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・第三章(貴方を灯す思いと絆)

 レミーユからサミアローズに向かうにはシャイニーフィール橋を渡る必要がある。シャイニーフィール橋は斜張橋で三車線の道路が立体交差するX字型の橋である。

 レミーユ側から左の道路を行けばサミアローズに、右に行けばカリオペとの国境に位置するメランザニア平原に抜けられる大規模な橋である。

 輸送道路としても利用されるこの橋は、大規模であるが故に道路上に設置されている監視カメラによって適時その情報は国防本部へと送信される。

 その為、一度メランザニア平原の方へ南下し、北上してサミアローズに入ろうとしてもしっかりとその動きは監視されている訳で意味が無い。昨日の作戦会議ではやはり西からサミアローズ東部への一点突破しかないとの判断に至った。

「今回の戦いは長く大変厳しい戦いになりますわ。サミアローズの東部より、アキ達思いの女神によって人々を解放し、徐々に北上して首都ベルファストに入る必要があります。その為にアプサラスも戦いの状況に合わせながら動き、拠点を移動させて行きますわ。マイカ、詳しいお話をお願いしますわ」

「今回の戦いは解放戦です。一時的にその地を解放したとしても、再び奪われれば意味はありません。人々を解放し有志で集まってくれたレミーユの方々とアプサラスでその地を完全に占拠します。人々を解放し、拠点を移動させ徐々に占拠して首都ベルファストに入る。その繰り返ししかこの戦いを勝つ事は出来ません。だから、アキ達思いの女神は私達に同行して」

「それは勿論構わないよ。でも、マイカ達や皆さんの負担になるんじゃ?」

「確かに難しいわ。でも、そうしないと敵は生まれ続けるの。解って。ちゃんと守るわ」

「俺からも。みんな、恐らく議長はある程度の規模の人達を一カ所に集めている筈だ」

「それはどういう意味ですの?」

「Nienteシステムは人の感情を奪いそれをエクス・マキナに転化してる。つまり、人の思い無くして機械兵士は生まれない。サミアローズが早くから議長の目下にあったなら早い段階で装置を人々に装着させている。一度欲を奪われた人々は心が無になり欲を生み出せない」

「なるほど。確かにお兄さんの言う通り欲を生み出さなければ新たに機械兵士は生み出されない。でも、今は機械兵士が生み出され続けている」

「ああ。つまり、人々は何らかの外的要因を受けて欲を生み出し続け、機械兵士を生み出している事になる」

「まさか……[アウロラ]の二人? ヨシカと同じ鎧を纏った二人。違う?」

「間違いない。恐らく彼女達はこの街の何処かで語り続けている筈だ。そう考えると、人々をある程度集めて彼女達の声を聞かせ欲を生み出していると推測出来る。一人、二人に語った所では意味が無いからね。多くの人に語り欲を生み出して移動をしている筈だ。俺達は圧倒的に数じゃ不利だ。ある程度大きな箱に狙いを定め拠点を確保して行こう」

「最後にみんなお願いですわ……。無事に帰って来てね。終わったら乾杯しましょう」

 シャイニーフィール橋対岸の袂には、既に守りを固めたかなりの数のエクス・マキナの[GG]装者、機械兵士達が部隊を展開させている。

「シゲキとエイコウは左右に展開。アキユキ、マイカ、マナは中央に。殿は俺が務める。アキちゃん達はそれぞれ分かれて。守り手は思いの女神を傷付けさせるな」

 カズキは一人目を閉じて思いを巡らせた。

(これが最後だ……。昨日は怒鳴ってしまった……。皆に余計な心配を掛けるな……。年上らしく最後まで笑って役目を果たすんだ……。人として……。保ってくれよ……)

「行くぞ、みんな!」

 カズキは一人冷静に鎧の着装を終えると、そのまま拳を振り抜き、凄まじい凍気が対岸に陣取る相手の集団を襲う。

 カズキの初手による一撃で橋を渡り終えた十人は直ぐさま四方に散って見せる。

「信じてやりな。カズキ達をね。今はアタシらが出来る事をやろうじゃないか」

「サワコママ……はい。みんなを信じますわ」

「それで良いんだよ。そうと決まればアタシらも手伝わせて貰うよ。慣れないオペレーター一人だけじゃ心許ないだろ。ユニ、解ってるね?」

「了解なのです。オペレーター変わるのです。任せると良いのです」

 ユニはそう言って新米オペレーターと交代すると、見事なまでのキーボード操作でカタカタと手際よく何かを打ち込むと直ぐに状況を報告し始める。

「現在最も進行しているのはシゲキさん達なのです。既に西に二キロメートルの位置まで入り込んでいるのです。エイコウさん達は川沿いを北上。アキユキ君、マイカさん、マナちゃん達は北西約一キロメートルにて敵の集団と交戦中。カズキさん達は橋付近で敵の侵攻を食い止めているのです」

「了解だ。メランザニア平原から敵がシャイニーフィール橋に回っている事は無いね?」

「今のところ、それは見られないのです」

「あ、あの、サワコママ? ユニ? 一体、お二人は……?」

「ハーハッハッハ。驚いたかい? これでも昔、アタシ達はウィクトリアの軍にいたんだよ。上の連中と合わなくってね。軍を辞めてカリオペで食堂を始めたのさ」

「そうなのです。ママは艦長、ユニもそこそこ有名だったのです」

 唐突な過去の経緯に何も言葉が出て来ないが、今はこれ程心強い味方はいない。

「力になるよ。現状の把握や指揮は任せておきな。アンタはみんなを信じてあげれば良いさ」

 心強いサワコの言葉にセシリアは励まされ前を向いた。

 シゲキ達が前へと進む一方、カズキは敵の侵攻を食い止めるべく必死に善戦していた。

 セシリアは皆を導く女神。女神を失えば皆失意に飲まれてしまう。

 敵もそれは充分に把握しているのだろう。数に物を言わせて次々と雪崩れ込んで来るがカズキが優秀な戦士だとしても守るのには範囲が広過ぎる。

 その刹那、カズキは背後から何者かが凄まじいスピードで近付いて来る気配に気が付いた。

「ウーリャァァァァァァァ!」

 その者は勢いを落とさず大きくジャンプしカズキの頭上を飛び越え、そのまま右拳に力を込めて地面に拳を叩きつけた。地面には大きく亀裂が入り次々と敵を飲み込むと、拳圧により敵は簡単に吹き飛ばされて周囲との間合いが大きく開いた。

「うん? アンタ、ミカヤかい? ミカヤなのかい? 来てくれたのかい?」

『サワコママ? へへっ。昨日の放送見てうずうすしてさ。アタイも一緒に戦うよ』

「サワコママ、あの方は一体どなたですの?」

「あの子はミカヤ。嘗てアタシの部下だったんだよ。アタシと同じ軍を抜けた一人だよ。あー見えても[GG]装者の腕利きの女戦士さ。頼りがいのある味方だよ」

『セシリア様、某もお力になります!』

 セシリアの耳にも通信を通して聞き覚えのある若い女の声が聞こえる。

「ステラ? ステラなのですわね?」

『はい。遅くなりました。ジュノー近衛隊長ステラ、ただ今より着任します!』

 ステラは予てよりジュノーに仕えていた[GG]装者で、式典の際にはクレハの命によりウィクトリアのイベントに参加する要人を警護していて戦争が始まってからは戻れないでいた。

『このステラ、これからセシリア様の手足となり働いて見せましょう。それに、後方をご覧になって下さい。共に戦いたいと志同じくする者達が参上しています』

 ステラの言葉どおり、後方からはかなりの数のアプサラスやカテドラルの姿が確認される。

『こっちだって負けちゃいねーぜ。見てみろよ、ママ』

 ミカヤの後方にも多くの味方の姿が確認される。

「みんな、聞こえるかい? 後ろの部隊はアタシ達の仲間だよ。みんな立ち上がってくれた。アンタ達の思いがみんなを動かしたんだよ。さぁ、守りはアタシ達に任せな。アンタ達は他の人々を救ってやんな!」

「サワコママの言うとおりですわ。皆さんは前に進んで下さいまし。どうか、暗闇でもがき続ける人々に……アキ、マユ、ユキエ、ヨシカ、あなた達の声を届けてっ!」

 セシリアは通信を終えた瞬間に急に頭の中がクリアになった。

「お父様? お母様? それに、コワタ様? はい……そうなのですね」

 セシリアは目に見えない何かに返事をすると、着装しアプサラスの外へと降り立った。

 ジュノーの方角を向いてから杓を召喚させて目を閉じて祈りを捧げる。すると、周りを穏やかな風が包み始めると、重力に逆らって地面からのエネルギーが風に同調し始め、杓を天に掲げると発せられた金色の光が舞い上がり遠くジュノーの方へと消えて行く。

 暫くしてジュノーより二つの光が流れ星の様に放たれて、一つの光はミカヤの元に、もう一つ光はステラの元へとやって来て二人の前を流れの終着点とし、周りの敵をも吹き飛ばすと、ミカヤの前には雷の紋章が描かれた[女神の涙]が現れミカヤを光に包み込む。

 ステラの前には音の紋章の[女神の涙]が。

 二人は心を解放すると一層光り輝いて光が収まると新たな鎧を身に着けていた。

「ミカヤ、ステラ、あなた達は童話に伝わりし古より生まれ変わった守り手ですわ。花咲き続ける世界の為に力を貸して下さいまし!」

「へぇー、こりゃ良いじゃねえか。よっしゃあ! ぶちかましてやるぜっ!」

 ミカヤはカズキの目の前の機械兵士を次々と黙らせると自己紹介を始める。

「アタイはミカヤ。サワコママの部下だった一人さ。ヨロシクなっ」

「カズキさん! 見ちゃ駄目っ!」

「アキちゃん、どうしたの? って、えっ? えーっ!」

 カズキは改めてミカヤの姿を確認すると自ら余所を向いた。

 ミカヤは鎧を確かに纏ってはいるがインナースーツを着ていない為か肌の殆どを露出しており、兜こそ雷をモチーフにした猛々しい両の角が威圧感を醸し出し、両腕両足の鎧も黄色いグローブやスパイクの様で力強さを感じられるのだが、胸から腹部は露出していて乳房だけが見えない様に隠されているだけだ。

 白銀の腰の鎧も丈が短くボクサーパンツの様な鎧姿であるのも余計にまで肌を多く見せる。少し褐色めいた肌はとても悩ましくて、何より溢れんばかりの豊満な胸は立派なものだ。

『あー、そうだ。ミカヤは西の戦闘民族で普段から下着の様な格好してるからね。二人とも気にしないでおくれ。カズキ、早く慣れるんだよ。アキもやきもち焼くんじゃないよ』

 サワコから良いタイミングで通信が入る。全くサワコは何でもお見通しだ。

「だからって、何で裸のまま鎧を纏うんだよ! 男だったら変態だぞ!」

「もうっっ! だからってじまじま見ないで下さい、カズキさん!」

「うーん、何だ? 胸が見たいのか、カズキ?」

「ミカヤも辞めて!」

 三人騒いでいると一人の女戦士がやって来た。

「カズキ殿! お久しゅうございます」

「うん? おお、ステラじゃないか。久し振りだな」

 名前を呼ばれてカズキは右を向くと、ステラが合流する為にやって来た。古くからカズキと面識のあるステラはカズキとの再会をとても喜んだ。

 ステラは戦争で親を亡くした孤児であり、五年前にクレハが引き取りセシリアやマユと共に育てられた。元々ウィクトリアで名の通った貴族の娘であったが前の戦争で両親を亡くし身分を奪われ、ジュノーに来たのをクレハが見付けて引き取ったのだ。

 貴族であったが故に剣術の経験もあり、クレハはステラの長所を生かすべく、更に剣術に磨きを掛けさせて警護班として周りを説得し側に置いた。当然マユやエイコウとも面識がある。

 ステラの鎧は鮮やかな桃色の甲冑を思わせた。白銀で描かれた模様の胸当てに肩から腕はすっぽりと覆われて、腹部は露わだが太腿から足先までを完全にカバーしている。少し短めな腰の鎧が女性らしく、右腰に筒状の細剣を装備している。

 目のやり場には困るがこれ以上照れてばかりはいられない。

「守りは来てくれたみんなに任せて俺達は北西に打って出る。さあ、行こう!」

 メランザニア平原に沿って西に先を進むシゲキとユキエの二人は、早くもリーフブリュッセルの山々を視界に捕らえた所でユキエが何かに気付いて進むスピードを緩めた。

「シゲキさん、少し集中しても良い?」

「解った。敵の攻撃は俺が食い止めるからユキエちゃんは集中したらええ」

 シゲキは前に出て炎を放ち周りの敵を黙らせると、ユキエは目を閉じて耳を澄ませる。

「あそこにアンテナがあるわ。あの大きなビルに大勢の人が集まってる……」

 辺りを一掃して身を隠す様にビルに入る。

「ラーラララララララー……大丈夫よ、私の声を聞いて……」

 ユキエは自然と歌を口ずさみ始めていた。ユキエの歌声はとても澄んでいるにも関わらず力強くて、広い建物の中を響き渡り、思わずシゲキは聞き惚れてしまった。

 ゆっくりと歩きながら歌うユキエの横顔は、とても凜としていて言葉にならない程美しい。

 やがて、大きな一枚のドアの前に辿り着くとユキエ自身がドアを開いて中の様子を窺うと、そこには約二千人もの人々が既に目から熱いものを流し抱き合っている姿がそこにあった。

「やったな、ユキエちゃん。ユキエちゃんのあったかい気持ち。みんなに届いたんや」

「うん。良かったわ。本当に良かったわ」

 川沿いを北上するエイコウ達はドーム球場の入り口へと来ていた。

(……マユ、大丈夫だよねぇ……ここ、昨日よりいっぱい人がいるよぉ……)

 マユは不安な気持ちになっていた。マユは[星詠みの調べ]の中で常に元気な女の子を振る舞って来たが、実は誰よりも神経質だ。直ぐに落ち込むし執拗に考え石橋を叩いて渡るタイプの人間なのだ。そんな弱い自分を知られたくなくて気が付くと今の話し方になっていた。

