常夜灯《ヴェイヤーズ》
それでもそうやって恥ずかしさを誤魔化すような仕草をせずには居られなかったのですよ。
誰もいないその場所です。人目はないのです。誰にも自分のしでかしたことを知られていないというのに。
問題は、その仕草を、ずっと廊下を向いたまま行ったことでしょう。
あれほど覗き見たい、入りたいと思っていたあの部屋の中なのに、何故かすぐには見る気分になれなかったのです。
振り向き、見てしまうと、本当に底に誰もいないのだと言うことを「知って」しまう。
そのことが、惜しい気がしたのです。
『いっそ後ろを見ないまま、前へ歩を進め、元来た道のりを戻ってしまおうかしら。
いや、それも何やら勿体ない。折角、父母の言いつけを破ってまで「冒険」に来たというのに、たどり着いた場所で何もせずに帰っては、まるで何かを怖れて逃げたようではないのか』
若君は塵を払う動作をし続けている間、逡巡していた……いや、逡巡している間、ずっと塵を払うそぶりをしていた、と言った方がよいでしょうか。
どれ程の時間を、滑稽な塵払い踊りをしつづけていたものか判然としませんが、おそらくは四半刻のそのまた半分ほども経過してはいなかったと思いますが、若君は服を手で払う仕草を止めました。
決心したのです。
そう、決心した。
迷いに迷って、漸く決めた。
『後ろを見る!』
自分の後ろにある空間、おそらくはそれほど広くない部屋でありましょうが、そのの中に何があるのか、この目で見ると決意を固めたのです。
『私はそのためにここへ来たのだ。そのためにここにいるのだ』
若君は何度も何度も心の内で言い、何度も何度も大きく息を吸い、何度も何度も大きく息を吐き出しました。
そして、そっと、首を左にひねったのです。
ゆっくり、少しずつ、視線に沿って闇が流れてゆきます。
壁らしきものが見え、棚らしき影が見えました。それから椅子らしき影、机らしき影が、徐々に視界に入りました。
机らしき影の上には、小さくて丸い、うっすらと赤い色が見えました。
途端、若君の鼻孔は菜種の油が燃える匂いを嗅ぎつけました。
小さな食台の上で、金属の油壺の上の細い口金を締め切る直前まで絞った、小さな常夜灯の、幽かで弱々しい炎が、今まさに消え入ろうとしているところでした。
それに気付いて、慌てふためかないでいられたら、その者は相当に剛胆だといえますまいか。
わずかな明かりのおかげで、ようやくいろいろな影を見分けることができているのに、火が消えれば、その空間は真の闇に包まれてしまいます。
恐ろしいことです。だれでも恐怖に駆られるのではありませんか?
ましてや、一人の子供です。肝の太さを期待するべくもありません。
「あっ」
と短く声を上げ、同時に全身を灯のある方向へ向け、瞬時に足を前へ突き出して、心もとない明かりの側へ駆け寄ろうとしました。
慌てているときと言うのは、何をやっても上手く行かないものですよ。しかも、いくらわずかな明かりに目が慣れたとはいえども、闇の中のことです。
若君は勢い余って食台の脚に膝頭をぶつけました。
食台の脚が床を擦る音がしました。
食台の周りに置かれていた四脚の小さな椅子がてんでバラバラの方向押し動かされ、あるいは壁に打ち付けられ、あるいは何かにぶつかり、あるいは倒れ、大きな破壊音を挙げました。
台の上の灯も、クワンクワンといったような心もとない音を立てて、大きく揺れました。
小さな灯は揺れながら、それでもどうやら仄明るい赤光を発しています。それでもあまりに小さな炎であったため、若君にはすぐに消えて当然に思われました。
小さな光が、己の短慮のために消えてしまう。
不安はそのまま口から飛び出しました。
「消える!」
食台の端から手を伸ばす。
台の中央で揺れている灯を押さえる。
思った通りのことを思ったように成す。
そして灯の揺れは収まりました。
否、否、否。
間に合いなどしなかったのです。




