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クレール 光の伝説「意外な話――或いは、雄弁な【正義】」  作者: 神光寺かをり
聡明なる美しき若君の語るところによると……
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新しいお屋敷

 都から殿様に従ってきた数少ないご家来(けらい)(しゅう)の中には、あまりにみすぼらしい離宮(りきゅう)の様子を見て涙を流した者もいたと言います。

 殿様の都のお住まいは、壮大(そうだい)荘厳(そうごん)優美(ゆうび)華麗(かれい)、光り輝くようなお城でしたから。

 ご家来衆もその美しいお城で働くことを誇りに思っておいでだったのです。気落ちするのも無理はない。


 ですが当の殿様は、その小さな屋形(やかた)を大変にお気に召されたのです。


 筆頭の御家老が、


「あまりに(せま)い」


 と(なげ)かれるのを聞いて、殿様は、


「その小ささが良い」


 と仰ったといいます。


 立派なお城や御屋敷という物は、内装も外装も、その装飾が大層美しいものです。

 しかし美しく広い建物の内部はというと、実のところ薄暗く寒々しいのですよ。


 豪奢(ごうしゃ)燭台(しょくだい)(いく)十もの蝋燭(ろうそく)を立ても、広いお部屋を隅々まで明るく照らすことができません。

 ()で火を()いても、その熱気は上座(かみざ)にまで届かぬことがああります。

 その広い空間に詰める家人(けにん)たちといえば、何事にも格式(かくしき)を重んじ、その言葉はいつでも堅苦(かたくる)しいものでした。誰と何を語っていても、気の休まることがありません。


 小さな屋形の小さな部屋は内装も装飾も寂しいほどに質素でした。

 ほんの少し手を伸ばせば火桶(ひおけ)熾火(おきび)の暖かさに届きました。

 小さな蝋燭(ろうそく)一つで部屋の隅々までが明るく照らされます。

 当地で(やと)い入れた使用人(しようにん)たちは、さすがに最初は都人(みやこびと)の前で堅苦しく振る舞っておりましたが、しばらくすると生来(せいらい)田舎者(いなかもの)の気安さが見え隠れするようになりました。


 ご家族を失い、お心寂しく過ごされていた殿様にとって、この狭さ、気安さは、何よりも嬉しいことだったのです。


 そういったわけですから、都から付き従ってきた忠実(ちゅうじつ)無比(むひ)の家臣が、土地の者から聞き込んだ「幽霊屋敷」の噂をお耳に入れても、殿様は一笑に付したそうです。


「そのような噂など、気にすることはあるまい。古い建物には、ありがちな話であることよ」


 鷹揚(おおよう)にお笑いになった後、若い妻とその周囲には聞こえぬように、


大事(だいじ)ない。都の方が人でない()()の方が多く()んでいる」


 と(ささや)かれた、と……。

 ああ、これは、それこそ噂です。他人の口から出た言葉ですよ。


 兎も角も、殿様が屋形に暮らしている間、殿様御自身は実際に「何か」を見たり「何か」を聞いたりはなさいませんでした。若い後添(のちぞ)えの奥方様も、その目で見たり聞いたりはなさいませんでした。


 ところが家人(けにん)の内には、


「見たという者から聞いたという話」


 をする者がいました。

 あるいは、怪しげな音や声を、


「聞いたという(うわさ)を耳にした」


 と申す者もいました。

 すべて、本人が見聞きした話ではありませんでした。又聞きどころか、それ以上に遠くから聞き込んだ話です。

 不確かなこと、この上ありません。


 殿様はそういった「報告」もまた、一笑に付されました。

 殿様は信心深いお方ですから、悪霊などを恐れることがありませんでした。

 それと同時に、殿様は学者といっても良いほどに学問をよくする方でもありましたから、冥府に行かずに現世を彷徨う者が実在するなどとは信じることがなかったのです。

 それに、そもそも当の「幽霊屋敷」に住み暮らしているご自分自身がそういった者の姿も気配も見聞きしていないのですから、当然といえば当然です。


 ところが奥方は信じてしまわれた。……奥方様は何分にもお若く、真面目で、それに信心深い方でしたから、他人の話を素直にお聞きになってしまわれる。

 ええ。信心深いのならば、神ならぬものの怪異などむしろ信じなくても良さそうなものです。

 同じように信心深い殿様は、悪霊の存在を信じておられないのですから。


 でも、怪力(かいりき)乱神(らんしん)というものは、そういう「神学的に正しい信心」とは無関係な存在のようです。


 目に見えず耳に聞こえぬ存在の、何とはなしに感じる恐ろしさに、奥方は大変お心を乱されてしまいました。

 信心深い御方ですから、当然ご自身で熱心に神へ祈りを捧げられました。


 ですが、不安は晴れなかった。


 奥方は、屋形からそう遠くないところにある古い神殿から神官を及びになられました。土地の者が、その神殿が一番由緒があると言ったのを信用されてのことでした。


 ええ、由緒はありました。古くもありました。

 しかしながら、彼の神殿というのは、子宝祈願の霊験(れいけん)あらたかと評判の、告知天使を守護聖人とする神殿でした。

 つまり、子授けの祈祷(きとう)はお得意でも厄除(やくよ)けや悪霊払いは()()ではない、というのです。

 実際、神官たちはその手の祈祷をしたことがありませんでした。


 それでも若く美しい奥方様から直接、是非にと乞われたなら、できぬと言うわけにもゆきません。

 神官たちは、聖典の、彼らが今まで開いたことのない(ページ)を繰り(めく)り、口にしたことのない御言葉(みことば)詠唱(えいしょう)しました。

 今まで()いたことのない調合の香からは、見たことがないような濃い紫色の煙が湧き出て、屋形に充満しました。


 するとどうでしょう。


 たちまちのうちに、今まで「見た」と()()()()()()()()と、「聞いた」と()()()()()()()()が、「見た」「聞いた」と騒ぎ出したのです。


 君、今(わら)いましたね?

 ごまかす必要はありません。否定しなくてもよいのです。

 確かにおかしな話なのですから。


 ですが、当人たちにとっては笑い話ではありませんよ。

 特に、祈祷が失敗した形になった件の神官たちにとっては、笑うどころではありません。心胆冷え切って体の芯から震え上がりました。

 何分にも奥方様は悪霊よりも恐ろしい顔をなさって、それはそれは大層にお怒りになったのですから。

 殿様のお執り成しがなければ、神官たちがどのような目に遭ったか解りません。


 これは(しばらく)く後のことですが、彼等は「本来の霊験」の方での祈祷を、それこそ命がけで行いました。つまり子宝安産祈願を、です。

 そしてこれが「覿面(てきめん)()いた」ということで、奥方様のお怒りもどうやら収まったらしいのです。


 この話は、すべて「らしい」としか、私には言い様がありません。

 何分にも今となっては皆さま故人となっているものですから、本当のところがどうであったのかは、どうやっても確かめようがないのですから。


 ただ、ご自身がそれを見たわけではないというのに、奥方はこの屋敷にいるらしい「得体の知れない存在」に大変な恐怖を抱かれました。


 老いた配偶者の膝に(すが)って、


「こんな恐ろしいところには住めません」


 と、お泣きになられました。


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