国と魔術
謁見の夜を越え、塁はしばらく王宮で静かな時間を過ごすことになった。
謁見の日の夜は、夕食の準備ができあがってルースが塁の部屋を訪れたが、すでに熟睡しきっていたため起こすのをやめたみたいだ。
与えられた部屋は広すぎるほどで、窓の外には城下町の屋根が広がり、その先に遠く青い森と山並みが見える。
朝になると鳥の鳴き声と共にメイドが入ってきて、焼きたてのパンや香草の香るスープが運ばれてくる。ちなみに俺は認識阻害魔術のかかったハンチング帽と伊達メガネを外すのは、この部屋の中のみ。世話を担当するメイドは、基本的にはこの一人のみということになっているらしい。それだけ信頼されているメイドなのだろう。
(……ホテル暮らし、ってこういう感じなのかな)
大学生活ではありえない優雅すぎる日常に、最初こそ面食らったが、次第に慣れている自分に気づき、塁は苦笑を隠せない。
日中は王宮内を歩く許可が出て、ルースが必ず付き添った。もちろん、容姿を隠すために伊達メガネとハンチング帽の着用は必須だ。
広い中庭や噴水の前で足を止めれば、ルースが控えめに説明を加える。
「この庭は歴代の王が整えたものです。中央の噴水には“竜の加護”が宿るとされ、国の繁栄を象徴しています」
竜は今は昔のお伽話のような存在だが、古い時代には存在していたことが文献に残されているらしい。
「竜の加護かぁ。ファンタジーっぽいなあ」
王宮の書庫にも立ち入ることを許され、塁はサンセティア帝国の歴史を断片的に知った。
この国の文字が読めなかったため、ルースに色々と説明してもらう。
――建国から五百年、大陸の南側中央に位置し、広大な国土ながら交易の要衝としても栄えてきたこと。
――周囲には、小国を除き四つの強国が存在し、対立を繰り返していること。
――サンセティアは常に他国の思惑の渦中にあり、強き皇帝の存在が安定に直結するということ。
そして何より、塁の心を掴んだのは「魔術」に関する知識だった。
この世界には 火・水・風・土――四つの基本の「魔術種」が存在する。
そしてすべての人間が魔術を使えるわけではない。
諸説あるが、この世界のどこかに存在する「魔力核」から放たれる魔力との相性の良い者だけが、魔力を体内に吸収し、操ることができるーーーーーという説が最も濃厚だ。
しかも魔術を操れる人の多くは一つの魔術種にしか適性を持たず、それ以外は全く使えないか、使えたとしても威力は大きく落ちる。火を操れる者は基本的に水を生み出すことは難しいし、土を扱う者が風を操るのも難しい。
ただし、ごく一部の者だけが複数、あるいはすべての魔術種への適性を持つことがあるという。
とくに複数の魔術種への特性があり、魔力量が豊富な場合、目や髪の色に反映され、漆黒に近づくのだそうだ。
「だからこそ、黒髪黒目は特別視されるのです」
ルースが塁へと目を向けながら、当然のように補足した。
「陛下――アルバート様はすべての魔術種に強い適性を示す稀有な存在として知られています」
「へえ……すげえ、カッコいいな」
「ええ。他国からの注目も高く、その分、皇帝としての責任も重いのです」
ルースは視線を前に向けたまま答える。
「じゃあルースは? 魔術、使えたりする?」
少し間を置いてから、ルースは苦笑を浮かべた。
「一応、風の適性があります。ですが魔力量は多くありません。私は剣を主としております」
「ふうん?風か。なんか似合うな。スラッとしてるし」
軽口を叩いた塁だったが、ルースは否定もせず、ただ前を歩き続けた。その背中から漂う静かな強さに、塁は不思議と安心感を覚える。
(魔術……俺にも使えるのかな)
アルバートが見せた炎や氷の光景を思い出し、胸が高鳴った。
王宮滞在中、時折だが執務を抜け出してアルバートが姿を見せる。茶目っ気のある笑みを浮かべて塁に声をかけてきた。
「どうだ、我が王宮の居心地は? シェフの肉料理は気に入ったか?」
「……うん、まあ。当たり前かもだけど、学食より全然うまい気がする」
「ガクショク? それは僕の知らない料理だな……! 後で詳しく聞かせてくれ」
国王という割には、アルバートはどこか人懐こく、時には夜中に変装して塁の部屋に顔を出すほどの自由人だった。
(この人、本当に国王なんだろうか……)
そんな風に呆れながらも、笑い合う瞬間が増えていく。