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名も無き花1

悪役令嬢メラニアのサイドストーリーです。ざまぁを期待されていた方には申し訳ないのですが、ざまぁ要素はありません。

 開け放した窓の方向から聞こえる子どもの甲高い声に気を取られ、手にしていた本のページから顔をあげた。ふと目をやれば、飾り気のないモスグリーンのカーテンが風にはためいている。秋も深まるこの季節、マクレガー領は山からの風が盆地のような地形に吹き下ろす関係で、ぶつかりあった風がいたずらに強く吹き付けることがあると、久々の季節外れの里帰りで思い出した。


 見るともなしに見ていた本をテーブルに置き、窓辺に近づくと、足元にカーテンをとめるタッセルが落ちているのに気づいた。風の強さに負けて切れてしまったようだ。拾うのも煩わしく、はためくカーテンを押さえつける。なんの飾り気もない、粗末な軽いカーテン。汚れが目立たぬよう深い色合いに染められているのは、清貧をモットーとする修道院の教えか、単なる予算不足か。カーテンだけでなくこの部屋にあるすべての物が粗末で、初めてここに案内されたとき絶句し、案内した修道女と護衛にすべて入れ替えるよう命じた。侯爵令嬢である自分が使用する物は、すべて一級品でなければならない。薄い布張りの一人掛けのソファも、ニスすらかかっていない木製の机も、重厚さの欠片もないカーテンも、すべてが私に相応しくなく、到底許せるものではなかった。


 私の訴えはしかし、修道院の院長によって退けられた。ここにある物が、今の私に与えられたすべてであると年老いた修道女は告げた。


「それから、あなたはすでに侯爵令嬢ではありません。領主様のご命令で出家の手続きをとり、修道女となりました。神の部屋の住人となった者は全員、家名を捨てます。あなたはただのシスター・メラニアです」


 怒りのあまり呆然とする私に、院長はさらにここでの生活に関する説明を重ねたが、そのときの私の耳には何も入らなかった。


 日が経つにつれて、そのときの説明が現実となって私に重くのしかかってきた。ここは領都から半日ほど離れた土地にある修道院。その敷地内のはずれにある3階建の塔の最上階が私に与えられた新たな住処。その塔の存在はうっすらと記憶にあった。領内にとどめ置く貴人向けの監獄であると。


 ここへ送られることを私は事前に知らされていたのだった。


「メラニア、残念でならぬよ」


 この国の宰相として辣腕を振るい、数多の貴族を掌握する父・マクレガー侯爵によって。





 私は侯爵令嬢だ。


 貴族の爵位の中でも高い位置にある我が家は、父が宰相職にあることもあり、国内の侯爵家の中の序列はトップ。上には公爵家があるが、どこも世代が異なったり世継ぎに恵まれなかったりといった事情があり、さらに上の王家の王女たちは年齢が少し下ということもあって、同世代の令嬢の中での序列は間違いなく一位だった。


 一位であることは、それに相応しい振る舞いが求められる。一位であるからこそ、その誇りを忘れず、努力しなければならない。そう私に教え、導いてくれた母は、私が9歳のときに病に倒れた。その病に効く薬はあった。だがその薬には髪がすべて抜け落ちてしまうという後遺症があった。父をはじめ周囲は母に服薬を勧めたが、かつて王国一の美貌を謳われた母はそれを拒否した。そして豊かな赤毛を失うことないまま永遠の眠りについた。


 その誇りと赤毛を受け継いだ私は、母のように気高く、美しく、皆に讃えられる存在であることを目指した。勉学、教養、魔法、美貌、知性、すべてにおいて手を抜くわけにはいかない。社交界に出れば誰もが私を注視するのだ。人より高くある木は皆の耳目を集め、常に注目されるもの。


 高位に君臨するため、私はあらゆる努力を重ねた。侯爵家の財力と人脈を大いに利用し、常に一流の物を側に集め、私自身がそれに相応しくあるよう振る舞った。もちろんその過程で必要ない物を切り捨てることも忘れなかった。家庭教師から出された課題を、お抱えの魔道士に代筆させていたことに苦言を呈した乳母には暇を出したし、参加した子ども向けのサロンで、大人顔負けのピアノを披露した他家の令嬢は、母娘ともども派閥から追い出すよう仕向けた。当然のことだ。私が一位であることを邪魔する者など、いていいはずがない。


