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名も無き花2

メラニアのストーリーはこれで完結です。何度もいいますがざまぁはないです。

 天気が良い日は、敷地内の散歩が許されている。朝食の時間に監視役の護衛が希望の時間を聞いてくる。たいていは日がまだ高くない午前を選ぶ。


 修道院の敷地内は簡素で、自宅や王城の庭とは比べるべくもない。ただ、部屋にいてもやることが何もないため、仕方なく外に出る。日傘を指してくれるメイドはいないから帽子をかぶる。


 護衛と、日替わりでつく修道女ひとりが私の後をついてくる。彼らと会話する気はないため、ただ黙々と歩く。私が歩く場所は人払いがされているのか、遠くに畑仕事や家事をしている修道女や孤児の姿を見かけるくらいで、誰かと行き交うこともない。


 私の身分は修道女だと、初日に院長から言われたが、修道女としてのお勤めはないし、日曜の礼拝にも呼ばれない。私に求められているのは修道女としての献身ではなく、ただここにいることなのだろう。もっとも、求められてもする気はないからちょうどいい。

 

 歩いた先にある東屋でいつも休憩する。東屋といっても雨ざらしのベンチが置いてあるだけの簡素な場所だ。ポケットからハンカチを取り出しそこに敷いてから腰掛けると、木々の切先に教会の鐘が見えた。


 ベンチがあるだけあって、ここは一応修道院の中庭が見渡せる。もっとも秋も深まるこの季節、手入れも行き届かない庭には痩せた茂みが見えるだけだ。


 ここにいるのが許されるのは15分程度。庭に見るものはなく、いつも空を少しばかり見上げる。日差しはそれほどきつくなく、耳を揺らすのは木々のざわめきと小鳥の囀り。


 だが、この日は違った。少し先の茂みが音を立てたかと思うと、そこから小さなものがひょこりと顔を出した。崩れたおさげの黒髪、日に焼けた掠れた肌、これっぽちも美しくない相貌の中で、薔薇色の頬とこぼれ落ちそうなほどの薄青の瞳が鮮やかだった。


「おひめさま……」


 微かに開いた唇からこぼれた言葉に、私は無表情を保った。貴族女性たるもの、簡単に表情を読み取らせるわけにはいかない。いつでも、笑いたくないときでも笑みを浮かべる。だが下々の者に対しては別だ、笑みのひとつも向ける必要はない。視線すら合わせる必要がない。


 だが、なぜか、その薄青の瞳から目をそらすことができなかった。


 私が黙っていると、子どもはさらに口を開いた。


「あなたは、おひめさまですか?」


 子どもが隠れる茂みは死角になっているのか、少し離れたところにいる護衛と修道女が近づいてくる気配はない。私は無表情のまま、子どもを眺めた。


「……そうよ」

「やっぱり! 絵本に出てくるおひめさまとおんなじ! とってもきれい!」


 興奮した子どもが茂みから飛び出した。そのときになってようやく慌ただしく動く気配があった。


「マリア!」


 名を呼ぶのは今日の散歩についてきた修道女。叱責ともとれる響きに、子どもが一瞬びくりと動きを止めた。


「何をしているのです! 今日の午前中は庭に出てはいけないとお触れがあったでしょう!」

「ねぇ、シスター・メイ! おひめさまがいたの! とってもきれいな方よ、ほら、素敵な赤毛にドレスを着てらっしゃるわ!」

「お黙りなさい! シスター・メラニア様、大変申し訳ありません……!」


 修道女が震えながら私に頭を下げつつ、子どもを背後に隠そうとした。だが好奇心旺盛な子は背後からまたぴょこっと顔を覗かせる。


 けれど護衛が間に入り、その視界を遮った。彼の指示で子どもはシスターに手を引かれて去っていく。ちらちらとこちらを振り返るのを注意されながら、二人は教会の角を曲がった。


 護衛からも謝罪を受け、気が削がれた私は部屋に戻ることを告げた。ベンチに置いたハンカチを畳み直す。白いハンカチには赤い薔薇が刺されている。淑女の嗜みである刺繍は一通りできるが、勉学を優先するためいつも学院の課題はメイドにやらせていた。最後に自分で刺したのはいつだったか。


