身バレと拉致と
「……なんだったんだ、あの子……」
先ほどの少女との対面で胸の奥に残るのは、氷を流し込まれたような冷たい感覚。言葉自体は短いものだったし、直接触れたわけでもないのに、ヒヤリとした手に全身を撫でられたような感覚があった。
ふぅと息をつきながら歩くうちに、気づけば通りの人波から外れていた。
大通りに並ぶ露店の賑わいが遠のき、代わりに薄暗い路地が目の前に伸びている。建物の隙間から吹き込む風はひんやりとして、昼間だというのに妙に静まり返っていた。
「あれ、こっちじゃなかったか」
引き返そうとしたが、もう大通りの人混みは見えなくなっている。いつの間にか入り組んだ小道に足を踏み入れてしまったらしい。
その時だった。角を曲がった瞬間、がっしりとした体格の男とぶつかってしまう。
「っと、すみません!」
謝りながら顔を上げた塁は、帽子が地面に脱げ落ちていることに気づいた。慌てて帽子を拾い着用し直し、足早にその場を去る。
「……あぶね、正体バレたらシャレにならない……」
両手できゅっと帽子を深く被り直し、独り呟く。なるべく人通りの多い大通りに戻ろうと、小道を進んでいった。すぐに王宮に帰るべきだ。
だが、路地は想像以上に入り組んでいた。石畳は狭く、古びた建物が両脇に迫り、昼だというのに影が濃い。心臓の鼓動が早くなる。
(早く人の多いところに……)
その瞬間、背後で砂を踏む気配がした。
「――っ」
心臓が飛び上がるが、塁の手足が反応する間もなく、荒々しい手が口元を塞ぐ。息を吸う間もなく背中を強く押され、腕を後ろに捻り上げられた。 うなり声しか出せず、必死にもがくが力が入らない。
すぐさま埃っぽい布袋が頭から被せられ、視界は闇に閉ざされた。鼻を突く埃と布の臭いにむせながら、塁は声を上げようとするも、すでに口に何かをはめられており、袋の中でくぐもった音が漏れるばかりだった。
ごつごつとした石畳に背を擦られ、無理やり担ぎ上げられる。耳には複数の男たちのひっそりとした話し声が入ってきた。
「まっさかこんなところで王サマに出くわすなんてな」
「今日はついてら。天は俺らの味方よぉ!あの旦那に売り渡せば、一生遊んで暮らせるだけの金が入るぜ?」
こそこそとした会話とは対比的に、ゲラゲラと品のない笑い声が響く。
(――王サマ!? って俺をアルバートと……!?)
そのまま乱暴に塁は馬車の荷台へと放り込まれる。背中に衝撃が走った。縄で両手首を縛られ、蹴り倒されるように押さえつけられる。
馬の嘶き、車輪がきしむ音。馬車はすぐさま動き出した。
袋の中で荒い息をつきながら、塁は必死に思考を巡らせる。
(やばい……完全にアルバートと間違えられてる……!)