 同世代の貴族のトップに君臨する私がただひとり、頭を垂れなければならない相手、それがカーティス殿下だった。殿下と顔を合わせたのはまだ母が存命の折。イゴール王の再来とされ、膨大な魔力を持って生まれた殿下は、その頃はまだ魔力過多の症状に悩まされることもなく、健やかに過ごしていらした。長兄相続が一般的なこの国で、実質王太子として崇められる存在。当時の王宮では同世代の高位貴族の子女たちが集められる、王妃様主催のお茶会が定期的に開かれていた。筆頭侯爵家である我が家は当然、序列一位のもてなしを受けた。


 この方が未来の国王陛下となるお方かと、お茶をいただきなが不躾にならぬ視線を送った。この国で最も尊い存在である彼と、同世代の令嬢の中で最も高貴な立ち位置の私。一流の貴公子の隣に一流の令嬢が並び立つのは至極当然のこと。幸い殿下は身分だけでなく、勉学、教養、魔法、美貌、知性、すべてが秀でていらっしゃる。常に最高峰を目指している私にとっても不足のないお相手だ。


 私が彼の婚約者となるだろう。幼心にそう思った。殿下と婚姻し、王太子妃からやがて王妃となる私。その立場はこの国の頂点。常に一位であらねばならない自分は、その位置に必ず辿り着かなくてはならない。


「お母様、わたくし、未来の王妃になります」


 私の発言に母はたいそう満足し、早速王家に婚約の打診をと父に迫った。だが、当時から宰相職にあった父は難色を示した。理由はカーティス殿下の魔力過多症を心配してのことだった。膨大な魔力を秘めて生まれついた殿下は、成長とともに魔力暴走を起こすことが予測されていた。その暴走を抑える治癒係の役割を持つのが魔力ゼロの人間だが、その治癒係はその時点でまだ見つかっていなかった。万が一治癒係が現れなければ殿下の命も危ぶまれるという状況で、侯爵家の長女を縁付けるのは早計と判断したようだ。


 父の判断に母は怒りを露わにした。母は若い頃、その美貌が注目され、国王陛下の婚約者候補に名を連ねていた。だが家格が少々足りなかったことと、最終的には隣国の王家から今の王妃様の輿入れが決まったことでご破算になった過去がある。その後父の元に嫁いだが、筆頭侯爵で宰相の妻という立場に満足してはいなかった。母は病にふせってもなお、私とカーティス殿下の婚約を願っていた。その思いを汲み取った父が折れる形で、王家に婚約の打診がなされたが、その後に亡くなった母の喪中にことを動かすわけにもいかず、喪が明ける頃には殿下の魔力暴走が始まってしまい、婚約の話どころではなくなってしまった。


 儘ならぬ状態で時は流れ、ついに待ち望んだ魔力ゼロの治癒係が王家に召し抱えられた。それが彼女——ユーファミア・リブレ子爵令嬢だ。取るに足らない身分、埋没してしまう程度の容姿と教養。私の競争相手になるはずもない存在に、なぜかカーティス殿下は心を砕いた。いっときの気の迷いと初めは静観するつもりだったけれど、王太子宮の続き部屋を彼女に与えたと知れたとき、その迷いの芽を早々に摘み取ることを決意した。子爵令嬢にすぎない分際で、これ以上思い上がらないよう釘を刺しておかねばならない。


 幸い協力者には事欠かなかった。我が侯爵家の縁戚にあたるマーガレットとシャロン、そしてユーファミア様に思いを寄せる殿下の腹心・カイエン様。あんなつまらぬ令嬢のどこが良いのかまったく理解できなかったけれど、伯爵家の養子にすぎないカイエン様と田舎の子爵令嬢ならお似合いだ。


