お国入り
それは君も良くわかっていることだと思うのだけれど……。
君の書くモノに出てくるような、
「田舎の御城の奥の間から文を一通送って、世の中の流れをがらりと変えてしまう」
ような、あるいは、
「何人何十人かの命をいとも容易く消してしまう」
ような、そんな恐ろしい御方などというものは、実際にはいません。
ああいうのは想像上の生き物に過ぎないのです。……都にある御上屋敷に、「親の言うことを良く聞く息子」がいる、というのであれば、話は別ですけれどもね。
大体、主上の寵愛を篤篤く受け、都で権勢を誇っているといったお方は、おおよそご自分のご領地などにはお住みにならないものですよ。
都で仕事をするならば、都に住まねばならないというのが道理というものでしょう? だから例え国元に立派な御城があっても、大抵は都にある御屋敷にお住まいになるのです。
つまり、田舎にある「偉い方の御城」は、城主が偉い人であればあるほど、主たる人がいないのです。
そういった殿様方の国元に建つ御城が、どんな状態なのか、お解りか?
君は、住む者のいない屋敷と聞いて、何を想像されましたか?
人気の無い、薄ら暗い、寂れた古城。閉ざされた窓辺に青白い明かりが揺れ、風の音の裏になにかの「声」が聞こえる屋形。
幽霊屋敷?
そう、ご名答!
でも、君が思うのとは恐らく違っていますよ。
その手の御屋敷が、今君が考え、期待している……つまり、壁が崩れて、床は埃にまみれ、天井に蜘蛛の巣の張った、鼠と蝙蝠の巣窟で、絵の具の剥がれかかった不気味な肖像画が並んでいる、といった場所、という意味ですけれども……そういった「幽霊屋敷」になることはないのですよ。
よく考えてもご覧なさい。都で権勢を振るう、すこぶる付きに『出来の良い』お殿様の国元なのですよ? その方の配下に人がいないはずがない。縁戚の摂政か、信頼深い譜代の国家老が必ずいます。そして、よく働く代官の目が領内隅々に至るまで光っている。
確かに御領地にお住みになって御領地の政に専念しておられるお殿様や、あるいは殿様の留守に権勢を振るう大臣やご家老の御屋敷と比べれば、主のいない本城は幾分か手薄かも知れません。ですが、まったく無人というわけには行かないものです。
むしろ一番偉いお殿様がいない分、働く者達が妙にのびのびと過ごすものだから、いささか騒がしかったりするくらいです。
お解りになるでしょう?
本来住むべき人がいないのに、誰か別の者がいて、すこぶる騒がしい。
ほら、まるきり「幽霊屋敷」ではないですか。
大臣が、家老が、代官が、主の目の届かないところで蠢いている。
――彼等が正しく「人」であるとは限りますまい。
ええ。その御城も、長く「幽霊屋敷」だったのです。
山の奥にある、ボウルの底の様な土地です。四方は高い山に囲まれていて、本当に平らな地面などはは猫の額ほどもありませんでした。
山の斜面にへばり付くようにしてできている集落もあまたありました。そこの人々は段畑を作って麦や蕎麦や果樹や桑を植え、雀の涙ほどの収穫を得て、どうやら暮らしています。
当然、税収は低いものでした。実のところ、|御朱印高《領地の広さに見合った税収》の半分もありません。それを増やしたくても、狭い国土には開拓の余地がありませんでした。
御領内には火を噴く山があったのです。灰が降り、地揺れも時々あります。耕せる土地は限られ、土壌は痩せていました。
ですが、その土地の歴史は大変古く、由緒のあるものでした。
歴史上の高名な人物……あるいは伝説か神話の中の幻なのか定かでないですけれども……その英雄が、一時雌伏の時を過ごした場所だと言われていました。
今となっては役に立たぬ建物がそこかしこに建ち……いいえ、冷え固まった溶岩の下に半ば埋もれて、国中が丸ごと遺跡遺構といった風情です。
そんな遺跡遺構の一つがその御城でした。
崩れた塔があって、埋まった堀があって、潰れた屋根があって、突き出た石柱がある。
そう、君が思うような、幽霊屋敷そのものです。とても人の住める状態ではありません。事実、その城に人は住みません。
高祖が天下を定められてから最初の百年ほどは兎も角も、後の三百年ほどの間で、この土地の「領主」となられた歴代のお殿様方が、実際に土地に暮らしたことは、たったの一度だってありません。
わざわざそこに暮らす必要がないのですから。
領主となられた殿様たちは、主上の信任篤い方々です。何やら大臣であるとか、何やら家老であるとか、丞相、宰相、大将軍であるといった、重要な役職に就いておられる。
そういった、都になくてはならないお歴々が、わざわざ都を離れて、遠い片田舎の「領地」に住むことなどできますか? そんなことをしたら、たちまち都の政が回らなくなってしまいます。
ならば何故、そういった方々が彼の土地を領有することになるのか、お解りになりませんか?
