跡継ぎ誕生
何年か過ぎた頃――。
先ほどもちらりと言いましたが、件の告知天使神殿の神官たちが「失敗」を取り返そうとして、本業の祈祷の方で頑張ったおかげであったものか、殿様と奥方の間に跡取りが生まれました。
新婚の頃、殿様は子供は欲しくないと仰せだったようです。後嗣が無ければ名門の家が取り潰しになると判っていながら、殿様はそう仰ったのです。
二人までも子に先立たれた親の悲しみが、そのように言わせたものでありましょう。
ところが実際に生まれてみれば、殿様はがらりとお人が変わられたのです。
年齢をとってから授かった子だということもあってでしょうか、殿様はその御子を大層お可愛がられました。
目の中に入れても痛くない、というのは、殿様の若君の愛し方を言い表しているのではないか……そう思えてくるほどでありました。
最良の乳母と傅を付け、最高の教師を付け、最強の護衛官を付け、慈しみ、期待し、育てようとなさったのです。
ああ、でも……。殿様の若君の養育についての熱の入れようは、溺愛というよりは愛惜と言い表した方が良いかも知れません。
失いたくなかったのです。手放したくなかったのです。悲しみたくなかったのです。
たった一つの宝が、手中の珠が、唯一の肉親が、自分から離れてゆくことを恐れたのです。
ですから殿様は、御子には薄荷のお茶を決して飲ませませんでした。
馬には決して乗せませんでした。
新しい衣服が仕立て上がりますと、縫い目の奥まで磁石を当てて調べ抜いてから着させました。
君、察しが付きましたか?
殿様も、心の奥底ではご家族の死にご不審の念を抱いておられたのやも知れない、と。
私も思います……おそらく、多分、そうだ、と。
ただし、殿様はそのことを御口に出されるようなことを決してなさいませんでした。
ええ、口に出せるはずなど、ないではありませんか。
殿様がご不審の言葉を発したならば、それが誰の耳に入ったのだとしても、その言葉は一人歩きを初め、殿様の思惑と違う方向で利用されるに違いないのです。
殿様を敬愛する人が聞いたなら、彼らは主上に楯突くかもしれない。
殿様を疎ましく思う者が聞いたなら、彼らが主上に讒言するかもしれない。
どちらに転んでも、都を、いえ国を二分するような争い事に発展しうる。
それは、殿様が一番望んでいらっしゃらないことなのです。
あの方は、争い事が嫌いであられましたから。
いいえ。殿様は若君を「屋敷の外へも出さぬ箱入り」になさったわけではありません。
薄荷のお茶が駄目なのであって、誰かとテーブルを囲んでお茶を飲むことそのものをお禁じになったわけではありません。
乗馬は禁じられましたけれど、戦闘馬車を御する術の習得はむしろお奨めになりました。
尖った針を使わないもの、例えば組紐や織物の技などは、殿様ご自身も一緒になって習得なさろうとしたほどです。
ですから、殿様は先に挙げたの三つのほかのことで、人として成してはならない悪事以外は、一つを除いて全部、若君が願うようにやらせたのです。
ああ、奥方も初めての――そして最後の――我が子を、大層おかわいがりになりました。
殿様に内証で御子と二人きりのお茶会を催して、薄荷のお茶に慣れさせました。
殿様に内密に御子と二人きりで散歩に行った先には、必ず背の低い馬がを待たせてありました。
殿様に内緒で御子の寝室を訪れては、蝋燭の明かりの下でリネンに自分の名を刺繍させらせました。
奥方は殿様が心の底でおびえていること……つまり、ご先妻やその御子等の死に対する不信感……が真実ではないことを証明したかったのでしょう。
奥方は養女とは言えど主上の一族の出ですから、一族の不名誉になるようなことは否定したかったに違いありません。
あるいはご自分の御子には、その「不吉」を乗り越えさせたかったのかも知れません。
まあ、これは私の想像です。奥方の本心が何処にあったのか、奥方ご自身にしか判りません。
奥方は例の三つのほかのことで、悪いこと以外は、一つを除いて全部、御子の思うとおりにやらせました。
ご両親が若君に対して異口同音に禁じたこと……それはあの古く小さな「離宮」へ近寄ることでした。