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第十話 境内の掃除

 まだ空気の冷たい早朝。

 歴史を感じさせる寺院の広々とした境内の一角に、日照雨はいた。

 腰ほどまである艶やかな黒髪は首の後ろで縛り、眉の高さで切り揃えた前髪は寝ぐせで多少乱れている。

 小柄な彼女の背丈よりも長い箒を両手に持って、境内を掃いていた。

 見渡せば、彼女以外にも数人の坊主が境内の掃除を行っている。一つ目小僧にのっぺらぼう、ろくろ首だろうか。黙々と掃除に勤しんでいるようだ。

 寺の陰から、欠伸を噛み締めながら金柑が姿を現した。

 橙色の着物に身を包んだ小柄な彼女は、日照雨を見つけると小走りにやって来る。

『おはよーう雨ちゃん』

 胸に抱いたスケッチブックに、元気良く文字が浮かび上がった。

 日照雨は手を止めて、にっこりと笑う。

「おはようございます、金柑さま」

『朝の掃除のお手伝い?』

「はい。ご飯の準備とかしてもらうお礼に」

『そっか。雨ちゃんは偉いなあ』

 金柑は感心するように頷く。

『それにしても、雨ちゃん着物姿だったからびっくりしたよ』

「柳木さまに着付けしてもろうたんどす」

 紺色の質素な着物の袖口を掴んで、見せびらかすように体を動かす。

 からんころん、と履物が軽快な音を立てた。

『着物でおそろいだね』

「そうどすな」

 二人は顔を合わせて笑顔を浮かべた。

「金柑さまは自分で着物、着れるんどすか?」

『脱ぐことがそもそも少ないけど、一応できるよ』

「ほへー。うちも着付けできるようになりたいどすな」

『僕は教えるの無理だなー。年長組の三人ならできると思うけど』

 日照雨は首を傾げる。

「年長組言うと、どなたなんやろか」

『えっとね、お婆ちゃんに黄土太夫に月華だね』

「おうどだゆう?」

『ん、黄土にはまだ会ったことないんだっけ』

「ない、思います。月華さまも着付けできるんどすな」

『時々着てるよ。僕も数えるほどしか見たことないけど』

「ほへぇ」

 ごくり、生唾を飲む。

「……想像つきまへんな」

『あはは』

 ころころと笑いながら、金柑は日照雨の首に提げられた指輪を目に留めた。

『ん、そんなの持ってたっけ』

「宝物庫行った時に、旦那さまにお願いしたらくれたんどす」

『ふーん。ってことは、何か術式が入ってるのかな』

「悪いことが起こらんようになる、言うとりました」

 ふむふむ、と興味深そうに頷く。

『なるほどね、僕の妖力と同質の物なのか』

「金柑さまの妖力どすか?」

『うん。僕の食糧は不運で、妖力は幸運付与だからね。まあ、主観に影響される力ではあるんだけど』

 日照雨は目をぱちくりとさせる。

「宝くじとか当たるんどすか?」

『んー、引く側の運勢を上げたらね。引かれる側の運勢を上げると、誰も当たらない』

「んい?」

『まあそれはそれとして、ね。その指輪、結構な代物だろうから大切にするんだよ?』

「はい」

 大きく頷く。

『そんじゃあ、朝ごはんの時間まで適当に散歩してるね』

「あ、はい。お気をつけて」

『結界内は安全だし、僕に不幸は起こりえないけどね。ばいばーい』

 手を大きく振りながら立ち去る金柑に、日照雨も小さく手を振る。

 その姿が寺の陰に隠れたところで、掃除を再開した。

 とは言え、坊主たちによって毎日手入れがされているのだろう。境内には綺麗であり、所々に落ち葉が舞っている程度であった。

 箒で地面を撫でる。その音が、跡が、心を和やかにしてくれる。

 坊主に言われた範囲を掃き終えると、のっぺらぼうの坊主がちり取りを持ってこちらに向かってくるところだった。

「ありがとう。手伝ってもらったお陰で、いつもより早く終わりました」

