新緑の森の君へ12
カーティス編、完結です。
転移魔法は、時の国王夫妻にしか存在を伝承されない、王家の秘事だ。代々2人にのみ情報が託され、今世の私のようにその身に奇跡を宿した者へと正しく伝えられるよう、封じられている。それを背負うのは、如何に国にとって重要な人物であろうと関係なく、ただ、直系の王族であることだけが条件。そうやってこの力が正しく使われるように制御されているのかもしれない。
だとすればあのとき、この魔法が、捉えるはずのない私の魔力を拾って発動したことにはきっと意味がある。
それは奇跡だと、かつての私は述べた。あながち間違った表現でないことは、隣ですやすやと寝息を立てている最愛の女性を見るたびに反芻することだ。
1年の婚約期間の後、ようやく結婚に漕ぎ着けることができた私の妻。結婚式後も続く祝賀行事に忙殺された後、新婚旅行と称してやってきたのは、毎年夏に家族で訪れていたあの離宮だった。昨年の夏は王太子妃選定のごたごたもあって、私とユーファだけは家族旅行に参加しなかった。新婚旅行先の有力候補には他国訪問もあがっていたのだが、最終的にここを選んだのはユーファの希望だった。
「かつての離宮で、メラニア様やカイエン様からも離れて、殿下とご一緒できることが、本当は嬉しかったのです。もう二度と行くことは叶わないと思っていました」
そう言われれば否やとは言えない。それに私もあの場所には思い入れがある。マルクに頼んで他国訪問のツアーは先延ばしにしてもらい、我々は離宮をハネムーン先に決めた。「あら、だったら私たちも一緒に」と言い出した母を筆頭とする家族を押し留めることと、「すっかりお忘れかもしれませんが僕も来月結婚式なんですけどね!」と増えた調整業務に嫌味を言ってくるマルクをあしらうこと以外は、特に大きな問題もなく、我々は2週間の蜜月を過ごしている。
互いの思い出の地を2年ぶりに訪問した我々だが、過ごし方はかつての夏の日々と変わらない。森で狩をする代わりに、それぞれの馬での遠駆けや、私の馬に同乗してのピクニックに出かける。久々にユーファを乗せて駆ける彼女の馬も心地良さそうだし、私の馬もユーファを抱えて乗せることにずいぶん慣れた。
自分の腕の中にすっぽりと収まり、背中をゆったりと預けてくるユーファの頭頂部にキスを落とせば、「殿下!」と照れた声をあげて身じろぎする彼女がかわいくて、思わず腕に力をこめた。ねじ伏せたかったわけではないが、それでおとなしくなった彼女と、なんとも言えぬ心地よい時間を過ごす。初めて彼女を自分の馬に乗せたのは、彼女が森で落馬し怪我をしたときだ。焦るあまり咄嗟に出た行動だったが、乗せてみてすぐ、胸の高鳴りやら焦りやら理性と欲とのせめぎ合いやらのあらゆる感情に苛まれた。魔力暴走を起こしたときに触れ合うのは、私の意識がほとんどない状態だったから落ち着いていられたが、あのときは平常時だ。ずっと恋焦がれていた女性に触れ、その香りと体温を正常な頭で認識すると、あとはもう……色々ダメだった。私がそれだけ苦しんでいるにも関わらず、代替案として騎士の馬に同乗して狩に参加しようとする、そんな彼女の身勝手を当然ながら許せず、さらなる代替案としてまた彼女を馬に乗せる提案をした自分は天才だと思った。
雨の日は居間で彼女の朗読に耳を傾ける。2年前、思いつきでしてもらった膝枕。再び求めれば、初めは恥ずかしがり首を振るも、以前もしただろうと押し切ると、顔を真っ赤に染めながらおずおずと膝を差し出してくる。眠るなんてもったいないから寝たふりをして堪能していると、いつの間にか彼女の優しい手が私の額髪を撫で始めた。