偉い偉いお殿様が、なにか主上のお気に召すこと、しかしそれが目に見え数字に見える報償を与えるほどの功績ではないと事をなさったというときに賜るのが、古い古い英雄に縁のあるこの土地の領主という「名誉」なのですよ。
そう、あの勲章……金座銀座の作業場の隅で、腕の良い職人が作り上げる、あの小さくきれいなバッチと同じことです。
リボンで飾ったあの金属片は、装飾品としての価値は別として、貴金属としての価値はそれほど高くはないということを、ご存じでしょう?
あれは、授けられたという事実が重要で、勲章自体は持っていれば充分のものです。
ええ、万が一にも紛失するようなことがあれば、確かに一大事ではありますけども、それでも、毎日身につける必要のある代物ではないでしょう。
つまり、件の土地の領主になったからといって実際にそこに住む必要はないのです。その土地を領有しているということ、それを主上から与えられたことに価値があるのですから。
勲章が、主上の前に出る時に箪笥の奥から引き出して礼服の胸元を飾ればよいのと同じことです。そこの領主という肩書きがあれば、それで良い。
主上に愛され、信頼されている殿様方は、主上の宮殿に己専用の部屋を与えられ、都に大きな御屋敷を持っておられます。あるいはどこか別の所に広くて実り豊かな領地と立派な御城を持っておいでです。
そのような方が、わざわざ遠くて狭くて寒い所に住む必要がありましょうか。件の土地は、一生涯に一度、物見遊山にお出かけになるの精々のことです。
ですから、古ぼけて崩れ落ちた御城はずっと無人でした。壊れているところが修復されることもありません。もっとも元から壊れているお城でしたから、誰も住めるようにしようなどとは思いもしなかったのです。
壊れたまま「現状維持」させるのが三百年前からの慣わしであったというわけです。
ああ、殿様が一生涯に一度のご旅行を、万が一にもなさった場合のことですか?
万々一、殿様がお国入りした場合に備えて、敷地の隅に小さな可愛らしい「離宮」が建ててあります。ええ、そちらはあくまで「離れ」扱いです。おかしな話ですけれどもね、本邸は崩れたお城というのが建前ですから。
離宮にはちゃんと管理する者がいます。一月に一度床を磨いて、三月に一度庭を掃き清めて、半年に一度窓を開けて風を通し、年に一度は暖炉に火を入れる。
まあ、結局住む者がいないという点では、母屋の方と大差がありませんけれども。
ですから彼の地の領民は、人のいない崩れた御城と、誰も住んでいない離宮を、まとめて「幽霊屋敷」と呼んでいました。
最初は、他のそう呼ばれている屋敷と同じで、比喩や揶揄に過ぎななかったものでしょう。
しかし、ねぇ君。名は体を表すと言うではありませんか。嘘から出た真実というではありませんか。
時が経つにつれ、何もない廃屋をして、そのうちに誰かが「聞いた」と言い、あるいは「見た」と言うようになったとして、何の不思議がありますか。
誰かが言って、誰かが聞いて、それをまた誰かに言って……。
ほぉら、そこは本当に何者かの声が聞こえ、何者かの姿が見える場所となってしまう。例え実際に聞いた者がいなくても、本当に見た者がいなくても、ですよ。
そんな御城に、その殿様がおいでになったのです。