宿での一夜
ルースが乗ってきたらしい馬に一緒に乗せてもらいながら、林を抜け、夜道を歩き続けて小一時間。街道沿いに小さな村があり、その古びた民宿に身を寄せることになった。
ルースは俺に気を遣ってか、自身の前に塁を乗せてゆっくりと馬を進めていたが、それでも塁はふくらはぎから腿、尻、腰回りに疲労を感じていた。対するルースは涼しい顔だ。
(ちくしょう、鍛えねえとな)
「ここで一晩、身を寄せましょう」
ルースの低い声に導かれ、塁は藁葺き屋根の宿に足を踏み入れる。内部は簡素で、木の匂いと燻ったランプの明かりが温かさを醸し出していた。宿の主人は気怠そうに対応したが、ルースが銀貨を差し出すと快く部屋を貸してくれた。
二階の一室に入ると、狭いながらも清潔に整えられている。寝台は一つしかなく、窓からは夜空に浮かぶ三日月が見えた。
塁は深く息を吐き、ベッドの端に腰を下ろした。
「……はあ。生きた心地しなかった……」
ルースは窓際に立ち、外に視線を巡らせながら、淡々と答える。
「襲撃者は十人前後。全員、街の傭兵崩れでしょう。背後に誰がいるかまでは断定できませんが……皇帝を狙ったのは明らかです。
ただし、今回は統率も何もないゴロつき程度の集団だったため、おおかた『たまたま見かけて手を出した』という程度でしょう」
(たしかに、たまたま見つけてラッキー!って感じの雰囲気だったな)
「はぁ。俺、王じゃないのにな」
思わずヘラりと笑った。だがその笑いもすぐに消え、胸に重みがのしかかる。
もしルースが来てくれなければ、自分はもうどこかへ売り飛ばされたり、想像もつかない酷い目に遭っていたのかもしれない。
ルースはそんな塁の様子を静かに見つめ、言葉を落とす。
「改めて、この度は危険な目に遭わせてしまい、大変申し訳ありません」
「いやっ、俺が悪いんだからな!?こっちこそごめんな...。というか、どうやって俺の居場所がわかったんだ?」
そう、誰にも言わず勝手に出てきたにもかかわらず、なぜ居場所がわかったのかが気になっていた。
「そちらのメガネと帽子です」
「メガネと帽子?」
塁はきょとんと目を丸くする。
変装用として渡されていた伊達メガネと帽子は、ゴロつきに襲われた際に一度外れてしまったが、帽子は被された麻袋の中に、メガネはさらわれた馬車の中に転がっていたのをルースが見つけていた。今は室内に入ったため脱いでいるが、もちろんこの宿に向かう間にも装着していた。
「はい。そちらのメガネと帽子には、位置を特定できる魔道具が仕込まれています」
「魔道具!認識阻害できる上に、位置情報サービス付き!?すげーな!」
ルース曰く、アルバートが『彼、たぶん抜け出すからね〜』と魔道具を仕込んでいたらしい。図星すぎてぐうの音も出ない。
塁は伊達メガネと帽子をまじまじと眺める。一体どこに魔道具が入っているのだろう。帽子については...この銀色のピンだろうか。そもそもこの帽子やメガネ自体が魔道具なのだろうか。
目を丸くしている塁の耳に、再びしょんぼりとしたようなルースの声が届く。
「......あなた様を必ず守ると、私は誓いました。あなたが……殿下ではないとはいえ...。命に代えても守らねばなりません」
顔を上げると、そこにはルースの目を少し伏せた真剣な面持ちがあり、塁は視線を逸らすことができなかった。初めて会った時から、不思議と居心地の悪さがなかった理由がわかる気がした。
(この人は、心から俺のことを心配してくれているんだ)
「なあ。ルース」
しばし沈黙ののち、塁は小さく口を開いた。
「助けてくれて、守ってくれて、ありがとう」
しっかりとルースの目を見て、塁はお礼を言った。ルースの瞳がわずかに揺れる。
