彼女たちの誤算2
お昼の鐘が鳴り、隣の席で仕事をしていた2人が大きく伸びをした。2人とも父より年上で、定年まであと数年という立場だ。
「やれやれ、やっと昼飯か。行こうぜ」
「あぁ」
ガタガタを椅子を鳴らして立ち上がると「昼休憩行ってきますんで」と告げ、部屋を出ていった。
「……私も行ってくるよ」
「……」
父が口元に当てていた布を取り払いつつ、エプロンを外して席を立つ。無言で返すのはいつものこと。さっきの2人も父も、下級官吏用の食堂に向かうのだ。王城で働く者たちにはそこに行けば昼食が無料で振る舞われる。
父が出ていったのを見て、私は口元の布を取り投げ捨てた。私たちが扱っているのは古い書類だ。微かな息の湿りもダメージになることがあるとかで、常に口元を布で覆って作業しなければならない。スカーフを折って頭の後ろで結んでいるので、吐き出した息が逃げる隙間もなく、また新鮮な空気の吸い込むのも難儀だ。けれど規則だから仕方ないのだという。
エプロンも脱いでかばんからお弁当を出した。キッチンメイドが作ってくれたサンドイッチが私の昼食だ。勤め始めた頃、父と一緒に食堂に行ったことがある。けれどそこで、学院時代の同級生たちと鉢合わせてしまった。名前もよくおぼえていない、男爵家や子爵家の、さらには家も継げない者たちだ。彼らは私を見て目を見開いた後、意味ありげに視線を交わし出した。食事中もちらちらとこちらを盗み見ては、あれこれ囁いている。「なんであの人がここにいるの?」「あれ、下級事務員の制服じゃない?あの人侯爵家の親戚じゃなかった?」「卒業パーティであんなことしでかしておいて、よく王城に顔が出せるよね」と、そんな誹りが漏れてきて耳を塞ぎたくなった。翌日には私の仕事内容が広まったことで嘲笑はひどくなり、私は食堂へいくことをやめた。
だからそれ以来、お弁当を持参している。仕事部屋の中での飲食は厳禁だから、休憩室で。ほとんどの職員が無料の食堂に行くので、ここではいつもひとりだ。備え付けの紅茶は自由に飲めるけれど、茶葉は見たこともない銘柄の安物だった。それでもないよりはマシだ。
昼食はいつもサンドイッチだ。中に挟まった具は薄いハムとチーズ、たまに卵がある日はマシな方。それが二切れ。学院の食堂でもサンドイッチはあったけれど、中身はもっと豪華だった。あまりのお粗末に文句をつけたら、母に「贅沢を言うんじゃありません! お父様が左遷されてから、お給料は半分になったのだから節約しないと。あなたもお弁当なんて我儘言わずに食堂で食べてほしいわ!」と叱られた。
そう、王立図書館の副館長だった父は、1年ほど前に今の職場に異動になった。表向きは「館長職と同じく、副館長職も研究実績がある者を配置することになった」という理由だけど、裏事情は違う。王太子妃に内定したユーファミア様に学院内で私が嫌がらせをしていたと噂され、それが飛び火した結果ということだった。父は副館長の肩書を失い、左遷先は古い書物や書類を保存する部署だった。地味な仕事ではあるものの、貴重な書物を扱うことも多いこの部署自体は、左遷と言われるような行き先ではない。けれど、歴史的に価値のある書物や書類を扱うのはエリート文官や魔導士たちの仕事で、彼らは図書館の閉架書庫に付属する事務室が職場だ。父や私の元に回ってくるのは、価値はほぼないに等しいのに、さまざまな事情から破棄するわけにはいかないような端下仕事だった。父と私と、職務態度が不良だったり過去にやらかしがあったりなどで出世し損ねた引退間際の者たちに任される書類など、その程度のものしかない。
今になって知ったことは、父は王立図書館の副館長をしていたけれど、もともと仕事熱心ではなく、職務態度も褒められたものではなかったそうだ。あちこちの花形部署でひっぱりだこだったという話もすべて嘘。ただマクレガー宰相の従兄弟であることだけは事実なので、政治の中枢からははずれた、図書館の名誉職をあてがわれていただけだった。ちなみに副館長はあと2人いて、本来の業務は彼らの力で回っていたのだそうだ。そして近衛隊で順調に出世していたと見られた兄もまた、1年前の辞令で辺境の騎士隊に飛ばされた。宰相の縁戚であることとドリス総長の覚えが良かったことを鼻にかけ、訓練もサボりがちだったという兄は、実力主義の騎士隊で絞られていると聞く。引も切らなかった縁談も当然ながらパタリと無くなった。
