彼女たちの誤算4
取り巻き令嬢・シャロンの物語です。
「シャロン、侯爵家の次男殿との縁談は破談になった。おまえには別の相手を探すことになる」
父の書斎でそう告げられ、私は絶望のあまりその場に崩れ落ちた。
「そんな! 嘘です。私が卒業したら婚約の話を進めると、お父様もそうおっしゃっていたではありませんか!」
「仕方がないだろう。以前とは事情が違ってきているんだ。侯爵家から婿入りに関してこのように断りの手紙が来ている以上、こちらから無理を押し通すことはできない」
「お父様、それは侯爵様からのお手紙ですよね。決してルーク様の本心ではありません。きちんとルーク様に確かめて……」
「くどいぞ。相手は侯爵家、こちらからそんな無礼な真似はできぬ。次男殿のことは忘れろ。おまえには別の相手を探すが……ただ、条件はかなり悪くなるだろうな」
それだけ告げて頭を抱えた父は、「もういい」と私に退室を促した。付き添いのメイドに支えられ、私は呆然と書斎を後にした。
(どうしてこんなことになってしまったの……!)
部屋に戻ったまま、お茶を飲む気にもなれず、ベッドに飛び込んで唇を噛む。次から次へと溢れる涙を認めたくなくて枕に顔を埋めたまま、嗚咽を殺した。学院を卒業したのが3ヶ月前。本来ならその頃に私とルーク様の婚約が結ばれるはずだった。それが、カーティス殿下の婚約発表よりも先に発表することは失礼にあたるからと保留にされ、先月その発表があったにも関わらず、先方からはなんの連絡もない。いてもたってもいられなかった私が父にせがんで打診をしてもらったところ、今日の返事が来たのだという。
正式な婚約こそまだだったけれど、ほぼ確定の話として私とルーク様の結婚の話は進んでいた。伯爵家の一人娘の私と、侯爵家の次男であり、受け継ぐべき爵位を持たない22歳のルーク様。女では爵位を継げないため婿がねを探していた我が家と、かわいい息子に無爵のままの人生を歩ませるのは不憫と、婿入り先を探していた侯爵家の利害が一致し、円満にまとまった縁談だった。貴族の家に生まれた以上、結婚は義務と思っていたけれど、紹介されたルーク様は、焦茶のさらさらした髪に青い瞳が美しい好青年だった。物腰も柔らかでエスコートも完璧。贈り物のの趣味も良くて、私はたちまち夢中になった。本人は騎士や文官として宮仕するよりも領地経営に興味があって、学院卒業後は実家の経営を手伝っていたのだという。だから伯爵領の運営も任せられると父も乗り気だった。
「君はマクレガー侯爵令嬢とも親しいらしいね。未来の王太子妃殿下やお父上の宰相閣下ともつながりがあるだなんて、素晴らしいことだよ。僕の未来の奥様はかわいらしくて人脈もあって、なんて理想的な女性なんだろう」
そう微笑んでくれていたルーク様が、あれほど私のことを愛してくれていた彼が、私との縁談を破談にするだろうかーー。
「そうよ、ルーク様だって今回の破談に納得がいっていないはずだわ」
貴族の結婚は家の利権や利害が優先される。本人の気持ちなど二の次だ。
「でも、私とルーク様は愛し合っていたもの。今回の破談は家の事情。だけど真実の愛の前に、そんなもの無意味だわ」
きっとルーク様も父親である侯爵様に今回の不条理を訴えているはず。私のように胸を痛めて涙しているかもしれない。
「ルーク様に会いにいきましょう」
そして二人で、それぞれの両親を説得すればいいのだ。それが叶わないなら家出したっていい。この家には私しか子どもがいないのだから、私が誰かと結婚して継がなくてはならない。両親もさすがにお家断絶は困るだろうから、最後にはきっと折れてくれるはず。
「外出するわ。誰か支度を手伝って。それから、濡れたタオルも持って来てちょうだい」
こんな泣き腫らした顔でルーク様に会えやしない。顔を冷やして、化粧をして、髪とドレスを整えて、最高の自分でルーク様に会うのだ。
身なりを整えた私は、マーガレットに会いに行くと嘘をついて家を出た。馬車に揺られながら恋人の姿に思いを馳せる。家を出る直前にルーク様に手紙を出した。本来なら正式な先触れを出さなければいけないところだけど、あちらのご両親がうちとの破談を切り出している以上、正攻法では通じないだろう。礼儀にはもとるけれど、ルーク様に直接渡りをつけるのが一番だ。
「ルーク様はお嬢様とはお会いになりません」
案の定、侯爵家に到着した私を、執事は慇懃無礼な態度で追い返そうとした。この執事は侯爵様の手先に違いない。いつも丁寧な物腰で迎えてくれていた彼の豹変ぶりに少し悲しくなったものの、ここで追い返されるわけにはいかなかった。