こんなに穏やかで幸福な時間を、私は知らなかった。この時間を守るためだったらなんだってしよう。この国を安寧に導き、彼女と、いずれ生まれるかもしれない子どもたちがいつでも笑っていられる場所を全力で作り上げよう。
存在していることが広まれば、世の中を揺るがす騒動になることは間違いない転移魔法。これがあれば世界を統べることも、滅ぼすことも可能な表裏一体の魔法だ。だからこそ使い手の技量や人間性が試される。ましてそれが権力を持った王族となればーーその制御能力が少しでも欠けていれば、とっくにこの国も世界も消滅している。
だが未だこの国は存続し、こうして穏やかな時間が流れている。この規格外の魔法をあらゆる誘惑に負けず制御し続けるには、きっとひとりでは困難だ。ユーファミアとの結婚に、両親がいち早く賛成を表明してくれた背景に、この事情がある。歴代のこの魔法の使い手はすべて賢君として名高い。そして伴侶や子どもたちを大切にしたと記されている。
彼女の温かな指先をつかんで、そっと唇を寄せた。
「殿下……! 起きてらしたのですか?」
焦る彼女の指を絡め取り、もう一度素早くキスする。
「ユーファ。知ってるか? 私はおまえの唇しか知らない」
「……! それは……私も同じです」
消え入りそうな声は恥ずかしさからくるもの。結婚して体も重ねたというのに、我が妻はいつまでも純粋で愛らしい。
彼女と初めてあったあの日、離宮の新緑の森で見た小鹿の濡れた瞳を思い出した。そのときから彼女はいつだって私の、唯一無二の存在だった。彼女を救うために発動した私の絶対的な魔法の奇跡は、必然だったと改めて思う。
はらりとこぼれる彼女の焦茶の髪を一房指に巻き付けて、その香りまでも堪能する。今の私を留める物はなく、我々を縛るしがらみや制約もない。
「おまえは永遠に私のキス係だ、ユーファ。だからほら」
もう離してやれないその存在を求め、起き上がった私は掻き抱くようにその背中を引き寄せる。
「おまえからキスをしてほしい」
腕の中でぴくりと動く柔らかな存在。その額に唇で触れながら、もう一度彼女を見る。おずおずと、それでいて意を決したように寄せられる唇。みずみずしい感触とともに、新緑の森の清しい香りが広がり、我慢できずさらにその唇を貪った。
「……っ! カーティス様っ」
「ユーファ、気持ちがいいな」
彼女のキスがなければ私は生きることができなかった。それはこの先も変わらない。この身に余る力を、世の中のあらゆる誘惑から守るために、私には枷が必要だ。それを知っている両親は、早々にユーファミアの後押しに回ってくれた。
彼女に乞うたはずなのに、私から追い求めずにはいられない。戸惑う彼女の唇を辿りながら、その柔らかな肌触りも堪能する。視覚も聴覚も嗅覚も触覚も、そして味覚もーーこの甘い味の最後の一滴まで掠め取るように舌で掬い上げる。彼女に満たされながら、お互いの吐息と熱を絡めて、ソファへそっと沈み込む。
奇跡と必然と。それらすべてで彼女を追いかけた。これからも私は追いかけるのだろう。いや、縛り付けてしまうのかもしれない。彼女はそれを許してくれるだろうか。私自身が彼女という存在に縛られなければ、この身を滅ぼしてしまいかねない。だからーー。
「カーティス様……」
溢れる吐息までがなんて甘いのかーー。うっそりと微笑む私は、この国一幸せな男だ。
雨上がりの窓辺から漂うのは、懐かしい森の香り。混ざり合う空気の中、どこかで鹿の鳴く声が聞こえた。
完璧な王子様とされつつ、中身は少々残念な感じに仕上がりました・・・。この不完全さが私は愛おしいなと感じます。
長きに渡りご愛読ありがとうございました。次回はほったらかしのアンジェリカの物語再開に向けて始動予定です。