添う。
「修行の際に困ったことがあれば、それに相談すると良い。妖術の本に書かれておる内容は解説出来るようにはしておいた」
「ほんまにありがとうございます、旦那さま」
「うむ。わしは先に部屋へ戻るが、お主は少し遊んでおれ」
彼を見送って、日照雨は改めて狐火に向き直る。
「よろしゅうお願いします」
ぺこりと頭を下げると、狐火は熱量を変化させて反応した。
「えっとどすな、うち妖術でやってみたいことが二つあるんどす」
ぴんっと人差し指を立てる。
「水仙さまにお日さまを見させてさしあげたいのと」
中指を立てる。
「ぬいぐるみを妖術で作ってみたいんどす」
狐火は、ゆらりゆらりと漂う。
突然、床の上に青白い文字が刻まれた。それは術式を表す文字ではなく、日照雨も読むことのできる日本語だった。
『目標を設定しました。難易度の関係から、ぬいぐるみ作成の優先順位を上げます』
「えっと、これ狐火はんどすか?」
『はい。日照雨妖術修行支援狐火が正式名称です』
「狐火はんでええと思う」
日照雨の呟きを無視して、狐火は別の文字を刻む。
『指導は妖術理論本に則って行います。現在どこまで修めておられるか試験を行いますが、宜しいですか?』
「……難しい漢字はよう読めんのどすけど」
狐火はわざわざ、それぞれの漢字に読み仮名を振った。
「ん、大丈夫どす」
『それでは開始します』
狐火が揺らぐ。
実力把握のための抜き打ち試験が始まった。
彼が部屋まで帰ってくると、そこには既に来客の姿があった。
「もう来ておったか」
黒髪おかっぱ頭、橙色の質素な和服に身を包んだ小柄な少女。金柑は、胸に抱いたスケッチブックに文字を浮かび上がらせる。
『もう来ておったよ、先生』
彼が畳みの上に伏せると、金柑はその体の上に腰かけた。スケッチブックは膝の上に置いて、表は自分の方に向ける。
「あれに頼んでおったことは無事終わったそうじゃな」
『うん、おばあちゃんは凄いよねー。でも、解析なら先生もできたんじゃないの?』
「解析だけならばな。他の解析結果との照合とまでなると、わしよりもあれの方が優れておるよ」
『そっか』
彼は、金柑がスケッチブックに浮かばせる言葉を目にすることなく、彼女との会話を成立させる。
『そいえば、雨ちゃんの姿が見えないみたいだけど?』
「妖術の修行をしておるよ」
『勉強熱心だなぁ』
「お主が不勉強なだけじゃよ」
彼の尻尾が一本、ヒュィッと金柑の頭を軽く打つ。金柑はくすぐったそうに笑った。
「それで、お主が解析結果の報告をしてくれるのじゃろう?」
『うん、手紙に書くには量が多いからっておばあちゃんが』
金柑は着物の袖口に腕を差し込んで、ごそごそと何かを探る。勢い良く抜き出した手には、分厚い紙の束が握られていた。
『はいどうぞ』
彼は差し出された報告書の束を受け取る。
「この量を読むとなると、いささか時間がかかるな」
『なんか、検証結果のところを最初に読んでって言ってた』
「ふむ」
パララララ、と紙が風もなく捲られる。そして、毛筆で「検証結果」と記された頁に達した。彼は静かに目を走らせる。
その間手持ちぶさたな金柑は、彼の体で遊ぶことにした。
毛並みに沿って彼の体を撫でると、形容しがたい気持ち良さで胸が震える。金柑は揉み揉みと彼に触りながら、至福の表情を浮かべていた。
『あーもう先生は触り心地良すぎだよほんと』
「何をしておっても構わんが、あまり邪魔はせんでくれ」
『……ごめんなさい』
彼の体に触るのを止める。しかしそれは長く続かず、標的は体から尻尾へと移った。
ギュムッと思いっきり抱きついてみる。体よりも更に毛深く柔らかくて、気持ちいい。金柑は弛緩し切った笑顔を浮かべた。
「同一作者と思われる武具が保管してあったか。作者は……ふむ」
『僕は全然読んでないんだけど、どんなことが書いてあるの?』
「こりゃ、あれに頼んでおった情報収集も近い内に結果が出そうじゃな」
『せんせーい、僕の話聞いてるー?』
「いや、お主は喋れんから声は聞こえんが」
『聞こえてるじゃーん』
金柑が今一度尻尾を強く抱きしめると、彼は尻尾を大きく前後に振った。
突然の出来事に対応できず、金柑はバランスを崩して畳の上に転がり落ちた。
畳の上で大の字になって、天井を見上げる。足だけはまだ彼の体の上にあり、着物が乱れて細い脚が露わになっている。
同じく畳の上に投げ出されたスケッチブックに『いったたぁ~』と文字が浮かび上がった。
「して、お主が持ってきた物はこれだけか?」
『うん。後はそうだ、おばあちゃんが先生に会いたがってたよ』
彼は胡乱な表情を浮かべる。そして、深くため息をついた。
「わざわざわしを呼ぶために持って来させんかったな」
『ほよ、なんのお話?』
「乙女心を忘れん婆さんの話じゃよ」
『先生の方がおじいちゃんじゃん』
彼に睨まれ、スケッチブックの字は瞬時に消えた。代わりに別の言葉が浮かび上がる。
『先生はまだまだ若い!』
「いやそれもどうかとは思うが」
『じゃあどう言えばいいのさー』
金柑は彼の体から足を退け、起き上がる。和服の裾を直してから、勢いを付けて彼に抱きついた。