 畳んだハンカチはわずかな汚れもなく綺麗だった。ポケットにしまいながら、スカートの皺を伸ばす。着ている服は修道服でこそないが、かつての私の普段着にも劣るワンピースだ。


不意に起きた風が、艶のなくなった私の髪をざわりと弄んだ。私は護衛を引き連れて東屋を後にした。





 数日後、またあの子どもが茂みから顔を覗かせた。


「おひめさま、こんにちは」

「……」


 眉根を寄せた私は、少し離れたところの気配をわずかに伺った。護衛も今日の修道女も、子どもの存在にまだ気づいていない。


 子どもは茂みの中から出てこなかった。その中に埋もれていれば、大人の立ち位置からは死角になって見えない。それをわかっての行動のようだ。風の音が遮断するのか、声もあちらまでは届かない。


「おひめさま、私はマリアです。またお会いできてうれしいです」


 薄青の瞳が嬉々とした色を浮かべる。


「あの、私、おひめさまに贈り物があるんです。どうぞ、お受け取りください」


 茂みの中から差し出された手には、一輪の花があった。


「孤児院の裏庭にたくさん咲いているの。女の子たちはこれを集めて指輪を作るのよ。おひめさまには王子様が花を贈るのでしょう? それにこれは、おひめさまの髪の色と同じだわ!」


 子どもが差し出すそれは、かつての自宅の美しい庭に咲き乱れる花々とは似ても似つかぬ粗末なものだった。それもそうだ、孤児が手遊びに摘めるものが、美しくあるはずがない。


「美しいおひめさま、どうぞ」


 おおよそ社交界では見ることのない邪気のない瞳。私はなぜかその者に手を伸ばした。けれど茂みまでは距離があり、届かない。わずかに腰を浮かしたそのとき、子どもの方から飛び出してきた。


 はっと振り向くと、護衛と修道女の驚いた顔があった。すぐさま駆け寄ってくる彼らに気を取られた隙に、私の手に押し付けられるものがあった。


「マリア!」


 再び聞く子どもの名。先に着いた護衛がその腕を引いて修道女に引き渡す。


「あなたは……! 3日の謹慎では足りなかったようですね! ここにきてはいけないと院長にも叱られたでしょう!」


 叱りつつも私に謝罪をし、子どもを再び引っ張っていく。振り返った少女が満面の笑みを見せながら小さく手を振っていた。


「申し訳ありません。お怪我はありませんか」


 護衛が私に声をかける。前回とちがって、今回は私に子どもが触れてきたように見えたのだろう。大丈夫だと答えながら、今日の散歩を切り上げる旨を伝えた。


 部屋に戻った私は、ポケットからハンカチを取り出した。広げたそこには小さな花。5枚の赤い花弁に中央は薄い色。指の先ほどしかない小さな花は、どう見てもただの雑草だ。


 開いたハンカチには赤い薔薇が刺してある。この刺繍をしたのは16のとき。我が家の庭師が品種改良して生み出した新種に、父が名をつけた。その発表を記念して開かれたパーティで、私は父と弟、それにカーティス殿下に手ずから刺繍したハンカチをプレゼントした。赤く気高い薔薇の名は「レディ・メラニア」。母譲りの美しい赤毛は、よく薔薇の花に例えられていた。


 私の赤毛は庭師が丹精込めて咲かせた薔薇の色。断じてこんな、名も無き花の色ではない。


 瞳を伏せると思い出される、かつての賞賛の言葉。父も弟も、パーティの出席者たちも、こぞって私の美しさを讃えた。私の刺繍を受け取った父の目には涙すら浮かんでいた。


 ただひとり、カーティス殿下だけは、謝礼の言葉を述べただけ。私はかの人から花を貰ったことさえない。





 翌日には花はすっかり萎びてしまった。私は週に1度様子伺いにやってくる本宅の使用人に、刺繍道具が欲しいと告げた。また護衛と日替わりの修道女に、散歩コースの変更の可否を確認した。