「……マユ……マユ!」

 マユはエイコウの声にようやく気が付いてぱちくりと何回も瞬きをする。

「大丈夫か? もう、しょうがないな」

 エイコウは持っていた青白く光るサイコロ状の録音キューブを取り出してマユに差し出した。

「はい、これ。お兄さんから。やっぱり、お兄さん凄いわ。マユを良く知ってる」

「カズキお兄ちゃんから?」

「朝方、お兄さんから預かったんだ」

 マユは録音キューブを強く握りしめて目前に現れた画面上の再生ボタンを押した。すると、ホログラムがキューブから浮かび上がりカズキの姿を映し出す。

『これを見てるって事は、また悩んでいるなぁ、マユ。でも、悩むのはマユの長所。適当だったら悩みなんかしないからね。きっと、マユは真面目だから昨日の事を思い出しているだろうし、緊張もしているんじゃないか? お遊戯会の時もそうだった。どうしても本番になるとお客さんも増えるからね。今もそうなんじゃないか? そんな時は……ちょっと待ってて』

 カズキは画面からフレームアウトした。何やらごそごそとしている音だけが聞こえて来る。

『お待たせ、お待たせー』

 画面に戻ったカズキは何と手作りのジャガイモの被り物をして現れた。

『覚えてる? 緊張する時はお客さんをジャガイモだと思えば良い。そうすれば、緊張はしないんだって話した事。でも、三人は何か違うんだってさ。はいっ、それでは登場して貰いましょう。先ずはパスタに扮したヨシカちゃんです』

『マユちゃんもパスタ好き? ヨシカ、いつもお客さんをパスタだと思って緊張しない様にしてる……特に甘い果物ソースのパスタ……ヨシカの大好物。パスタが一番良い……』

『ほー、中々良いんじゃないでしょうか。次はユキエちゃんです』

『ヨシカが言うのも解るけど、やっぱり、お金よ、お金。マユちゃんも好きでしょ? お客さんをお金にして数えるの』

『ファン驚きの思わぬ暴露話でしたね。最後に真っ白な丸い被り物姿のアキちゃんです』

 アキは丸い被り物を被っており、一人顔も白く塗っていて今回最も力が入っている。

『お団子だよ』

『捻りが無いわ、アキちゃん』

『顔まで塗っている割に……残念』

『えー、そうかな? じゃあ、アイスクリーム』

『益々残念……』

『アキちゃん、もう止めて。私の知っているアキちゃんはそんなアキちゃんじゃ無いわ』

 三人のやり取りにマユは思わずぷっと笑ってしまった。

『マユ、大丈夫だ。深呼吸して一歩踏み出してごらん』

『カズキさん、真面目に言っててもジャガイモなんだからマユ笑っちゃうよ』

『もう、こっちまで笑っちゃうわ』

『ユキエちゃん……笑っちゃ駄目……でも、クスクス……やっぱり残念』

『あー、脱ぐの忘れてたって、し、しまった……これは撮り直しが出来ないじゃないか』

『もうー、カズキさんの鈍感』

『セシリアさんが言ってた意味、本当に解るわ』

『ヨシカを助けてくれた時……格好良かった……。でも、今は残念』

『とっ、とにかくマユ大丈夫だ。笑うんじゃ無いぞ。笑ったらパクチー料理だからな』

 最後に四人で大丈夫だと言った所でホログラムは消えた。

「もう……相変わらずカズキお兄ちゃんは鈍臭いなぁ。みんなもありがとう。マユ……もう大丈夫だよぉ」

 マユはキューブを大事に懐にしまい、震えが止まったところでエイコウに目で合図をして、思い切り入り口のドアをバンと開けると、人々の顔が一斉にマユに向く。

 青白い顔が全て向けられると思わずエイコウの方が気持ち悪くなって一歩後ずさりそうになるが、マユが手をしっかりと握っていた為に何とかその場に立ち止まる事が出来た。

 大勢の人々の中をマユは通路を突っ切って球場の中心に躍り出る。

「ラ、ララ、ラララララー──」

 高音で足早なテンポの曲をマユは声を枯らす事も、震わす事も無く見事に歌い上げる。歌い終えたマユは周りの様子を窺う。右を見て左を見て反転して更に右を見て左を見る。心配になってエイコウの方へ振り向くと拍手を送るエイコウの姿が目に映る。

 すると、辺りからも拍手が送られ人々が立ち上がり、やがて拍手が球場全体を包み込むと、熱い熱気に覆われて喜び合う人々の姿が次々と目に入る。

『とっ、とにかくマユ大丈夫だ。笑うんじゃ無いぞ。笑ったらパクチー料理だからな』 

 録音キューブを手に取り、改めてマユは再生する。

「カズキお兄ちゃん、マユ、パクチー食べないよーだ。てへ」

 キューブに写るカズキに話すマユの頬には綺麗な涙が頬を伝っていた。

 先発隊のアキユキにカズキ達後続隊が追い付いた。

「カズさん、やっぱり、中央は敵の数が多くて」

「そうなんです。それに先輩、益々数が増えた感じがします」

「マナ達頑張っているのに、どうしてよー?」

「特にこの中央は大型施設も多い。人を集めるのには好都合だ。それに、郊外を解放した俺達はどうしても横に広がざるを得ない布陣になる。郊外を解放すればする程に、中央、つまりセシリアの守りは薄くなる。セシリアが討たれればこの戦いは俺達の負けだ。そこで、相手は中央に厚みを出して攻撃を仕掛けて来ているんだ」

「でも、このままでは不利です。私達が押し上げて早く解放しないと」

「当然だよ、マイカ。攻め込んで来るエクス・マキナを逆手に取ってみよう。俺がここに一人残るから、その間にみんなは左右に広く開いて突破してくれ。敵はエクス・マキナ。状況判断から効率的に穴を開ける為に手薄になった俺に攻撃を集中して来るだろう。リスクはあるけど、そうすればマイカ達の敵は手薄になって抜け出せる。それに、俺に攻撃が集中すれば相手の虚を付いて攻撃するのも可能だ」

「カ、カズキ君、また無茶を……」

「リスキー過ぎます! 確かに先輩の力なら可能かもしれませんが、先輩一人に攻撃が集中します。それに、失敗するとセシリアさんが……何か別の方法を考えましょう」

「大丈夫。セシリアだってきっと賛成してくれるさ。それに、みんなが早く抜けて人々を解放してくれれば数が減って大丈夫でしょ。なっ、アキユキ?」

 カズキは無茶な作戦を少し笑みを浮かべて提案した。

「カズさん……解りました。みんな、カズさんの言う通りにしよう。カズさんならきっとやってくれる」

 昔から頑固なカズキを知っているアキユキがマイカを宥めて納得させる。

 アキはどうしようも無い不安な気持ちで胸が張り裂けそうで堪らなかった。

(カズキさん、本当に大丈夫だよね……? 無茶してないよね? いつものカズキさんだよね……?)

 アキはカズキの様子が時折少し変だと感じていた。

 相変わらず少しドジで笑顔を絶やさないカズキ。普段の様子は変わらなく感じるが何処か焦っている様な感じがしてならない。

 ユキエからジュノーでの戦いの際にもカズキが珍しく声を荒げていたと聞いていた。

(駄目……私が悩んじゃ駄目。私が今出来るのはカズキさんを信じてあげる事……)

 アキは不安など顔には一切出さず敢えて笑ってカズキを送り出す。

「カズキさん、必ずまた直ぐに迎えに来てね」

「了解。マイカ、マナ、タイミングを任せたよ」

 カズキは敬礼して答えた。直ぐに作戦を実行する。カズキを中心に右にアキユキ、マイカ、ヨシカが。左にマナ、ミカヤ、ステラ、アキが敵を無視して一気に前へと跳び出す。

 予想通り敵は手薄になったカズキにターゲットを絞って一斉に向かい出した。扇の要であるカズキを討てばセシリアが直ぐそこにいるからだ。

「凌ぐんだ。きっとみんななら……。来い! 俺に向かって来い!」

 迫り来る敵に水流の槍を払い凍気の拳を放てば、氷の雨を降らせ囮役を引き受ける。

 敵を倒す度に爆発が起きるが、次の瞬間には新たな敵が向かって来る。左腕に激痛が走ったが気にしてる暇は無い。今はこの作戦の成功の為に成すべき事をするだけだ。

 ようやく七人が敵の集団を抜けると声を張り上げる。

「今です! 相手の側面を狙って!」

 マイカが叫ぶと右の攻撃が始まった様子を見てから一呼吸置いてマナが叫ぶ。

「今だよ! みんな、マナに合わせて一斉に攻撃して!」

 五人の守り手は各々拳を放ち武器を振るった。カズキに攻撃を集中するが余り、マイカ達の攻撃は見事に相手の虚を付き、更にマナ達の時間差による攻撃が敵の被害を拡大させる。  

 流石の機械兵士も対応が追い付かず太刀打ち出来ない。敵影が薄くなり左右別れていたアキユキ達は合流を果たした。

「流石カズさん、見事に囮役を果たしてくれた。全員、大した怪我もせずに抜けられた」

「しかし、あれほどの数の敵です。カズキ殿こそ怪我をされていなければ良いのですが」

「先輩は大丈夫。そう信じましょう。ねえ、アキ?」

「うん。カズキさんはきっとまた笑いながら大丈夫って言って来てくれるよ」

「ところで、チャンスじゃねーか、アキユキ。今の内に早いとこ進んじまおうぜ」

「よし、じゃあ二手に分かれよう。俺達はヨシカちゃんと一緒に多目的施設へ。アキちゃん達はアミューズメントパークに。シゲさん達ももう直ぐ合流出来るだろうし、人々を目覚めさせたらベルファストに渡る橋の手前で合流だ。行こう!」

 北東に位置する名前をクレードルという多目的施設の建物は収容人数が最大五万人の大型施設だ。クレードルが近付くにつれヨシカは頭が重くなり、やがて痛みを覚える。

「痛い……。あそこに居る……。この感じ……似てる。[アウロラ]の二人に会ったあの時と……」

 建物の入り口は二階になっており、建物の正面と左右に登りと下りのエスカレーターが設置されていて静かな音を立てて動いている。

 何とも言えない不気味な雰囲気が漂うが、足を踏み出した瞬間、エスカレーターの影に潜んでいた者が飛び出し、斬りかかって来た。

 間一髪アキユキはヨシカを抱え飛び退きマイカが前へと出て身構える。相手に注目すると目の前にいるのはエクス・マキナでは無く人だ。

「ウゥゥゥゥゥゥゥゥ……」

 彼らの表情は異常だ。目は血走り呼吸は荒くうなり声を上げている。

「ヨシカ……やってみる」

 ヨシカはアキユキに告げて一歩前に出ると相手へと飛び込み歌い始めた。ヨシカが歌えば歌う程に相手の動きは止まり、浮かんでいた血管が身を潜め血走った目は穏やかな瞳へと戻る。

 正気に戻った人達は自分が何をしていたのか解らない様子で、自分の顔を両手で触り腕をさすって感覚を確かめ始めた。しかし、再び何か別の歌が聞こえ始めると、男は再び苦しみ始め周りの人達も一斉に苦しみ出し、泡を吹いて気を失ってしまう。

「言ったでしょう。あなた達の声は届かないと……」

「そう……特に、一度みんなを裏切ったあなたの声など聞こえるものですか」

「ミオちゃん……。ミナカちゃん……」

 二階から見下ろす二人にヨシカは嘗ての同胞の名前を呼んで声を震わせた。

「二人はみんなに元気になって欲しくて歌ってた……。それが……どうして?」

「そのとおりよ。みんな、私達の声に陶酔して笑ってくれたわ」

「ミオちゃん、違う……。それは鎧の力……。声の力を増幅させて人を操る魔の力……。そんなの、二人は望まない……。本当の二人の声をみんなに届けて……」

「全く良く吠える犬ね。一度世間の前で訴えて裏切ったあなたが。あなたは胸が痛まないの?」

「ミナカちゃん……。ヨシカ……ヨシカは……」

「フフッ。何も言えないじゃない。正義の味方気取りなんでしょうけど、やってる事はめちゃくちゃ。人を惑わし裏切って。あなたの声が人を惑わしてるの。いい加減気付いたらどう?」

「惑わして……なんて……」

「惑わしたのよ。手の平を返してね」

 ミオとミナカは同時に声を発した。同胞から発せられた言葉はヨシカの胸に突き刺さり酷く穴を開ける。

「そんな事は無い!」

 隣にいたアキユキが大声で叫ぶと、ヨシカはようやく瞬きをしてアキユキの方を見た。

「確かにヨシカちゃんは一度議長に賛同した。でも、議長に正義が無いと気付いた時、ヨシカちゃんはあらゆる批判を受けても良いと逃げずに前へ出たんだ。批判を受ける覚悟で世間に思いを伝えたヨシカちゃんを、俺は同じ人前に出る人間として誇りに思ってる!」

「アキユキさん……」

「君達も本当は疑問に思っているんじゃ無いのか? 本当に正しいのかどうかを。君達もヨシカちゃんや俺達と同じ、何かを届けたくて戦いの場に出て来たんだろう?」

 アキユキの言葉に[アウロラ]の二人の動きが止まる。背筋を伸ばしヨシカを見下ろしていた姿勢は崩れ、ワナワナと身体を震わせて頭を抱え苦しみ出す。

 ヨシカは苦しむ二人に近付こうとエスカレータを走って駆け上がり二階に辿り着くも、苦しがっていた二人が叫び声を上げて腕を払って発した黒い霧がヨシカを襲う。

 霧から変化した鋼線がヨシカの四肢に巻き付きグイグイと締め上げて行く。

 アキユキ達は急いで二階へと向かおうとするが、ヨシカが息絶え絶えの声でそれを制した。

「駄目……。来ないで……。ミオちゃん、ミナカちゃん、苦しいよね? ヨシカも……そうだったから……。でも、信じてる……」

 アウロラの二人の息は大変荒くうなり声を上げてヨシカを見ている。鋼線がヨシカの身体に徐々に食い込み始めるとヨシカの白い肌から血が流れ出す。

「ラ……ラーラーラララ──」

 ヨシカは苦しみながらも歌を歌い始めた。顔を苦痛に歪ませながら歌詞も途切れ途切れで、何かを語っているかの様にも聞こえるが確かに歌である。

 ヨシカは涙を流していた。痛みに耐えながらも声を震わせ言葉を発するヨシカ。[アウロラ]の二人への思いが涙を流させたに違いなかった。すると、[アウロラ]の二人が発するうなり声に変化が現れる。獲物を狙う肉食獣の様な声では無くなり何かを語ろうとしている。

『……ヨシカ……ゴメンね』

『ヨシカ……私もミオちゃんも……あなたに酷い事を……』

 ヨシカは苦しみながらも共に励まし合った懐かしい声を耳にする。二人の顔には未だ冷徹な仮面が覆われたままだが、二人の気持ちが身体を締め付ける鋼線を通じて流れ込んで来る。