 協力者の助力を得ながら、もちろん私自身が学院という小さな社交界で誰もを従える立場にあり続ける努力も忘れなかった。学院において成績は絶対だ。我が家の魔道士たちを使って試験対策をさせたし、私が書くに相応しいレポートの下書きもさせた。そのレポートは優秀作品に選ばれ、学院が発行する論文集にも収められている。あぁ、一度だけ、忌々しいことに撤回させられたものがある。温情で雇用してやっている平民の魔道士に手伝わせたものだ。高貴なる私の補助をさせてやったというのに、あの者が失敗したせいで、撤回を余儀なくされたレポート。まぁ、学院発行の論文集など、学生たちが興味を持つものでもないから、瑕疵にもならない程度の些細な出来事だ。


 そうやって5年に渡り、私は弛まぬ努力を続けた。すべては私がカーティス殿下の婚約者として、あの方の隣に並び立ち、この国の女性たちの頂点に立つため——。





 私はメラニア・マクレガー侯爵令嬢。私が本来あるべき姿は、けれど今、ここにはない。こんな、風が吹いただけではためくような、粗末なカーテンの部屋など、私には相応しくない。そのカーテンを抑える侍女やメイドもいないなど、あっていいことではない。


 けれど現実は、このカーテンを収めたいなら、自分で窓を閉めなければならなかった。落ちたタッセルなど絶対に拾うものか。私は侯爵令嬢なのだから。


 カーテンのみならず、窓辺に近づいた私の髪まで弄ぶ風が忌々しい。そこから登ってくる子どもの声も。この修道院には孤児院が併設されている。庭で落ち葉を焼いているのか、小さな煙が上がっている。


 窓を閉めようと力をこめたが、立て付けが悪くスムーズに動かない。何もかもが腹立たしかった。両手で力を込めようとしたとき、階下からこちらを見上げる者と目が合った。粗末なワンピースに細い肢体は孤児院の子どもだろう。薄青の瞳を見開いて微動だにしないまっすぐな視線は、侯爵令嬢として王都の邸で暮らしている頃であれば決して見ることがなかったものだ。たかだか平民の、さらに下層の孤児など、私が目に入れる価値もない。


 そんな鄙びた目を、私は今、見ることになった。年齢も髪色も、もちろん瞳の色も違うはずなのに、一瞬ユーファミア様のことが思い出された。がたん、と音を立ててようやく窓が閉まる。そのままカーテンも閉めると、薄暗い部屋がさらに暗くなった。


 いらいらする気持ちを抱えたまま、一人がけのソファに戻る。喉が渇いていたが、この部屋には水差ししかない。お茶は毎日3時の一回だけ、申し訳程度の粗末な茶菓子とともに出される。食事は日に3回、ともに階下のダイニングとも呼べない狭い部屋で食べる。運んでくるのは修道女で、侍女やメイドはいない。給仕もない。部屋を移動する際には護衛という名の監視がつき、その護衛は普段は塔の入り口を守っているようだった。


 味気もないただの水を飲む気にもなれず、私はソファに腰を下ろした。サイドテーブルに置いた読みかけの本を再び手に取る気もおこらない。部屋には小さな本棚が備え付けられていて、たまに中身が入れ替えられる。私が階下で食事をとっている間になされる掃除やベッドメイクの際に、本も補充されているようだった。だがそのラインナップはつまらないものばかりだ。他にやることがないため仕方なく手にとった詩集は、隣国の詩人・リーヴァイのもの。王妃様の出身国であり、彼女が好んでいるというその詩人について学ぶことは、貴族令嬢の一種のマナーとされていたため、自宅の部屋にも全集を揃えていた。正直好きではなかったが、学ばないという選択はできない。特に王妃様主催のお茶会に呼ばれる身としては必須教科でもある。毎回家庭教師に時候や当節の流行、王妃様の好みから、お茶会の話題に登りそうな詩を厳選させ、予習してから臨んでいた。自分が王妃となるまでの我慢、と思いながら。


 そんな社交も、ここに閉じ込められている私にはもう遠い世界。何かを思い出させるその詩集が急に忌々しく思えて、思わず足元に投げ捨てた。






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