 そしてさらに翌日、いつも通り散歩に出かけた。





 子どもたちは教会でミサの最中とのことで、その場所は閑散としていた。少女の言葉を頼りに目的の物を探すと、それはすぐに見つかった。孤児院の寂れた日当たりの悪い裏庭の、さらに端に群生するのは、あの日、少女が私に手渡した赤い花。地面を這うように広がるそれは、足を踏み出せば簡単に踏み躙れる弱々しさだ。


 地を這い踏まれる運命のその花が、私に例えられるなんて。ぎりりと奥歯を噛み締める。すべてを否定したくてその花を蹂躙すべく一歩を踏み出そうとした。けれどなぜか踏み出すことができない。顔をあげた視界に広がる一面の赤い花の色彩がちらちらと目に焼き付いて、私は逃げるようにその場を後にした。





 届けられた刺繍道具は、かつて私が使用していたものだった。中身を開いたことで、最後に刺繍をしたときのことを思い出した。カーティス殿下の成人の祝いのために王家の紋章を刺したときだ。誕生日の日に合わせて王家へと届けたあのハンカチが、今どういう扱いになっているのか、知る術はない。


 刺繍は淑女の嗜みだから一通りはできる。提出物はメイドにやらせていたけれど、それは時間がなかったからで、殿下や家族に贈ったものは正真正銘自分の作だ。


 白いハンカチを広げて、準備する。


 やはりレディ・メラニアの意匠を刺そうか。この美しく高貴な私に相応しい、我が名を冠した薔薇の花。


 赤い刺繍糸を針に通すと、久々の感触に心が凪いだ。集中するために一度目を閉じる。瞼の裏に浮かぶ色彩は、触れずとも自分の脳裏に、心に焼き付いている。これをこの白い世界に映しとる、いや、咲かせるのだ。私に例えられるその花は、定めとなる短い命を永遠にここに刻むことになるだろう。そしてその美しさとしなやかさは、後世へと伝えられていく——。


 私は最初のひと針を刺した。護衛が夕食の時間を告げにくるそのときまで、一心不乱に手を動かした。



_______________


 数年後、マクレガー侯爵領から興った新たな産業が王都を席巻することになる。


 修道院で生まれたその刺繍の意匠は、濃淡のある赤のみを組み合わせて刺したもので、そのシンプルな美しさが、過剰な装飾に飽きていた貴族たちの心を掴んだ。品の良いシンプルな装いを好んだ時の王妃が公の場で身につけたことも相まって、貴族の婦女子たちの間ではこの技法を学ぶサロンまで流行った。


 マクレガー家の領地では、孤児院の子どもたちが糸の染色を、修道女たちが刺繍を担当した。売り上げは孤児院や修道院の貴重な収入源となり、また孤児院を卒業した子どもたちがお針子として自立する道も確立された。


 この刺繍の原点となった、白地に明るい赤一色で刺繍する小さな花の意匠は「名も無き花シリーズ」として根強い人気を博している。小花を全面に品良く散らしたデザインと、糸の太さを使い分けて巧みに濃淡を表現する作風は、一人の貴族出身の修道女が編み出したものと言われ、その芸術性が高く評価されたことが流行のきっかけとなった。


 新たな産業の産みの親となった修道女の名までは伝えられていない。


 秋になると孤児院の裏庭では、刺繍の意匠のモチーフとなった赤い花が、今でも咲いているという。


王妃ユーファミアがなぜメラニアが考案した刺繍を手にしたかというと、マクレガー宰相との取引の一環です。メラニアを社交界から追放する代わりにマクレガー宰相が宮廷で権威をふるうという約束が交わされていました。マクレガー領の産業の振興のためにその刺繍を人前で使用してほしいという宰相の願いを叶えた形です。

ちなみに出てくる孤児院は、ユーファが雇用契約をさせられたあの孤児院です。その孤児院の振興という点も、ユーファにとっては協力の理由になりました。


メラニアは学業優先のため刺繍などは手を抜いていましたが、実は相当の腕前だったという裏設定です。


ざまぁが望まれているんだろうなと思いますが、脇役にもそれぞれの人生があることも物語の醍醐味であると私は思い、カイエンとメラニアのサイドストーリーを書きました。


次回はカーティス編か、メラニアの取り巻き(こちらはざまぁになるかも?)の予定です。

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