「アキユキさん、二人の仮面を壊して! 二人を……助けてあげてぇー!」

 アキユキは直ぐに飛び上がり[アウロラ]の二人の前に出る。背に装着された棒状の腕を二つ合わせ気持ちを高めると、二つの腕は一つに合わさってその姿を剣へと変える。

 迷い無く剣を斜めに交差する形で二回振り払った。二人の顔を覆っていた仮面がパリンと割れて、ヨシカの知るミオとミナカの顔を覗かせると、ヨシカの四肢に取り巻いていた鋼線は消え失せて、ようやく解放されると、そのまま二人に駆け寄った。

「ヨシカ、ゴメンね。本当にごめんね……」

「ミナカにも聞こえた……。暖かくて真っ直ぐなヨシカの声……。本当にごめんなさい」

「うーうん……。気にしないで……。大好きな二人が戻って来てくれたから」

 三人は互いの身体を抱き寄せて涙を流す。ヨシカが二人の顔を改めて見ると酷く衰弱しているのが目に見えて解る。

 だが、二人は皆が制するのを断って建物の中へと入って行く。溢れんばかりの人の視線からは何も感じられない。二人は力を振り絞って建物の中心へと歩き出すと何と歌を歌い始めた。

 ゆっくりとだが丁寧且つ、力強く。何処かで耳にした歌詞。甘酸っぱい少女の片思いを記した歌は、先程ヨシカが息絶え絶えに歌っていた歌だ。

「私もミナカもどんな罰も受けます! だから、思い出して! 恋する素晴らしさを」

「感じて下さい! 恋していた自分を……。どうか、どうか思い出して!」

 ボロボロな姿の二人はもうかなり無理をしていていつ倒れてもおかしくない様子だ。

「ミオちゃん……。ミナカちゃん……。あぁ!」

 その時、奇跡が起こった。二人の魂の叫びに反応したのか、何と二人が纏っている鎧が輝き出してその光は頭上へと立ち上り辺りに光の雨を降らせた。光の雨が止む。すると、一組の老夫婦らしき二人がパチパチと拍手をし始める。直ぐに拍手の渦は建物の中を駆け巡り、熱い熱気が二人に伝わると建物内では様々な[アウロラ]を絶賛する声が飛び交った。

 その声の中に[アウロラ]を責める声は一つも無かった。女神の涙と[アウロラ]の二人の思いが奇跡を生んだのだ。ヨシカ達が二人の下に駆け付ける。

「ヨシカが憧れた二人の歌声……。やっぱり、素敵だった」

「ありがとう……。ヨシカ」

「良かった。これで……ミナカもミオちゃんも……。皆さん、ご迷惑を……」

 二人の顔からは異常な程に汗が流れ出ている。顔色は益々青ざめて身体が震え、そのまま意識を失い、力無いままバタンと倒れ込んでしまった。

 小刻みに通信を伝えるアラーム音がアプサラス内に鳴り響いた。

「アキユキ君から連絡なのです」 

『北東のクレードルにて囚われた人達を発見し解放に成功。なんだけど……』

「うん? どうしたんだい、アキユキ?」

『セシリアさん、サワコママ、お願い……。ミオちゃんとミナカちゃんを助けて!』

「ヨシカ、落ち着くのよ。それじゃあ、解りませんわ」

『セシリアさん、マイカです。[アウロラ]の二人を解放したのですが衰弱が酷い状況で。顔色は青白く唇は紫色に近いです。発汗が激しく、呼吸は速いのですが力はありません』

「間違いないのです。トランスアンチテーゼによる禁断症状なのです、ママ」

『トランスアンチテーゼ……。あの[GG]適合者にさせる為の薬……。ヨシカはそんなの無かった。それが何故……?』

「トランスアンチテーゼによる人体の能力向上は自らの潜在意識に眠る弱い部分を増幅させ興奮作用によってその弱さに勝とうとする力を生み出す薬なのです。それは[GG]を纏えないという劣等感や相手に勝てないと言った敗北感でも良いのです。恐らく、今のままでは二人の声は届かないと言われた可能性が高いのです」

『きっと二人、どうにかしたかった……。ヨシカ達と同じ様に……。その気持ち利用された……』

「トランスアンチテーゼは一種の麻薬なのです。薬が切れれば意識を失うか、発狂するのです」

『お願い……二人を助けて! サワコママ、ユニさん、何とか助けて!』

「落ち着くんだ、ヨシカ。でもね、今、みんな戦ってるんだ。それに、その子達を救うには色々と準備も必要だ。アタシやヨシカだけの意見で勝手に決める訳には行かないよ」

「いいえ。助けられるのであれば直ぐにお願いしますわ」

 セシリアは割って入って何の迷いも無くサワコに答える。

「助けられる命がある限り無視など出来ませんわ。部隊を動かすのであれば動かして貰っても構いませんわ。私がそこをカバーしますわ」

「フフ。そう言ってくれると信じてたよ。許しておくれ。多くの人が共に戦ってくれている以上、個人の勝手には出来ないからね。試すような事しちまってごめんよ。良いかい、みんな。聞いたとおりだ。責任感ある二人の幼気な命を救う為にどうかみんな協力しておくれ!」

 サワコは通信を使って動かしている全部隊に声を掛けた。嘗て軍で艦長を努めていたサワコは連帯感を失わない様に敢えてセシリアに判断させた。

「ユニはこう見えて優秀な軍医だったんだよ。軍の中でも三本の指に入る天才薬師さ」

「任せるのです。とにかく材料が無いと始まらないのです。症状を沈静化させるのに新鮮なソイの茎と根が要るのです。捜すのです。扇形の濃い緑の葉をしているのです」

 しかし、そう簡単に見付かる訳が無い。扇形の濃い緑の葉と言われても何処にでも生えている雑草との違いが解らないからだ。ユニは頭を捻っていたが薬となる植物は何百とあって、その自生箇所までは流石に覚えていない。

『ソイは川縁の柔らかい土に自生している筈だ。扇形の葉で濃い緑色。葉脈がはっきりしているのが特徴だ。香りはスースーと薄荷の匂いがするよ』

「その通りなのです!」

 ユニはパチンと指を鳴らした。通信して来たのはカズキだった。クレードルの人達を解放した事で敵が生み出されなくなり、全ての敵を倒した所で通信して来たのが幸いした。

 アキ達からの連絡が未だ無いのは心配だが電波妨害を受けているのかも知れない。

 ヨシカは少し落ち着きを取り戻すと、以前アキが話してくれたカズキとの出会い話を思い出した。あの時、アキは足を挫いていてカズキがソイの葉を使って治療してくれた話しだ。凄く運命的な出会いをしたと三人でからかい混じりに言うと、アキが顔を赤らめていたのを思い出す。

『ユニ姉、ソイを手に入れたよー!』

「その声……アンタ、ユーナかい? アンタまで来てくれたんだね?」

『うん。ずっと、東のファーゲルにいたから遅くなっちゃった。ミカヤから連絡を受けて直ぐに追い着こうと思ったのにー。色々用意してたらさぁ。もう、プンプンだよー』

 ファーゲルはサミアローズの東、レミーユより更に東に位置する漁師の街だ。

「そうかい。良く来てくれたね。それに良くソイを見付けてくれたよ」

「ユーナが居るなら安心なのです。直ぐにアキユキさん達の元に急ぐのです。ユニはここからだと時間がかかります。ユーナが薬を作って飲ませるのです」

 ユニの指示に従いソイの根と茎と分けて砕き輸液と混ぜて行く。輸液も様々な成分が含まれているのだろうが、何よりその液体を常備しているのが先ず驚きだ。嘗て軍として戦いの中で生きる術として学んで来たものなのかも知れない。

 暫くするとエメラルドグリーンの様な輝きを放つ液体が出来上がる。ユーナはユニに従い二人の身体を起こしゆっくりと液体を流し込むと、二人の呼吸に荒さは無くなって顔色も次第に元の褐色へと戻る。

「取り敢えずもう安心なのです。ユーナ、二人を何処か横になれる場所に運ぶのです。ヨシカちゃん、もう大丈夫なのです」

『ありがとう、ユニさん……。皆さん……』

 敵が退きセシリア達は一人敵を抑え続けていたカズキの下に駆け付けた。

「やぁ、セシリア……。それに、サワコママ、ユニも……」

 カズキが右手を上げて答えた。カズキの姿はボロボロだった。鎧の下の白のボディースーツは血が既に固まって色が変わっている所が何カ所もあり、左上腕に刺さった弓矢が貫通し、そこからポタポタと血が滴り落ち地面を濡らしている。

「アンタ、またそんな無茶をして……。くっ……。だが、また行くんだろ?」

「うん。俺には未だ出来る事があるから」

「アンタはそういう男だからね。ユニ、用意出来ているかい?」

「勿論なのです。さぁ、これを飲むと良いです。調合して用意して来たのです」

 ユニが差し出した薬は細い瓶に入った青く輝く綺麗な液体だ。カズキはそれを一気に飲み干した。

 少し癖がある薬膳酒の様な味がする。カズキは深く呼吸をすると邪魔な左上腕に刺さった弓を力任せに抜き取った。幸いかえしが付いていない為、あっさりと抜き取る事が出来た。

 直ぐにユニが治療を始めるとセシリアは自分が巻くと受け取った包帯をカズキの腕に巻き始めた。

「ありがとう、セシリア」

 礼を述べるカズキにセシリアは何も言わず首を横に振って答えた。どう声を掛ければ良いか解らなかった。無茶しないで下さいと言うのは簡単だが、現にカズキ達を指揮し戦わせているのは自分だ。包帯が巻き終わるとセシリアはカズキから一歩離れる。

「みんな、ありがとう。じゃあ、行って来ます。くれぐれも気を付けて」

 大した会話もせずに颯爽と飛び立って、三十メートル程離れた所で急にカズキは振り返る。

「セシリアー! 素敵なレディは眉間に皺なんて寄せてないぞー。それじゃあ、博士のおじさんか学者だってー!」

 そのままカズキの姿が段々小さくなり見えなくなった。

「かなり痛みもあるだろうに心配掛けまいとして。しかし、やっぱり良く見ているじゃないか」

「本当……いつもそうなんですわ。他人の事ばかり……。昔からずっと……」

「でも、女の敵なのです。直ぐに人をからかうのです。さっきまで感心してたのに」

「本当にそうですわね、ユニ……」

 セシリアに笑顔が戻るとサワコが二人の背中を叩いて宥めた。

 その頃、別ルートで北上を続けていたアキ達五人は、サミアローズ随一のアミューズメントパークに足を踏み入れていた。

「ここから北の方に多くの人の思いを感じるよ」

 今居るエリアは木造の建物が並ぶエリアだ。二階建ての木造建物が規律良く並び、壁の色は水色や茶色に塗られ、三角屋根の色はくすんだ赤色をして、酒場をモデルにした建物の開き戸が風に揺られてギコギコと音を鳴らしている。

 直ぐに大きな池が目に入った。池の中央には巨大な火山があって、時折プシューという音を上げては煙と炎を吐き出していて、アキが示したとおり池の前にある芝生広場には、数え切れない程の人が俯き座り込んでいるのを確認する。

 その人の多さに驚愕する。火山を中心に三百六十度見渡す限りの人でいっぱいだ。

 守り手の三人は俯き死んだ魚の目をする人達の表情にたじろぐも、アキだけは尻込みなどしない。

「私、行きます!」

 アキはそのまま俯く人の輪の中へと入って行くと、本来はキャストがショーをするのであろう、一番池側に設けられた通路を歌いながら走り出した。

「ラー、ララー、ラーララララ──」

 アキから大粒の汗が飛び散った所で歌は終わりを告げた。身体を起こした反動で汗がまた地面へと落ちて消えて行くと、周辺から割れんばかりの拍手喝采が巻き起こった。

 アキは見事に人々の感情を甦らせた。

 四人は落ち着きを取り戻した人達を下がらせると、ジージジとスパコンが鳴いてようやく通信が出来る様になる。

「おっ! 通信が戻ったみたいだぜ。アキユキ達はもう着いているのかも知れねぇ。こっちもとっとと連絡して合流しようじゃねえか」

「そうだね。マナが連絡するよ」

 ミカヤに促されてマナがセシリアに連絡を取ろうとしたその時、四人は背筋が凍り付く様な感覚に襲われると黒い霧に覆われて吹き飛ばされ身体が宙を舞った。

 身体を起こし身構えようとするが次の瞬間、池にあったモーターボートがもの凄いスピードで飛んで襲いかかって来るではないか。ボートは吹き飛ばされた反動でキャビンは吹き飛び、船体を激しく回転させながら目前に迫っている。

「なめんなぁっ!」

 ミカヤは力を振り絞り、もの凄い勢いで飛んで来たボートに右拳を放つ。前に出した左足が地面に埋まる程の衝撃が起きると、更にミカヤは気合いを乗せて右拳をそのまま振り切ると雷が迸りボートはバラバラに砕け散り辺りに飛び散った。

「ほう、女の身でありながらその力大したものだ」

 四人は身構えると現れたのは漆黒の鎧を身に纏った[GG]装者のドゥーエであった。

「中々面白い余興を見せて貰った。流石はクレハ達が甦らせた古の守り手か。それに、貴様が[星詠みの調べ]のアキか。楽しませて貰ったぞ」

「余興……? 貴殿は、人の命を、思いを何だと心得ている?」

「新たな世界を生み出す為の糧だ。言わば粛正だよ。どうだお前達、力を貸さないか?」

「あなた達の様に暴力で人の意思を操り、命さえも何も思わない世界なんて間違ってる」

「フン。やはりコワタの姪か、話しにならんか……。ならば、死んで後悔するが良い!」

 ドゥーエが手の平を返して手首を返した途端、地面から濃紫の先が尖った岩が突き出て来て四人を襲う。そのまま宙へと放り出され背中から地面に落ちると、既に右手の平に暗黒闘気を込めたボールを二つ生み出していて、間髪入れずに放ち、マナとステラに命中すると、地面は割れて二人の身体ごとめり込ませて、更に砕け飛んだ地面の岩岩が二人の上から降り注ぐ。

「てぇめぇー!」

 暗黒闘気の魔の手から逃れていたミカヤは、飛び込んで顔面に渾身の右拳を放つが、ドゥーエは一歩も引かずに左手でミカヤの右拳を簡単に受け止め乱暴に振り払い身体ごと吹き飛ばした。

