王宮の陰
王都へ戻って数日。
ルースが不在となる時間帯がときどきあり、塁には相変わらずたっぷりと時間があった。
先日の襲撃以降、危機感を持って「勝手に外出しまい」と決めた塁の様子を見てか、アルバートや宰相ヴァロウからは、
・魔道具付きハンチング帽と伊達メガネを必ずかけること
・指定した城内区画から外には出ないこと
を条件に、正式に自由に出歩いて良いと伝えられた。
ルースがいない時間帯には、別の護衛をつけているとのこと。塁の目には全くどこにいるのかわからないが、先日見かけた「ハンス」というルースの部下がどこかでこっそり見ているのだろうか。
塁の部屋がある棟から見える中庭には白い噴水があり、今日も昼下がりの陽を受けて水面が細かく輝いている。
そして、塁は今日アルバートの執務棟へと続く渡り廊下を歩いていた。
用事があるわけではない。ただ、暇を持て余しての散歩だ。
アルバートは早朝から深夜まで執務室で仕事をしていることが多いようで、「ルイならいつでも来ていい」と言っていた。それを言う彼の目元には色濃いクマがあり、ちゃんと眠っているのか心配になる。
前王時代の領土侵攻の方針から一転、平和な治世を目指すアルバートには、やらないとならないこと・やりたいことが多いのだそうだ。
白い大理石の床に塁の足音が響く。
ふと、角を曲がる前――声が聞こえた。
男たちの笑い声。
どこか嘲りを含んだ、押し殺した笑いだった。
塁は少し気になり、足を止めた。
柱の陰からそっと覗く。
(なんか俺、ここ最近盗み聞きばっかしてるな?)
つい先日も、ルースとその部下ハンスとの会話を盗み聞きしたところだ。
(誰も俺のことなんて気付かないな!影武者よりも忍者のが向いてんじゃないのか、俺)
内心でクスリと自嘲し、意識を廊下の男たちに戻す。
そこには、数人の貴族らしき男たちが立ち話をしていた。
派手な刺繍の入った外套に、宝石のブローチ。
見るからに“上流階級”というやつだ。アルバートやその側近のヴァロウ、レオナルド、そしてルースなどよりも随分派手で豪勢な衣装である。
「……陛下は相変わらず“理想主義”でいらっしゃる」
一人が皮肉げに笑う。
「理想を語るのは勝手だが、国は夢で治まるものではない。
属国や敗者どもの機嫌取りのために国庫をすり減らしてどうする。先日もまた、戦争孤児どもを生かすための孤児院の追加建設を決めたのだとか。馬鹿馬鹿しい」
「まったくだ。先代陛下がご健在であれば、今ごろあの蛮族どもなど跡形もなく――」
その言葉に、でっぷりと肥えた別の男が慌てて言葉を遮る。
「......おい、声を抑えろ。誰の耳があるかわかったもんじゃない」
「はは、失礼。......だが、陛下も“お優しすぎる”ことだ。
異国の蛮族を庇うような王に、誰が忠誠を誓える?サンセティアが勝者なのだから、敗者が奪われる側に回るのは当たり前だ。奴らが息たえるまで働かせて金を取れば良いものの」
――心がひやりと冷えた。
塁は思わず拳を握る。
今の言葉は、間違いなくアルバートを指していた。
それに、国の現状を詳しく知らない塁にでも、奴らが差別的な発言をしているのはよくわかる。
彼らの笑い声は続いた。
「どうせあの方は、理想の平和を追い続けて滅びるさ。
現実を見ず、戦を避けることばかり考えている」
「“聖王”気取りの若造に、帝国が保てるとは思わんな。愚かな話だ」
――息が詰まった。
塁はそっと後ずさり、音を立てないよう廊下を離れた。
足元の石畳がやけに冷たく感じる。
胸の奥で、何かが軋んでいた。少し頭に血がのぼっているような感覚もある。
(……戦争を好まないアルバートを、よく思っていないのか)
彼は戦を望まず、平和な治世としたいと言っていた。
けれど、それが笑われることなのか。
平和を願うことがそんなに嫌か。
難しいことでも、理想を描き、それに挑戦するのがそんなに嫌か。
皆の平和のために努力しているアルバートの姿を知っていて、それを言っているのだろうか。
それに前王時代に戦った間柄の他国の人間とはいえ、自国民となった今、どうして国民の一人として尊重できないのか。
(アルバートの代で国の方針を大きく変えたんだ。そりゃ簡単に、気持ちが変わらないのはわかる)
だからといって、陰でとやかく文句を言う人間は、俺は嫌いだ。それにあの身なりからして、あの貴族たちが私服を肥やした生活をしているのは明らかだった。
(だいたい陰口言ってるやつに、ろくな奴なんていないんだよな!)
その夜、寝台に横たわっても、塁は眠れなかった。
(……この国や、アルバートのことをもっと知りたい)
アルバートが、そもそもなぜ平和への理想を語るのか。
今、この国は実際にはどんな状況なのか、俺は何一つわかっていないのだろう。
それにルースやヴァロウ、レオナルドが、あの王を迷いなく支える理由は何なのか。
翌朝。
起こしにやってきたルースに、塁は真剣に声をかけた。
「ルース。俺、もっとこの国のことを知りたいと思ったんだ」