天涯孤独となった少年が語るところによれば
「うわあぁあぁん!」
建物全体を震わせるほどの大きな声を立て、イーヴァン少年が泣いた。慟哭、泣哭という言葉がぴったりとはまる、激しい泣きぶりだった。
「あんまりです、あんまりです、あんまり酷すぎます!」
大声で喚き、泣き、叫びながら、イーヴァンは天井を仰いだ。涙が目尻からこめかみを塗らす。
すると今度は床に付くほどに頭を垂れる。ポタポタと垂れ落ちる涙で、床に小さな水たまりが出来た。
かと思えば、また頭をもたげ、左右に振り回す。庭園の散水装置も斯くや、とばかりの勢いで、涙が……おそらく洟水と涎も含んだ水分が……部屋中に振りまかれた。
「生きているのに! 生きている子供が、そこに居るのに! 目の前に居るのに! それなのに、疾うの昔に、とっくの昔に死んでしまった人たちと……そこには居ない人間と居ることの方を、望むなんて!
そんな酷い、ことを! 惨いことを! そんなことをする親の、どこが優しい人だと言うのですか!
そんなことをしたら、生きている子供が、ここに居る子供が、どれ程、辛く、悲しいことか!」
あまりの大泣きと大声の為に、少年の呼吸は嘔吐くような荒さとなり、言葉が終わる頃には激しく咳き込んで、わずかばかり胃液を吐き出す始末であった。
慌ててエル=クレールが手巾を差し出した。
イーヴァンはそれを乱暴に奪い取った。それでも敬愛する兄弟子である持ち主に一例をすることは忘れなかったが、奇麗な絹の布を惜しむ風でもなく、雷のような轟音を響かせて鼻をかむ。
出せる水分を出し切った彼は、しばらく肩で息を吐いた後、背筋を伸ばして、目も鼻も頬も真っ赤になった顔を真正面……エル=クレールへ向けた。
「僕の母さん……母は、僕の父親だという年寄りが死んでから、ずっとその『死んだ人』のことばかり考えていました。
自分のことを、田舎の小さな別荘に閉じ込めた男を、です。半年に一度か、年に一度か、それくらいしか自分にも子供にも会いに来ない男のことを、です。
考えて、考えて、考えているそのうちに、息子である僕が生きていることを忘れでしまった。それに自分が生きていることすらも忘れてしまったんです。
母さんはたった一人で死んだ。僕は独りきりになった」
イーヴァンはつっかえつっかえ、たどたどしく語った。
胸の内を言葉にするには、イーヴァンの感情は高ぶりすぎていた。
「なんてこと……」
エル=クレールが息を引いた。
イーヴァンの言葉は続く。
「それで、しばらくして、ああ、どれくらいだったか覚えていない。僕はほとんど飢え死にしそうになっていた。その頃、僕がいたところにヨハンナ様が来たんです。
ヨハネス・グラーヴという名前は、父の名前でした。父はそれを僕にも名乗らせていた。
父の後を継ぐことになっていた、父のただ一人の正式な子供……女の子なのに……同じ名前を名乗らせていたんです。
僕もヨハンナ様も、本当の名前で呼び合えば、どうしたって同じ名前の人のことを、父親だった人のことを思い出してしまう。
だからヨハンナ様は、僕には自分をヨハンナと呼ばせたんです。それで僕のことはイーヴァンとよんでくれた――」
イヴァンの頬が、ほんの一瞬赤みを帯びた。
「……それで、ヨハンナ様は僕を迎えに来てたんです。だから僕は、御屋敷へ行くより他になかった。
誰も知った人の居ない、古いお屋敷に」
少年は唇を噛んだ。全身が強張り、小刻みに震えている。
その頭上からブライトの声が降った。
「そいつは大した幽霊屋敷暮らしだったろうな」
声音は穏やかで優しい。
途端、少年が一度は塞き止め、それ以上流さぬようにと必死で堪えていた涙は、彼の心の奥底にある願望と共に、堰を切って溢れ出た。
「だから僕は、僕は一人きりで……一人きりでも平気なように、一人きりでもヨハンナ様を守れる位に、強くなりたくて!」
少年は手の中の手巾で目鼻の周りを乱暴に拭いた。
繊細な刺繍の施されていたエル=クレールの絹の手巾は、もはや乾いたところがなくなっていた。
少年はびしょ濡れのそれを強く握り、
「だから……僕には解ります。幽霊屋敷がどれ程辛い場所なのか、若先生がどんなにお寂しかったのか、僕には解ります」
少年がぐしゃぐしゃになった顔で見たエル=クレールは、晴れやかな笑顔を顔に満たしていた。
「私と君は、同じ悲しさを知っている……。まるで姉弟のようですね」




