最後の嘘1
カーティスの腹心、カイエンの物語です。やや鬱展開ですので苦手な方はご遠慮ください。本編を読まないと意味が通じない部分が多くあります。
思えば私の人生はいつだって嘘に塗れていた。
バルト伯爵家の傍流といえば聞こえはいいが、実質は広大なバルト領の一部、小さな街の管理を担う官吏の家系。父の上にはさらに役人がおり、そのはるか上にいるのがバルト伯爵とあっては、もう赤の他人と言っていいくらい、薄まった貴族の血を身に宿して生まれたのが自分だ。6人兄弟の下から2番目、父の給料に母の内職の稼ぎを加えて家計はぎりぎり、通いのメイドひとり雇うのが精一杯という環境。世襲制の官吏の家系ということで、長兄だけはかろうじて地方の学校に進めたが、2番目以降にその権利はない。長じて姉は裕福な商家の子守として働き、次兄は農家に婿入りすることで自活の道を切り拓くことになるのだが、自分の未来もまた、それに準ずることになるのかと、諦めのような焦りのような、重たい空気の中で過ごした子ども時代。
その頃の私はよく教会に足を運んでいた。家にいれば大人たちや上の兄弟たちから手伝いを押し付けられる。それが面倒だった私にとって、教会で神父が開く神学教室に参加する方がずっと有益だった。神父は定年間近の男で、優秀な人間だったが、権謀や世辞に弱く、その世界で栄華を極めることなくこんな田舎で職務を閉じようとしているという噂通りの、人の良い人間だった。
教室では読み書きや計算から始まり、見込みのある者には語学や地理・歴史など、神父が持つ知識や経験を無償で教えてもらえた。幸い勉学は性に合っており、砂が水を吸うかのごとくあらゆる知識を吸収した私は、やがて神童と噂されるようになった。神父も出来のいい私に物を教えるのが楽しかったようで、田舎ではなかなかお目にかかれない高価な書物も惜しみなく貸し出してくれたし、あらゆる見識も授けてくれた。
勉強は嫌いではなかった。だが取り立てて好きだったわけでもない。家の手伝いをしたり、体格のいい兄たちにいいようにあしらわれるよりはずっと楽だからしている。それだけ。
「カイエン、勉強は好きかい?」
「はい。神父様。知らないことを学べるのが楽しいです。もっとたくさん勉強して神父様や地域の皆さんのお役に立ちたいです」
そう言えば神父は笑みを深くし、私財を投げ打って新たな書物や筆記具を取り寄せてくれたり、供物として教会に捧げられた菓子をわけてくれたりする。食べ盛りの子どもにとってこれ以上の物はなかった。
嘘は自分に幸せをもたらしてくれるものーー幼い私がそう信じたのも仕方がない。
とはいえ神父の教えだけで教養を身につけるには限界がある。
齢十歳にして私は、自分の未来を憂いていた。いくら神父の元で学を積もうとその使い道がなければ意味がない。世襲制の官吏のポジションは、すでに成人した長兄が継いでいる。下から2番目の自分にその権利が降りてくるはずもない。
となれば家を出るしかない。姉のように職を得るか、次兄のように婿入りするか。いくら学を積んでも、長男以下の存在などそのような扱いだ。どれだけ努力しても、この田舎家から抜け出せなければその先が開かれることはない。
憂える私の未来が開けたのは、十歳も半ばのこと。私に勉強を教えてくれていた神父が神職の会議に呼ばれ、バルト領の都に出張することになった。
既に定年を迎えたものの、田舎の地に赴任したがる者がいないという人手の問題からそのまま留任していた神父は、年齢の影響もあり、物忘れが見られるようになってきた。それは大事になるほどのものではなく、神父自身も「あぁそうだった」と後で気づくような軽いもの。そんな彼の元に日参し、彼の業務を手伝うまでになっていた私は、どうにかして彼の側仕えとして雇ってもらえないか画策していた。
だから、彼宛の手紙を分類する際にわざと開封したまま彼に見せなかったり、赤子の洗礼の儀式の予約日時を伝えなかったりと、小細工を講じた。神父がそんな小さな嘘に気づくことはなく、むしろ忘れていたものを寸でのところで私の機転で救われたと感謝されることが続いた結果、彼の信頼を得て、領都への出張にもお供させてもらえることになった。
神父たちが秘書や小姓を従えて出歩くのはよくあること。神職会議の場で私は彼に張り付き、彼を支えた。表向きは足を悪くしている彼の杖代わり。裏の仕事は、神父の隣で小鳥のように囀ること。
「正面から来られるのはイームズ地方のマーカス神父様ですね」
「ガロン修道女様と談笑されているのはアロイズ官吏様でしょうか」
初日に顔合わせと称した立食パーティがあり、そこで参加者が自己紹介した際に全員の顔と名前と役職とを覚えた私は、それを神父の隣で呟き続けた。神父からすれば私は、初めてお目にかかる高明な方々に感動して舞い上がっている少年と映っただろう。
けれど十歳の少年が、足を痛め、定年もとうに過ぎた齢の神父の傍でそう囁き続ける光景は、あらぬ憶測を呼ぶことになる。
「神父殿は優秀な小姓をお連れと見える」
足だけでなく目も耳も、もしかすると頭も耄碌しかけていると勘違いされた神父だが、生来の人の良さから、連れてきた自慢の教徒が褒められたことが嬉しく、「ありがとうございます」と好々爺の姿を崩さない。
こうして3日の滞在の間に、自分が優秀な人材だと周囲にも印象付けることに成功し、迎えた会議の最終日。
会場に姿を現したのが、王妃宮の筆頭事務官という多忙な任務の合間にたまたま帰郷していたバルト伯爵その人だった。
伯爵の目に自分が止まったことは僥倖としかいえない。どこまで遡ればバルト本家に行き着くのかわからないレベルではあったが、間違いなく私の家名もバルトだった。その名と、会議の間に知れ渡った私の評判を、伯爵の耳に入れる者があったのだろう。伯爵にお目通しが叶ったとき、表では緊張に満ちた子どもらしい表情を取り繕いつつ、心の中ではどういう言動が最適なのかを計算をしていた。伯爵は私に年齢を聞いた。十歳であることを答えると、カーティス殿下と同い年か、と呟いた。
「カイエンと言ったな。今、そなたの願いがひとつだけ叶うとしたら、何を願う」
何かの問答を突きつけられたかのような状況に、私はしばし沈黙した後、おずおずと響くことを計算した声色で口を開いた。
「叶うのでしたら、教区で神父様の手足となり働きたいです」
神父になるには神学校に通わねばならず、それには莫大な金がいった。そのため神職の大半は貴族かその傍流だ。神への敬虔な思いなど微塵もなかったが、今の生活を抜け出せるのであれば神職も悪くない選択だと思った。それにこの3日間、神父の介護を担う姿を見せつけてきたこともある。
この答えは悪くないはず。うまく転べば神学校への入学支援、そうでなくとも教区での小姓か秘書としての正式な仕事がもらえる可能性がある。
だが本当の思いはもっと別にあった。神童と称えられる自分なら、もっと大きな舞台で、それこそバルト本家でも十分能力を発揮できるはず。幸い平民に近い暮らしをしているとはいえ、魔力もある程度ある。必ず役に立って見せるといきりたつ自分がいたが、初対面の伯爵の面前でその望みを口にするのはさすがに憚られた。
ひとつだけ叶う願いーー私はここでも嘘をつくことにした。そしてその結果、私の身辺調査がなされた後、バルト家の血縁であることが実証され、私は養子としてバルト本家に迎え入れられることとなった。