「にしてもさ、ルースといると妙に懐かしい感じがするんだよなぁ。初めて会ったはずなのに、不思議だよな」
塁は手を頭の後ろで組みながら、そう呟く。
「そう、ですか」
ルースはそう答え、ただ小さく笑んだ。その笑みが、どこか哀愁を帯びて見えた。
その後は宿の主人が軽くパンとスープを持ってきてくれ、男二人でそれらを腹に詰める。途中、あまりにもルースの食事スピードの速さに塁が笑うと、「前戦での食事が染み付いてしまって...」とルースは眉を下げた。
「ルースはすげー強いな」
ルースがゴロつきを一瞬にして制圧したことを思い出し、塁は興奮気味にあの時のことを語る。
「ええまあ...。それに、今回の相手は大したことありませんよ」
否定せず照れたように微笑む様子には、嫌味が一切ない。女性ならこれだけで目にハートマークが宿るだろう。
それにしても、ルースや、魔術を操れるアルバートからしたら、本当にあの程度のゴロつきはなんてことのない相手なのだろう。戦闘力ゼロの塁が捕まっていたからルースは焦っていただけで、本来であれば表情ひとつ変えずに指を弾く程度で済むレベルなのかもしれない。
「どうやってそんなに強くなったんだ?その...聞いていいのかあれだけど、戦争とか行ったのか?」
戦争の話などしていいのか、国やルースの事情などがわからず類がおずおずと聞くと、とくに意に介した様子なくルースは答える。
「私の生まれであるクレルモン家は元々辺境の地を治める家で、代々、武が自慢なんですよ。前皇帝陛下による領土拡大で今では辺境の地ではなくなったのですが...吸収した周囲の小国領土への武的牽制として我が家とその領地が機能しています。
現皇帝陛下アルバート様は戦を好まず領土侵攻の方針はありませんが、とにかく先代までは戦が多く。我が家も他国からの防衛や、前戦地への応援に参加することがあり。私も子どもの頃から戦地には赴いています」
「こ、子どもの頃から...。現代日本じゃ考えられないな」
その後はルースが日本の話に興味をもったため、塁が自分の生活を教えることになった。
しばらく話した後、就寝前に暖かいお茶を淹れてくれようと、ルースが立ち上げる。部屋に備え付けのコンロらしきものに火を灯す広い背中を見ながら、塁はふと何気なく疑問に思ったことを尋ねてみた。
「俺の護衛につく前は、ルースはアルバートの護衛だったのか?」
ルースは一瞬の沈黙の後、お茶の準備をする手を止め、にこりとこちらに笑みを向けた。
「ええ。一時期はアルバート様にお仕えしていた時期がありました」
「一時期?」
「......はい、アルバート様の即位前までは。その後はクレルモン領に戻り、領地の運営や防衛に専念していました」
「そうなのか。アルバートの護衛をしていたってことは、やっぱりルースはすごいんだな!俺なんかの護衛についてももらって申し訳ないなぁ」
感嘆しながらルースを見たが、なぜか少し返事に困っているような雰囲気を感じた。もしかして、本当に俺の護衛についたのは渋々だったのだろうか。なんだか本当に申し訳ない。
夜更け。ベッドに横になる塁は、うとうととしながらも外の気配が気になる。ルースは椅子を窓際に引き寄せ、眠らずに警護を続けていた。
「……眠らないのか?ここ、二人でも寝れそうだぞ?」
塁がかすれた声で問いかけ、寝台を指さすと、ルースはニコリと笑みを返す。
「ええ、私はここで」
まさか寝ずに一夜を明かすのかと色々気になったが、慣れたようなその姿を見て、なぜか塁の胸にはホッと温かなものが広がった。
(俺……元の世界に帰るかどうか迷ってるけど。この人を放って帰るのは、なんか違う気がするんだよな)
やがて瞼は重くなり、塁は深い眠りに沈んでいった。最後に見たのは、月明かりに照らされたルースの横顔だった。