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「王の影」とは俺のこと!〜背中を押されたら〜  作者: 大木 雫


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20/22

彼はもういない

 夜は深く、王都を包む空は濃い藍に沈んでいた。

 王宮の高塔――執務室の窓辺では、燭台の炎が小さく揺らめいている。


 アルバートは机に向かい、羽ペンを握っていた。

 けれど、筆先は書面の上で止まったままだ。

 視線は紙ではなく、思考の底へと落ちていく。



 今日、ルイが王家の儀礼服を纏った。黒と金を基調とした衣装がとてもよく似合っていた。その姿を見て、どうしようもなく嬉しかった。涙が出そうで、必死で堪えた。

 (王家の服装をまとって、僕のそばにいる)

 

 ルイは“彼”ではないし、僕のことを覚えてはいない。しかしあの日ルイがこの世界に来てから今日まで、アルバートは確かにルイが“彼”であることを感じていた。

 優しさと、そこから見え隠れする責任感、瞳に宿る強さ。

 

 だからどうしても、アルバートはルイを兄弟として見てしまう。そんなアルバートを、ルイが拒絶しないのも嬉しくて、同時に安心した。

 

 そして嬉しいはずなのに、時折どうしても苦しくなり、震えそうになる。


 (……僕は強くない。“彼”だったら、こんな時どう気持ちを整理するのだろう......)


 あの日、玉座の間で“彼の魂を宿す者”を――ルイを初めて目にした時の感覚は、今も鮮明だ。

 それは安堵でも、驚きでもなかった。心臓を鷲掴みにされたような痛みだった。


***


 その日、朝から胸の奥は落ち着かなかった。いや、昨晩から緊張で一睡もできなかった。

 今日、異界の扉が開き、“彼”が戻る――そう予定されていたからだ。


 (本当に、彼の魂なのか?)

 (異界の器では、どんな姿をしている?)

 (僕のことを……少しでも覚えているだろうか)


 自分でも笑ってしまうほど、思考はぐるぐると回っていた。今日のこの日のために準備を進めてきたのは自分だというのに。

 理屈では理解している。“彼”はもうこの世界の存在ではない。

 呼び戻されるのは、あくまで“彼の魂”を宿した別の者――。


 それでも、心のどこかでは、ありえない奇跡を期待してしまう。

 もしも彼が、ほんの一瞬でも懐かしい眼差しを向けてくれたら。

 もしも、声の響きにあの頃の温度が宿っていたら。


 そんな淡い幻想が、静かに胸の奥を蝕んでいた。


 (……くだらないな。そんなわけがないのに、夢など見ている場合ではない)


 自嘲気味に息をつく。


 予定の刻が近づき、時計の針が音を立てた。

 心臓が鼓動を速める。

 どうしようもない不安と緊張、淡い期待。


 ――そして、予定の刻を過ぎても彼は現れなかった。


 謁見の間の空気が急に重く感じる。

 静寂の中で、不安だけが膨らんでいく。


 やがて扉が叩かれ、息を切らした執務官が現れた。

 「陛下、召喚に成功しましたが……転移座標がずれ、“殿下”は王城外に落ちた模様です」


 「……何だと?」


 言葉の先で、血の気が引いた。

 どんな状態で、王城外のどこに落ちたんだ。

 安全な場所に落ちているのか?


 本当はその瞬間、玉座を投げ出してでも駆け出したかった。

 だが、何の準備もない状態で皇帝が外へ飛び出すことはできない。何重もの制約が、アルバートをこの部屋に縛り付ける。


 (……頼む。どうか、無事でいてくれ)


 不安が顔に出てしまわないよう心を押し殺し、アルバートはルースを呼びつけた。

 「至急、“彼”を探せ。レオナルドの部下を同行させろ。……時間が惜しい。走れ!」


 ルースが一礼して去ると、静寂が戻った。


 拳を握りしめる。

 爪が手のひらに食い込むほど強く、しかしそれでも焦燥は止まらない。


 (もう再び失いたくないんだ)


 彼が僕を覚えていなくったっていい、ただ、無事でいてくれ。


***


 そして、ようやくその時が来た。


 扉が開かれ、ルースに伴われて“彼”が姿を現した。

 その姿を見た瞬間、アルバートの思考は一瞬で凍りついた。


 (……まさか)


 光が差し込む中、ゆっくりとこちらへ歩みを進める“彼”。

 その顔を見た瞬間、胸の奥で何かが弾けた。


 (……あぁ、やはり……)


 血が逆流する。心臓が暴れ出す。

 目の前の青年の姿は、まぎれもなく“彼”そのものだった。

 声をかけようとした瞬間、喉が震え、息が詰まった。


 思わず駆け寄りそうになり――。


 しかし、ルイの視線がこちらをとらえた瞬間、アルバートは動きを止めた。


 彼が自分を見るその瞳に、懐かしさや歓喜はなかった。

 驚きと困惑、そして少しの警戒。

 “彼”ではない。その現実が、胸の奥に冷たく刺さる。


 (……そうだ。わかっていたじゃないか。彼はもう――)


 アルバートは息を整え、微笑を形にした。

 震えそうになる唇をかろうじて制し、ゆっくりと玉座に腰を下ろす。


 心の奥で、自らに言い聞かせる。


 ――僕は...私は皇帝“アルバート・サンセティア”。


 ヴァロウが話しかけてくる。答えなければ。頼むから、誰もこの震えに気づかないでくれ。


  「ここは――サンセティア帝国。五百年の歴史を持つ国家だ。そして私は、その第十九代皇帝、アルバート・サンセティア」


 その声は完璧だった。

 誰が聞いても、それは威厳ある“皇帝”の声。

 けれど、その裏で、胸の奥に隠した感情が静かに疼いていた。


 ――覚えていなくてもいい。

 ――せめて、もう一度、生きて、僕のそばにいてくれ。

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