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騒動はあっけなく幕切れした。
明けて昼頃、私の部屋を訪れたカーティス殿下が、昨晩の幕引きについて説明してくれた。
「マクレガー宰相と取引をした」
「取引、ですか?」
「あぁ。彼は私の代になっても宰相を続ける。その代わり、あの女は自領の修道院に行くことが決定した」
「メラニア様が修道院ですか!?」
あれだけ娘を大事にしていたマクレガー宰相が、その決断をしたことが俄かに信じられなかった。
「当然の報いというか、むしろ生ぬるい。ユーファを誘拐同然に連れ出し、その命を狙ったんだ。到底許されることではない。だが、あの女は最後まで己の罪を認めなかった。ユーファが家出したいと言ったから手を貸しただけ、魔道士の証言についても、我々が彼女の家族を盾に、嘘を強要しているのだと言って譲らなかった」
メラニア様の悪事は、魔道士リーゼさんの証言にかかっている。しかしながらそれ以外の証拠がなく、マクレガー宰相もその点を指摘し、初めは娘を庇っていたという。だが最終的には、娘を修道院に送ることを了承した。
「いったいどうやって……?」
「契約書だよ」
殿下が言う契約書とは、私がかつてメラニア様から渡され、サインしたマクレガー家孤児院での雇用契約書のことだった。メラニア様からもらったそれを、カイエン様を通じてバルト伯爵にチェックしてもらい、その後サインを入れてメラニア様にお返しした、あの契約書。実際はバルト伯爵の手には渡らず、カイエン様が自作自演して私に返してきたことが既にわかっている。
「あの契約書に書かれていた名前は、マクレガー侯爵のものだ。つまりユーファは、現マクレガー侯爵と契約を交わしたことになる」
「はい。それは覚えていますが……それがどうかしたのですか?」
「忘れたのか? あれにサインしたとき、ユーファまだ18の誕生日を迎えていなかっただろう。つまり、未成年だった。未成年と交わした契約など無効だと、以前言っただろう」
「あ!」
「つまり、あの契約書だけを見れば、マクレガー宰相が未成年のおまえに契約を結ばせようとしていたことになる」
「なるほど……でも、それが罪になるのですか?」
「法で裁けるかというと微妙だが、ひとつのストーリーが出来上がるな。娘を王太子妃にしたいと目論んだ宰相が、邪魔者であるユーファミアを王宮から引き剥がすために無理矢理契約書にサインさせ、王宮から連れ出した後に始末しようとした、と」
「メラニア様が画策したことが、宰相様のせいになる……?」
それが事実であるかどうかはこの際関係がない。そうした噂が出回るだけで、宰相様も無傷ではいられない。
「契約書を白日の元に晒され、娘とともに自分も失脚するか、それとも娘だけを切り捨てるか。宰相はーーー後者を選んだというわけだ」
メラニア様には弟君がいる。未来のマクレガー侯爵だ。宰相様は娘を見捨て、代わりに次代を守ったことにもなる。
「でも、よく契約書が残っていましたね」
「カイエンが手に入れていたんだ」
「カイエン様が?」
「あいつは契約書にマクレガー侯爵の名前があることに気づいていた。それが未成年と契約を交わすことになるということにも。そのため、何かの役に立つのではと思い、あの女から譲り受けていたらしい。あの女は契約書の重さには少しも気づいていなかったから、あっさりと譲ってくれたそうだ。その契約書を自宅から持ち出して、私に渡してくれたのだ」
「ではカイエン様が自宅から姿を消してパーティに現れたのは……」
「切り札となりうる契約書を、私に託すためだった」
ちなみに、カイエン様がリーゼさんのご家族を保護していたのも本当だった。私と同行する魔道士の情報をメラニア様から事前に聞き出していたカイエン様は、リーゼさんの身元について調査していたらしい。それは私の身を心配して、魔道士が信頼に足る人物かどうかを知るために行ったそうなのだが、私が殿下の転移魔法で帰城し、しかも殺されかかっていたということを知ったとき、真っ先にリーゼさんの家族の保護を手配したのだとか。
「人の一手も二手も先を読むことには長けている男だからな」
卒業パーティで、あたかも今保護しましたという雰囲気を醸し出したのは芝居で、本当は少し前から保護していた。リーゼさんはそれを知らず、メラニア様に家族を盾にとられ、一度は嘘の証言をする約束をさせられたものの、あの場で私の姿を見て耐えられなくなり、嘘を翻したのだという。
