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ともに歩む人2(カーティス視点)

 静かな部屋に茶器を扱う微かな音だけが響く。沈んだ気持ちと持て余した空気感に負けて、私は手元の資料を手に取った。


「疫病対策の準備に関する陳情か。確か南方で疫病が発生したのは2年前の話だったな」


 そう呟けばカイエンが即座に反応した。


「複数の領地をまたがる広がり方をしたために、沈静化に時間がかかりました。とくに水害の多い地域では道の整備が間に合っておらず、そのため王都からの救援物資が届くのにも時間がかかり、被害の増大につながってしまいましたね」

「あれから2年経過したにもかかわらず、未だ手付かずか。だが疫病はいつなんどき、どこで発生するとも限らない。急ぎ手を打たねばな」

「まずは道の整備でしょう。救援物資に治安維持の騎士団、治癒魔法が使える魔導士を派遣するにも、師団レベルが通過できる安全な通路が必要です」

「道もそうだが、そもそも各地に災害用の薬や余剰の食料などの備蓄を設けておく話があっただろう。あれは進んでいなかったのか?」

「陳情で上がってはいましたが、領主同士で押し付け合いになり見送られたはずです。いずこの領も、近隣に備蓄庫ができるのは歓迎ですが、自分たちの領地にとなると、予算や手間を惜しんで賛成しかねるということかと」


 疫病が発生した際に救援の指揮を取るのは官僚の仕事だ。文官を束ねる内務長官は各地での備蓄の案を推したのだろうが、貴族たちの反発をくらってマクレガー宰相が最終的には反故にしたということだろう。ちなみに疫病対策については騎士団からもクレームが上がっている。救援物資を届け、荒れた治安を維持する役目は必要不可欠だが、率先してやりたい仕事ではない。自身が疫病をもらう可能性も高く、そのため法整備で特別手当を保証すべきと訴えているが、予測不可能の事態に対する予算確保は至難の業のため、内務長官はその手当の財源を領主に求めている。当然貴族たちが首を縦に振るはずもなく、宰相権限でもまとまらないという三つ巴の様相だ。


(そもそも私が成人して転移魔法が使えれば、道や備蓄庫などすっとばして物資や人員を災害現場に運べるような気もするが……)


 だがこの魔法は禁忌の魔法とされるが故に、人に知られてはならない制約が課されているのだという。知っているのは代々の国王夫妻のみ。有事のたびに使い倒していては秘事ではなくなってしまうし、私が黙って城から姿を消せば大騒ぎどころの話ではない。


 使えるのか使えないのか、使うとするならどう使うべきか、未だよく掴めていない魔法のことを思うと、さらに胃のあたりの重たさが増してくる。ここ最近癖になりつつある眉間の皺を揉みながら長く息をつけば、目の前でふわりとした香りが立ち上った。


「どうぞ」


 目線を上げればユーファミアが静かにカップを差し出したところだった。


「……あぁ」

「……ありがとうございます」


 礼のひとつも言えない私と違って、平坦ながらもそれが言えるカイエンになぜかイラっとしつつ、準備を終えて出て行こうとする彼女をそのまま引き留めた。


「おまえも休んでいけ。ずっと部屋に篭りっぱなしだろう」

「ですが……」

「そもそも卒業認定も下りて、卒論もほぼほぼ仕上がったはずだろうに、部屋でいったい何をしているんだ」

「その、エンゲルス先生が遠方の国の専門誌を取り寄せられたそうで、それを貸していただいたのです。私の卒論に関して、実用化に値する資料となるかもしれないとおっしゃって」


 答えの合間に自分のお茶の準備をすませたユーファミアは、私の向かいに小さく座った。彼女が手ずから入れたお茶を飲むのはかなり久々だ。メイドや侍従が入れるものと遜色ない……というかユーファミアの方がうまいんじゃないかとさえ思うくらい、心が落ちつく。


