心の底から大嫌い
年取った殿様のところに生まれた若君は、なにがなんでも、
「長じては良い殿様となり、この小さな国を治めました」
と後の世の歴史家などにそう書き残して貰えるような、立派な殿様にならなければならない定めを負っていました。
それは父君である殿様の望みであり、母君の願いでもあったからです。
ああ、父君の望みよりも、母君の願いの方が、強く厳しく若君を締め付けていたと言えるでしょう。
何分にも母君の目の奥で、義理の祖父でもある「都の主上」の目が光っていますから。
先にも語ったように、都の主上は年寄りの殿様にはどうしても手を出すことができない。
手が出せるくらいなら、島流しのような領地替えなどという面倒なことをする前に、すっぱりと首を刎ねています。
でも自分が命じて死なせる必要はない、と思われたのです。
あと数年辛抱すれば、主上の親ほどのご高齢である殿様が、主上より先にあの世へ行かれるだろうことは間違いないのですから、それを待てば良い、と。
年寄りの殿様本人の首を刎ねるより、跡取りの――自分の孫の――首を刎ねた方が良い。聡明な主上がそのように考えになっても不思議はありません。
良い殿様の子供が良い殿様にならなかったという例は、歴史書を無作為に開けば必ず見つかるというくらいに、数多くあります。そして良い殿様ではない殿様を取り除くのは、主上という高い御位の方の仕事の一つです。
それに代が変われば、世情の風当たりもいくらかは弱くなるやも知れませんからね。
そういうわけですから、潰す方としてはは少し待った方が気が楽なのです。
しかし、潰される方はたまった物ではありません。
家がお取り潰しになれば、殿様が困る。家族が困る。家臣達が困る。領民達が困る。
多くの人が辛い思いをする。その辛い思いは、全て殿様の肩にのし掛かる。
不手際から領地運営を失敗して粛正された愚か者として史書に記され、自分が死んだ後も世の終わりまで嘲笑される――。
そうならないための二代目の使命は、取りつぶしにできないほどの名君に……父上以上に良い殿様になること、です。
この十才ばかりの若君は、十歳ばかりの子供であるクセに、こういう大人の事情をボンヤリと判っていた。
君、やはりこういう子供は嫌いでしょう?
私も好きません。こんな子供らしくない子供は……心の底から大嫌いです。
しかし子供当人にとっては、好きも嫌いも言ってはいられない一大事です。別の選択をする余地などは、絹糸一本ほどもありませんでした。
御子は勉学に誰よりも励みました。お世辞ででもなんでもなく、学友の誰よりもよく学んだのです。
剣術修業もしっかり積みました。さすがに小さな子供ですから、他の誰よりも……という訳にはゆきませんが、少なくとも同じ年頃の他の子供よりは数段強い剣術使いにはなりました。
禄高が増える見込みのない小国での貧乏暮らしに耐えるために必要であるならと、修道女のように畑を耕しましたし、お針子のように手先の仕事も習い覚えました。
馬無しの鷹狩り、川魚釣りは当然のこと、獣の解体も、鳥の絞め方も、魚の下ろし方も学び、当然それらを料理する術も教えられました。
将来、料理人が雇えなくなったら……これは経済的なものを理由とするわけではありません。料理人が何者かに買収されてお茶の中に何かを混ぜる可能性も、うっすらと考えた上で……自分でパンを焼かなければなりません。
あれもこれも。とにかくいろいろと学ばねばならないことの多い子供でした。
日の出ている間はほとんどの時間で、何かの勉強か修業か習練をしていました。
昼間息を抜けるのは、午前の学問の時間の後に、姉とも慕う乳母子とお茶を飲む僅かな休憩時間ぐらいでした。
そんなわけで、この若君は「いささか窮屈な日々」を送っていたのです。
もっとも、この子供は他の家のことはちっとも知りませんから、
「世の中の【殿様の家】の子供はみなこんな生活なのだ。自分ばかりが忙しいわけではない」
と思っていたようですけれども。
兎も角も、この御子は運良く愚連ることなく成長しました。
父君である殿様を尊敬し、母君である奥方を敬愛する真面目な子供になったというわけです。
ですから、尊び愛する両親の、そのどちらからの言い付けも、矛盾していることも織り込み済みで、きちんと守っていました。
それでもどうしようもなく押さえきれない好奇心というものがあった様子です。子供らしくない子供にも、幾分か子供らしいところが少しはあったと見えます。
良心から禁じられたただ一つのこと――。
若君には、それが気になって気になって、仕様がなかったのです。
なにがあるために禁じられるのか、なにを自分に見せたくないのか、知りたくて仕方がなかった。
ええ、離宮です。あの、古く小さな幽霊屋敷です。