「そうか、貴様のその力、リーフブリュッセルで古くから女神の祠を守り続けたという女傑族の末裔だな。フンッ。祠が焼かれのこのこと出て来た訳か。共に焼かれれば良かったものを」

「なっ! てめぇがみんなを?」

「言ったはずだ。粛正が必要だと。恨むのならお前らの長を恨むんだな」

 ミカヤは再度襲いかかったが、ドゥーエはまた一歩も引かずに拳を受け止めて投げ捨てると宙で自由の利かないミカヤに暗黒闘気を何発も放つ。

 顔面に腹部に数発ずつ喰らったミカヤはそのまま吹き飛んで地面に激突する。

 アキはミカヤの元に駆け寄って身体を起こす。マナ達も立ち上がるがもうボロボロだ。

「アキ、逃げろ……こいつは強い。アタイ達じゃ守れない……」

「そんなの出来る訳無いよ!」

「アキ殿は希望の思いの女神……。この様な場所で失う訳には行きませぬ」

「何を言ってるの、ステラ。私は行かない!」

「気持ちは嬉しい。でも、マナ達だけの戦いじゃ無いんだよ。みんなの思いも……」

「マナまで……」

 三人の守り手はアキを何とか逃がそうとしていた。アキは大粒の涙を流していた。首を横に振るが三人に宥められてやむを得ず了承する。

「相談事は決まったか? 充分時間はくれてやったんだ。せいぜい楽しませてくれ」

 マナの号令で三人の守り手が一斉にドゥーエに襲いかかる。だが、三人の技はドゥーエの身体に纏われた暗黒闘気によって阻まれ、行き場を失ってしまう。

「惜しかったな。それに残念だ。お前達が逃がそうとしているアキは逃げ切れていない」

 アキの全身には暗黒の霧が体中を渦巻きの様に取り囲んで動きを封じてしまっている。

 ドゥーエが気を解放すると自ら放った技の衝撃が三人にそのまま襲いかかり、アキの前へと吹き飛ばされると、ようやくアキは自由になって三人が無残に倒れる姿を目にする。

 ドゥーエがゆっくりと近付くと、アキは三人の前に立って両腕を横に広げて庇う姿勢を見せた。

「ここで私達が倒れても頼りになる仲間がいます。きっと、あなた達には負けません」

「フハハハハ。忠告として聞いておこう。仲良く死ぬが良い!」

 ドゥーエは重心低く左足を前に出し右拳を腰の辺りに持って来ると、暗黒闘気がどんどんと拳の前で膨らんだ所で拳を突き出した。

 強大な地響きの様な爆音がアキの身体を簡単に揺らし向かって来る。

 アキは瞬きもせずにゴォーッと迫り来る巨大な暗黒闘気を前に思い出していた。カズキとの出会い、そして思い出を。出会ってからの出来事が走馬灯の様に甦り、両目から涙が溢れ落ちる。

「ご、めんね、カズキさん……。約束……守れなくて……」

 闘気がぶつかる瞬間になってアキは目を閉じた。

 轟音と共に白い砂埃が辺りを包む。

(痛く、無い……。もう、死んでしまったの……? でも、暖かい光を感じる。背筋が凍る様な不気味な力を感じるのに、その内側で暖かくてとても居心地の良い力を……)

 アキは自分の感覚が幻では無い事に気が付いてゆっくりと目を開いた。すると、目の前には巨大な暗黒闘気を受け止める鎧姿がそこにあった。

 この後ろ姿には見覚えがある。いつも自分が立ち止まった時に手を引いてくれた大事な人の後ろ姿。大きな羽を背に白い鎧を纏う戦士は更に鎧を輝かせて、左拳を気合い一閃突き出すと力の均衡が破れて暗黒闘気の塊は粉々に砕けその姿を無くす。

「ふぅー。ベリーナイスなタイミングだったね」

 カズキが振り向くとアキは直ぐにカズキの胸に飛び込んだ。

「カズキさん! みんなが……みんなが……」

 アキの後ろには横たわる三人の守り手の姿。

「もう大丈夫。誰も傷付けさせないから」

 アキが落ち着いてから肩に両手をやって離れる。心配そうな表情を浮かべるアキ。良く見ればカズキは酷い怪我をしているではないか。

「カズキさん、酷いお怪我……」

「大丈夫だよ。アキちゃん、みんなを頼むよ」

「カズキ殿……我々も一緒に……」

「あぁ……。待ってくれ……アタイも……」

「ユナも……ユナも頑張るから……」

「いや、休んでてくれ。俺が、俺が奴を絶対に止める……」

「クックック。やはり出て来たか、カズキよ。お前は戦いの中でしか生きられぬ人間。戦場しか必要の無い人間。もう一度聞いてやろう。我々と共にその力を発揮しないか? どうだ、カズキ?」

「断る。戦う理由は俺自身が選ぶ」

「選ぶだと? フハハハハ。笑わせる。お前は平然を装い無理にピエロを演じているだけだ」

「な、何を!」

「現にお前は守り手に選ばれておらんでは無いか」

「くっ……」

「言っただろう。お前はその持っている力が故に戦場に必要とされているだけだ。お前の居場所が唯一戦場なのだよ。ならばその力、我らと共に存分に発揮してはどうだ? 正義は此方にあるのだ」

「黙れ! お前達に正義は無い」

「フン。あくまで我々の考えを批判するか。ならば、望み通り死ねい!」

 ドゥーエは手に矛を召喚させる。刃先はうねり蛇の様で正に蛇矛だ。刀身からは濃紫の禍々しい気が発せられている。

 直立していたドゥーエは前傾姿勢となって、もの凄いスピードで走り蛇矛を横に一閃したがカズキは召喚させた槍を縦にして両手で受け止める。

 互いの決定打が無い中、ドゥーエは今まで以上に力を込めて矛を振るう。受けたカズキの身体が吹き飛ばされて体制を崩すと今度はスピードを生かし一閃する。

「ぐ、はっ……」

 紙一重で逃れるもののカズキの腹部からは赤い血が滲む。

 再び正対し一呼吸置いて飛び出す。交錯する二人の残像。交わる度にガキンガキンとぶつかり合う音を立てて残像はまるでロケット花火の様に宙を飛び交い、今度は流れ星が振る様に地面へとその位置を変える。

「流石は生きる伝説の装者、カズキ。嬉しいぞ。久し振りにひりひりしておるわ」

 ドゥーエは一端攻撃するのを止めて話し始めた。

「人類の希望、憧れ、未来の象徴、正にお前の力はその全てを網羅している。ここには知らぬ者も多い。話してやろう。アキよ、お前はカズキがウィクトリアの人体実験により最強の力を得た最初の[GG]装者であるのは知っているな?」

 アキはうんと小さく頷いた。

「そして、カズキの誕生こそがオスロを始め世の者達を狂わせた。人は欲深い。カズキを超える力を手に入れたい。夢、憧れ、希望、未来などと綺麗な言葉を並べ実験を繰り返したのだ。次こそは私の子供が。今度こそは私の息子が。妬み、執着、劣等感、差別。誰よりも自分が輝きたい。誰よりも力が欲しい。どうしようもない衝動が人を飲み込み狂わせる。挙げ句の果てには人間を改造し、薬を用いてカズキに近付こうと考える。カズキこそが、カズキの存在こそが人類を狂わせたのだ!」

「そんなの関係ない! カズキさんは決して力を鼓舞して人を傷付けたりしない。カズキさんが望んだんじゃない。カズキさんだって被害者じゃない!」

「ハハハハハ。流石は[星詠みの調べ]アキ。臆さずに良く言った。その通り。カズキも被害者だ。だが、カズキによって生み出された悲劇もまた事実。そこの女傑族の女、俺とカズキとの戦闘を見て気付いた事は無いか?」

 ミカヤはドゥーエが聞きたい内容を直ぐに理解して黙る。明らかに様子がおかしいミカヤをアキが見詰め続けると、ミカヤも観念したのか重たい口を開いた。

「あの野郎とまるで同じなんだ……。技の切れや早さや動き。その全てがカズキとそっくりだ……」

「その通り。俺の動きはカズキと同じだ。動きだけでは無い。戦闘能力も全て同じ」

 ようやくアキも気付き始めていた。異常なまでのカズキへの執着の理由もそこにある。

「そうだ。俺は人体実験に失敗し、この身を改造され、カズキの戦闘データを元に作られた。つまり、カズキの能力を持つ人造人間という訳よ。そして、この鎧は正属性であるカズキに対抗すべく開発された闇の魔の鎧!」

 言葉を失うアキと守り手達。敵同士の二人だが余りの境遇の不憫さに堪らない悲しさが込み上げる。

「これで解ったであろう。人の欲は、邪な欲望は俺の様な人造人間を生み続けるのだ。人は汚れている。このままでは人類は滅亡してしまう。だから粛正するのだ。欲の無い汚れ無き世界の為に!」

「違うっ! 違うよ。確かに人は間違った事をして来た。でも、温もりや優しさだって知ってる。何かを奪って変わるんじゃない。そんな事をしなくても人は変われるよ!」

「フハハハハ。やはりお前とは合わないらしい。だが、一人迷っているぞ」

「カ、ズキさん……」

(俺がみんなを不幸に……。シティホールと同じ……)

「そうだ、カズキよ。お前は人々を不幸にした張本人であり、人外な存在、化け物だ。戦場にだけ必要とされ用が済めば腫れ物を扱う様に蔑まれ捨てられる」

(やっぱり俺には……人として生きる価値も居場所も……)

「必死だったのだろう。守り手に選ばれず化け物のお前は捨てられまいと! だから、傷付き無茶をし、何とか人として生きるのを繋ぎ止めようとした!」

「そ、それは……」

「滑稽だな、カズキ。お前はどうせ化け物として捨てられる運命だ。戦いが終われば必要無い。それが解っていて自ら傷付くなど馬鹿としか言いようが無い! 誰もお前に感謝などしない! お前は俺と同じ普通に生きるのを許されない単なる戦闘マシーンだ!」

「そんな事無いっ!」

「アキ、ちゃん……」

「必要無いなんて言わせない。カズキさんが悩むのはカズキさんが優しいから。カズキさんが黙って一人無茶するのはみんなを傷付けたく無いから。私はカズキさんの優しい思いやりを沢山知ってる。戦場だけが居場所だなんて言わせない。私はカズキさんに傍にいて欲しい。私の隣を居場所にして欲しい。笑っていて欲しい。私はカズキさんが好き! 大好き! 私だけじゃ無い。みんなそう思ってる!」

 アキの叫びでカズキは身体がふと軽くなった気がした。

(こんなにも傍に……俺を必要としてくれている人が……)

 カズキの脳裏にコワタとクレハの言葉が浮かぶ。

『君の価値や居場所は君自身が何を望み、どう思うかだ……決めるのは自分だよ』

『カズキ、最後に……自分に自信を持ちなさい……それに、お前は一人じゃ無い……』

(俺は全部一人でどうにかしようと……。力に抗って……傍に居る大切な人の思いを無視して……)

「よかろう。この場で先ずカズキを倒し、お前達を殺して我らの悲願を達成して見せようぞ!」

 ドゥーエは話しを終えると直ぐにカズキに敵意を向けて、またも宙を舞いカズキもこれに応戦した。交錯を繰り返しては左右に開き上空へと移り、また交錯した所でドゥーエが放った蹴りがクリーンヒットして、カズキは空から地面へと叩きつけられて勢いのまま地面を滑る。

「そう言えば言い忘れていたな。確かに俺の能力はカズキと同じだ。しかし、決定的な違いがある。俺は半身機械の身だ。痛みや疲れを知らん。それに、力はカズキの上を行く。そろそろその差が現れだした頃か」

「カズキさんっ!」

「もう大丈夫……。ありがとう、アキちゃん。俺に道を示してくれて」

 そう言ってカズキもまたドゥーエへと突っ込んだ。先程と同じく残像を残し交錯を繰り返す二人。再び戦場を上空へ移すと、今度はカズキの蹴りがクリーンヒットする。ドゥーエは驚くも直ぐに上空へと飛んで蛇矛を振るうが、カズキはそれをかわして再び蹴りをお見舞いする。

「なっ、何故だ? 俺はお前と力は同じ、それ以上の筈。増してお前は手負い。それが何故?」

 ストッと上空から地面へと着地するカズキ。

「同じじゃ無い。お前は俺と同じだと言うが全然違う。お前は確かに俺と能力は同じ、いや、お前の方が上だろう。だが、今気が付いた。俺にはお前に無いものがある」

「俺に無いものがあるだと? ほざけっ! 貴様の力は全て網羅していると言った筈!」

「力じゃ無い。思いだ。俺を信じ慕ってくれる大切な人の思いがどんなに傷付いても俺を前へと進ませてくれる。アキちゃんがそれを教えてくれた。それが、全ての思いを奪うお前達には無い力だ!」

「何ぃ! 思いの力だと……。そんなものありはしない!」

 ドゥーエの蛇矛がうなりを上げる。カズキはこれを相手の勢いを殺さない様に力を抜いていなし、自分も相手の動きに同化させると蛇矛は空を切り当然ドゥーエは体勢を崩す羽目となり隙が生まれ、そこに手刀を浴びせる。柔良く剛を制すカズキに反撃を喰らわされると、何かに気付いたのか、片膝をついていたドゥーエは立ち上がり笑い始めた。

「フハハハハハ。そうだったな。俺とお前は同じでは無い。だからこそ俺が勝つのだ!」

 今度は両手に暗黒闘気を纏わせ、一気に放出すると、闘気の塊は様々な角度から不規則にカズキを襲うが、カズキは槍を振るって対処し決定打には至らない。だが一瞬、切り裂いた闘気によって視界が奪われた隙を突いて、今度は素早く上空に闘気を放ちカズキの頭上を越えさせる。

「こ、これは!」

「フハハハハハ。そうだ。それがお前との違いだ」

 ドゥーエは戦いの最中、カズキとアキ達が自分と直線で結ばれていた事に気付き、敢えて簡単にかわせる闘気を何度も放ったが、本命は背後に居たアキ達であった。

 先程までの不規則な動きをする闘気のスピードとは違いかなり早い。カズキの目を慣れさす為に、敢えてカズキにはスピードを落とし、アキ達には違うスピードで放ったドゥーエの狡猾且つ、効果的な一撃だ。