 爽やかな青年の声。目も口も鼻も無いため表情はわからないが、微笑んでいるように感じられた。

 労われて、日照雨は嬉しそうに笑う。

 のっぺらぼうは、集めた埃やら落ち葉やらを手際よくちり取りに集める。立ち去ろうとして、日照雨に向き直った。

「もう少ししたら朝食の時間になるから、あの一番大きな部屋はわかりますか?」

「お食事をする部屋どすな?」

「ええ。そこにいらしてくださいね」

「はい」

 のっぺらぼうは満足そうに頷くと、ゆったりとした足取りで立ち去った。

 日照雨は大きく息を吐く。肩の力を抜いて境内を見渡した。既に他の坊主たちの姿はなく、昨日よりも少しだけ綺麗になった境内が広がっていた。

 風が頬を撫でる。

 葉の擦れる音が、耳に心地よく響いた。

 音のした方へ視線を向ける。そこには一本の柳の木がそびえていた。枝垂れた葉が、妖しく揺れている。

 じっ、と何をするでもなくその柳を見つめる。数度、心地の良い風が頬を撫でた。

「ご飯に遅れたらあきまへんな」

 日照雨は我に返ると、小走りに寺の中へと戻っていった。

 ざわり、風に揺られて柳の葉が音色を響かせた。


 日照雨が部屋の障子を開けると、既に坊主たちがまばらに座っていた。

 十数人分の膳がそれぞれ等間隔に並べられており、床の間近くの席に金柑が座っていた。

 彼と柳木の姿はまだないようだ。

 日照雨は何となしに、戸から一番近い膳の前に腰を下ろした。

 直後、坊主たちが慌てて立ち上がる。

「あ、あわ、たた……!」

 何かを言おうとしたろくろ首の頭が、勢い余って畳の上に落ちる。

 一つ目小僧は落ち着かない様子で、大きな瞳をギョロギョロと動かしている。

 突然の出来事に、日照雨は体を小さくして目尻に涙を浮かべた。助けを求めるように金柑を見る。

 金柑は苦笑いを浮かべながら、スケッチブックを日照雨へと向ける。

『雨ちゃん、こっちおいで』

 日照雨はこくこくと頷いて、畳の上を膝立ちに歩き出す。

 立ち上がった奇妙な姿勢のまま、坊主たちは彼女の動きを目で追った。

 金柑の傍まで辿り着いた日照雨は、抱きつくように彼女に倒れかかった。

 抱きとめながら、日照雨の頭を優しく撫でる。

「あ、あの金柑さま。うち何かしてしもうたんやろか」

 不安そうな声。金柑は、スケッチブックを日照雨の眼前に出した。

『雨ちゃんが下位の席に座ると、坊主たちが困っちゃうんだよね』

「かい……?」

『あーうん、先生と二人だったら意識したことないか。説明するの苦手だな』

 金柑は思案する。それから、ビシッと右手で自分の正面の席を指さした。

『雨ちゃんの席はそこだから、他の席に座ったらみんな困っちゃうってこと』

「ふぁ、席が決まっとったんどすか」

『うん』

 日照雨は安堵すると、金柑から離れる。

 立ちっぱなしの坊主たちに向き直ると、ぺこり、頭を下げて謝罪した。

 それぞれが自分の席へと戻り、一息つく。

「ここに座れば良かったんどすな」

『そゆことだね』

 最初からずっとそこに座っていたかのように、日照雨の隣の席に九尾の妖怪狐が現れた。

 大きな尻尾を優雅に揺らしながら、どっしりと座っている。

「あっ。旦那さま、おはようございます」

『おは、先生』

「うむ。良い朝じゃな、日照雨、金柑」

 彼は日照雨の服装に気が付くと、興味深そうに目を細めた。

「柳木に着せてもらったのか?」

「はい、着付けしてもらいました」

「ふむ。よう似合っておるの」

 ぼふっ、と音を立てて日照雨の顔が真っ赤に染まる。蕩けるような照れ笑いを浮かべた。

「えへへ」

『先生、僕も褒めて』

「お主はいつもその服装じゃろう」

『えー』

 障子が静かに開く。

 尼装束に身を包んだ老婆が、静かな足取りで部屋に入って来た。