あなたのせいよ!と喚く母に、私は「違うわ!」と抵抗した。私はユーファミア様に嫌がらせなんてしていない。ただ彼女のノートを借りたり、彼女が殿下に付きまとうのに苦言を呈したりしただけだ。友人にノートを借りることが罪になるはずもないし、後者に至っても常識的な行動だ。だってあのときは、メラニア様こそがカーティス殿下の婚約者になる方だと信じていたから。
「全部、メラニア様のせいよ! 私はメラニア様に従っただけ。お父様だってメラニア様によくお仕えしなさいって言ってたじゃない!」
だから私は何も悪くない。私の発言に嘘はなく、だから父も母もそれ以上私に何も言ってこなかった。そう、悪いのはメラニア様だ。私もシャロンも、カーティス殿下がユーファミア様を愛しているだなんてちっとも知らなかった。メラニア様はいつだって殿下との仲を自慢していたし、卒業と同時になされる婚約発表のためにドレスの準備だってしていると微笑んでいた。あれが嘘だと思えるわけがない。
王太子妃選定会議でメラニア様でなくユーファミア様が選ばれたと知れたとき、私とシャロンはこっそり会って作戦を練ったのだ。
「どうして! なんでメラニア様が選ばれなかったの!?」
「どうしようマーガレット、私たち、ユーファミア様にたくさん意地悪しちゃったんじゃ……」
「ま、まさか! だって、私たち、そんなひどいことしてないわ。せいぜい試験前にノートを借りたくらいで。それだってユーファミア様が善意で貸してくださったのよ。それに、私たち、ユーファミア様が間違ってないかチェックだってしてあげたわ。だってユーファミア様は魔力なしで、勉強だって苦手にしてたし!」
「でも、選定会議では学院長はユーファミア様を推薦したって。メラニア様よりもユーファミア様の方が優秀だからって」
「それは……きっと、カーティス殿下に忖度されたのよ。王立学院は王家からの支援でなりたっているから」
「なるほどね! でも、だからってユーファミア様への意地悪がなかったことにはならないわよ?」
「だから、意地悪なんてしてないって! 私たち、毎日お昼ご飯だって一緒に食べてたし、教室移動のときだって一緒だったわ。むしろ仲良しだったんじゃないかしら」
「えぇ!? それは無理があるんじゃ……」
「ユーファミア様に意地悪をしていたとしたら、それはメラニア様よ」
「え、メラニア様が?」
「私たちはメラニア様に騙されたのよ。そうよ、メラニア様に命令されたから、ユーファミア様に当たりが少しだけ強くなってしまっただけだわ。それを除けば、私たちは仲良しのはずよ」
「でも……」
「いいこと、シャロン。私たちは常にユーファミア様と一緒にいたわ。だから仲良しだったってことよ。未来の王太子妃の学友よ。そうでなければならないの。あなただって、侯爵家の次男との縁談が進んでるんでしょ? 本当のことがバレたら困ることになるわよね」
「それは困るわ! ルーク様はとっても素敵な方なのよ! あの方と結婚できなくなるなんて嫌よ!」
「だったら黙っておくべきよ。王太子妃がメラニア様からユーファミア様に変わったけれど、私たちがいつも一緒にいたことには変わりがないわ。私たちとしては何も変わらないのよ」
「え、えぇ」
私たちはユーファミア様に意地悪なんてしていない。諸悪の根源はメラニア様だけで、私たちは彼女に騙されていただけ。
そうなるはずだった。けれどーー。
「ユーファミア様は純潔ではないのよ。だから、彼女が王太子妃になるなんてありえないわ。それを証明してみせますから、あなたたちも手伝いなさい」
卒業式の前日。メラニア様に呼び出された私たち。その命令に、どうして否と答えられるだろう。
ユーファミア様が王太子妃に内定したとの情報が王都を駆け巡ったその直後、王宮に滞在しているであろうユーファミア様にご機嫌伺いの手紙を送ってみたけれど、返事はなかった。念のためバルト伯爵家宛にも送ったけれど、こちらも同じ。
(もしユーファミア様が私たちを恨んでいるのだとしたら……)
私だったら、自分にきつく当たってきた人間を排除するだろう。王太子妃に睨まれたらこの国では生きていけない。まともな結婚なんて望めるはずもない。
疑心暗鬼になった私は、メラニア様の言葉に従うことにした。もし本当にユーファミア様が純潔でないなら、王太子妃になることが難しくなるのは本当だ。
私にとっても、メラニア様の船に乗るか、ユーファミア様を選ぶかの賭けだった。そしてーー私は賭けに敗れた。