 アキは何も出来ないまま着弾する寸前になってようやく腕で顔を隠し、身を逸らした。

 爆音が響き爆風が髪を無造作に流す。衝撃によって弾かれた泥の塊が何度も顔や身体を打ち付ける。巻き起こった土煙が鼻腔を襲い息が詰まり目は開けられない

 モクモクと上がる土煙が収まりを見せ始めると、ようやく腕を下ろして徐々に目を開き視界を確保する。開ききらない瞼を、何度も、何度もぱちくりさせる。足元には転がり落ちている白く光る輪っかの様な物。静かに顔を上げて見ると、こちらを向きながら両足と両腕を大きく開いて立ち尽くすカズキの姿があった。

「良かった……。益々ナイスなタイミングだったね……」

 そう言うとカズキは崩れる様に片膝をついた。

「カズキさん!」

 アキ達が駆け寄ろうとすると、片手でこれを制して近寄らせないのは戦いが未だ終わっていないからだ。カズキは振り向いて立ち上がる。見れば兜をしていない。アキは自分の前に転がっていたひびの入った輪っかを手にし、ぎゅっときつく抱きしめる。間違いなくそれは先程までカズキが身に着けていたヘッドギアだ。耳の後ろに当たる尖った所にアキの涙が溢れると、日の光を受けて悲しそうに光を放っている。

「戦うしか能の無いお前が人の思いなどに左右されたが故にお前は破れるのだ」

 ドゥーエは一瞬で消え去りカズキの前に現れると、蹴りを放って簡単に建物へと吹き飛ばした。ドガッと鈍い音が響き、建物は屋根から崩れ始めてカズキを飲み込んで行く。

「これで終わりだ」

 ドゥーエは両手を広げ上空へとやって力を込めて集中する。頭上で渦巻く濃紫の塊の中に三角に現れる漆黒の宇宙は全てを飲み込んで行く。

「思いあるが故に敗れるのだ、カズキよ。人の思いなど不確定なものだ。はっきりしているのは欲望のみ。過去の歴史もそれを証明しているであろう。欲のままに生き戦争を繰り返す。そんな馬鹿どもを信じたお前は単なる道化師だ。死ね!」

 ドゥーエが両腕を目前まで振り下ろし発せられた霧がカズキに襲いかかる。霧は禍々しく、凄まじいエネルギーがビリビリと身体に響いて来る。最後に一瞬カッと光り輝くと、崩れた建物はおろか、瓦礫の細かな破片さえそこには残されていなかった。

「フハハハハハ、ハハハハハハ! 喜ぶが良い。お前が生まれた事によって続いた負の欲の連鎖を自らの命をもって止めたのだ。新たな時代の幕開けを天より見届けるが良いぞ」

「そ、んな……。嘘……嘘だよ……」

「アキよ、守り手達よ、お前達が手伝ったのだ。カズキを葬る手助けをな。お前達を庇わなければカズキは未だ戦えた。悲しいだろう? 居た堪れないだろう? 思いがある故に苦しむのだ。人は欲を生み、野心を生み、狂い、乱れ、歪み世界を壊した。そして、お前達の様に愛や優しさを語る思いは結果としてカズキを傷付け殺した。これで解ったであろう。思いある限り負の連鎖は続く。人は、世界は変わらねばならない事が!」

 ドゥーエは話し終えると手の平に闘気を集中させた。確かに人の欲は世界を乱し、何万という人が殺され、欲による人体実験を繰り返しトランスアンチテーゼの呪縛を生んだ。

 そして、カズキはアキ達を思い、自らを傷付けその身を滅ぼした。

 これがドゥーエの言う負の連鎖なのだろうか。ドゥーエの言う事は極論だ。だが、機械に制御され一生を終えるなどあってはならない。

「……戻って来て……戻って来てよ、カズキさんっ! お願い! カズキさんっ!」

「フハハハハハ。何を言うかと思えば。案ずるな、直ぐにあの世で会わせてやる」

 ドゥーエが右手を振り抜こうとした瞬間、聞き覚えのある声が聞こえて来る。

「世界は変わらないと行けない。それは賛成だ。だが、それは自らが変えて行くものだ」

 アキ達は驚きを隠せなかったが、何もかも吸い込まれたかに見えた所に立っているのは紛れもなくカズキである。鎧にはひびが入り無防備になった頭から流血し血が目に入ったのか左目をつぶり、目を覆いたくなる様な姿をしているが紛れもなくカズキである。

「今までの戦いが人の手によって悲しみを生んだ事に世界中の殆どの人達が気付いただろう。人は変わらないと行けないのかも知れない。だがそれは、他人によって変わらされるものじゃ無い。それでは今のままと変わらない。増して、人の感情を他人が奪い世界を築くなど以ての外だ。それは人として生きる世界じゃ無い。一人一人が意識し、国を愛し変えて行くものだ。花を咲かせ続ける為に考え反省し前に進む。人にはそれが出来るのだからな」

「貴様ぁ! 何故生きている?」

「今の技は一度見ている。お前に倒されたバーサルという男の思いがお前の技を破ったのだ」

「バーサル? あの薬漬けの男の内の一人か」

「彼が俺に託してくれた。薬に頼った彼らも最後は仲間を思い憂いていた……」

「フンッ。薬漬けの男の言う事など聞く耳持たぬわ。仲間への思いだと。そんなもの薬に溺れ人を捨てた奴らにある訳が無い。そんな思いが奴らにあったのなら児戯に等しい。フハハハハハハ!」

 バーサル達の思いを笑って捨てたドゥーエ。カズキは静かに両手を組んで天に向け集中し、最大限の力を込めると、それを見たドゥーエも同様に先程と同じく両腕を広げ天に向ける。お互いの余りの力に空気がビリビリと震え出す。二人の力に引き合うかの様に割れた地面は砕けた隕石の様に姿を変えて天へと持ち上がる。

「そろそろ決着をつけようではないか、カズキよ。今一度、我が闇属性最大の技を持って貴様を葬ってくれるわ。喰らえっ!」

 ドゥーエより放たれた禍々しい濃紫の影は、悪魔の異形な姿となってカズキを飲み込まんと襲いかかる。二階建ての建物程巨大化した悪魔の影は、あらゆる物を身体の中心へと飲み込み始め、その存在を無へと消し去る。

 グワングワンと耳を防ぎたくなる嫌な音が鼓膜を刺激する。背中には悪寒が走りゾッとする感覚と共に訪れる気持ち悪さ。明らかに先程放った技より強力だ。

「ハァァァァァァァァァ!」

 カズキは全身に気を込めて奮い立つと余りの力に鎧が完全に砕け散る。すると、一筋の青い光がカズキの頭上に降り立った。水瓶を抱えた大きな羽を携える女人のポリゴンが眼前に現れカズキに吸い込まれると、足先から汚れの無い清流が周囲を流れ、重力に反して天へ登り弾けるとクリスタルの様な輝きを放つ白銀と青の鎧姿のカズキが現れる。

「ウォォォォォォォォォ!」

 両腕を組んで天に向けると腕の鎧が合わさり両腕は水瓶となり、そこから一気に星々を交えた青白く光る水流が一気に流れ出た。その勢いはまるで弩砲バリスタの様に鋭く悪魔の影を射貫いた。悪魔の影の腹部をカズキが最大限に力を込めて放った技が一直線に貫いたのだ。

 腹部を貫かれた悪魔は青白い光によって浄化され形を崩し、やがてその身を凍り付かせるとパァンと弾けてその姿を無くす。次の瞬間ドゥーエは吹き飛ばされていた。胸の鎧が瞬時に凍結しパリンと砕け散る。

 そして、仰向けに倒れ込んだドゥーエの目に映るのは、上空から背の羽を大きく広げ視界から太陽の光を消し去り、拳を突き出そうとしている白銀と青の鎧姿。

 耳を塞ぎたくなる轟音。地面に亀裂が四方八方に入り土煙を大いに舞い上がらせた。

 静かに辺りが当たり前の景色を取り戻す。

「……何故だ……。何故……止めを刺さなかった?」

 ゆっくりとカズキが拳を収める。カズキの拳はドゥーエの顔では無く右頬横の地面に放たれていた。

「お前も……本当は思いを、人を捨ててはいないのだろう?」

 カズキから発せられた思いもよらぬ言葉にアキ達は大層驚いた。

「お前の胸にある首飾り。本当に人を捨て、思いを捨てたのなら、その様な物を身に着ける筈が無い」

 横たわるドゥーエの首には小さな鎖に楕円型の飾りが付いた首飾りがあって、波を打つ鎖の先の飾りには若い夫婦二人に一人の子供が仲睦まじく映っている。

「お前も知っているのだろう? 両親の暖かい愛情を。絆を。半身機械の身でありながらも、お前はその温もりを覚えていたんだ……」

 ドゥーエは天を見据えたままカズキの言葉を聞いている。

「お前は欲に溺れる者達に制裁を与える為に生まれた人造人間だと言った。それが使命だと。でも、本当は抗っていたんじゃ無いのか? お前も、俺と同じ様に……」

 半身機械の身であるドゥーエの目からゆっくりと涙が流れた。

「拳を交える中でお前が何故これ程までに人の思いに執着するのか考えていた……。母の笑顔を見たいが為に自らの思いを閉ざし、人として戻れなくなったんじゃ無いのか?」

「…………」

「俺もお前と同じ。他人とは違うと殻に閉じ籠ってばかり居た。でも、今なら言える。嘗ての母の姿を求めるのなら……その思いを告げるべきだ。誰に左右される訳でも無い。お前自身の思いであり、お前だからそれが出来るのだから……」

 カズキの周りにアキ達がやって来ると横たわるドゥーエに眼差しを向ける。

「俺は人体実験唯一の成功者だ。でも、俺は俺だ。好きで戦いたくなんか無いし力なんか欲しない。俺は俺の思いで一人の人間として生きて行く。そうして生きて行けるのをアキちゃんが教えてくれた。お前も同じなんだ。もし、お前がその思いを認め戦っていたのなら、倒れていたのは俺の方だったろう」

 大の字に仰向けになるドゥーエは空を眺めながらぼんやりと呟いた。

「俺の生き方、思い……本当の望み……母さん……」


 先を急ごうとする皆をアキが制して園内のベンチに腰を下ろさせた。改めてカズキを見ると酷い怪我だ。アキはハンカチを取り出すと、それを濡らして血を拭おうとする。

「カズキさん、顔をこっちに向けて下さい」

「いや、大丈夫だよ。汚しちゃうし」

「駄目だよ。ずっと一人で無茶をして……。せめて、私に拭わせて下さい」

 ようやく左目の視界が開けて久し振りに両目で辺りを見る事が出来たが、ここで全員の治療が出来る訳では無い。それでも誰も痛いと言わないし俯いてもいない。

「やっぱり、カズキ君が水の守り手だったね」

「うん。アキちゃんのお陰さ。俺の迷いを取り払ってくれたから」

「うーうん。カズキさんが優しい人だからだよ。ずっと、信じてた……」

 カズキとアキは目が合うと恥ずかしそうに視線を外す。ようやく、緊張が解れ和やかな空気になると、ミカヤが両腕を頭の後ろに組みながら話し始めた。

「しっかし、アキ、良くあの野郎相手に臆さず言い返したなぁ。怖く無かったのかよ?」

「だって、カズキさんの事酷く言うんだもん。それに、カズキさんが傍にいたから大丈夫だったよ」

 カズキは大いに照れて痒くも無い頭を掻いた。

「かぁー。そうまではっきり言うのかよ。やっぱ、長く一緒にいると違うなぁ」

 ミカヤは何か考え込んで五歩歩くと歩みを止めて振り向き再び大声を上げる。

「決めたぞ! アタイ、カズキの子供を産むぞ!」

「なっ、は、そ、そんなの駄目っ!」

「そ、そうですぞ、ミカヤ殿。不謹慎極まりない発言は止めて下さい」

「何でだよ? カズキとの子供なら立派な子供が生まれるぞ。そうだなぁ。子供は三人、いや四人が良いな。うんうん」

「駄目だよ。物事には順番ってものがあるんだから。マナだって古い付き合いなんだからね」

「マナ、そういう事を言ってるんじゃ無いの。もう、カズキさんも照れないでっ!」

(そんな、みんなして喧嘩しないで……でへへへへ)

 突如のモテ期到来に折角止まった頭の出血が再度流れ出そうだ。

「全く何を騒いでるんだい? ほら、カズキも顔赤くしているんじゃないよ!」

 聞き覚えのある声がして声のする方を見ると、サワコ達が北上し追い付いて来ていた。

「あらぁ……何を照れているのかしら? ねぇ、ユニ?」

「やっぱり、カズキさんは女の敵なのです」

 そう言って現れたユニが早速カズキの治療を始めると、他の皆にも青く輝く回復薬を渡す。

「やっと元気になったかと思えば……。みんな必死になって戦っているのに良いご身分ですわね。これだからムッツリは」

「ダァ! 誤解だ、誤解」

「それで良く水の守り手が語れますわね? 何か言う事はありませんこと?」

「えと、ごめんなさい……」

「ふーっ。まぁ、許して差し上げますわ。とても良いお顔されてらっしゃいますから。吹っ切れましたのね」

「うん。心配掛けてごめん。それはそうと、情勢は?」

「サミアローズの郊外などでは戦いが未だ続いていますわ。ですが、応援に駆け付けてくれた人達が良く抑えてくれているので私達もこうして北上する事が出来ましたの」

 サミアローズは広大な都市だ。やはり、全てを解放するには思いの女神の絶対数が足りない。

「それでもね、アキ、あなた達の親友の[アウロラ]の二人が今、飛び回ってくれていますのよ」

「ほ、本当ですか? ミオ……。ミナカ……」

「無理すんなって言ったんだけどね。今、自分達に出来る事をしないと後悔するからって言って飛び出して行ったのさ。ユニの作った薬が思いの外効果があったみたいでね。全く配膳係りにしとくのは勿体ないよ」

「えっへんなのです。唯、二人とも鎧に操られていたので、かなり辛いはずなのです」

「きっと[アウロラ]のお二人も思いの女神だったのですわ。辛くても人を思いやるお優しいお二人なのですわ」

「はい……。ミオもミナカも……本当に良かった」

「後の事は任せて下さいまし。ここから先、首都ベルファストは陸の孤島。どの様な困難が待ち受けているやも知れませんわ。でも、無事に帰って来てね。絶対に乾杯するんだから」

 首都ベルファストをセシリアが陸の孤島と呼んだのには訳がある。サミアローズの北に位置するベルファストは、元々は標高二千五百メートルを超える断崖絶壁の山が切り取られて宅地化された都市だ。