「ルーク様には先ほど訪問のお手紙を差し上げました」
「お手紙は既に返送しております」
「まぁ、そんなに早くお返事をくださったのですね! ルーク様のその思い、わたくし、とても感動しています。直接お礼が申しあげたいわ」
「いえ、ルーク様は返事を書いてはおられません。いただいたお手紙は開封することなく、そちらの使者に持って帰らせました。ルーク様のご意志です」
「なんですって? ルーク様がそんな無礼な真似をなさるはずがないわ。愛する婚約者の手紙を受け取らず突き返すなんて」
「ルーク様とお嬢様は婚約はなさっていないはずですが?その話は破談になったと聞いております」
「えぇ、侯爵様がわたくしとルーク様を引き離そうとしているのは知っています。あなたが侯爵様の味方だということも。けれど、どれほど権力を持っていようと、愛する者たちを引き裂くことなどできません。えぇ、わたくし、何度もここに来ておりますから知っていますの。ルーク様は今のお時間は執務室でお仕事をなさっているのでしょう? 今すぐ呼んでください」
「ルーク様はお嬢様とはお会いになりません」
「それは侯爵様の御命令ですよね。ルーク様の本心ではありません。執事ともあろう者が主人の思いに応えないなんて嘆かわしいこと。ルーク様、ルーク様! シャロンが参りましたわ!」
私は執事の横をすり抜けて、執務室がある方へ足を進めた。
「なりません! 誰か、この者を止めよ!」
「まぁ! 伯爵家の令嬢であるわたくしになんという狼藉!」
扉を開けていたフットマンが私を取り押さえようと肩に手をかけてきたのを振り払う。奥から私兵たちまでが姿を見せ近づいてくるのが見えて、私はさらに声をあげた。
「ルーク様、助けてくださいまし、ルーク様!」
「騒がしいな、何事だ」
「ルーク様!」
2階の踊り場から声がして見上げると、そこには愛しい婚約者の姿があった。
「ルーク様! お会いしとうございました。わたくし、いてもたってもいられなくて、失礼は承知で伺いましたわ」
「シャロンか。いったいここで何をしている。君との関係は破談になったし、先ほどの手紙も送り返したはずだ」
「えぇ、わかっています。すべて侯爵様の御命令で、ルーク様の本心ではないのですよね。わたくしとルーク様は愛し合っていますもの。大丈夫ですわ。わたくし、ルーク様のためなら家を捨てる覚悟を決めました。わからずやのそれぞれの両親に思い知らせてやりましょう!」
意気揚々と説明すると、ルーク様はなぜか深い息をついた。
「いったい何を言っているんだ。家を捨てるだなんて……伯爵家の一人娘でなくなるつもりか」
「ルーク様が望むなら、それも仕方のないことですわ」
「僕はそんなことちっとも望んじゃいないよ。だいたい君が家を捨てるなら、爵位はどうなるんだ? 爵位が手に入らないなら、君と結婚する意味がないだろう」
「え……。あ、でも、爵位は手に入りますわ。わたくしは一人娘ですから、両親もわたくしが家を出るとまでなれば、さすがに折れてくれると思いますの」
「少し前まではそれで十分だと思っていたさ。爵位がついてくるなら君のような頭の軽い残念な令嬢でも我慢しようと思っていた。けれど、今は事情が違う。君、学院の卒業パーティで未来の王太子妃殿下であるユーファミア・バルト伯爵令嬢に無礼を働いたんだってね。王都中の話題だよ」
「え……」
「聞けば学院でも彼女に対してずいぶんと意地悪な物言いをしていたそうじゃないか。それに関してカーティス王太子殿下もご立腹だとか。そんな最悪な評判の令嬢と結婚だって? 冗談じゃない。君の家の爵位は確かに魅力的だったが、それはあくまでマクレガー侯爵令嬢が王太子妃になることが前提の話だ。王太子妃の信任があつい令嬢なら、いろいろ有利に働くからね。けれどその話も流れて、逆に未来の王太子夫妻を敵に回す可能性があるなんて真似を、侯爵家の人間である我々ができるはずもないだろう。わかったらさっさと帰ってくれ」
手をサッと振りながら踵を返そうとしたルーク様を、私は信じられない思いで引き留めた。
「ま、待ってください! ルーク様は私のことを愛してくれているって……」
侯爵家の私兵に肩を抑えられていたけれど、構っている場合ではなかった。今この人を引き止めなければ、私の未来はない。
けれどルーク様は、今まで見せたこともない冷徹な瞳で私を見下ろした。
「以前の君の爵位と人脈なら愛していたかもね。だが今の君は無価値どころか害悪だ」
そうしてもう2度とこちらを振り返ることなく、奥へと消えていった。