「カイエン様は、殿下の味方をしてくださったのですね」
「私の、というよりユーファの味方なんだろうな。ユーファへの思いを歪ませ、あの女の奸計に加わり、それがユーファの命を奪いかねない事件につながった。その贖罪のつもりだったのだろう」
メラニア様に与しながらも、幾重にも保険かけていた。それが、最終的に私たちの助けとなったことになる。
今回の家出騒動は、私の勝手とされていたのが、ここにきてメラニア様の策略であったという真実が晒されることになった。ただし私の殺害命令に関しては、リーゼさんの証言しか証拠がないため、立証されなかったとのこと。
そしてカイエン様がメラニア様の計画に加わっていたことについては、こちらも本人の証言しか証拠がなく、しかも本人がそれを撤回したため、不問とされるらしい。
「カイエン様は無実、ということになるのですね」
「表向きはな。だがあいつが表舞台に現れることは二度とない。マクレガー宰相も、彼が娘の計画に加わったことは知っている。だが契約書の件と、娘の情状酌量とを合わせて、カイエンのことは追求しないということで合意した。今回のことでバルト家はユーファを除いて王宮から去り、マクレガー宰相は残る。まぁ、痛み分けというところだな」
結果として悪者はメラニア様だけとなり、彼女がある意味追放される形で決着したことになる。
王太子の思い人に危害を加えたことでの追放、という事実は、ある記憶を呼び起こした。
「ユーファ、どうした?」
一瞬背中を竦ませた私の動作に気づいた殿下が、心配そうに眉根を寄せた。
「以前、メラニア様から聞かされた話があるのです。かつて、カーティス殿下のように魔力過多な王族の方の傍に、マクレガー家ゆかりの魔力なしの女性があがった話を」
その話を、決して誰にも漏らさないようにとメラニア様からは念をおされていた。けれどそれももう許されるだろう。当時の王族の方には相思相愛の婚約者がいたが、王子を一方的に愛したその娘は、婚約者の女性の殺害を図ったことで隣国へ追放となり、一家も離散した。そのおろかな女性の轍を踏まぬようにと、メラニア様に忠告されたことを思い出す。
「王家には魔力過多の王族に関する資料やカルテがすべて保管されているが、そんな話は聞いたことがないぞ」
「そうなのですか?」
「大方あの女の作り話……、いや、確か似た話があったか?」
そうして殿下が話してくれたのは、メラニア様がかつて聞かせてくれた話とは似て非なるものだった。
「長きに渡って王族の命を支えてきた者は、任務が明けてからも、いつの時代も大切にされてきた。だが一方で、権力にむらがる連中の格好の道具にもなりうる危険を持ち合わせていた。その者を一族に取り込めば、その家は生涯王家との強いつながりができることになるからな。特に、一族の中枢でなく、末端に属する者にとっては、主家の命令とあらば不本意な縁談でも飲まなければならないかもしれない。かつてそんな状況に置かれたことがあった娘が、そのマクレガー家ゆかりの者だったのだと思う」
殿下の説明とメラニア様の話を頭の中でつなげてみる。メラニア様の話では、マクレガー家ゆかりとはいえかなりの遠縁で、本人は平民に近い暮らしをしていたとのことだった。
「その娘には想いを通じ合っている同郷の幼馴染がいた。だが、主家のマクレガー家は娘を養女とし、高位貴族に嫁がせて権力を盤石にしたいと考えていた。そこで当時の王子とその婚約者が協力して、娘にわざと罪をきせ、隣国に追放という形にして一家とその幼馴染ともに送り出したらしい。隣国で結ばれた2人は、王家の支援金で商売を起こし、大成功を収め幸せに暮らしたと記録がある」
「では、婚約者の方を害そうとしたのは嘘?」
「表立ってはそう記録されているが、王家に伝わる裏事情では嘘だな」
ほうっと息が出た。強くしばられていた心の鎖がほどけていく。
そんな私の肩を、殿下が不意に引き寄せた。
「殿下!?」
「できることなら、初めからやり直したい」
「はじめ、とは……」
「ユーファに出会ったときからだ。あのとき、私がおまえに一目惚れしたことを素直に告げていれば、と」
「あの、そのことなのですが、本当に私のことを一目見て、好きになってくださったのですか? その、あのときの殿下は、なんだか怒ってらっしゃったように見えたので」
礼儀も知らない貧相な娘が目の前に現れ、自分の治療係だと言われて、気に入らず冷たい態度をとられていたのだとばかり思っていた。