 紅い瞳が坊主たち一人一人を見つめて、穏やかに挨拶を交わす。

「おはよう」

「おはようございます」

 柳木は彼の正面、金柑の隣の席までやって来ると、ゆっくりと腰を下ろした。

「おはよう、雨ちゃん」

「おはようございます、柳木さま」

 まだ頬を朱に染めながら、挨拶をする。

「お狐様も金ちゃんも、おはよう」

「うむ」

『おはよ、お婆ちゃん』

 静寂。

 柳木はどこまでもゆったりと、静かに、手を合わせた。

 部屋にいる皆も、誰が言うでもなく、それに倣う。

「いただきます」

 そして、合掌。


 朝食を済ませ後片付けも終えて、日照雨は縁側で読書をしていた。

 書いてある言葉一文字一文字を吟味するように、ゆっくりと読み進めている。

 そんな彼女の隣に、柳木が腰を下ろした。皺の刻まれた優しい瞳で、日照雨の読んでいる本を覗き見る。

「妖術の、指南書かしらね」

 しわがれた声。

 突然声を掛けられて、思わず日照雨は飛び跳ねてしまった。

「うわっ、わ、柳木さまおられたんどすか」

「ええ、今しがた。その本は、お狐様から頂いたの?」

「あ、はい。妖術の勉強がしたい言うたら、下さったんどす」

 栞を挟んで、本を閉じる。

「雨ちゃんはもう、妖術を扱えるようにはなっているのよね」

「ちょびっとどすけど」

「そう。雨ちゃんの妖術、見てみたいわ」

 柳木は楽しそうに笑う。

「え、あ、う……」

 無下に断る訳にもいかず、視線を泳がせる。

「駄目かしら」

「そないなことは、ないんどすけど」

「んー。じゃあこうしましょう」

 手を合わせて、顔をしわくちゃにさせて笑う。

「雨ちゃんが妖術を見せてくれたら、お狐様のお話をしてあげましょう」

 あからさまに日照雨の表情が変わる。

「旦那さまのお話どすか」

「ええ」

 日照雨は唇に指を当てて、視線を宙に投げる。何やら考えて、それから頷いた。

「わかりました。恥ずかしいんやけど、妖術やってみます」

「まあ嬉しい。ありがとうね、雨ちゃん」

 穏やかな笑顔を向けられて、日照雨は思わず照れ笑いを浮かべた。

 正面に向き直る。

 掌を握りしめて、ぎゅっと目をつぶった。

 術式の構築を行う。日照雨の体が淡い光に包まれた。

「ん、し」

 次に、妖力を流し込む。そして、起動。

 ぷすんっ、と気の抜ける音がした。紅い光で形作られた、九尾の妖怪狐の姿が軒先に現れる。

 光はまるで意思を持っているかのように、優美な動作で歩く。そして、空気に解けるようにして消えた。

「今のはお狐様なのかしら」

「あ、えと、はい。旦那さまのぬいぐるみ作りたくて練習しとったらできるようになったんどす」

「ぬいぐるみを、妖術で?」

「作ってみたいな、て」

「それは素敵ね。今の妖術も、とても綺麗だったわ」

 日照雨は、にひっと笑う。

「ありがとうございます、柳木さま」

「今度はわたしの番ね。ええと、どう話したら良いかしら」

 すっ、と手を伸ばす。

 淡い緑色の光が掌から零れ落ちる。風に煽られて、宙へと舞い上がった。

「そうね。ここの結界の外は見たわよね?」

「廃寺だったどすな」

「ええ。結界内の物は全て、そのお寺にまだ人が居た時の姿のままなの」

 ゆっくりと、柳木は話し始めた。


 身よりのない者たちを進んで弔っていたこともあり、その寺は奇妙な目で見られていたらしい。

 和尚は人柄の良い人物で、いつも経を上げていた。

 境内に生えていた柳の木は、ずっと、ずっとずっとその経を独りで聴き続けていた。

 一年、二年、十年、二十年。

 時代は変わり、歳月は巡り。

 和尚は後継者もなく、その生涯を終えた。経を上げる声は途絶え、見る見るうちに寺は朽ち、壊れていった。

 柳の木は何もできず、その光景を眺めていた。

 自分に手があれば、足があれば、体があれば……。