 ウィクトリア一の都会を誇るサミアローズを見下ろせる事から、ベルファストに住む者は身分が高く貴族や特別な人達だけが住むのを許された。

 サミアローズからベルファストに架かる橋が可動橋となっているのも、一般の者が易々と出入りしない様にとされたものだ。

 正式には島になるが特別な人達が住む場所として知られ、セシリアは陸の孤島と呼んだのだ。

 可動橋までやって来ると既に到着していたシゲキ達を見付け再会に安堵する。

 これが一同集結した初めての瞬間である。やはり、各々に傷付き生身では無い。

 サラーナの元に連絡が入ったのは今から丁度三十分ばかり前である。国防本部建物一階の中央には巨大なモニターがあり、オペレーター達がその周囲を囲み二階・三階にもコンピューターが円形に配置され、四階の以前オスロが座っていた大層豪華な椅子にサラーナは座り両腕を机の上に置いて目を閉じ、思いふけっていた所に部下からの報告が入った。

「しっ、失礼します。ドゥーエ隊長のシグナルが……ロストしました」

「そ、それは……本当なのですか?」

「は、はい……。し、失礼します」

 サラーナは力なく椅子に深く座り込んだ。既にサミアローズの主要施設でNienteシステムが解除された報告も逐一入っていた。徐々に失って行く支配の地。

「凌駕するというの……人の思いは……。再び欲による悲劇が生み出されるのかもしれないというのに。フフッ、何処でボタンをかけ間違えたのかしらね……」

 首飾りを手に取ってじっと見詰める。そこには一組の夫婦に一人の子供が映っている。

 一度目を瞑り何かを振り切った様に立ち上がると、サラーナは檄を飛ばした。

「彼らはここにやって来ます。最早一刻の猶予もありません。迎撃態勢を取りなさい!」

 吹く風が木々を揺らし花吹雪を空に舞い上がらせる。特別な地だけあって桃源郷を思わせる幻想的な雰囲気の街はとても静かなのだが、何処かで見られている様な視線を激しく感じる。

 暫くすると、行く手には敵の大群が現れ始めていた。機械兵士の姿もあれば、黒い巨体をした大きな蜘蛛型の兵器の姿もあり、中でも目に付くのが二足歩行型の戦闘機械だ。卵の様な胴体に両手両足が付いていて、人型のエクス・マキナの機械兵士より明らかに大きい。

「あのコクピット……。まさか……人が乗っているの?」

 マイカの言葉に動揺を隠せないが思いの女神達が反応した。

「私達が行きます。マイカ、皆さん、任せて下さい」

「危険よ、アキ。相手はきっと[女神の涙]の恩恵も受けているわ」

「ううん。今までみんなも危ない目に沢山合って来た。マイカだって。私達だけが後ろにいるなんて出来ないよ。それに、これが私達の出来る事だから」

「人が操られているなら私達が止めてみせるわ。皆さんは一刻も早く議長の下に」

「もう、これ以上悲しみを増やさない……。ヨシカ達に出来る事……やる」

「四人一緒なら無敵だよぉ。だから、お兄ちゃん達は先に行ってよぉ」

 思いの女神である[星詠みの調べ]の四人もこれまでの戦いの中で成長していた。

 数々の苦難や悲しみを乗り越えて来た四人の表情は一つも曇っておらず、やる気に満ちている。

「解ったわ。任せたわよ、アキ。ここまで来たら細かい作戦など無いわ。アキ達が人型機動兵器を抑えている間に私達は各自突破しましょう。一刻も早く議長を止めましょう」

 全員返事をして思いの女神から離れ散開する。アキユキはヨシカに、シゲキはユキエに声を掛けて場を離れ、カズキはマユとVサインを交わして最後にアキに声を掛ける。

「今回のライブは野外ステージだね」

「音楽も無いし雑音だらけ。もっと、ちゃんとした会場で最初にカズキさんに聞いて欲しかったなぁ」

「でも、初めてのライブがこれって他には居ないね。ある意味自慢出来る」

「そっか。カズキさん世間に無頓着だし、これ位のインパクトあった方が良いのかも」

「にゃ? それって……褒めてる?」

「勿論。一生忘れられないライブにして見せます。クスクスクス」

「何か……笑ってない?」

「笑ってないです……多分」

「怪しい……何か腑に落ちないなぁ。けど、続きはこの戦いが終わった後、サワコママの店で打ち上げしながら聞く事にするよ」

「はい。約束です」

 アキは首を少し傾け笑って答えた。カズキもニコッと笑って頷きその場を離れる。

「それじゃあアキちゃん、いつもの気合い入れお願いね」

 ユキエが言葉にした気合い入れとは、ライブの前に一同輪になって集まり気合いを入れるもので、いつもならバンドメンバーやスタッフも入るのだが、今回は四人だけの気合い入れだ。

「アキちゃん、最初で最後の野外ライブ……絶対に成功させるべし」

 ヨシカはユキエの上に手を重ねる。

「飛ばしちゃうよぉ。カズキお兄ちゃん達をびっくりさせるんだからぁ。ほいっ!」

 マユはヨシカの上に小さな手を重ね最後にアキがマユの上に手を重ねる。

「うん。私達の思い、絶対に届けようね。[星詠みの調べ]笑顔のステージ一、二、三」

「ゴー!」

 最後に四人かけ声を合わせて重ねていた手を天に掲げた。四人は横一列となって一斉に空を飛んだ。彼女達の後には星の結晶がキラキラとなびき伴って、まるで夏の夜空を彩る天の川の様な星の絨毯を残して行く。その姿は天を舞い踊る女神そのものだ。

 先陣を切ったのはヨシカだ。平和を望む余り突っ走りその心を利用されたヨシカ。それでも、他人に卑下されても構わないと平和の思いを貫き、立ち上がった彼女の強さが全身から溢れている。

 次に歌い出したのはマユ。誰よりも人の笑顔を大切にするが故に誰よりも悩み、一度は挫折しそうだった彼女も今は迷いが無い。見る人聞く人全てを笑顔にすべく、小さな身体を一生懸命使って全身で表現し歌う彼女の姿は感動すら与える程だ。

 継いで登場するのはユキエ。ユキエは普段、先頭をどんどん進む切り込み隊長で四人の盛り上げ役だった。そんな彼女も実は繊細で、先を行くヨシカと比較し何も出来ない自分に嫌気がさして初めて弱音を漏らした。それでも勇気を出した彼女の行動と、思いを乗せた声が囚われたヨシカを救い目覚めさせた。そんな彼女の唯一無二の歌声に心震えない者などいやしない。

 最後にバトンを受けたのはアキ。親代わりであった叔父コワタの死に目に会えず、愛する国の大半を焼かれながらも、カズキやサワコ達と出会い、悲しみを乗り越えた先にある笑顔と平和を愚直なまでに信じ、誰よりも人を愛し続けた彼女の優しさは聖母の如く、癒やしの女神の名に相応しい大きな優しさに溢れていて、いつまでもその歌声に包み込まれていたいと誰もが思うだろう。

 個性の違う四人の歌声。だが、その歌声に雑味は無く、聞く者全てを引き付け捉えて放さない。圧倒的な声量。四人の平和への強い思い。調和の取れたハーモニーの中に、強さと感情が乗り移り、聞く者全てに元気を与えると、皆を穏やかな優しい気持ちにさせて行く。

「行くわ!」

 マイカの号令で守り手達が一斉に攻撃を仕掛ける。人型機動兵器は[星詠みの調べ]の歌声により、人は当たり前を取り戻し徐々にその動きを止めて行く。 

 今正に、古の時代、世界を救ったと語り継がれる童話の女神と八つの光である守り手の姿がそこにあった。

 数では圧倒されながらも次々と敵を倒し進んで行く。やがて、セシリア達後続隊も陸の孤島に足を踏み入れカズキ達の援護に向かう。セシリアと[星詠みの調べ]の放送に心動かされた応援部隊も四人の歌声が傷を癒やし力を甦らせた。傷付きながらも相手と互角の戦いをする部隊は徐々に前線を押し上げて行く。

 しかし、その時だった。後ろで待機するユニが大声を上げる。

「前方十二時の方向から高エネルギー熱源反応! 危険なのです!」

「みんな、直ぐに散開するんだ! 急ぐんだよっ!」

 サワコは乱暴にアプサラスを急発進させて射線軸から離れる様に左に舵を取った瞬間、キュイーンという音と共にショッキングピンクの蛍光色の光が突き抜けて行く。

 一番前線で戦っていたシゲキとアキユキは直ぐに左右に飛び退いて、後陣のマイカ達も直ぐに飛び退いたが、余りの爆風に吹き飛ばされてしまい、思いの女神は何とか難を逃れたもののライブを中断させられて、反応が遅れ逃げ遅れた者達は敵味方問わず一瞬でこの世から姿を消して光は空の彼方へと消えた。

「何て有様なんだい……」

 左腕をだらんとさせて右手で庇うサワコがモニターを目にして深い溜息を吐いた。

 モニターに映し出された味方を表す青い点と敵を表す赤い点は横一列に広がりながらも一部だけポカンと口を大きく開けて何も映っていなかった。

 悲しむ間もなく空いた穴を防ぐ様に次々と機械兵士が戦場に投入されると、前方にある岩山がゴォォォォォッという音を立てて宙に浮かび始めた。

 荒々しい地肌に無造作に取り着けられた数々の砲。特異すべきはその大きさと、中心に空いた半径五十メートル程の穴で、そこだけは機械でコーティングされた姿をしていて、先程の光は正しくあの穴から発せられたものだ。

 桃源郷の景色を損なわない切り立った岩山、動くこの巨大要塞こそがベルファストの国防本部であり基地だった。

 幾重もの光が目の前を走った。[女神の涙]の力を得て放たれるレーザー砲の雨は無差別にその者の存在を無くし悲しむ間さえ与えない。

 最早サラーナの行動は常軌を逸している。

 その行動に触発され自らの意思で人型機動兵器を操る面々は両腕の三本の爪を振り乱し動揺する部隊への殺戮を繰り返し始めた。

「い、嫌だ。嫌だ! 来るなぁ! 助けてくれぇ!」

「お、俺は降りる。退けぇ! 逃げるぞ!」

 巨大な力と戦う恐怖はあっという間に人々に広がり動揺を生んで行く。パニックに継ぐパニック。焦り、恐れ、恐怖、絶望。未来を信じここまで来た全ての人達の希望や思いを一瞬で凍り付かせる圧倒的な力に人は為す術を失ってしまう。

 要塞の銃口が新たな狙いを定め動き出した。多くの人々は動く事が出来ないでいる。

「させるかぁ!」

 其処に白銀の光が目の前にやって来て持っていた槍を水平に突き出した。突き出された槍の穂先から青白く輝いた彗星が生まれると、空を切り裂き、要塞の砲台に見事命中して綺麗な穴を穿って山を爆発させると、周囲の機械兵士をも一瞬で凍結させ粉々にする。

「みんな落ち着くんだ! 焦っては余計に犠牲が出る。部隊を一度下がらせて体制を整えるんだ。相手の射線軸を意識すれば当たらない。銃口の向きに気を付けて行動するんだ。早く!」

 疾風の早さで現れたのはカズキである。相手の強大な力に対し、それを力で破って見せて冷静さを取り戻させ指示を送ると、部隊の隊長らしき男がようやく反応して後退し始めるもカズキは視界がグラッと歪み倒れそうになるのを地面に槍を突き刺し何とか堪えた。

(ぐっ……今まで力を酷使し過ぎたか……。でも、未だだ……。未だ倒れる訳には行かないんだ)

 カズキは決して倒れず歯を食いしばって必死に叫んだ。

「守り手達よ! 今こそ力を発揮すべきだ。童話に語り継がれし八つの光が世界の闇を吸い込んだ様に、笑顔溢れる明日の為に、花を咲かせ続ける未来の為に、各々の思いを今こそぶつけるんだ!」

 失意する人達と同じ感覚に囚われていた守り手達が、カズキの言葉によって奮い立たされると本来の動きが戻って来た。

「せや! 兄ちゃんの言う通りや! 俺達は絶対に笑顔を取り戻すんや! 行くで、アキユキ!」

「うん! 俺達が戦いを終わらせるんだ! 行こう、シゲさん!」

 中でも抜群の動きを見せるのがシゲキとアキユキだ。二人は前の戦争で失った人達の笑顔を取り戻すべく、先の見えないお笑いという道を生涯の仕事に選んだ。人の笑顔を見たいと望む余り、お互いを傷付け合い、時に親しい友人や後輩を亡くし、悲しみの鎖に囚われて動けないでいたが、様々な困難を抜けて今の二人の夢は更に高まり同じ方向を向いている。

【笑顔溢れる明日の為に】

 その言葉に二人が反応しない訳が無い。相方として長年連れ添った二人は連携技を次々と放ち敵を討つ。風と炎が繰り出す共演を誰が邪魔出来ようか。

「アルファ、ベータ両部隊は三時方向前進! シータ部隊九時方向の援護に! 正面は僕が!」

 いつも縁の下の力持ちとして誰かを支えて来たエイコウ。彼は常に戦況を見極めて応援部隊が総崩れしない様に指示を繰り返すと、自らは高くジャンプして気を高め、その姿を巨大な隕石に変えて突貫し、相手の一角を弾き飛ばすと地面に段差を生んで機械兵士の隊列を乱す。

「よっしゃぁぁぁぁ! アタイに任せな!」

 戦鬪民族の女傑族として戦い慣れしているミカヤは、かつてサワコの部下として名を馳せた歴戦の戦士だ。どんな相手でも一つ綻びがあると、そこから崩れるのは充分周知していて、エイコウが崩した敵の陣形をミカヤが見逃すはずが無く、ミカヤが放った衝撃波が敵を掃討する。

「某も続きます! 参る!」

 ステラも本来の動きを取り戻した。細剣を横笛にして音を奏でると音色に誘われた精霊が敵の動きを止める。

 立て直しを図るべく、巨大な三つ叉の爪を振りかざし襲いかかって来る三体の人型機動兵器に対しては三つ叉の爪の中心を、目にも止まらぬ早さで射貫き沈黙させ燃え上がらせると、今度は的確に相手の足の動力部を細剣で射貫き動けなくさせる。

