最後の嘘2
伯爵は当時から王妃宮の筆頭事務官であり、彼の一人息子である継嗣は王立学院に在籍していたため、自分もまた領都の邸でなく、王都のタウンハウスに呼ばれることになった。そこで約1年に渡り、徹底的な教育を受けることになる。手付かずだった魔法の勉強に加え、付け焼き刃だった基礎的な学問、貴族としての知識や振る舞い、さらには王族に関することまで。そこまで高いレベルが求められたのは、私が未来の王太子であるカーティス殿下の側仕えとして推薦されるためだった。
バルト伯爵には息子が一人しかおらず、彼が伯爵位を継ぐことになっている。一方でバルト家は開国以来、王族の近くに侍り、さまざまな形で彼らを支えてきた名家でもある。領地の繁栄のほかに王宮での出世が貴族に求められるステータスだ。
伯爵は自領を弟夫婦に任せ、自身が王宮に出仕する道を選んだ。だが彼の一人息子は生まれつき持病があり、王宮での仕事よりも自領で領地経営に従事したい旨を早々に表明していたため、王宮での伯爵のポジションを継ぐ人間を別に立てる必要があった。ただの事務員レベルの仕事であれば誰にでも務まるが、王族に近しい存在を目指すとなると、優秀な人材が必要となる。バルト家の弟夫婦の元には女児しかおらず、見渡してもめぼしい人材が見つからないという状況で、私という存在は伯爵からしても幸運な巡り合わせととられたのだろう。
そうして十一歳になる直前、私は主君となるカーティス殿下と引き合わされた。
王族と見えることなど一生ないと思っていた。そんな私の現前に立つ、まばゆいほどの金の髪と理知的な藍色の瞳の少年。これほど美しいものを見るのは初めてのことだった。人や物や絵画、あらゆるものを超越した美しさ。
見た目だけの話ではない、あらゆる点において殿下は同い年の少年の姿を超越していた。私自身、地元では神童と称され、同年代の者たちよりもはるか高みにいる自負があったが、それを超える位置に、我が主君、カーティス殿下はいた。
特筆すべきは魔法の才だ。全属性持ちで既に初級魔法を習得済み(当時の私は初級の基礎の段階にすぎない)、生まれ持っての魔力の容量も規格外。だが、規格外故の弊害もあった。多すぎる魔力が体内に溜まることで肉体や精神を蝕む魔力過多症を発症していた。
ちょうどこの頃から魔力暴走を起こし始めた殿下の傍に付き従い、その助けとなるのが私に課せられた役目。この頃の魔力暴走は今にして思えばまだ軽いものだった。動悸がすると膝をつく殿下を支え、その間にも王宮付きの魔道士を手配して治癒魔法をかけさせる。30分もすればけろりと治って、また日常へと戻っていく。
この頃の殿下の日課は勉学と帝王学、合間に近衛の剣術指南、加えて週に数回のマナーや魔法学の学習。側仕えの私も、毎日義理の父となったバルト伯爵と登城しては殿下と机を同じくする栄誉を与えられた。魔法や剣術が殿下に敵わないのは仕方ないにしても、せめて勉強だけはと思ったが、それすらも私のはるか上を行く殿下を見て、私は初めて自分の世界の狭さを知った。
後に王立学院に入学し、あらゆる高位貴族を凌いで自分が殿下に次ぐ2位の成績を修めることができたため、私の思い上がりが過ぎていたわけではなかったと証明されたが、この当時は殿下の圧倒的な存在の前に、決して敵わぬ差が明確になっていくのを日々感じつつあった。
今して思えば、あの頃から既に、殿下に対して仄暗い思いを抱いていたのかもしれない。
それが決定的となったのは、殿下の治癒係として彼女が召し上げられてからだ。
殿下の魔力過多症は日を重ねるごとに悪化していった。治癒魔法の効きが悪くなり、回復に至る時間も、その後のクールダウンの時間も延長の一途を辿る状態。魔力過多の王族が生まれる御代には、必ずいるとされる魔力ゼロの者。そのほとんどが平民であった歴史から、捜査網から貴族を外していたのが大いなる失敗。