 そんなある日、一匹の妖怪狐が寺を訪れた。

 彼は寺の中へ入って行き、しばらくして出てきた。

 彼は、柳の木陰に腰を下ろした。

「此処は立地も良く気に入った。わしの住処としたいのじゃが、構わんか?」

 話しかけられている。

 柳の木は驚いた。彼は延々と、話しかけてくる。

 もし口があれば、話すことができるのだろうか。耳があれば、もっとその言葉を聞けるのだろうか。

 その柳の木は、遥か昔からそこに立っていた。寺のできるずっと前から、長い歳月を生きてきた。

 長寿は、それだけで特別な力を生み出す。

「ええ、構いませんよ。ただ、お寺を以前のように綺麗にしてもらいたいのです」

 柳の木は心の中でそう思った。

「そうか。じゃが、わしは寺のかつての姿は知らん。お主が自身で直すしかないじゃろうな」

 自分の感情に対しての反応。

 柳の木は不思議に思う。この妖怪は、植物の心を読む力を持っているのだろうか。

「ん、どうしたそう奇妙そうな顔をして」

 顔。……顔?

 柳の木はようやく気がついた。自分が、人間と同じ姿をしていることに。

「ああ、化けたのは初めてじゃったのか。それがお主の力じゃよ、妖怪としてのな」

 自分の眼で、自分の体を見る。傍らにそびえる柳の木を見る。九尾の妖怪狐を見た。

 そして、嬉しそうに笑った。


「その後はどうなったんどすか?」

「んっとね、雨ちゃんは結界の作り方はわかるかしら」

 柳木を見つめて、ふるふると首を横に振る。

「特殊な術式を用いるの。わたしは普通の妖術も使えなかったから、一から全部お狐様に教えてもらったのね」

「羨ましいどすな」

「ふふ。それで、結界が作れるようになるまでは二百年くらいかかったかしら」

「にひゃ……」

「わたしが急ぐのか苦手だったのと、お狐様も人に教えたことがなかったっていうのが要因でしょうけれどね」

「あの、柳木さまって今何歳なんどすか?」

「妖怪として目覚めてからはまだ千年くらいだったかしら」

「せ……」

 想像もつかない年数に目をぱちくりとさせる。

「さあ、今度は雨ちゃんの番よ?」

「ほえ?」

「お狐様のお話を交互にするんじゃなかったかしら」

「そ、そないなこと言ったやろか」

「ええ」

 悪戯っ子のように、柳木は笑う。

 日照雨は釈然としない様子だったが、彼との思い出を掘り起こしてみる。

「んーと、どすな」

 柳木は穏やかな表情で、日照雨を見つめた。


 寺の一室。

 畳に伏せる彼の影が、女性の姿を模っていた。

「……以上です」

 凛々しい声で報告を終える。

「ふむ。妖怪喰いであることは予想通りと言うところじゃが、二匹か」

「片方は力のある妖怪を、もう片方は物を作ることに長けた妖怪を喰らっておるようです」

「火影、被害に遭った妖怪の詳細な情報はあるか?」

「ここ数年で活動を活発化させたようですが、存在自体は百年近く前から確認されております故」

「無理か」

「いえ、太夫様が取り揃えております」

 彼は愉快そうに笑う。

「そうか。ならば会いに行くしかあるまいな」

「ただ一点、留意して頂きたいことが御座います、殿」

「なんじゃ?」

 火影は声を潜めて告げる。

「太夫様がお二人を迎える準備をされているのですが、まだ時間がかかりそうなのです」

「ふむ。万全でなければあれは機嫌を損ねるからの」

 彼は頷く。

「わかった。もう数日ここで休んでから向かうとするよ」

「そうして頂けると助かります。それでは、拙者はこれにて」

「御苦労じゃった」

「有難きお言葉」

 ぐにゃり、彼の影が歪む。元の狐の影へと戻った。

「妖怪喰いか」

 彼は、静かに笑った。

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