彼女たちの誤算3
マーガレットのサイドストーリー、これで完結です。
卒業パーティの場で、私とシャロンはメラニア様の命令に従い、平民の魔導士を会場に連れ出した。すべてはユーファミア様を内定した王太子妃の座から引き摺り下ろすため。けれどその企みは魔導士の裏切りとカイエン様の行動で、脆くも崩れ去った。
それから半年も経たないうちに、まず兄が辺境の騎士隊へ左遷された。それを追うように父の降格と異動が決まった。卒業後はメラニア様の侍女になるはずだった私は行き先を無くし、それならばさっさと結婚してしまおうかと思っても、幾つかあった縁談はすべてたち消えてしまって無理だった。
これもすべてメラニア様のせいだと、父はマクレガー宰相に訴えた。せめて父を以前の職か給与に戻すか、私を王宮の侍女や女官として召し上げてほしいと願ったけれど、宰相様からの返事は芳しくなかった。今回のことでユーファミア様はともかく、カーティス殿下がかなりご立腹らしい。私たちの普段の言動がカーティス殿下にバレていたとは思えず(さすがに殿下の前では猫をかぶっていたし)、なぜと絶望したが、どうやらカイエン様が告げ口したらしかった。そんな娘を育てた父親を、自分たちも出入りする図書館の副館長の座に置いておくことはできないと殿下に断言され、またもともと職務態度に問題があった父を宰相様もこれ以上庇うことができず、写本係がぎりぎりの救済点だったと告げられた。一方で私の処遇は、メラニア様のこともあり、宰相様も責任を感じてくれたようで、人手不足である女官の登用試験に受かればその処遇について考慮しようと温情を与えてくださった。けれどそもそも上級女官の試験は国の最高峰レベルだ。学院でも下から数えた方が早かった私が受かるはずもなかった。その後宰相様の力を頼って縁談を探してもらったけれど、噂が出回り碌な話がなく、結局何もできないまま、家に居続けるよりほかなかった。
そんな私に、ある日父が同じ職場で働かないかと声をかけてきた。王太子妃夫妻が成婚の儀をあげた翌月のことだ。既にマクレガー宰相の許可ももらっているという。ということはカーティス王太子殿下の許可もあるということだ。一種の恩赦らしい。
父の仕事は下級官吏が行う仕事で、エリート官僚である文官よりも下の仕事だ。登用試験もあってないようなもの。はじめ私はその話を断った。書類を日がな書き写すだけの地味な仕事など、私に相応しくない。
けれど父は苦味切った表情でこう告げた。
「働きもしないおまえやお母様を養っていけるだけのものが、もうないのだよ」
私たちは王都の高級アパートメントに住んでいた。貴族のタウンハウスには劣るけれど、爵位のない宮仕えの一家ではいい方だと両親は常々言っていた。その家賃が、父の今の給料では払えないところまで来ているのだという。
「冗談じゃないわ。ただでさえ肩身の狭い思いをさせられているというのに、その上ここを出ていかなければならないなら、私は離縁します。慰謝料だってちゃんともらいますからね!」
最近、貴族のご婦人のサロンにまったく呼ばれなくなってしまった母はそう激昂した。
「なんでそんなことに……あ、そうだわ! お兄様は働いているんだから、お兄様にお金を入れてもらえばいいじゃない!」
名案とばかり私が手を打つと、父は首を振った。
「近衛隊から騎士隊に異動になったせいで、あいつの給料も下がっている。それに辺境は冬の寒さが厳しいし、蛮族との諍いも多い。装備や生活に必要なものを揃えるのに精一杯らしくて、送金できるだけの余裕がないと断られた」
「そんな……」
「マーガレット。元はと言えばおまえの言動のせいだ。働いて、わずかでもお金を家に入れてほしい。そうしなければ妹の、アイラの王立学院の学費も払えないことになってしまう。あの子は家族で一番魔力が高いし、優秀だ。あの子なら女官か、ひょっとしたら魔導士にだってなれるかもしれない。きっと身を立てて、将来私たちの助けになってくれる。マクレガー宰相も王太子夫妻も、さすがに未成年の妹にまで恨みを持つことはないだろう」
末の妹のアイラは誰に似たのか勉強好きで、10歳でありながら将来が楽しみな子だった。父の左遷が決まった段階で家庭教師には暇を出してしまったため、以後は独学で勉強している。
「マーガレット。自分がしでかしたことのツケを払うときだ。私もそう思いながら、毎日やっているのだから」
こうして私は父と同じ職場で働くことになった。
簡素な昼食を終え、残り時間で化粧室に向かった。水魔法で成り立っている水道で手を洗い顔をあげると、薄ぼんやりした鏡があった。そこに映る、薄ぼんやりした私の表情。
かつての私は毎日綺麗なメイクをして、メイドに髪を結わせ、白い優美な制服に身を包んでいた。それが今は化粧もせず、髪もひとつにまとめただけの、下級事務員の地味な制服姿だ。おまけに顔の真ん中には、スカーフをしばった跡がくっきりと赤く残っている。化粧道具を買えなくなるほど逼迫しているわけじゃない。スカーフにおしろいがついてしまうと洗濯してもなかなか落ちないのだ。スカーフは支給品ではないので、新しいものを用意するにもお金がかかる。「どうせ隠すなら化粧する意味もないでしょう。スカーフ一枚の費用だって馬鹿にならないんだから、やめてしまいなさい」と母に命じられ、以後、化粧もせず働くことになった。
以前は鏡を見ることが大好きだった。おしゃれをすることが大好きだった。身分柄、将来は働くことになるとは覚悟していたけれど、それだって王宮の中心で、誰よりも華やかな姿で腰掛け程度に彩りを添えるだけ、やがては地位も身分も容姿も素晴らしい人と夢のような結婚式をあげるのだと信じていた。それが今やどうだ。下級事務員の地味な服をきて、それすらも普段はやぼったいエプロンで隠して、化粧もできないどころか顔に妙な跡まで作り、日光が書類を劣化させないよう窓すらない部屋で、湿気が大敵という理由から乾燥魔法までかけられるひび割れた空気の中、つまらない書類を黙々と写す毎日。仕上げの保存魔法をかける瞬間だけが、貴族らしく魔力を示せる瞬間だなんて。
こんなところで出会いなんて望めない。毎日会うのは、定年間近の同僚2人。食堂に足を踏み入れるなんて耐えられない。このままここで、今日も、明日も、明後日も、来年も、10年後も働くことになるのだろうか。
私は何も悪いことはしていない。悪いのはメラニア様。私はただ彼女に従っただけ。だって仕方ないでしょう、あの人は侯爵令嬢なのよ? 逆らうなんてことできるわけないじゃない。なぜ私がこんな目に遭わなければならないの?
掃除も行き届いていない暗い化粧室で、私は乾いた絶望的な悲鳴をあげる。
こんなはずじゃなかった。
こんなはずじゃなかった。
こんなはずじゃなかったーー。
世の中さまざまな強烈なざまぁがありますが、現実はこんなものではないかなと思い、このように仕上がりました。(ファンタジーの世界で現実がどうこういうのも変ですが)。
次回はシャロンの物語です。




