表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
クレール・光の伝説「意外な話――或いは、雄弁な【正義】」  作者: 神光寺かをり
聡明なる美しき若君の語るところによると……

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

18/25

人の影

 ともかくも、若君は頭を上げ、目を開いたのです。


 とは言っても、凛々(りり)しく上を見上げられた訳ではなく、雄々(おお)しく目を見開けた訳でもありません。

 そっと頭を上げ、ゆっくり目を開いたのです。

 縮こまっていた体の中から、針より細く(まぶた)の隙を開けて、自分の体の外側にある世界を、恐る恐るのぞき見た――。そんな具合です。


 その世界は、薄暗い闇に包まれていました。

 目を閉じる前と同じ、暗闇に。

 若君は落胆(らくたん)しました。しかし直後に気付いたのです。

 違う、と。

 同じではない、と。


 自分が(おそ)れ、(おのの)いた、あの真の闇は、そこになかった。


 ぼんやりと、何かが見えるのです。つまり、どこからか、(わず)かに光が漏れてきているのです。


 先ほどの机の上の灯にあって、もう消えてしまった、あの(はかな)げな()()()()とは違う、もっと別の光が、どこかにあるのです。


 そして、ほんのりと、ぼんやりと、()()が見える。


 まるで人の影のような形のモノが、確かに見えた――。


 間違いなく、若君はそれを見たのです。

 御子は眼をこれ以上は開かぬと言うほどに大きく開きました。


 一人の淑女(しゅくじょ)の姿がそこにありました。

 若君にとっては、まるきり見知らぬ顔でありました。


 見知らぬご婦人は、おおよそそ地獄(じごく)には相応(ふさわ)しくない柔和(にゅうわ)面差(おもざ)しで、古風に髪を結って、古風な身なりをしておいででした。

 お顔は真っ白でしたが、これは古風な化粧(けしょう)のためでしょう。昔風の、都会風の、鉛の白粉(おしろい)をべったりと塗る化粧です。そして唇も昔の流行の黒みのある深い赤で塗られ、頬は明るい薔薇(バラ)の色に塗られていました。

 年の頃はおそらく若君の母君、つまり殿様の後添(のちぞ)えの奥方よりも、幾分(いくぶん)かお年が上のように思われました。


 若君はこの婦人に声をかけようとして、()()と気付きました。

 ぺたりと尻餅をついている自分の視線と同じ当たりに、このご婦人の優しげな微笑(びしょう)があるのです。

 たとえこのご婦人がしゃがんでいたとしても、その高さに顔があるはずがありません。若君同様に尻餅をついておいでなのだとしても、それでもまだ高さが合いません。


 ご婦人が若君よりも(はる)かに背が低い、とも考えられました。それほどの小柄であれば、そして床に座っておいでだというのなら、その高さにお顔があっても不思議ではありません。


 しかしそのご婦人の身なりと申せば――胸元より上ほどがぼんやりと見えるだけでしたが――豪華(ごうか)で……ええ、かなり古風というか、流行遅れの意匠(デザイン)ではありましたが、とても洗練(せんれん)されたものでした。

 ご身分の高いご婦人であることは間違いありません。


 そんな方が、腰を抜かして立てぬ腑抜けた若君のように、()()()()()ぺたりと尻餅をついた状態で、そのくせ柔和に上品に微笑んで居続けられるとは、とても考えられません。


 若君は考えました。

 この高さにお顔があるためには、例えば床がそこだけ一段低くなっているとか、あるいは腰より下が床の下に「埋まって」いるか、あるいは胸より下の部分が「無い」状態でなければなりません。


 下半身が無い――!?


 若君は自分の考えに驚き、思わず後ろに飛び退きました。

 尻餅をついていたのに、どうやって飛んだのでしょう。まったく不思議なことなのですが、尻餅をついたままの格好で、どうやってか後ろに飛んで下がったのです。

 狭い部屋です。若君の背や後頭部には椅子や(ターブル)の脚がぶつかりました。木の脚が木の床を引っ掻いて、耳障りな大きな音をたてました。


 ところが件のご婦人は眉一つ動かさないのです。元のままに、柔和に微笑んでおられます。


 不可解でしょう? 若君は何度も瞬きをし、幾度(いくど)も目の辺りを(そで)(こす)り、そのご婦人を見つめ直しました。


 じっと見つめていると、ご婦人の両隣に別の人影が浮かんできました。


 二人の少年でした。


 ちょうど若君と同じくらいか、少しばかり年上と見受けられました。


 一人の少年の顔立ちは、薄闇の中でもはっきり見て取れました。顔色がご婦人と見まごうほどに真っ白だったからです。

 彼は額の広い、利発(りはつ)そうな面立(おもだ)ちでした。


 もう一人は目を()らしに()して、ようやっとその姿をおぼろげに見て取ることが出来ました。どうやらよく日に()けているご様子で、ともすれば闇に紛れるほどに、黒い顔をしていたのです。

 彼は眉の太い、(たくま)しげな面立ちと見えました。


 一目見ただけでは、まるで印象の違う少年達でした。


 ですが若君には、彼等がどことなく似ているように見えました。

 目元口元の形というか、顔の作りというか、雰囲気(ふんいき)がどことなく似通っているのです。


 この少年達は兄弟に違いない――。


 若君は自分の考えに得心して、暗闇の中で幾度か首を縦に振ったものです。


 そして兄弟に違いない二人の面差(おもざ)しは件のご婦人によく似ていました。

 いえ、暗がりではっきり見て取った訳ではないのですが、若君にはそう思えてならなかったのです。


 さすれば、この三人は母子(おやこ)に違いない――。


 直感でした。何の根拠もありません。

 ですが若君にはこの三人が、仲の良い親子以外には見えませんでした。それほどによく似ているように見えたのです。


 そして不思議なことに、ご婦人は別として、二人の少年たちが、別の誰かに似ているようにも思えてきたのです。


 どこかで見た、見知っている顔。

 城下の人々の誰かか?

 お城で働く人々の内の誰かか?

 剣友、学友の誰かか?


 (ノン)(ノン)(ノン)(ノン)

 そうではない。

 もっと、近しい、もっと見慣れた、もっと、もっと……。


 ふっと、若君の脳裏に浮かんだ顔がありました。その顔に、思い浮かべた若君自身が驚いて、思わずその人の呼称を声に出してしまいました。


御父様(おもうさま)――?」


 途端(とたん)、まばゆい光が若君の目玉に突き刺さりました。


 若君は思わず身構え、腕をかざして光を(さえぎ)ってから、(まぶた)を細く開いて、光の差してきた方角を見ました。


 光の中に、人の影が立っていました。


 いや、立っている人影が、光を携えていた、と言う方が正しいのです。


 その人は角提灯(ランタン)を高くかざしました。

 人影はぐっと長く伸びて……。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