「あれは……こんなにかわいい少女が私にキスをしてくれるのかと思うと顔がにやけそうで、ごまかすために苦い顔をしていただけだ。とにかく嘘じゃない。本当だ。初めておまえを見たとき、まるで子鹿のようだと思った。離宮の森で見た、濡れた瞳の愛らしい子鹿だ」
「子鹿……ですか」
動物に例えられたことを、喜ぶべきか悲しむべきか、戸惑いつつ殿下を伺えば、彼はなぜかそのまま私の肩に顔を埋めた。
「褒めているんだ、これでも。おかげで私は、それまで楽しく興じていた狩りが苦手になった。特に鹿を追いかけているときはいつも、おまえを思い出してしまうんだ」
私はかつて離宮で王妃様から聞かされた話を思い出す。殿下は狩りがあまり好きではないと、そう聞かされ驚いた記憶。
「あのとき素直に気持ちを伝えていたら、学院での生活ももっと充実していただろうな。あの女をカモフラージュに使う必要もなく、カイエンのことも牽制できて、ユーファと恋人のような時間を過ごせていたかと思うと、後悔しかない」
唸る殿下の吐息が首筋に触れて、私はひどく緊張した。
「でも、これで終わった。ようやくユーファと結婚できる」
長い息をついた殿下は、そのまま私の肩に顔を埋めたままだ。
「初めておまえに会ったときから、ずっと好きだった。王家の契約に縛られるおまえが、私のことを受け入れてくれるかどうかずっと不安だった。学院で肩身の狭い思いをさせてはならないと、敢えて距離をとったが……今思えばそれも不要だったな。おまえは自分の力で、魔力がなくても優秀であることを証明してみせた。バレンシア院長も、エンゲルス教授も、王宮の魔道士部の人間も、今ではおまえの信奉者だからな」
「信奉者だなんて、そんな……」
「おまえは自分の優秀さをわかっていない。風魔法のクレイ先生は、おまえに卒論指導ができることを殊の外楽しみにされていたのに、エンゲルス教授に横からかっさらわれて、エンゲルス教授を呪い殺さんばかりだったんだぞ。研究マニアのバレンシア院長はおまえの論文が酒の肴だったしな。魔道士部は未だおまえと会わせろとうるさいし、父上と母上も何かにつけておまえを呼び出そうとするし……ライバルが多すぎるだろう」
肩口で唸る殿下の言葉は、まるで異国の呪文のようだった。それはいったい誰のことでしょう。
「まぁいい。ユーファと結婚できるのは私だけだ。ユーファを独り占めできるのも、な」
頭を起こした殿下が、不意に私の手をとった。
「ユーファ。おまえを愛している。私はもう言動を間違えない。おまえがいなければとっくに潰えていた命だ。そしてそれはこれからも。どうか私とともに、歩んでほしい」
「カーティス殿下」
「ユーファ。どうかカーティス、と呼んでくれ」
「カーティス様……」
決して許されることはないと思っていたその名を。私はゆっくりと紡ぐ。そのまま殿下の唇が近づいて、私のそれと重なった。思わず身じろぎする。
「ユーファ?」
「その……なんだか恥ずかしくて」
突然のキスに羞恥から顔が熱くなる。「今更?」と首を傾げる殿下に、「いつもは私からだったから」と言い訳する。
「本当は自分からしたいのをずっと我慢していたのだが……しかし、ユーファの気持ちはわかった」
「え?」
「今までおまえがしてくれた分、今からお返ししよう。利子もつけて、たっぷりと、な」
「でん……っ!」
「カーティス、だろう」
「あ、カーティスさ……」
最後まで言えずに塞がれた唇。ふわりと立ち上がるシトラスの香りはいつものもの。けれど殿下の唇は、氷のような冷たさではない。
「あ……」
息継ぎをする間も惜しんで追いかけられる。その熱のこもった視線と唇から、逃れられるはずもない。
確かめるように、何度もそっと重ねられる唇は、やがて強く押し付けられるようになった。殿下の唇から流れてくるのは、魔力の残渣ではない。その温かさとシトラスの香りが溶けて、息苦しさも相まって、頭がぼーっとしてくる。
「ユーファ、くそっ、なんて顔をしている」
どんな顔をしているのかなんてわからない。私がわかるのは、殿下の深い藍色の瞳にいつもはない情欲が宿っていることだけーーー。
齧り付くようなキスが重ねられる。この唇は、私だけのもの。今までも、これからもーーー。
焼けつく熱に翻弄されながら、私たちは何度も唇を重ねた。
ひとまず完結のフラグを立てますが、メラニアやカイエンの心の内が書ききれていないので、後日番外編を追記予定です。