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マクレガー家の参考書は、学院の離れの一室に運び込まれていた。普段の教室からは10分以上も離れている。
「はい。これがメラニア様が貸してくださった参考書よ。早くそれに触れてちょうだい。さっさと盗難魔法をかけるから」
マーガレット様に言われるがままに参考書の1冊に触れると、彼女の手から風が巻き起こった。盗難魔法は風属性の初級魔法だ。誰かが書物に触れ、運び出そうとするとその風を感知して魔法が発動されるようになっている。そのままでは誰も触れられなくなってしまうが、私ごと魔法をかけることで、書物に触れられるようにする仕組みだ。
「はい、終わったわ。あ、その本、3冊とも読んでレポートを書くようにってメラニア様からのお達しよ。厳しい課題かもしれないけれど、それくらいできないと学年末の試験はパスできないだろうからって、あなたのためにも敢えて厳しくしなきゃっておっしゃてたわ」
「ちなみにこの部屋からは運び出せないから、ここで読むようになさいね」
「あの、ここで、ですか? これを全部?」
専門書を少し見ただけでもわかる難易度に、私は不安になった。これは専門の魔道士たちが研究のために使う書籍だ。一介の学生が参考書として手に取るレベルを超えている。
「メラニア様がそうおっしゃるのよ、あなた逆らうつもりなの? 子爵令嬢の分際でなんとも厚かましいこと」
「殿下の治癒係だからって図に乗っているのではない? あなたがその役目を与えられているのは、魔力なしなんていう役立たずがあなたしかいなかったからよ。たまたまなのよ? 皆そのことを知っているわ」
「あの、それはもちろん……おっしゃる通りです」
本来なら私など、殿下の傍にいることも、声をかけることすら許されない立場だ。それはもう、何千回と自分の身に諭している。
「本当にメラニア様は……こんなお邪魔虫のせいで相思相愛の王太子殿下と婚約もできず、それでも気丈に振る舞ってらっしゃるというのに」
マーガレット様のため息が私の心にも突き刺さった。
「あなたの足りない頭が理解できていないようだから何度も言いますけどね。本来なら学院に入学する前に、王太子殿下とメラニア様の婚約は整うはずだったのよ? それがあなたの登場で先送りされたの。身分が低い使用人といえど傍に女性を置かねばならないことが、婚約した女性への礼儀にもとることになるからと、殿下がおっしゃって」
「本来ならお2人は、学院でも外でも仲睦まじく過ごせるはずだったのを、あなたがいるせいでできずにいるの。少しでも申し訳ないと思うなら、せめて殿下がお元気な間だけでも身を引いて、お2人の目の届かないところにいてちょうだい」
あなたは自習しているということにしておくからね、とシャロン様が言い置きつつ、2人は教室を出ていった。私は詰めていた息を大きく吐き出し、脱力するように席についた。
魔法が一切使えない私には、王家と学院の計らいで特別授業のメニューが組まれている。だが先生方もお忙しいため、私ひとりのために授業をしてくれることは滅多にない。そのため自習を交えつつ、座学にはできるだけ出席して、その内容をレポートで提出することも少なくなかった。学年末の試験も、事前提出したレポートを元に質疑応答する形のものなので、メラニア様が提案してくださったレポートは少なくとも無駄にはならない。
だが参考書の難易度よりも、今ほどマーガレット様とシャロン様に言われた言葉の方が重かった。メラニア様もそうだが、お2人とも私より上の身分で、本来なら会話することも許されない方々だ。常にメラニア様と共に行動される2人は、メラニア様の目が離れた隙に私に鋭い言葉を突きつけてくる。それは、高位貴族の方々と接することが多い私に対して、己の分を弁えよと、真実を諭してくれているのだと思うことにしている。この辺りはカイエン様への対処法と同じだ。
幼い頃からメラニア様と交流があった2人は、私が殿下とメラニア様の仲を引き裂いているのだと言って憚らない。それは2人だけの話ではない。カイエン様もまた同じ見解をお持ちでよく口に出されるし、学院の他の生徒たちも、直接話したことはないが、同じ思いでいることだろう。
殿下とメラニア様が婚約寸前であったことを、私は学院に入学してから、マーガレット様とシャロン様に聞かされた。驚きのあまりカイエン様に確認すれば、彼もまた「その通りですよ」と肯定した。