「距離を意識して攻めるわよ。マナ、牽制して相手の意識を向けて」

「了解。姉様、一気に行くよ。マナもやってやるんだから」

 カリオペの軍を支え続けた二人は、年齢は若くてもその才能は目に見張るものがある。ヒットアンドアウェイを保つ様に、押しては引きを繰り返し徐々に前へと進み出る。

 遠距離攻撃が得意なマナは牽制を担い銃で敵を打ち落とし、敵が怯んだと見るや近距離攻撃が得意なマイカが長剣を連突きし無数の葉が敵を穿って更に相手にダメージを負わせ道を確保すれば二人は一斉に突っ込んだ。

 二人とも[星詠みの調べ]四人に劣らずの、美しく可愛らしい顔立ちをしてスタイルも良く、アイドルとしてもやっていける程の美貌の持ち主だが、美しい薔薇には棘があるものだ。

「私達も、私達も行こう。少しでも多くの人に私達の声を届けようよ」

「ええ、私から行くわ。ずーっとイライラしてたんだから。唯一無二のライブ、してみせるわ」

「おぉー。ユキエが爆発して、ようやくいつものユキエに戻ったよぉ」

「ユキエちゃんはがさつな女が似合う……」

「フフッ。じゃあ、トップはユキエ。フォローは任せて。行くよ。ゴー!」

 動きを取り戻した思いの女神と守り手の働きによって、駆けつけた応援部隊もそれに触発されると、先程までに一方的に犠牲者を生んでいた戦況が変わって行く。

 アキ達四人は戦場を縦横無尽に飛び交い、時には相手の銃弾を浴びて肩を傷付け、相手の振るう剣に足を切られるも、声を出し続けて決して止まらない。

 彼女達の願いは一つ。より多くの人に声を届けて勇気や元気を与える事。その思いこそが彼女達が傷付きながらも立ち上がる力だ。

「あの子達、あんなにまでなって……」

 アプサラスのモニターで戦況を見つめていたサワコが嗚咽混じりに言葉を漏らした。

「サワコママ、ユニ、ここをお願いしますわ」

「本当に行くのかい? アンタに何かあれば、みんな信じる者を失っちまうよ」

「ううん。今行かなきゃならないですわ。身分とかそんなの関係無い。きっと、お父様達も賛成してくれますわ。私も星の女神として今傷付く人に寄り添い共に戦いますわ」

 セシリアはじっとサワコの顔を見ると、サワコは根負けして少し溜息を吐いた。

「全く強情な姫さんだね。でも、嫌いじゃ無いよ。解った。行っておいで。その代わり、絶対に死ぬんじゃないよ。約束だ。良いね?」

「勿論ですわ。私もカズキさん達と同じサワコママのお店で一杯飲みたいですもの」

 サワコは鼻で笑うとセシリアの背中を軽く叩いて送り出した。

「良いのですか、ママ?」

「良いんだよ。あの子が決めた事だ。危険を顧みず自らの立場も忘れて行っちまうなんてね。でも、あんな子だからこそ、これからの世界を良くしてくれるのさ」

 南東に位置する部隊の隊長率いるアプサラスの頭上に、屋根を覆い尽くす程の蜘蛛がその重量を生かし飛び乗って圧死させると、ここぞとばかりに機械兵士が雪崩れ込もうとする。

 統制された軍ならともかく、寄せ集めの部隊では混乱は尚更だ。指揮系統を亡くし、ある意味で指揮する人間が複数に増えると、船頭が増えた分どう動いて良いかさえ解らなくなる。

 叫び声が交錯しオロオロしている男達の中、セシリアが金色の鎧を纏い現れた。

「皆さん、焦ってはいけませんわ。ここは私に従って。今いる人達で押し上げますわ」

「おい、あれってセシリア姫じゃねぇか? テレビで見たぜ! セシリア姫だ!」

「凄ぇ可愛いじゃねぇか。可愛いのに良くやるなぁ! 実はお転婆なんじゃねぇか?」

 セシリアの登場に焦りを忘れ別の意味で騒ぎ出す男達。

「うぅぅぅぅん! 今はそんな事言っている暇は無いわ! 早く部隊を立て直しなさい! 男でしょ! とっとと動いて! あっ……」

 平静を装っていたセシリアも、ざわめき立つ男達にイライラしたのか堪忍袋の緒が切れて素敵なレディは台無しとなり、素のセシリアが出てしまった。

 だが、男勝りなセシリアの登場で間違いなく士気は向上した。

 国を率いる一国の姫が、自らの危険を顧みず戦いに身を投じたのだ。政治家という立場で会議室でふんぞり返り部下を使い、嘗てのマキノの様に自分だけが甘い汁を啜る様な人間では決して無いのだ。

 それから戦況は大いに動いて行く。明日の笑顔の為にセシリアは先頭に立ち続け、既に見窄らしい姿となった[星詠みの調べ]の思いが、何人もの人を解放し勇気を与え続けると、多くの敵の海を渡り切り、遂にアキユキとシゲキがようやく要塞へと取り付いた。

 サラーナは相変わらず目を閉じていて、最上階の椅子に深く座り動かないでいる。暫くしてようやく目を開けて中央のモニターを目にすると、基地から三艘の脱出用カプセルが丁度発射されて飛び立つ様子が映り出されていた。戦況が不利に傾くや兵士達が裏切ったのだ。

 机にある五つ並んだ四角いボタンを押した。モニターには宇宙の星々が映し出され、部屋はまるでプラネタリウムの様に変化する。

 天井を見上げていると、自身の右正面にあるドアが開いて明かりが差し込んで来た。

「早かったのね……」

 サラーナはシゲキとアキユキの姿を確認すると、とても優しい表情を見せる。

「二人とも元気そうね。それに、前とは違って迷いが無いわ。二人ともとても良い顔をしているわよ」

「サラーナ議長、もう、終わりにしましょう」

「せや。もう、投降して下さい。もう、こんなん辞めましょう」

「フフッ。そうね。もう、終わりね……。でもね、終われないのよ……」

 サラーナだけは今度は正面のドアが開いたのに気が付いた。

「あなたには解るかしら、カズキ?」

 正面のドアから入って来たのはカズキとセシリアだ。

「お久し振りです、サラーナ議長」

「本当に久し振りね。あの時、兵役訓練を受けていた子供がこんなにも立派に大きくなって……。私も嬉しいわ」

「サラーナ議長、もう、止めて下さいまし。これ以上命を奪う真似はしないで下さい」

「そう……あなたがセシリア姫なのね。真っ直ぐな目をしているわ。汚れの無い純粋な目を。私とは大違いね。ごめんなさい。止まる事は出来ないのよ」

「どうしてですの? あなたも平和を願っていた筈ですわ。それが、どうして?」

「……愛する人を失った者じゃないと……。子を持つ親じゃないと……解らないでしょうね……」

 そう言ってサラーナは首飾りを握りしめて瞼を閉じた。

「どうして悲しみを生む様な事を人は望むのかしら……。私はそれを止めたいだけよ」

 サラーナの言葉はとても嘘を言っている様に感じない。沈黙の中、要塞を攻撃する音だけが耳に入り、その度に天井からパラパラと落ちた岩の破片が床に落ちる。

「新たな悲しみを生んで尚、そう思いますか?」

 沈黙を破ったのはカズキだった。

「あなたは責任感の強い人だ。自分以外にも愛する人を失う人達を見て発起した。欲に囚われた者が国のトップにいる限り、悲しみの連鎖は続いて行くのだと……」

「……そうよ。悲惨な光景だったわ。[GG]の適性が無ければ卑下されて国を追われる。剰え実験に失敗すれば命さえも……。惨めなものよ。死地に赴かせる親の気持ちが解るかしら? 子を持つ母にとって、それはこの世の終わりに等しく自分の命を失うよりも重く悲しい……。それを絶ち切ったのよ。新たな悲しみとは何なの? 私がしている事は悲しみそのものを、感情そのものを無くす事よ」

「新たな悲しみは生まれない、生んでいないと?」

「何度もそう言っているわ」

「では、あなたが戦いを宿命付けた息子もそうだと?」

「えっ……?」

「あなたが改造を施し甦らせた息子……。その息子も悲しんでいないと?」

 サラーナの表情が曇る。サラーナは無意識の内に首飾りを強く握り締めた。

「人造人間として甦った彼に感情は無かったと? 彼は悩む事も、悲しむ事も無かったと言われるのですか? 今、あなたが理想を掲げた感情の無い存在だったと」

 言葉に詰まるサラーナは何か思い詰めた様に固まる。

「彼に感情は無かったとお思いですか? 人としての感情が。彼はあなたと同じ首飾りをしていましたよ……」

「そ、んな……」

「あなたが掲げる理想の世界。悲しみの連鎖を生まない世界。でも、あなたの愛する息子が新たな悲しみの中にいた事に気付いていなかったんじゃないですか、議長?」

 サラーナは固唾を呑み、身体を強張らせた。

「解りませんか? あなたの息子が求めていたのはあなたの笑顔です。あなたの笑顔を見たいが為に自らの感情を心の奥深くに押し込んだ……。自らの生き方を、人としての思いを捨てあなたに全て捧げて……。それは新たな悲しみを生んだ事になりませんか?」

 動揺を隠せないサラーナはそれでも平常心を装って声を震わせながらも持論を語る。

「そ、それでもこれからの世界、誰も悲しまず生きて行けるのは私が掲げる世界よ。カズキ、あなた自身も犠牲者なのよ。人を失い戦う事だけを宿命付けられた犠牲者なのよ」

「そう、ですね……でも、そう思わない生き方もあったんです。それをアキちゃんが教えてくれました。こんな俺をシゲキ達は兄だと慕ってくれました。仲間達が見守ってくれました。戦うだけの存在じゃないと」

「そ、う……。良い仲間に恵まれたのね。それでも、再びオスロの様な奴が現れたらどうするの? 大勢の犠牲を生み、また欲にまみれた戦いを繰り返すつもり?」

「覚悟はありますわ。確かに人はこれまで過ちを繰り返して来ましたわ。沢山の悲しみが生まれました。人はサラーナ議長がおっしゃる様な醜い部分もあります。ですが、人は花を咲かせ続ける戦いもきっと出来ますわ」

 カズキ達はセシリアに頷いて応えた。

「身分や能力に囚われず、人が願い、声に出せばそんな世界を実現するのも可能ですわ。人から奪い成し得るのでは無く、全ての人が手を繋ぎ支え合い花を咲かせ続ける。そうした誰も犠牲にならない世界こそが一番なのではないでしょうか?」

「そうです、議長。俺もアキユキも初めは相手を倒したら人々が笑顔になれると思てました。せやけど、結果は新たな悲しみを生んで笑顔なんか生まれへんかった」

「暴力や相手の心を奪う事。他人の力で成された平和に真の笑顔は無いんです。俺もシゲさんも気付いたんです。一人一人が笑顔になる為の戦いをすべきなんだと」

「サラーナ議長、あなたの平和への思いは本物です。でも、それはあなた自身、あなたの家族の悲しみによって成されるものじゃありません。勿論、暴力や誰かの犠牲によって得るものじゃ無い。あなたが受けた悲しみは俺達が引き継ぎ、決して忘れないように語り継ぎましょう。もう、あなたも悲しみの犠牲にならなくても良い。どうか、肩の荷を下ろして下さい」

 サラーナの目から涙がつうっと溢れ落ちる。

 シゲキ達の背後から別の人物が現れた。その人物はサラーナに駆け寄り、サラーナもまた立ち上がって駆け寄ると、サラーナは腕を大きく広げてがっしりとその人物と抱擁を交わす。

「母さん、もう……ずっと、笑っていて欲しいからっ……。だから、もう……」

 現れた人物はカズキと死闘を演じたドゥーエだ。冷静冷酷な姿は何処にも無く、例え半身機械の人造人間の身でも、目から涙を流し幼い子供の様に嗚咽混じりに泣きじゃくっている。

「ごめんなさい、ドゥーエ。あなたの気持ちなんて……。私は……。愚かな母を許して、ドゥーエ……」

 二人の再会を邪魔する様にビームライフルの音が鳴り響いた。

「おっ、お前らが悪いんだ! お前らさえ変な理想を掲げなければ儂はのうのうと暮らせたんだ! 儂の財産を、儂の贅沢を、お前らがっ! 死ねぇ!」

 更にビームライフルが発射される。ドゥーエはビームを身体に浴びながらも拳を繰り出して卵型兵士のコクピットを貫くと、コクピットの窓は粉々に砕けて中からいかにも贅沢をして来たと言わんばかりの太った男が絶命し転げ落ちる。

「ドゥーエ……嘘でしょ……ドゥーエ!」

 男の放ったビームはサラーナの右肩に一発、更にドゥーエに三発命中していた。

 カズキとの戦いで鎧が砕け防御壁を展開するのもままならず、無情にも男の放ったビームはドゥーエに命中した。

 横たわるドゥーエを膝に乗せて左手で頬を撫でるサラーナの出血も酷い。見る見る内に服は朱に染まって行くが、サラーナは気にもせずにドゥーエを気遣っている。

「母さん……笑って……」

 サラーナは泣きながらも必死で笑顔を作って見せる。

「母さんの子供で…‥父さんの子供で……幸せだった……。ありが、りが、りが、りが、りが、りが、りが──」

 最後の言葉をまともに話せないままドゥーエの頭が力無くこてんと横に崩れ落ちた。

「ドゥーエ……。ドゥーエ! アァァァァァァ!」

 サラーナの泣き叫ぶ声が響く一方で要塞内部から次々と爆発音が聞こえて来る。

 激しい地震に襲われたかの様に司令室のモニターは支えを無くし右に傾き、床にクレバスの如くひび割れが入り、机のコンピュータはドミノの様に倒れ始め椅子が縦横無尽に暴れ回る。

「さっきの男が爆弾か何かを仕掛けたのですわ。サラーナ議長、今は脱出しましょう。ドゥーエさんもそれを望んでいる筈ですわ」

「いいえ。私はここに残ります……。ドゥーエを、私の大切な我が子をこんな所に一人残せないわ……」

 そこにサワコの大きな声が飛び込んで来た。

『みんな大丈夫かい? 聞いとくれ。アンタ達が居る要塞から今までに無い高エネルギー反応が集まりつつある。早く逃げるんだっ! 良いね、直ぐに逃げるんだよっ!』

 今まで落ち着いた指示をして来たサワコの様子からしてただ事では無いのは明らかだ。

「……やはり、オスロの作った要塞なのね……。私は何て罪を……オスロは……」

 カズキは何かに気付くと、サラーナが座っていたコンピューターのキーボードを慌ただしくたたき込む。一通り終えるとカズキの顔はハッとして青ざめる。

「こ、これは……」

「そう……。オスロは要塞の破滅と[女神の涙]のエネルギーの世界への放出を連動させているわ……」

 サラーナの口から出た言葉に皆驚愕する。カズキは尚もキーボードを激しく叩き込んで[女神の涙]との連動を止めようとするがコンピューターは受け付けない。

「オスロは自分に万が一があればこの世界をも破壊しようとしていた。自分の居ない世界に存在価値は無いと思っていたのね……。オスロを知っていた私なら気付けた事を……。私がトリガーを引いてしまった。私は何て愚かな……。私はずっと、オスロの手の平で踊らされていた……」