長らく探し求めていた魔力ゼロの者は、家名を聞いてもすぐには思い出せないほど小さな子爵家の令嬢だった。初めて彼女に会ったときのことはよく憶えているが、それは必ずしも心踊る記憶ではない。
ユーファミア・リブレと名乗ったのは、素朴な印象のごく普通の少女だった。小柄で痩せた体躯、髪色も瞳の色も特筆すべきものはない。この頃の私は伯爵家の令息であり、カーティス殿下の側仕えとして高位の貴族子女の交わりにも参加することが多かった。自身も身を削る思いで社交やマナーの習得に勤しんできたこともあり、目線だけは高位な者と同じものを身につけていた。皮を一枚剥げばただの小役人の息子にすぎないというのに、一流の仲間入りを果たしたと思い上がっていたのだ。
だから彼女――ユーファミア嬢に対しても不遜な目線を向けたのだと思う。
粗末な服を着せて市井に出せば平民に紛れてしまうのではと思えるほどの容姿。だが、大きく憂いを帯びた瞳はひどく印象的だった。大黒柱の父を亡くし、没落の道を辿る子爵家を救うために、王家の招集に応じた生贄の少女。田舎娘の様相が抜けないその姿は、かつての自分の家族――母や姉を思い出させた。
悲壮感と使命感が宿った瞳に一瞬呑まれそうになった自分を律しつつ、どこかで苛立ちすら覚えた。私が抜け出したいと願い努力したあの世界から、私が忘れ去りたいと思うそのままの姿で、領地を背負う意志を瞳に宿してやってきた少女。しかも子爵令嬢で、以前の私なら声すらかけられない立場。
苛立ちと憧憬と――何故か私の心は掻き乱された。掻き乱されるたびに彼女の鄙びた容姿や立ち居振る舞いを心の中でこき下ろす。彼女は取るに足らない存在で、魔力ゼロという恥ずべき存在で、その能力の無さだけで王宮に運良く召し上げられただけの存在。彼女より美しい者も優秀な者も血筋が高貴な者も大勢いる。例えば宰相家のご令嬢で、カーティス殿下とも親しいメラニア・マクレガー侯爵令嬢。メラニア嬢の方が優れた令嬢のはず。私がユーファミア嬢に対して特別な思いを抱くはずもない――。
そう言い聞かせる私の気持ちを他所に、我が主君、カーティス殿下の行動は早かった。
立太子の儀こそまだだが、長男相続が一般的な王族で既に王太子と認められていた殿下は、本来であれば王立学院入学前に婚約者が定められるはずだった。未来の国王の妃の座が定まっていない状態で学院生活を送ることは、学院内でいらぬ派閥闘争や混乱を招くことになる。だが殿下の魔力暴走による体調不良と、治癒係がなかなか見つからぬ状況が相まって、婚約者選定は先送りになっていた。
ユーファミア嬢の登場で治癒係も定まり、学院入学を控えた今、再び高位貴族のご令嬢による婚約者争いが始まるかと思われた矢先、殿下自ら選定のさらなる先送りを願い出た。表向きの事情は治癒係が同い年の貴族令嬢であり、成人するまで常に彼女を伴う必要性が出たことで、仮に婚約者を置くと婚約者たる令嬢に失礼に当たるからというもの。しかし、魔力がないユーファミア嬢を学院に入学させるよう根回ししたり、王妃宮を独立したその足で未来の妃殿下の部屋を彼女に与えたり(夜間の魔力暴走にも即座に対応できるようにというこれみよがしな理由をつけてはいたが)した時点で、殿下の周囲に侍る人間には、その想いなどお見通しだった。果ては国王夫妻の命で極秘に王妃教育まで手配されたとあっては、王家公認の婚約者と定められたも同じだ。
殿下が一連の手筈を瞬く間に整えていくのを、私はただ眺めることしかできなかった。子爵家と王家では身分差がありすぎることなどなんら問題でないことは、平民同然の身から伯爵家令息に成り上がった自分が一番よく知っている。未来の王妃のために養い親として手を挙げる高位貴族がいずれ列を成すことだろう。彼女に魔力がない問題も、殿下自身が有り余る魔力の持ち主であることで相殺される。王族と治癒係が結ばれた前例もある以上、魔力量を理由に反対する者はない。
そうして着々と絡め手で包囲される中、ユーファミア嬢は楚々とした憂いのある美しさを花開かせていった。