彼はそれを優しく抱きとめ、尻尾で彼女の頭をぽんぽんと叩いた。
床の上にぺたんと座っていた日照雨は、むっとした表情で顔を上げる。
そして、膨らんだ頬の空気を吐き出した。
「お手上げどす」
ギブアップ宣言と同時に、床に刻まれていた青白い文字は書き消える。そして、狐火の言葉が浮かび上がった。
『第三章までは修めておられるようですね』
「最後のはやっぱり第四章の内容だったんどすか?」
『その通りです。設定が完了しました。それでは、補助が必要な際はお呼び付けください』
「わかったどす」
突然、ガガガッと狐火からノイズが漏れる。日照雨は驚いて、体を縮こませた。
「今日はそれくらいにして、一旦部屋に帰ってこんか」
狐火から聞こえてきたのは、愛しの彼の声だった。
「こないな機能もあったんどすか?」
「一々わしが呼びに行くのも面倒じゃしな」
「それは、そうどすな」
「金柑が茶菓子を持って遊びに来ておる。茶を入れてはくれんか」
「はい、旦那さま。すぐに戻ります」
日照雨は立ち上がり、ぱっぱっとスカートを払う。ぐるりと部屋を見回すが、出入り口がどこだったかわからない。
「あの旦那さま、出口がわからんのどすけど」
「狐火が案内する、安心せい。それでは待っておるぞ」
ガガガッと再びノイズがこぼれて、狐火から音は聞こえなくなった。
ヒュイーッと狐火が空中を滑り、壁の前へと移動した。日照雨がその傍まで寄ると、スコンッと音を立てて扉が開いた。部屋を出る。
「道案内よろしくお願いします」
頭を下げるが、廊下では狐火の返事は見えない。
狐火は日照雨の歩調に合わせて、彼女を先導する。角を右に曲がり、左に曲がり。ややして、暖かな光が視界に入った。
「おお、迷わんで帰ってこれたどすな」
狐火は頷くように日照雨の体の周りをクルクルと回る。そして、ジュッと音を立てて消えた。
日照雨は障子を開けて部屋の中へと入る。
「ただいま戻りました、旦那さま」
「お帰り」
「狐火はんが消えてしまいどしたけど」
「廊下へ出れば自ずとお主の周りに現れる」
「それなら安心どすな」
安堵の息を吐く。と、視界の端に自分よりも小さな外見の少女を見つけた。
そちらを向くと、彼女の膝の上に置かれたスケッチブックに文字が浮かび上がる。
『雨ちゃんおひさー』
その外見と容姿、紅色の瞳を見て、日照雨は手を打つ。
「金柑さま、お久しぶりどす」
『うんうん。雨ちゃんは少し見ないうちにすっごく可愛くなったねー』
「わしの嫁を口説くでない」
『いやいやいや、僕も先生のお嫁さんなんだけど!』
彼のボケも金柑のツッコミも理解できず、日照雨は首を傾げる。
『まあいいや。お茶菓子あるから、食べよー?』
「あ、はい。お茶を入れるんどしたな」
とてて、と日照雨は台所へ向かう。
『いてらー』
開きっぱなしの襖から日照雨の後ろ姿を眺めながら、金柑はスケッチブックに文字を浮かべる。
『雨ちゃんは良い子だよね』
「お主よりな」
『なんか僕、いじけちゃいそう』
シクシクと、泣き真似の仕草をする。
「雨子をあれに紹介することも兼ねて、寺に参ることにする」
『あ、うん。おばあちゃんにもそう伝えとくね』
「泣いておったんではないのか?」
『うぇーん』
そう文字は浮かべながら、金柑は袖口に腕を差し込んで何かを探る。
その時、突然台所から小さな破裂音と悲鳴が聞こえてきた。
「日照雨?」
彼の心配そうな声に、上擦った日照雨の声が返ってくる。
「な、なんでもありまへん! 試しに妖術で湯を沸かしてみたとか、そないなことありまへん!」
「失敗したか」
「あ。えと、成功はしたんどすけど、ちょっとびっくりしてもうただけどす」
それからすぐして、こぽぽぽぽ、と茶の注がれる音が聞こえてきた。同時に、茶の良い香りがこちらの部屋まで届く。
『んっし見つけた。お菓子の準備をしようかなー』
勢い良く抜き出した金柑の手には、お土産屋さんでも売っていそうなクッキーの箱が握られていた。ビリビリと、点線に沿って箱を開ける。
『全部で十二個だから、一人四個ずつかなー』
楽しそうにお菓子の準備をする金柑を尻目に、彼はあからさまに不満そうなため息をついた。
「あ、それくっきー言うやつどすか?」
茶の入った湯呑をちゃぶ台の上に並べて、日照雨は座布団の上に座る。
金柑も座し、彼は狐の姿のままちゃぶ台の傍に伏せた。
「旦那さまは食べられんのどすか?」
「茶は貰うが、菓子は二人で分けて食うと良い」
『そんじゃお言葉に甘えて二枚ずつねー』
「あ、はい」
彼はぶつくさと悪態をつく。
「茶菓子と言うたら和菓子に決まっておろうが」
『僕は一言も和菓子とは言ってないけどね』
ニヒヒ、と悪戯が成功した子どものような笑顔を浮かべる。
『先生は洋食は大丈夫なのに、洋菓子は嫌いなんだよねー』
「そうなんどすか?」
『うん。僕が最初に居たお屋敷はさ、お客様には洋菓子を出してたのね。で、先生は一回も食べなかったの』
金柑の笑顔が固まる。ジッと鋭い紅色の瞳に睨まれ、慌てて目を逸らした。
「確信犯だったわけじゃな」
『不可抗力です』
ビシッと彼の尻尾が金柑の体を打つ。
『あぅっ』
日照雨は普段とどこか違う彼を眺めて、楽しそうに顔を綻ばせた。