いざ、高らかに笑わん
……おや? そんな怒ったような顔をして、どうしたというのですか?
なんと? 私の言い様が気に入らないと?
話の主、つまりは「主人公」に対する愛情が感じられない、ときましたか。
これでは聞いている者が「主人公」に共感を持てない、と。
手厳しい。確かに「物語」の語り口としては、あまり良いとは言えませんね。
しかし……言い訳になるのは承知で言うのだけれども……先ほども言ったとおりに、私はこの子供が大嫌いなのですよ。ですから、どうしても厳しい物言いになってしまうのです。
ああ、またそんな顔をして。
私の物言いが気に入らないのですか? それとも「主人公」の子供の「設定」がお気に召さない?
ははぁ。「主人公」に悪感情を抱かせるような語り口が気に食わない、のですね。
それほど私の話が君のお気に召さないというのなら、話はここまでにしてもよいのですが……。
あ、いや、相解った。解ったからいきり立つのはお止めなさい。
椅子に戻って。そうしてくれれば、話を途中で打ち切ってしまうようなことはよしますから。
よろしい。この先はできるだけ君が好むように、なるべく「主人公」に対して優しく、いや中立的客観的に、話を続けましょう。
それで何処まで話しましたか……。
ええ、そうでした。
扉は苦もなく開いたのです。
釘付けに封印されているどころか、ふつうの施錠すらも成されていませんでした。
それどころではない。長い間人の出入りがなかったはずなのに、立て付けの悪さも、ほんの僅かな軋みさえも、まるでありません。
なんの手応えもなくすんなりと、あるいは人が来るのを待っていたかのようにあっさりと、扉は開いてしまった――。
なんと、実に驚くべきことではありませんか。若君の想像どおりには事が進まないのです。
そうして扉が開いてしまったからには、若君は中に入らないわけに行かなくなりました。
立派な殿様になるべく功を立てようと勇んでやってきた若君なのですよ。
名を挙げん、勇者たらん、としてやってきた者が、開け放たれた扉を前にして、何の冒険もせずに、踵を返して後戻りなどできましょうか。
若君は扉の枠柱と戸先の隙から、そっと中の様子を窺いました。
闇――。ただ闇が広がっていました。
戸外の闇夜には目が慣れていた若君ですが、星明かりさえ遮られた幽霊屋敷の中の、真実深い闇の中は、目を凝らしても何も見えませんでした。
若君は何も見えない恐ろしさに震えながら、更に扉の隙間を広げました。
己の頭が入るほど隙間を作ると、不用心にも首を差し入れて、中の様子を窺ったのです。
上から何かが落ちてくるとか、壁際に隠れていた何者かの鋭い武器に首を切り落とされるだとか、そういう可能性など考えも付かないほど、怖かったものでしょう。
そういう心配はせぬのに、
『何か動くモノがあったら、どうすればよいだろう? どのように逃げようか、どちらに逃げようか』
などと、小心にも逃げることばかり考えました。
考えながら、しかし若君は、闇の中に足を差し入れました。
冒険せねばならないという義務感? それも確かにあったのでしょうが、それよりも「好奇心」の方が勝っていたのでありましょう。
中には何かがあるらしく、もしかしたら得体の知れない何者かがいるかも知れない所に対する興味と、誰も踏み入った者のない場所に「一番乗り」をする高揚感――。
冒険は「険を冒す」からこそ冒険なのです。
この子供は愚か者ではありましたが、暗闇の中へ無遠慮に駆け込む程の粗忽者ではありませんでした。
底なしの闇に落ち込むかも知れぬと怖れて、つま先でそっと床を叩き、その場に足場があることを確認すると、用心深く、一歩、ゆっくり、踏み入れました。
当然、無事に、足の裏全体が床の上に載りました。
いや、しかし。
この一歩の先に、安全な床が続いているとは限りません。
そも、この足裏に触れているモノも、安全な床などではないかも知れぬのです。
恐れは恐れを呼び、恐怖は恐怖を引き寄せます。
『せめて明かりが欲しい、戸外と同じ位の、星明かりほどの幽かな明かりがあればよいのに』
そう思った刹那、なんと若君の願いは叶ったのです。
青白く、暖かみのない小さな光が、眼前でぽっと輝いた――。
若君はまたしても腰を抜かしました。尻餅をついて倒れ込みましたが、その御蔭で、尻と手の感触から、この場所が「真っ当な板張りの床」であることを知ることができたのです。
同時にか細い光が、その動きから、先ほど見たのと同じく蛍火虫のそれであることも知れました。
幸運でした。運がよかったとしか言い様がありません。
安堵が若君の体を包み込みました。
そうなると、若君は自身の小心振りが自身で情けなく、そして可笑しくも思えてきました。
その程度には幾分か余裕が出たのでありましょう。余裕は表情に出ます。若君は声を立てずに嗤いました。
人間は「笑う」と力が湧いてくるそうですよ。
なんの、本当に面白可笑しくて笑ったというのではなくてもよいのです。たとい嘘笑いであっても、心にもない作り笑いであっても、あるいは自嘲、あるいは嗤笑冷笑であっても、ともかくも笑えば良いとか。
ほらこのように口角を持ち上げ、眼を細め、胸を揺すって、腹から息を吐き出しさえすれば、脳はそれを「笑顔」だと勘違いするのです。
そのように、私の師が言っていました。
もっとも我が師は「異端的な思想を持っている」という理由を付けられて、都の学会から蹴り出されたほどの、すこぶる付きの「変わり者」であったから、君はこの説を信用しない方が良いのかもしれませんけれど。
ええ、私は我が師の説を信じています。
だからあの時に、尻餅の腰を持ち上げられたのも、若君が自嘲である上に恐怖に引きつったとは言えど、ちゃんと自然に湧いて出た「本物の笑顔」によって、立ち上がる力を得たからだと確信しています。