無い知恵を絞る
ともかくも、若君にとっては、父君たる殿様のご家来と国民は、隅々下々にいたるまで、総ての人々、あらゆる者たち、皆まとめて忠義者。これは疑うべきもなかったのです。
だからその忠義者が、我が身が近寄ってはならない場所へ、近寄るばかりか入り込んだとことを両親に報告したなら、どうなるであろうか?
考えるまでもないことです。最初から判っていた筈のことです。
ところが幼い若君は、実際に事を起こしたその時にようやっと怖くなった。総身がブルリと震えました。
『きっときついお叱りを受け、ひどいお仕置きを受けるに違いない』
父君も母君も、若君に対しては強いお言葉で叱ったり、手を挙げて折檻するようなことはなさらない方でした。
いいえ、ご両親が我が子を甘やかしていたという意味ではありません。溺愛と慈愛は別物です。
何分にも年寄りの殿様は、罪を犯した者に対する取り締まりを厳命なさる方でした。大変高潔なお方でしたから。
そしてその厳しさは、他者に対して向けられるばかりではありません。
ご自身の身を律することにかけては、苦行僧のごとき厳格さをお持ちだったのです。
清廉潔白というのは、実に持って恐ろしい人物のことを指す言葉です。
正義に対して私情を挟まず、曲げることなく正義として行うのが、年寄りの殿様の統治の法でした。
しかし。
この時の若君は、恐怖よりも、しかし好奇心の強さ方がより勝っていました。
『なんにせよ、功を立てればよいのだ。父上様のお心内で。お怒りよりも喜びのほうが勝るようなすばらしい発見をし、冒険を成し遂げればよいのだ』
そしてその功や冒険は、取っ手のない扉のその向こう側に、かならずあるに違いありません。
若君はどうしてもその「扉」の向こうに行きたくなった。
何があるのか判らない、何がいるのか判らない場所へ、どうしても行かねばならないと、自身を追い込んだ。
『行ってみさえすれば、この館が「幽霊屋敷」と呼ばれている理由も、父母が我が身をこの館に近づけさせまいとしている訳も、きっとわかるにちがいない』
身勝手この上ない言い訳です。ですが若君にとってみれば、これは「言い訳」ではなく「真実」でした。
自分を正当化するには、まずこの「扉」の開け方を考えなければなりませんでした。
押したり引いたりといった「普通の方法」で開くとは考えられません。何分にも取っ手がないのですから。
と、なれば、横へ、あるいは上か下へ滑らせる事が考えられる。
若君にとって幸いだったのは、殿様の「新しいお城」には、様々な工夫があり、珍しい家具調度品がいくつもあったことです。そこかしこに様々な扉、窓、蓋がありました。
遠国から献ぜられた戸板を横に滑らせて開ける螺鈿細工の戸棚、丈夫な帆布に細い板をいく枚も貼り並べた上蓋を巻き上げて開ける机、一度軽く持ち上げてから押すと隠し留め具が外れて開く鎧戸、といった物です。
若君はそういった物に触れて育ちましたから、扉と言えば「押すか引くか」という観念じみた物が薄かったのです。
あるいは、父母が目端の利く子供に育てるために、あえて様々な物を周囲においてくれていたのかも知れません。
理由はどうあれ、あのときのような場合には、その環境は役立ったといえるでしょう。
若君は取っ手のない「扉」の前に立つと、取っ手が付くのに丁度良さそうなあの穴に手を掛けて、右や左に横滑りさせてみようと試みました。それがうまくいかないと、上に持ち上げてみたり、下に押し込んでみたりしました。
扉は、開いてくれませんでした。
その程度で諦めるものですか。若君は身をかがめて、件の穴の辺りを良く調べました。
表面を見ただけでは判らない鍵がかかっているのかも知れないではありませんか。
あるいは扉の向こう側から心張棒のような固定装置があてがわれていることも考えられましょう。
鍵穴らしき物は見受けられませんでした。
取っ手がはまりそうな「穴」の周囲には仕掛けのような物は見あたりません。
穴から中をのぞき見た範囲では、戸の開け閉ての障害になるような物も見えませんでした。
これだけ調べて仕掛けが解らないというのならば、おそらく自分の目には見えないところに何か細工があるに違いない。
自分には気付くことのできない、自分には動かせない細工が――。
若君ははため息を吐きました。
ドアを開ける仕掛けが解らなければこの先には行けないのです。
力のある者なら、ドアを破壊して進むことを考えたでしょう。しかし、若君は十歳を少し超えたばかりの子供です。いくらか剣術を学んでいたとしても、扉を打ち破るほどの膂力があろうはずがないのです。