 奇妙な苛立ちと疲労がお茶のおかげで霧散すれば、残されたのはやけに重い沈黙だった。ごまかすようにユーファミアに質問を投げかける。


「そもそもおまえの卒論はどんな内容なんだ? 水魔法についてだったと思うが」


 学業はよくできた方だという自負があるし、魔法も得意ではあるが、そもそも私の頭は研究職用にはできていない。カイエンもそうだ。だが魔力がなく実技ができないユーファミアは、その頭脳と努力を座学に全振りした。元々の才能もあったのだろう、彼女が提出したレポートや学生の身で執筆した論文はどれも高評価を得ている。魔法技術という重しに縛られない彼女の理論展開はなかなか破天荒らしく、王城の魔導士部でも賛否両論を巻き起こしているのだとか。


 国の最高魔法機関でそれほど話題になる彼女の研究内容について、質問したところで私もカイエンもほとんど理解できないだろう。それでもこのありがたくも扱いが難しい時間をもたせる材料くらいにはなりそうだと、軽い気持ちで尋ねたのだが。


 ユーファミアはカップを一旦テーブルに置いたかと思うと、はらりとこぼれた横髪を掻き上げた。そのまま顔を上げた瞳の、凜とした強さと輝きに思わず息を呑んだ。


「先ほど殿下は道の整備についてお話しされていたと思いますが、私が考えていたのは水の道を作ることなんです」

「……水の道、だと?」


 どんな小難しい理論が飛んでくるかと身構えていたところに、いつもは見ない彼女の強い表情に見惚れてしまい、一瞬反応が遅れた。だが彼女はそれを気にすることなく、話を続けた。


「エンゲルス先生が取り寄せてくださった専門誌は、遠い異国の医術に関するものでした。その国では我が国のように魔力持ちが一般的ではなく、治癒魔法が使える者もほとんどいないために、医療が発展しているのだそうです。そして彼の国では疫病そのものを治すだけでなく、疫病を予防する医療が推進されているとのことでした」

「疫病を予防する? そんなことができるのか?」


 今まさに疫病対策問題がなかなか進まないという話をしているところに、まさかの他国の例の紹介だ。卒論の話などそっちのけで私は身を乗り出した。


「彼の国は火山に囲まれていることもあり、温泉が豊富なのです。医師たちはこの温泉に目をつけ、国民に毎日の入浴を促しました。すなわち身体を温め、かつ清潔に保つことを推奨したのです。結果として疫病や風邪などの病の発生が極端に抑えられたのだとか」

「温泉の話は私も聞いたことがあります。しかしあれは湧いて出る湯そのものに薬効があるという話でしょう。その薬効成分が人体に好影響となって病の削減につながったと考えるのが妥当なのでは?」


 カイエンが訝しげに口を挟むも、ユーファミアは決して俯かなかった。


「カイエン様のおっしゃる通り、その可能性も考えられます。しかしお湯の薬効成分はおそらく限られたもので、万病に効くものではないはずです。それを補って余りある結果が出ていると言えるのだと思います」

「それはなんともわかりませんが……しかし我が国には温泉など湧いていません。水源にも限りがありますし、国民皆が入浴できる施設を作ろうとすれば莫大な予算がかかることになります。天然にある国の例を引っ張ってこられても、ただの絵に書いた餅でしかありませんよ」


 つまらない意見と吐き捨てるカイエンに対し、ユーファミアは柔らかく笑んでみせた。


「えぇ、ですから、水の道なのです。幸い我が国には水魔法の使い手がたくさんいらっしゃいます。浄化魔法を使えば水を浄化することも可能ですよね。私の卒論は、独立した魔法に力学的視点を用いて、さらにそれを魔法陣で展開させるというものなのですが、物体を水、運動を風魔法で起こした水流と捉えると、ここに一種の循環型が完成しまして……」

「待て、ユーファミア。わかるように説明してくれ。例え話でもいい」


 こっちはおまえと違って研究職脳じゃないんだという言葉を飲み込みつつ、なんとか答えを誘導してみれば。


 それはかつてない理論とそれを応用した水に関する疾病予防の設備の話だった。


作者は物理に関しては素人です。力学の解釈は雰囲気でお楽しみください。

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