スイッチ
扉が開かなければ、この先にある物を確かめることは出来ません。
心残りと、自分の力不足と、諦めの悪さと、情けなさとが、若君の胸の中でグルグルと回りました。
そして落胆してあの「扉」に背を向けた若君は、その場に座り込んでしまいました。
総身の力が皆抜けきって、背筋を伸ばすことさえ出来ませんでした。
若君は背中を「扉」にもたれかけました。
寄りかかって、どうにか背筋だけは伸ばしていようとしたのですが、力はどんどん抜けて行きました。ついには首さえも小さな頭を支える事を放棄しました。
後頭部がガクリと後ろに落ち、戸板にぶつかりました。
分厚い木の板と骨のぶつかるゴツリと大きな音がしました。
その後、金属がなにかに当たったような、ガチンという耳障りな音がしました。
ゴツリの音は自分の頭が出した物とすぐに察しが付きました。しかし後のガチンの音の正体は知れませんでした。
音の聞こえた瞬間は、それの正体などどうでも良く、探ってみようなどとは考えもしていなかった若君でしたが、直後に、瞬きさえも間に合わないほどの短い時間の後に、若君は考えを変えました。
倒れたのです。仰向けに、扉を押し開けて、その向こうへ――。
若君には、何が起きたのか判りませんでした。
床に強か頭をぶつけて、ようやく、戸が開いたのだと言うことが理解できました。
扉が開いた。
重い金属音は扉を閉じていた何かの細工が動いた音であったのでしょう。
扉を開ける仕掛けを作動させたのは、おそらく自分の後頭部。それが細工を動作させる開閉釦になる場所と丁度同じ高さにあり、動作させるに見合った力加減でぶつかったのだろう。
仰向けに床に転んで、真っ暗な天井を見上げた状態で、若君の考えはめまぐるしく回転したのです。
しかし体の方は暫くの間寝ころんだままでありました。
何分にも頭を打っているのです。脳の揺れが収まっても、痛みはすぐには消えてくれませんでした。
天井を見上げたまま、何度か強い瞬きをして、大きく息を吐いて、それからゆっくりと身を起こしました。
剣術の師匠から、
「頭をぶつけたときにはあまり性急な動作をするべきではない」
と、教わっていたからです。
のっそりと起き上がった若君は、尻餅をついた格好で前を見ました。つまり廊下の側を、です。
一匹の蛍火虫の明かりは一点に留まって、ゆっくりと点滅しています。恐らく向かいの壁に止まっているのでありましょう。
若君は座り込んだまま、もう一度大きく息を吐きました。そして試みに、小さく、
「嗚呼、痛い」
と呟いてみたのです。
何故、と?
誰かがいれば、その声に答えてくれるやも知れないと思ったからですよ。
万一誰かが居たとしたら、扉の向こうで大きな音がして、扉の仕掛けが動いて、扉が開いて、何かが部屋の中に入り込んできたその時点で、何らかの反応をするのが当然でしょう。
その後に人の声が聞こえたら、悲鳴を上げて驚くか、何者かと誰何するか……良い反応にしろ、悪い反応にしろ、何かしらの変化が起きるはずです。
しかし若様の声は、闇の中に吸い込まれてゆきました。
期待した反応はなく、変化もなく、返答もありません。
この「幽霊屋敷」に居るのは、自分ただ一人であるその事実を、若君はようやく受け入れました。
安堵したような、がっかりしたような、嬉しいような、寂しいような、奇妙な感情が御子の胸の中で渦巻いたものです。
渦が巻くうちに、妙に可笑しくなって大声で笑い出しそうになりました。
若君は可笑しさを堪えました。肩をふるわせながら立ち上がり、頭や背や尻の塵芥を払う仕草をしました。
実際のところは、床には塵も埃も一片たりとも落ちていません。人が倒れても埃が巻き上がらないほど掃除が行き届いていたのです。ない物を払う必要など無いのだということを、頭の中では理解していました。