 更に大きな音がして天井が崩れ落ちて来る。サラーナは落石によって動けなくなる。四人がサラーナの周囲にある岩を退かそうとするがサラーナは断固その行為を断った。

「もう、良いのよ……。どの道この出血よ。助からないわ。それに、ドゥーエを残して行くなど出来ない。ありがとう」

 サラーナの声はとても穏やかだ。

「セシリア姫、カズキ、シゲキ、アキユキ、この先また第二の第三のオスロがきっと生まれるわ。私は理想を追い求め過ぎた。でも、あなた達ならそんな困難も乗り越えられると信じているわ……。今のあなた達にもっと早く出会えていたら……私も歪まずに済んだのかしらね……」

「サラーナ議長……」

 セシリアは悲しみが溢れ出し嗚咽を漏らした。

「私の罪を最後にあなた達に背負わせてしまってごめんなさい。どうか、私達家族の分まで生きて幸せに。私が犯した罪……せめて償うわ……。あなた、ドゥーエ……。今からそっちに行きます……。また、家族みんなでピクニックに行きましょうね……。そう、みんなで……」

 激しい雑踏音の中、パーンっと乾いた音が耳を打つと瓦礫の隙間からサラーナがドゥーエを膝に横たわらせたまま覆い被さる様にして倒れ込む姿が見える。

「どうして……どうしてすれ違ってしまったのですか? サラーナ議長も、唯、平凡に家族で暮らしたかっただけですのに……」

 益々崩落が激しくなり、立っていられない程の振動が身体を揺さぶり始める。四人は司令室を急ぎ後にする。崩れ埋まりゆくサラーナ達に後ろ髪引かれる思いで振り返るが、部屋を出た途端激しい揺れが起こり、その姿は完全に見えなくなった。

 四人にようやく空の出口の光が映る。どうやら要塞はゆっくりと上昇を続けている。

 [女神の涙]の放出は世界各国に照準が合わされている。世界各国に照準を合わせるに当たり、ある程度の高度が無いと狙いが定まらないのであろう。

「大丈夫かい、セシリア?」

 セシリアはカズキの問いに対し、手で涙を乱暴に拭って頷いた。

「これからまた大変だけど強くならなきゃね」

「はい……」

「うん。きっと、セシリアなら大丈夫。素敵なお嬢様にもきっとなれるよ」

 瞬間セシリアはフッと自分の身体が宙に浮かんだのに気が付いて、自分の意思とは関係無く出口に向かい進み始めると、自分が何かの球体の中にいるのをようやく把握する。

「カ、ズキ……さん?」

 それはカズキが作り出した水の渦で出来た球体の中だった。

「下の者達に伝えてくれ。間もなく[女神の涙]は発射される。今は争い合っている場合じゃ無い。協力し合って少しでも避難をって」

 カズキはそう言うと右腕を払ってセシリアの入った球体を外へと押し出した。

「そんなっ! カズキさん! 私も、私も! シゲキさん! アキユキ君!」

「よろしく、セシリアちゃん。みんなを先導したってや」

「そうそう。俺もシゲさんもお笑い以外で注目させるの無理だから」

「頼んだよ、セシリア」

 最後三人が笑顔で敬礼のポーズをした所で水の球体は要塞の下へと姿を消した。

 相変わらず地上では指揮系統を失い、躍起になった兵士達が卵形の機械で暴れ回り、それを守り手が凌いでいる。アキ達四人も必死に声を上げて囚われた人達を救っている。

 重力に反しゆっくりと落ちる球体の中でセシリアは大いにカズキ達の名前を連呼し涙した。

「……解りましたわ……。それが、私が今出来る事なのですね……」

 意を決し奮い立つとバンッと球体が割れて、そのまま空を飛び回り声を張り上げた。

「戦いを止めなさい! 間もなく要塞から[女神の涙]が発射されますわ。今はいがみ合っている場合じゃありません! 互いに手を取り少しでも避難を! 急ぐのですわ!」

 サワコ達も異常に気付いてからは各方面へ通達を出し世界中に避難を呼びかけている。

『ここはもう充分だ! 全員麓まで退却するよ! 少しでも障害物に隠れるんだ。みんな良いね! 早くするんだよ!』

 サワコが呼び掛けるが声を枯らし未だ飛び回るセシリアをエイコウが無理矢理抑えて避難させる。

「エイコウさん……カズキさん、カズキさん達が!」

「信じよう、お兄さん達を。君に万が一の事があったら、それこそお兄さんに怒られる」

 エイコウはセシリアを何とか宥めて避難を始める。

 その頃、カズキ達三人は[女神の涙]が封じられている要塞の最下部へとやって来ていた。

 シゲキとアキユキは言葉を失った。レミーユのサイレンスとは規模が違う。幾つもの連結された[女神の涙]がギラギラと光を放ち小型の太陽を思わせる程に朱に赤く染まり、メラメラとしていて、鉱石の内部をエネルギーがぐるぐると蠢いているのが肉眼でもはっきりと解る。

 大きさだけでもサイレンスの三倍強。単純に考えても威力はそれ以上だろう。言葉に詰まるシゲキとアキユキ。サイレンスは地上に垂直に設置されていてエネルギーを上空に逃がす事で何とか爆発を防いだ二人だが、ここは空の上で地面に対し平行に設置されていて前回と同じやり方では防げない。

「このままじゃ爆発してしまう。[女神の涙]の活動を停止させてみよう。それでも爆発規模を幾分か抑えられる程度だろうけど」

「活動を停止させるって、そんなん出来るん、兄ちゃん?」

「解らない。でも、やってみるしか無い」

「それって、カズさんが[女神の涙]を凍結させるって事じゃ?」

「そうだよ」

「反対や。あのエネルギーと同等以上の力をもって凍結させなアカン。兄ちゃんの身体が絶対に持たへん。下手すればまともに爆発かて……」

「そうです。それだけの力を放出するにはカズさん自身に反動が。そうなれば……」

「別の方法を考えよ。力の放出先をどっか街や無い所に絞ったらえーんとちゃう?」

「駄目だ。それじゃ、まるで巨大な惑星が落ちたかの様に爆風で全てを飲み込んでしまうし、下手すれば津波を引き起こす」

 二人は黙り込んでしまった。カズキが言っている事は正論でその他には方法が無いし、他のやり方があればカズキは直ぐに行動している筈だ。

「力を貸してくれ。俺だけの力じゃ抑え切れない。お前達の力を分けてくれ。それを凍気に変えて出来る限り爆発を抑えて見せる」

「いや、待って兄ちゃん、その役目俺がするわ。要は[女神の涙]の活動を抑えたらえーのやろ?」

「いいや、シゲさん、俺がする。長く人を傷付けた償いをさせてよ」

「何、言ってんだ。お前達の火と風の属性じゃ活動を抑えられないだろ? 俺の水属性は唯一原子活動を停止させる事が出来る。俺が一番適正があるの。それに、お前達のお笑いを楽しみにしてる人達を忘れちゃいけないよ。それと、勝手に人が駄目になるなんて決めないの。案外しぶといぞ、俺。お前達も昔から知ってるだろう?」

 活動を停止させるのは自分達では無理だ。二人共それを解っていて敢えて口にした。

「でも、兄ちゃんかて待っている人……」

 シゲキの言葉に頭が過ったのはアキの顔だ。それでもカズキは言い返してみせる。

「あのなぁ、だから人を勝手に殺さないの。俺だってようやく仕事から解放されて好きな事して過ごしたいの。時間が無い。とっととやるよ。偶には俺を信じなさいっ!」

 シゲキもアキユキもカズキが言い出したら止めないのを一番良く知っている。それに、爆発を抑えるにはカズキの水の正属性の力しか無い。

「……解ったわ。アキユキ……」

「うん……」

「その代わり、絶対に三人で生きて帰るで」

「そうです。それが約束ですよ、カズさん」

「本当心配性だなぁ。そんな暗い顔してちゃ、いくら面白いネタの漫才やってもウケないぞ。約束するよ」

 二人は観念して縦に首を振ると、カズキは二人に笑顔を見せて二人よりも前に出て足を肩幅より少し広く広げて両腕を天に向ける。

「オッケー、オッケー。偶には三人で協力しよう。何か懐かしいな。昔は良く三人で遊んだな。さぁ、踏ん張ってくれよ! 行くぞっ!」

 カズキの掲げる両腕に白く輝く球体が現れてシゲキ達はその球体目がけ拳を放った。

 拳を放った二人の目からは既に涙が溢れていた。二人には解っていた。カズキは笑顔を取り繕っていたが無事で済む筈が無い事を。

 [GG]は放出するエネルギーと取り込む力が常に均等だ。放出するエネルギーが大きければ大きい程、装者へ反動が返り反動に絶えきれなければ装者は潰れてしまう。カズキの思いの力と肉体が何処まで保つのか二人は祈るしかない。

 二人の力を受けた球体から凄まじいエネルギーがカズキへと流れ込む。身体が潰れそうな圧を受けながらも更に力を強めると、鎧は輝く黄金へと変化する。

「兄ちゃん!」

「カズさん!」

 カズキの身を案じ二人が叫んだ時だ。二人は先程のセシリア同様に水の球体に包まれているのに気が付いた。球体は二人の意思に関係無くその場から離れようと移動を始める。

「嘘やろっ! 兄ちゃん! 何で、何でこんな事すんねん!」

「カズさん、この球体を壊して下さい! 俺も一緒に!」

「偶には年上らしい事もしてやらないとな……。みんなを笑顔にさせろよ、二人共……」

「ふざけんな! 自分だけえー格好すんなや、兄ちゃん!」

「カズさん! 駄目です! カズさん! カズさん!」

 二人の球体はそのまま地上へと消えた。叫び続けていた二人の声が完全に聞こえなくなる。

「世界中の人を笑わせてくれ、シゲキ、アキユキ。お前達の願い、夢、楽しみにしているよ」

 目尻の辺りから風船が破裂したかの様にブシュッと血が噴き出した。

「頼む……。今だけ……今だけで良い……。今だけは保ってくれ。俺に道を示してくれた大切な人を、大切な仲間を、笑顔を守る為に!」

 全ての力を両腕に集結させると真っ白な球体を[女神の涙]に向けて放った。

「ウォォォォォォォォォォ!」

 [女神の涙]に真っ白な球体がぶつかる。カズキは球体を放った後も両腕組んで顔の前に下ろしたまま拳を放ち続ける。周りは瞬時に凍結し氷の芸術作品が出来上がって行く。

 既に呼吸するのも苦しく、自分の身体が何処に行ったのか感覚が失われ、視界も段々と狭まるがそれでもカズキは拳を止めない。

 カズキは初めて人体実験された身であるのを感謝した。そうでなければとっくに身が滅んでいただろう。朦朧とする意識の中、今まで出会った人の笑顔を思い出して拳を放ち続ける。強く、強く、皆が笑える世界の為に。

 太陽の様な朱色の球体が真っ白な凍気に包まれる。互いのエネルギーを交錯させるも、カズキの放つ凍気はそれを瞬時に凍らせて氷の厚さを増して行くが、既に臨界点を突破していた[女神の涙]が牙を剥く。

 大きな音を響かせて周りに光をまき散らせる。光は要塞の足下から放射状に放たれて流れ星の様に宙を滑空し地面へとその姿を消して行く。

 一瞬の沈黙の後、カッと目映い光を放つと爆音と共に広がるキノコ雲。歴史ある建物は一瞬でその幕を下ろし、砕かれた地面は宙を飛び回り、何千年とこの国の歴史を見ていた大木は根こそぎえぐり取られて爆風に身を任せる。車は自らの腹部を露わにして吹き飛べば、人は意識無いままに空への冒険へと旅立って、地面に衝突しその短い旅を終える。

 遠くは復興が動き出したカリオペ、激戦が繰り広げられたジュノー、ガイヤ大陸一の大国で内乱覚めあらぬウィクトリアの各方面で同様のキノコ雲が発生した。

「……アキちゃん……ライブ……きっと成功するよ……」

 カズキの見える世界から色が徐々に消えて何も見えなくなって行く。

 脳裏に焼き付いているアキとの思い出に膜が覆って次第に消えて行く。

「……信じてくれて……ありがとう……。約束……守れなくて……約束……?」

(……俺に……居場所をくれた、人……誰だ……? 解らない……もう、何も……)

 一際大きい爆発音と共に要塞が爆発を起こし更に激しく光が散った。

 今度は本物の流れ星の様に直ぐに姿を消して、それが収まると要塞は役目を終えたかの様にゆっくりと下降をし始めた。

 シゲキ達がようやく球体から抜け出して天を仰ぐ。

(……カズキさん、何処にいるの? どうして、みんな要塞を見ているの? カズキさんの事だ。きっと、ひょっこり現れて驚かそうとしているに違いない。そうだよね……。きっと、そうだよね……)

 氷山と化した要塞は爆発と共にボロボロと身を削り落とし、しだいに痩せ細って行く。削り落ちた身は粉々になって四方へと舞い散り、太陽の光に反射して七色の星を辺りに散らせる。その星の光は本当に美しくて女神が涙を流したと思わせた。

「……カズキさん、何処にいるの……?」

 誰も答える者はいない。

「誰か知りませんか……? 誰か……ねえ、教えて……誰か……」

「……兄ちゃんは、あの要塞の中やねん……」

「嘘……また驚かせようとして……」

「カズさんは……みんなの笑顔を守る為に……残ったんだよ……」

「嘘……嘘よ……だって、約束したもん! またサワコママの店で乾杯して、ライブにも来てくれるって。カズキさん、約束破らないもん! 絶対嘘吐かないもん!」

 やがて要塞は棒の様に痩せ細り、ズガガガーンと音を立てると地面に突き刺ささった。

「いやぁぁぁぁぁぁぁ!」

 枯れ木の様に変わり果てた要塞の姿は、まるで自らの墓標を表しているかの様だった。


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