期待を裏切る意外な展開をする話
ブライト・ソードマンの太い眉が吊り上がり、眼光が鋭さを増した。
貧乏ドサ周り舞踏劇団の座付き作家兼自称看板俳優の演技力と言うものは、この大男の前ではどれ程のものでもなかった。
マイヨールは急に背筋に冷たいものを感じ、慌てて視線を転じた。
『それにしたって、ソードマンの旦那ときたら、よもやあたしが心中で悪態吐いてるってのを、見透かしているんじゃあるまいか?』
震えながら、彼が目を向けたのは、エルークレール・ノアールの顔だった。
下唇を突き出し、眉間から鼻の頭まで皺を寄せ、眉を下げた、これっぽっちも涙の出ていない泣き顔を、この美しく若い度の貴族に見せつけた。
『この若様はブライトの旦那ほど捻くれちゃぁおられまい』
マイヨールは瞼をパチパチと激しく開け閉めした。声を出すことが禁じられているのだ。眼力だけで若い貴族に訴えかけねばならない。
イーヴァン少年に向けられていた無邪気な乙女のような笑顔は奇麗さっぱり消え失せた。
別の笑顔、微苦笑とでもいうべきであろう幽かな笑みが、頬に浮かんでいる。
「マイヤー・マイヨール。君が途中で突然大声を上げて、私の話の腰を折ったのが、そもそもの原因なのですよ。こういったことを自業自得と言うのではありませんか?」
エル=クレールの微苦笑は、マイヨールの為に作られたモノではなかった。
柔らかな笑顔は、ブライトに向けられている。
何事かを尋ねている。何事かの許可を求めている。
言葉のない問い掛けに対するただ一言の返答が発せられた。
「手短に」
ブライトのすこぶる拘束力の強い「提案」に、エル=クレールは小さく「同意」の肯きを返した。
しかしエル=クレールが口を開こうとすると、彼は、
「三文以内」
と、いう「追加提案」をした。
エル=クレールは一瞬困り顔で首を傾げたが、すぐに微笑を取り戻して、唇を開いた。
右の掌を広げて、
「突然、角提灯を下げた『年寄りの殿様』が部屋に入ってきましたので、若君は大層きつく叱られると不安になりました。
しかし殿様は若君を叱らず、優しい声で、倒れた四脚の椅子と落ちた母子の肖像画を元の位置に直すように仰りました。
全ての片付けが全部済んでから、二人は揃って幽霊屋敷を出ました」
指を三回折りながら一気に話した。
若い貴族はマイヨールが――そしてその脇で彼を引き止めているイーヴァン少年が――目を見開いて呆然とこちらを見ているのへ笑みを返すと、
「お終い」
と告げて、本を閉じるような仕草で両の手を叩いた。
このおどけた一撃が、マイヨールに「踏まれたカエルのような悲鳴」を上げさせるのに充分な衝撃を放ったのだ。
悲鳴を上げながら、それでもマイヨールには脳の片隅で、
『もし言葉を発したら、その途端、間違いなく、ソードマンの旦那の手によって――生物学的にか、物書的にかは兎も角――この世からきれいさっぱり抹消される』
と考えるだけの「理性」は残っていたらしい。
悲鳴という「音」は立てたが、自分の落胆を言葉に、そう、
『若様、そりゃあんまりだ。ヒトに期待をさせながら、ここまで引っ張ったのが、そんなつまらないオチを聞かせるためだなんて!
あすこまで話を盛り上げたんなら、それなりの結末が必要でしょうよ!
やって来たのがお父上であったってのは、百歩譲りましょう。
だからそのお父上が、じつは最初にこの御屋敷に住まわったその時に亡霊共に取り憑かれていたのだとか、実は悪霊共を手なずけ使役して都の偉い人に復讐する機会を窺っていたのだとか、お父上の姿を真似た幽霊が若様を追い出すために一芝居打ったのだとか……。
聞いてる者は、そういう納得できる結末を期待するものでしょうよ!
あたしだったらそういう筋書きにしますよ!』
といったような言葉にしてぶちまけたいという欲求は、どうあっても抑え込まなければならない。
そこでマイヨールは、その文言を頭の中で強く念じ、エル=クレールを見詰めることにした。
己の見開いた眼に心を込めて、己の気持ちが伝わることを願ったのだ。
それは確かに強い眼力ではあった。
エル=クレールは、彼が何か訴えたいのだと言うことを大凡覚った。
しかし何を訴えたいのかまでが伝わってくるはずもない。そんな念力を、マイヨールは持っていなかったのだから、当然のことだ。
そしてエル=クレールは当惑した。
「君は、私の話を気に入らなかったようだけれど……」
マイヨールは激しく首を振った。
『そうじゃない、そうじゃないんですよ、若様! 話そのものが気に入らないんじゃぁない。話の落としどころが問題なんです!』
「私は精一杯、君が求めているような話をしたつもりなのだけれども……。そう、君が求めた、『意外であった話』を」
『ですから、父親が出てきてお終い、じゃあ観客は納得しないんですって!』
マイヤーは何故だか泣きたい気分になった。
エル=クレールの困惑は深まる。
「……私はあそこで化け物か何かが出てくるのが当然の展開だと思っていたのですけれども……」
『そう、そうですよ、若様! こういう話を好むお客はそういう展開を望んで……』
目に涙を浮かべて、マイヨールは首を上下に振る。
「所が、事実、そういう恐ろし気なモノは出てきませんでした」
『それだからいけない。それじゃあ、高まるだけ高まった観客の期待を裏切っちまう』
「……だから私はこれは充分『期待を裏切る意外な展開をする話』だと思って、君に話したのですが……」
本心、困り切って眉根を寄せたエル=クレールは、小首を傾げてマイヨールに問いかけた。
「違っていますか?」
マイヤー=マイヨールの目の前が真っ白になった。
ブライト・ソードマンの部屋が揺れるほど高々とした嘲笑いも耳に入らないほど、茫然として、己を失っていいた。
部屋から追い出され、宿から追い出され、劇団の野営地に戻って行きはしたが、何処をどう歩いたかも、恐らく覚えていないだろう。
ブライト・ソードマンは腹を抱えて笑いながら、窓から頭を突き出して、力ない戯作者の背中が遠ざかるのを指さし、見送った。




