護衛任命
謁見の間で皇帝アルバートと対面した後、念の為医師の診察を受け、塁はルースに導かれて城の奥まった廊下を歩いていた。廊下に人通りはない。ここは城の最深部で、王族と限られた側近と使用人しか踏み込めないエリアなのだそうだ。
ただしアルバートと瓜二つな顔をしていること、影武者として動く可能性があることから、念の為伊達メガネとハンチング帽子を被らされた。王宮御用達なのか、やたら被り心地の良い帽子である。
しかもこの帽子とメガネには、見た人からの顔の認識を阻害する魔術がかかっているそうだ。魔術って不思議だ。
「……なあ、ルースさん」
コツコツと響くルースのテンポの良い足音を聞きながら、塁は口を開いた。
「どうか“ルース”と。何でしょうか」
ルースは歩調を少し緩め、塁の顔をうかがう。
「俺、元の世界ではどうなってるんだ?さっき『戻れるとかいう話だったけど...ここにいる間、向こうでは時間は進まないのか?俺さ...ここにくる直前に屋上から突き落とされたんだ。あの時、確かに落ちたんだよ」
屋上から落ちた時の様子を思い出しながら、ルースにそのときのことを語る。
実は塁がすぐに元の世界に戻ると決断しなかったのは、そもそもあの世界で今も塁が生きているのか不安に思ったことも要因している。普通にあのまま屋上から地面に叩きつけられていたとしたら、生きている可能性は低いだろう。
ルースは驚いたように目を丸くしたが、話を聞いているうちに表情を曇らせる。
「……突き落とされた...なるほど。それは気がかりですね」
本気で心配してくれているようで、眉根を寄せ、顎に手を当てがっている。
「ただ一つ言えるのは、異界召喚は“時”を隔てて行うということです。こちらに滞在している間、向こうの世界での時間は進まないはずです。ですから、あなた様の世界で一夜が過ぎてしまうことはない……と少なくとも理論上はそういえます」
「そうなのか。理論上、ね」
不安は完全には拭えない。その理論だと、元の世界に戻った際に落下が再び始まり、地面に叩きつけられるのではないだろうかと思い、ぶるりと身を震わせる。
そんな塁の様子を見てルースは再び考え込む。少し思案した様子の後、静かに口を開いた。
「元の世界に戻る際に備えて、本件は陛下とも相談の上で対策を講じましょう。もちろんそれでも心配であれば...こちらの世界に残り続けることも歓迎いたします」
「あっ、その件もなんだけど……俺、本当に“影武者”とか、そんなポジションで大丈夫なのか?あの王様とは俺って全然違うし、似てるようで似てないていうか......。つか、ビビっているようで恥ずいんだけど、正直俺、危険なことはちょっと...」
あたふたと立ち止まると、半歩先の斜め前の位置にいたルースも立ち止まる。
一瞬だけルースの口元がわずかに緩んだように見えた。そして同時に真剣な目つきにもなる。
「殿下――いえ、ルイ様。私の目には、あなたは驚くほど自然に陛下と似通って見えます。容姿だけではなく、おそらく内面も。
そして危険な目には...あわせません」
キュッと口を結ぶルース。
「雰囲気ー?似てるかぁ?あれと...いや、アルバートさんと?俺、ただの大学生なんだけどな」
「似ていますよ。陛下は普段は皇帝らしく振る舞われておりますが、内面は親しみがあるというというか、言い方を変えると庶民的で、謙虚で、情に惑わされやすい面をお持ちです。」
ルースの声は低く穏やかで、塁の胸に妙な重みを残す。
「そうなんだ?よく知ってるんだな、アルバート...陛下?のこと」
「ええ、まあ。それに相当魔力量が多く、あらゆる魔術種への特性のある者でなければ黒目黒髪にはなりませんから、この国で陛下の代役が務まるような漆黒の瞳・髪の持ち主はそうそういません」
「そうなの!?日本来たら黒目黒髪だらけなのにな〜。てか、それって俺も魔法使えたりするのか?」
「ええ、おそらくは」
なんと、俺も魔法使いになれる可能性があるとは!是非とも使ってみたい。アルバートの魔法を見た時の興奮を再び感じながら、歩みを進める。
先ほどから感じていた元の世界に戻ることへの不安も、こうしてルースと話していると少し軽くなる気がした。
ほどなくして与えられた部屋は、十分すぎるほど豪奢だった。大きな寝台、窓際に並ぶ繊細な細工の椅子と机、壁には柔らかな色調のタペストリー。まるで高級ホテルのスイートルームに放り込まれたようだ。
夕飯時にまた声をかけると言い残し、ルースが退出していく。
静寂が落ち着くと同時に、塁は大きくベッドに身を投げ出した。
(……それよりそもそも、本当にここは異世界なのか?夢でも見てるだけなんじゃ)
夢なら夢で、それでいい。魔法を使って楽しんだら、目覚めてくれ。
一人になったためか、疲労がどっと押し寄せる。そして謁見の間を後にする直前のやり取りが甦った。
謁見の間で塁の頷きを確認した後、アルバートは場の空気を和らげるように、塁の傍らに控えていた長身の青年へと視線を送った。
「ルース。今日から彼の護衛を頼む。私の影武者として振る舞うかどうかはまだわからないが、いずれにせよこの宮にいる間は守る必要がある」
ルースは深く一礼し、低く響く声で応えた。
「承知しております」
塁は内心ホッとした。護衛というのがどこまで付き添ってくれるものかは不明だが、この後も何かとルースがサポートしてくれるようだ。
(なぜだろう。初めて会ったはずなのに、ルースさんと長時間一緒にいても居心地の悪さがないんだよなあ……)
塁は、小さく息を吐いた。
なぜか心の奥で燻る懐かしさと、言いようのない不安。だが疲労はそれをも飲み込み、やがて塁を深い眠りへと導いていった。